食糧の配給がただでさえ不十分なのに、難民は食糧と交換で燃料などの必需品を手に入れなければならず、人々は相変わらず飢えている。
〈暗黒の日々〉
カクマキャンプでは、15日おきに世帯の人数に応じて食糧が配給される。しかし難民によれば、今の配給量では、各家庭でのやりくりにもよるが、長くても10日から12日くらいで尽きてしまう。したがって食糧の配給に頼っている人は、次の配給までの2日ないし5日は、全く食糧のない状態で生活している。カクマキャンプの約40%の家庭は食糧配給に全面的に依存している。そうした人々の間では最後の数日は「暗黒の日々」と呼ばれている。
物々交換によらなければ生活が成り立たないことが、食糧の配給不足をさらに深刻化させている。難民は配給食糧の一部を売って、人道支援では手に入らない生活必需品と交換している。主要な必需品には、炭、懐中電灯用電池、灯油、石鹸などがある。
〈どのように調理しているか〉
カクマの難民の大部分は調理に炭を使っている。センターで受け取る食料は生なので、そのままでは食べられない。何らかの加熱手段を手に入れざるを得ない。
何年か前までのカクマ難民キャンプでは、ソーラー調理器がもてはやされていた。しかし今では、そのほとんどが姿を消し、破損したものがいくつかキャンプ周辺で見つかるだけだ。コミュニティの住人によると、ソーラー調理器は加熱する力が弱く、水を沸騰させるのに2~3時間もかかり、時には、それでも沸騰しなかったという。GTZ(ドイツ連邦政府技術協力公社)のスタッフで、ソーラー調理器のカクマ導入に協力した人は次のように話した。「調理実習のデモの際には大変苦労しました。ある料理を作るのに何時間も待たせてしまい、あげくの果てに失敗してしまったのです」
GTZが配る薪は、40-60日毎に一人当り10kgで、配給の間隔は変動する。GTZのエネルギー監視官、ジェームス・トト氏は言う。「回数は年により異なります。昨年は10回も配りました。厳密にはやっていません」
配給の回数が増えた理由についてトト氏によれば、昨年頭初のGZTの配給計画は5回だったが、支援者に説明していくうちにより多くの基金提供が可能となり、回数が増えた。今年は6回しか考えておらず、既に2回は配給したとしている。
薪は年に6回しか配給されないが、10kgの個人用薪パックはせいぜい4-6日しかもたない。確かに10kgの薪では1週間ともたず、残りの2ヶ月は薪無しの生活になってしまうことはトト氏も認めている。薪の配給所で働いている若い女性も「実際には、10kgの薪はほんの5日程でなくなってしまいます」と言い添えた。
〈食料と引き替えに木炭〉
チャンディはインセンティブワーカー(報奨金労働者)として働いている難民で、家族5人の生活を支えている。彼女が言うには、配給センターで受け取る薪は、どんなに節約しても8日もすると使い切ってしまうし、受取日も不定期である。最後に受け取ったのは3月の最終週だったが、その前は1月の第2週より前だった。
「一ヶ月の間で、最初に配給された食糧を確保しておくために、私がお金を払って木炭と灯油を買います。次の食糧が配給されたら、その時配られるものによりますが、母がとうもろこしで作った食べ物や小麦粉を売って、たらい2~3杯の木炭を買うのです」
地域協定により、生計の手段として薪を焼いて木炭を作ることが認められているのは、地元トゥルカナの人達に限られている。難民は物々交換で地元民から生活必需品を買わなければならない。地元住民がキャンプの中を大きな木炭の束を抱えて売り歩いている。
食糧と木炭の交換レートはまちまちで、個々の難民と売り子の間で取り決められる。両者が合意すると、難民のテントや小屋で交換が行われる。とうもろこしや小麦粉の計量には、バクリと呼ばれる1.5kg分の容器を使用し、たらい一杯の木炭と交換する。
通常の交換レートは、たらい一杯の木炭に対して2-8バクリで、季節によって変動する。家族の人数にもよるが、たらい一杯の木炭で、4-15日くらいはもたせる事ができる。
〈依存するしかないカクマ難民〉
難民キャンプの難民は、基本的な生活をNGOに依存している。難民が何か仕事を見つけようとしても、ここはカクマ。地元トゥルカナ住民が難民に提供できる仕事は何もない。
「私がかつて暮らしていた他のキャンプでは、地域の農場に働きに行っていたので、木炭や灯油、野菜や果物を買うことが出来ました。それに、自分の畑で栽培もしていました。しかしここでは耕す畑も農場もなく、食糧配給の度に少なくともたらい2杯の調理用木炭を買わなければなりません。灯りを点すためにも灯油一リットルが必要です。そうしないとサソリが出ますから」カクマに家族5人で住んでいる49歳のパスカジーはこう言っていた。
〈暗黒の日々〉
カクマキャンプでは、15日おきに世帯の人数に応じて食糧が配給される。しかし難民によれば、今の配給量では、各家庭でのやりくりにもよるが、長くても10日から12日くらいで尽きてしまう。したがって食糧の配給に頼っている人は、次の配給までの2日ないし5日は、全く食糧のない状態で生活している。カクマキャンプの約40%の家庭は食糧配給に全面的に依存している。そうした人々の間では最後の数日は「暗黒の日々」と呼ばれている。
物々交換によらなければ生活が成り立たないことが、食糧の配給不足をさらに深刻化させている。難民は配給食糧の一部を売って、人道支援では手に入らない生活必需品と交換している。主要な必需品には、炭、懐中電灯用電池、灯油、石鹸などがある。
〈どのように調理しているか〉
カクマの難民の大部分は調理に炭を使っている。センターで受け取る食料は生なので、そのままでは食べられない。何らかの加熱手段を手に入れざるを得ない。
何年か前までのカクマ難民キャンプでは、ソーラー調理器がもてはやされていた。しかし今では、そのほとんどが姿を消し、破損したものがいくつかキャンプ周辺で見つかるだけだ。コミュニティの住人によると、ソーラー調理器は加熱する力が弱く、水を沸騰させるのに2~3時間もかかり、時には、それでも沸騰しなかったという。GTZ(ドイツ連邦政府技術協力公社)のスタッフで、ソーラー調理器のカクマ導入に協力した人は次のように話した。「調理実習のデモの際には大変苦労しました。ある料理を作るのに何時間も待たせてしまい、あげくの果てに失敗してしまったのです」
GTZが配る薪は、40-60日毎に一人当り10kgで、配給の間隔は変動する。GTZのエネルギー監視官、ジェームス・トト氏は言う。「回数は年により異なります。昨年は10回も配りました。厳密にはやっていません」
配給の回数が増えた理由についてトト氏によれば、昨年頭初のGZTの配給計画は5回だったが、支援者に説明していくうちにより多くの基金提供が可能となり、回数が増えた。今年は6回しか考えておらず、既に2回は配給したとしている。
薪は年に6回しか配給されないが、10kgの個人用薪パックはせいぜい4-6日しかもたない。確かに10kgの薪では1週間ともたず、残りの2ヶ月は薪無しの生活になってしまうことはトト氏も認めている。薪の配給所で働いている若い女性も「実際には、10kgの薪はほんの5日程でなくなってしまいます」と言い添えた。
〈食料と引き替えに木炭〉
チャンディはインセンティブワーカー(報奨金労働者)として働いている難民で、家族5人の生活を支えている。彼女が言うには、配給センターで受け取る薪は、どんなに節約しても8日もすると使い切ってしまうし、受取日も不定期である。最後に受け取ったのは3月の最終週だったが、その前は1月の第2週より前だった。
「一ヶ月の間で、最初に配給された食糧を確保しておくために、私がお金を払って木炭と灯油を買います。次の食糧が配給されたら、その時配られるものによりますが、母がとうもろこしで作った食べ物や小麦粉を売って、たらい2~3杯の木炭を買うのです」
地域協定により、生計の手段として薪を焼いて木炭を作ることが認められているのは、地元トゥルカナの人達に限られている。難民は物々交換で地元民から生活必需品を買わなければならない。地元住民がキャンプの中を大きな木炭の束を抱えて売り歩いている。
食糧と木炭の交換レートはまちまちで、個々の難民と売り子の間で取り決められる。両者が合意すると、難民のテントや小屋で交換が行われる。とうもろこしや小麦粉の計量には、バクリと呼ばれる1.5kg分の容器を使用し、たらい一杯の木炭と交換する。
通常の交換レートは、たらい一杯の木炭に対して2-8バクリで、季節によって変動する。家族の人数にもよるが、たらい一杯の木炭で、4-15日くらいはもたせる事ができる。
〈依存するしかないカクマ難民〉
難民キャンプの難民は、基本的な生活をNGOに依存している。難民が何か仕事を見つけようとしても、ここはカクマ。地元トゥルカナ住民が難民に提供できる仕事は何もない。
「私がかつて暮らしていた他のキャンプでは、地域の農場に働きに行っていたので、木炭や灯油、野菜や果物を買うことが出来ました。それに、自分の畑で栽培もしていました。しかしここでは耕す畑も農場もなく、食糧配給の度に少なくともたらい2杯の調理用木炭を買わなければなりません。灯りを点すためにも灯油一リットルが必要です。そうしないとサソリが出ますから」カクマに家族5人で住んでいる49歳のパスカジーはこう言っていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます