Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2014年8月号 難民に対峙するケニア

2014年11月01日 | 特集記事
ケニア政府の立ち位置は明白ではない。彼らが戦っている相手はテロリズムなのか、国内の難民なのか、それとも民族を分離しようとしているのか?

ケニアはここ数ヵ月の間に連続爆発に直面し、ケニア国防軍が2011年にソマリアに侵攻した時に国の保安のため始めた「ウサラマ・ウォッチ」(訳注:「ウサラマ」はスワヒリ語で「治安」の意味)と呼ばれる反テロリズム作戦を開始することになった。

6人が殺され31人が負傷したイーストレイでの2回の爆発のあと、2014年4月1日に作戦がはじまった。政府はすべての主要都市でテロリズムと戦うための対策を強化した。作戦の第一段階では、他の強制的移住者の中で圧倒的に多いソマリ族が住んでいる北イーストレイの住民が対象となった。


【写真】警察の記者会見

イーストレイ12番街で2回の爆発があったあと、日中に軍隊が突撃し、500人以上のソマリア系容疑者を逮捕した。政府は急襲を続けているが、その対象は都会に住むソマリア難民だ。「すべてのケニア人の安全が確保されるまで、この国家保安作戦を続ける。我々が態度を軟化することはない」と、警察の首席警視デイビッド・キマイヨは記者会見で述べた。

テロ容疑者を捕えるのが目的だったこの作戦は、イスラム・コミュニティーによると、無情で残忍な方法で行われたようである。イーストレイの居住者と著名なソマリア人政治指導者によると、この作戦は明確にソマリアの民族を攻撃するためのものだった。この攻撃は宗教界に強い衝撃を与えた。 難民と不法入国者は、警察が莫大な賄賂を受け取ったり人々の所有物を盗んだりしたとして、いやがらせの襲撃に関わった警察を訴えたが、警察のボスは、そうした主張を否定した。

ソマリア系の人々が占拠しているナイロビのその他の郊外でも、国籍に関係なく、軍や軍に準ずる組織による取締りを受けた。


【写真】自動車爆弾による爆発

ここ3ヵ月の間、治安部隊は、ケニア国境付近のテロの脅威を抑えようと、捜索を続けてきた。しかし、国が現に治安を厳しくしているにもかかわらず、ナイロビ地域と沿岸の町のモンバサで、自動車爆弾による爆発が繰り返された。


【写真】バス旅行は危険をはらんでいる

4月23日にパンガニ警察署で自動車爆弾による爆発があり、4人が死亡。そのうち2人は警察官だった。一方ナイロビのティカ通りで2台のバスでそれぞれ爆発が起き、3人が死亡、少なくとも86人が負傷した。

〈強奪と性的いやがらせ〉
イーストレイは昼夜を問わず続く捜索を、地元で起きる一般的な出来事として受け入れるようになった。4月上旬からは、捜索は深夜に始まり午前中まで続くことが恒例になった。ケニア警察は全ての家と地域を訪ね、身元確認を要求している。「こうした行為はあまりにも無慈悲だが、我々はそれを受け入れることを学びました。そうやって日々の生活を続けています」と、女店主のイムラン・フセインは胸のうちを明かした。「夜は人間がATMとなり、日中のモールは狩場となるので、警察官を見たら、我々は店を閉めてしまいます」と彼女は付け加えた。

この厳しい取締りによって被害を受けた難民は皆、警察による賄賂や攻撃、性的いやがらせなどの不愉快な経験に苦しんでいる。ソマリア人難民のアンビア・ハジは 5月31日の朝、自分たちの家が夜間に捜索されたあと出会った警察官のことを、こう語っている。「毎晩が恐怖でしたが、その夜も、いつもの夜のようにドアを気にしながら遅くに就寝しました。でもすぐに、入り口で大きい音がして、震え上がりました。子供たちは目を覚まし、叫び声と悲鳴が暗闇に響き渡りました。警察をすぐに中に入れなかった家のドアは、金属棒で激しくたたかれました」

茶色い肌のすらりとした18才のこの女性は、インタビューを受けながら涙を流し、すすり泣きが止まらなかった。「私たちはみんなびっくりして震えていましたが、姉がドアを開けようと出ていったとき、怒った警官が侵入してきて、姉の顔をたたき、姉は床に倒れました。彼らはマットレスやクッションを裏返したりしながら、部屋じゅう、至る所を調べました。私たちはみんな手元に難民居留証明書を持っていましたが、警察官は証明書を無視して、周辺のみんなを逮捕しました」と彼女は語った。

アンビアによると、彼女の兄弟姉妹は隣人と共にその夜逮捕されたが、彼女は交渉して家に残れた。彼女はそれ以上話すことができず話題をそらしたが、兄弟姉妹は自由になれるように幾らかの金を集めるまで、警察署で3日間過ごしたという。しかし何百人もの難民がテロ対策作戦で警察から似たような目に合わされたことが分かった。

〈強制退去と再移住〉

ソマリア難民の最初の強制退去は4月9日に始まり、87人がモガディシュに送られた。国は治安作戦を強化したが、爆発はナイロビで続き、その結果、政府による懲罰的な決定が誘発されたようだ。数千の難民が捕えられてサファリコム・カサラニ・スタジアムに集められ、そこで選別されて強制退去の準備が行われた。

5月23日までに少なくとも359人のソマリア系の人々が、モガディシュに強制送還された。 ケニア移民局によると、ソマリアへの強制退去者はすべて不法入国者だったという。ここ3ヵ月の間に、サファリコム・カサラニ・スタジアムは、ソマリア人のための新たな強制収容所になった。

掃討作戦が続くなか、ジュジャ通り、ジューゴ通りへ続くバハティ交差点,そしてイーストレイへの道で、多くの路上バリケードが設けられた。ヒューマン・ライツ・ウォッチと国内の市民活動家は、警察の治安対策は無責任であると言っているが、難民の権利を主張しなければならないはずの国連難民高等弁務官(UNHCR)は、その管轄下にある難民権利の侵害について完全黙秘している。

5月の初めに少なくとも5,500人(その内ほとんどがソマリア民族)が捕まり、その内の1,636人がサファリコム・カサラニ・スタジアムで選別された。公式の情報によるとそのうち約200人は解放されたという。

3月にケニア内務大臣は、難民キャンプとして指定されているカクマとダダーブ以外に住んでいるすべての難民は即時、この2か所のキャンプに戻るよう、命令が下ると警告した。「この命令を無視していると判明した難民は、法律に基づいて処遇される」と、ジョセフ・オレ・レンクは声明で述べた。

領土内の難民や外国人に敵対する政府の動きは、ケニアが関係者に対して自国の法を犯していることを示している。その一方で、ソマリア難民の継続的な追放は、危険にさらされ迫害と強制退去を恐れている都市難民にも影響を及ぼしている。彼らは、目下無価値になってしまってはいるが、政府発行の外国人証明書を所有しているのだから。

6月末までに、およそ2,500人が政府によってカクマとダダーブ難民キャンプに送還された。他方、およそ4,500人はやむを得ず自力で孤立したキャンプに行かされた。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、難民たちの強制退去と力ずくのキャンプへの帰還は、2006年のケニア難民法に基づく難民の権利の著しい侵害として、非難している。

ケニアは1951年のジュネーブ条約と1969年のOAU国連憲章への署名国だが、国際的な保護の対象となっている人たちへの、ノン・ルフールマンの原則(訳注:迫害を受ける危険のある国家へ難民を追放、または送還してはならないとする、難民の地位に関する条約に明記されている原則の一つ)を無視し続けている。政府が国内のテロ攻撃の真犯人とどのように戦うつもりなのか、まだ明らかではない。

難民とは、亡命中で国際的な保護を必要とする、脆弱なミュニティーメンバーである。その難民を政府が差別して、どんな益があるのか、疑問が残る



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