猿田日記

レッド・ハッピネスの猿田大先生の日記

柳条湖事件(1931年)であやをつけ1937年に盧溝橋事件で生意気に中国への全面戦争に突き進んだ日帝の巻

2024-12-19 00:24:39 | 報道/ニュース
日帝は植民地支配経営も出来ないお粗末状態を異様に勘違いして中国をなめて捉えて、中国侵略の第一歩を上海と下駄を蹴り決めて攻略した。けど、此れには日帝もない知恵を絞り、国内の兵力を異様に増やしたんで、上海は陥落出来ただけやわな。此れで調子に乗り、次なる侵略の矛先は南京と決めて、上海の兵力も併せて20万人以上で首都南京を占領したわな。此処から日帝の残虐非道の所業が世間一般の真面の層が認識する南京大虐殺となるわな。此の時に日帝は捕虜や戦意喪失した無抵抗な兵士や一般の人民や難民を極悪非道の虐殺を行い、挙句に女性に強姦等の外道の悪行の限りを尽した。基本的に日本の似非ウヨは南京大虐殺はなかったと業務キャンペーンに終始して歴史修正の王道を邁進しとるわな。抑々が、首都南京特別市は周辺の6県と行政区域は南京城区となっており、1937年の市部は人口102万人、県部は130万人以上の計230万人以上の人口であったわな。虐殺の例を少し記すと、捕虜8万人を虐殺し、然も、日帝は皇族・朝香宮鳩彦を迎えて入城式を行う為に何と成年男子は武器を持たず平服を着ていても「便衣」兵士とみなし、日本軍が残した記録だけでも15000人以上の無抵抗且つ戦意のない相手を3日間で殺害した。便衣とは日帝用語で軍服を脱いだの事やわな。因みに此の日帝の虐殺はシオニスト帝国主義ネタニヤフ政権も脱帽する位の大虐殺やわな。更に覚えておかんといかんのは此の虐殺に加担したんは例の日帝の沖縄捨て石戦の中支那方面軍には沖縄で日本軍(第32軍)の司令官となる牛島満、同参謀長となる長勇も其れぞれ歩兵第36旅団長、情報主任参謀として参加しとって、第32軍の主力も中国大陸から転戦した部隊で構成されとったわな。中国人民を虐殺した同じ侵略軍隊によって、沖縄人民は地獄の戦場にされて、日帝、米帝から未曾有の状況におかれた。米帝は其の沖縄に居座りを継続しとる。

自民党の選挙制度調査会でSNSの投稿が発信者の収益につながる仕組みに法制化を云いだしており、自民も此れ位は法制化をせんといかんわな。SNSだけ公選法除外はいかんわな。似非中立を装う変な早口サイトもあるわな。

今日は此処迄

次回を待て

P.S.

此れからデモクラシータイムスの<告発受理 どうする斎藤>【山田厚史の週ナカ生ニュース】を視聴しときます。

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