【写真】ナミビア・オシレ難民キャンプの「難民の声」新聞
バーバラ・ハレル・ボンド博士寄稿
ハレル・ボンド博士は難民の権利擁護の第一人者で、オックスフォード大学に難民研究センターを、カイロのアメリカ人大学に強制移民および難民研究プログラムを創立した。博士はG・ヴァーディラムとともに『亡命中の権利:二面性を有する人道主義』など、難民の状況に関する多くの記事と本を書いている。KANEREはハレル・ボンド博士に、難民フリープレスへの論説の寄稿を依頼した。
難民による参加がこれだけ多く語られているのに、なぜ世界の難民の多くが声を発せずにいるのだろうか? 難民という集団の意見や経験や見解、また彼らの権利侵害の例などは、ほとんどすべて、難民でない者が、わざわざ難民にインタビューし、その内容を書いて、はじめて表に出てくる[i]。それが今、カクマで変わろうとしている――KANEREの出現によって。
KANEREの成功には多くの課題がある:共通の言語がないことがおそらく最も大きな課題だろう。英語またはスワヒリ語の優位を覆すことはできないので―― カクマにフリープレスが出現したことでもたらされる副産物の一つとして、キャンプ中で言語教育が盛んになるのではないかと期待する。もう一つの大きい課題は、全住民のなかで最も貧しい者のためになることを、どれだけ伝えられるかだろう。
印刷するには紙が必要なように、アクセスできるコンピューターが十分になければならないが、これがもう一つの障害だ。しかし、貴重な役割を与えられたKANEREが、カクマにフィードバック・メカニズムの作用を及ぼすことができるなら、UNHCRがこのフリープレスに資金提供してくれるかもしれない。
UNHCRのスタッフだった当時、マーク・マロック・ブラウンは「我々は、政治的にも行政的にも商業的にも、市民が決定する仕組みも消費者が満足する仕組みもない社会に設置された組織で働いているに過ぎない」と不満をぶちまけていた[ii]。フリープレスがアフリカ、アジア、中東の何百ものキャンプに広がり、インターネットにも掲載されたら、フィードバック・メカニズムはまさしく確立されたことになるだろう。このような新聞は他に一つしか知らない。ナミビアのオシレ・キャンプで創られている「難民の声」新聞だ。ただ、この新聞は最新の情報技術は使っていない[iii]。
難民は自分達のことを他の人に代弁させている
キャンプ内で暮らしていようと外で暮らしていようと、難民が自分で自分の生活をコントロールし、一体化したグループとして意見を言える組織を作るには、多くの障害が立ちはだかっている。誰もが同意するであろう最初の重要な原則は、難民第一、という精神だ。ところが難民は、強制的に祖国を追い立てられたのを生き抜いてきた人たちで、程度の差こそあれ、皆、精神的外傷と拷問に苦しんできた。難民の中には抑圧によって完全に無力になっている者もいるだろうし、心理面での支援の手がさしのべられても、支援と聞いただけで自分達が『常軌を逸している』と言われているような気がして、素直になれない者もいる[iv]。
重要なのは、非常に幸運でない限り、大部分の難民は信頼を寄せていた友情や社会的な支援の拠り所だった人たちを失ってしまっている。これこそ、難民にとって最も大きな損失なのだ――どこに流れ着こうとも。人間はたとえその人が必要とするすべての物質的援助を得ようとも、支えてくれる社会的ネットワークなしには、決して生きていくことはできない。難民が新しい社会的ネットワークを構築するのを助けることは、人にできる最も価値あることの一つだ。そういうことこそ、友情を構築する行為と言える!
社会的ネットワークを立て直すには非常に長い時間がかかる。というのも、それは個々のメンバーが互いを充分に知ってはじめて、相互の支援を提供する準備が整うのだから。しかし残念なことに、多くの難民は自分が経験した大きな苦しみから抜け出すことができず、自分を越えて他者の要求にまでは考えが及ばない。
難民が一つの問題に一緒に対処するのを妨げているもう一つの重要な要因は、難民の出身国が多岐にわたるため、それぞれが自分の利益と政治的立場によって行動してしまうことだ。難民は通常、自分の利益や政治的立場に心を奪われ、それから逃れることはむずかしい[v]。しかし、キャンプに住んでいる難民は1951年協定にきちんと記されている移動の自由や住居を選ぶ権利の侵害を皆が味わっている。それなのに、他の人が方針を決めたり、自分達のための規則を作ったりするのを、どうやら黙認し、すっかり従順になってしまっているのは、どうにも解せない。
どんな集団であれ、一同に代わって話す場合には、代表が話さなければならない。しかしキャンプの難民にとって、自分たちでグループを組織し、リーダーを選んで、その人にグループの代弁をしてもらうのは、とても難しい。難民キャンプでは、多くの異なる背景を持つ人たちが一緒にされ、しばしば、(支援機関のスタッフによって)互いの性格について何の前知識もなしに「リーダーを選べ」と言われる。この選挙は通常、知らずに選んでしまった悪人やリーダーシップに欠けた人を投票で追放し、有能だとわかっている人を選び直すために、何度でも選挙ができることを保証する規約もないまま行われる。選挙自体が民主主義の原理に反して行われるころもある――無記名投票ではなく、人々が候補者の後ろに並ぶ選挙を、私はしばしば目撃した。その結果、場合によっては、みんなに恐れられているガキ大将がリーダーに選ばれてしまうこともある。現実を直視しよう;難民は、旧習を墨守する母国の基準と価値のみならず権力の構造まで、持ち込んでしまっている! キャンプの職員が使っている言語を話すことができる人――通常英語だが――には大きな強みがあり、まわりの人はこれだけで、この人を選ぶかも知れない。キャンプのリーダーの中に、言語能力と堕落の極み併せ持っている人を見つけるのは、珍しいことではない。
力と自分自身を語ること
現実を直視しよう。どんな社会にも、自分達の意見を言うことも、自分達の権利や利益を代弁することも、自分達の保護のために設けられた規則を批評することも決して許されない特定の集団がある。囚人や精神病院に隔離されている患者、子ども、身体障害者、天災の被災者、困窮している者(例えばホームレス、社会福祉事業機関の世話になっている「問題のある」家族)などである[vi]。キャンプに閉じ込められている難民は、このようなグループに当てはまるのか?ゴッフマン[vii]とフーコー[viii]の書物は、研究者にこんな警告を出している。収容施設を支配している人たちの支配力が、そのグループを「物が言えない集団」にしているのだと。
ゴッフマンの本に基づいて作られた『カッコウの巣の上で』という映画は、施設の支配力がどのように精神病院の患者に働くかを、はっきり見せてくれる。この映画の中で、看護師のラチェッドは、担当患者達を完璧に支配していたが、一人の患者に反発された結果、殺人が起きてしまう。これは難民キャンプで見せるのに価値ある映画といえる。
長年にわたる支援団体の仲裁を通じて、これら声を発しないグループの中に見られる無力が問題にされてきた。今では障害をもった人のためにもオリンピックが開催される。また一定の歳になれば子どもも自分の意見が言えることがわかり、子ども自身が計画や運営に積極的に参加するプログラムがどんどん増えている。
他方、キャンプの状況は、難民を『率いる』NGOが実際の権力を握っている。予算やその他の割り当て資産に関する情報を難民と共有せず、その領域内のほぼすべての事柄に絶対権力を有している。こんな状況下では、キャンプでも民主主義が機能するリーダーシップ構造は可能だなどという考えは、茶番劇だ。おそらくキャンプが自ら崩壊しない限り、キャンプとは福祉事業(ゴッフマンの用語では、完全な施設)、権力を有する他者によって運営される福祉事業でしかないと思っておいたほうがいい。
一方、キャンプの悪い点を申し立てるには、フィードバック・メカニズムを構築することから始めるのも一つの方法である。そうすれば、適正化の見込みのある問題を指摘していくうちに、資金提供者にキャンプの悪について気づかせることができる。いつか難民が団結して自分自身のアムネスティをつくるという夢は、なかなか実現しそうもない。当面は、KANEREのために働くジャーナリストに、カクマの住民に対する大きな責任を負ってもらうことになる。
[i]例外はある:世界の主要言語の一つで書くことができる一部の難民は、自分達が経験したことを本にして出版した。カクマの元居住者の場合、「歩いている男の子」と自己説明がしている出版物が何冊かある。しかし、どれも、難民の状況を包括的にコメントするものではないし、また難民の権利侵害が起きたときそれをシステマティックに提示しようとするものでもない。
[ii] 概要、UNHCRのために書かれたマーク・マロック・ブラウンのKRCレポート P8。(1991年9月)
[iii]米国難民移民委員会(USCRM)http://www.refugees.org/warehousing/namibia,を通さないと、「難民の声」新聞のことは知り得ない。彼らは最新の情報テクノロジーを使っていないからだ。ウェブ上で捜そうとすると、サファリのための旅行者宿泊施設のページしか出てこない。しかしKANEREのことは、KANERE+ケニア、カクマと入れれば、三番目に掲載されている!
[iv] 過去一年半、私はエジプトでイラクの難民を援助してきた。彼らは、長年にわたるサダムの抑圧、制裁と三度の戦争を通して抑圧と精神的外傷(だからといって彼らが「常軌を逸している」ことにはならない)を負っていることを自ら知っていた。そればかりでなく、自分達が専門家の支援を必要としていることもわかっていて、実際、支援を要請していた。悲劇は、利用できるカウンセリングがカイロになかったことだ。彼らが手にできたのは、鬱病のための「向精神薬」だけでだった。
[v] 大部分の難民は自分達の経験が余りにも無意味であるため、自分達の経験の意味を理解することができない。何が起きたかを書き留めると、過去をある程度、秩序立てて見ることができるものだ。
[vi] 私は最近無国籍に関する講座に出席したが、無国籍の人は出席するように促されたにもかかわらず一人として出席していなかったし、国の保護なしで存在することの恐怖を明らかにする証言や、無国籍でなければ持てたはずの権利の欠如の証言もなかった。
[vii] E.ゴッフマン、1991(再版)『収容所:精神病患者と他の収容者の社会的状況に関するエッセイ』ペンギン社会科学
[viii]例えば、M.フーコー、1977 『規律と罰則:刑務所の誕生』ガリマール」
「難民のために語る、あるいは難民自身が語る」への投稿
サディック・ノアより 2009年2月3日 午後1時21分投稿
ハレル・ボンド博士へ
KANEREの博士の論説に対して一筆啓上します。私は、何故難民が通常フィードバックのためにさえ声をあげないかという分析と、博士の権力に対する主張を読んで興味を持ちました。私はそれらの見解に共鳴します。私はまた長い間、ソマリアの難民に教育を受けるように勧め、また個人の声を取り戻し自分達のことをしゃべるよう勧め、サポ-トに努めてきました。ご存知の通り、KANEREは、その住民の大多数がソマリア人であるカクマ難民キャンプにベースを置いています。
私はソマリアからの難民で、イギリスに来るまでの長い間カクマ キャンプで暮らしていました。現在は英国の国籍を得て、公務員として働いています。重い読書障害者であるにもかかわらず、LLBと大学院で法律実務を勉強するための準備をしました。英語はイギリスで第二言語として学んだだけという事実も役に立ちませんでした。
博士のセンターは、難民に関するおびただしい量の情報を公開しています、それらのいくつかを読ませてもらいました。オックスフォード大学は難民の権利を助長することに突出しているにもかかわらず、難民に対する無関心と偏見が渦巻いていることに驚き、博士に手紙を書く気になりました。例えば、私はオックスフォードで3年間続けて、人間の権利に関する通信講座の学士プログラムに応募していますが、まだ受け入れられていません。私が正式な教育経歴を持っていないため駄目だったのです。私の唯一の教育証明書は、大学卒業2.2です。オックスフォード大学は私が成し遂げたこの小さな結果のために大きな努力を要したことを知っていますが、そこで勉強する機会を与えてくれません。
それは難民の世界で我々の多くが気付く無意味なダブルスタンダードで、オックスフォード大学もそこに連なっています。一方、彼らは難民でない人たちの難民研究には大わらわですが、彼らの研究の基礎となる難民に力をつけさせようとはしません。難民研究に関してオックスフォードは高潔で知的な教材がを作ってきたのですから、難民コミュニティが難民に教育と権利拡大の機会を与えるためにどれだけ苦労してきたかも理解してもらいたいと思います。さもなければ、オックスフォードは、少数の選ばれた者のための、既成のエリート主義的権力組織のままです。敬具
サディック・ノア 157 Dehavilland Close Northolt Middlesex UB5 6RU 4/4
バーバラ・ハレル・ボンド博士寄稿
ハレル・ボンド博士は難民の権利擁護の第一人者で、オックスフォード大学に難民研究センターを、カイロのアメリカ人大学に強制移民および難民研究プログラムを創立した。博士はG・ヴァーディラムとともに『亡命中の権利:二面性を有する人道主義』など、難民の状況に関する多くの記事と本を書いている。KANEREはハレル・ボンド博士に、難民フリープレスへの論説の寄稿を依頼した。
難民による参加がこれだけ多く語られているのに、なぜ世界の難民の多くが声を発せずにいるのだろうか? 難民という集団の意見や経験や見解、また彼らの権利侵害の例などは、ほとんどすべて、難民でない者が、わざわざ難民にインタビューし、その内容を書いて、はじめて表に出てくる[i]。それが今、カクマで変わろうとしている――KANEREの出現によって。
KANEREの成功には多くの課題がある:共通の言語がないことがおそらく最も大きな課題だろう。英語またはスワヒリ語の優位を覆すことはできないので―― カクマにフリープレスが出現したことでもたらされる副産物の一つとして、キャンプ中で言語教育が盛んになるのではないかと期待する。もう一つの大きい課題は、全住民のなかで最も貧しい者のためになることを、どれだけ伝えられるかだろう。
印刷するには紙が必要なように、アクセスできるコンピューターが十分になければならないが、これがもう一つの障害だ。しかし、貴重な役割を与えられたKANEREが、カクマにフィードバック・メカニズムの作用を及ぼすことができるなら、UNHCRがこのフリープレスに資金提供してくれるかもしれない。
UNHCRのスタッフだった当時、マーク・マロック・ブラウンは「我々は、政治的にも行政的にも商業的にも、市民が決定する仕組みも消費者が満足する仕組みもない社会に設置された組織で働いているに過ぎない」と不満をぶちまけていた[ii]。フリープレスがアフリカ、アジア、中東の何百ものキャンプに広がり、インターネットにも掲載されたら、フィードバック・メカニズムはまさしく確立されたことになるだろう。このような新聞は他に一つしか知らない。ナミビアのオシレ・キャンプで創られている「難民の声」新聞だ。ただ、この新聞は最新の情報技術は使っていない[iii]。
難民は自分達のことを他の人に代弁させている
キャンプ内で暮らしていようと外で暮らしていようと、難民が自分で自分の生活をコントロールし、一体化したグループとして意見を言える組織を作るには、多くの障害が立ちはだかっている。誰もが同意するであろう最初の重要な原則は、難民第一、という精神だ。ところが難民は、強制的に祖国を追い立てられたのを生き抜いてきた人たちで、程度の差こそあれ、皆、精神的外傷と拷問に苦しんできた。難民の中には抑圧によって完全に無力になっている者もいるだろうし、心理面での支援の手がさしのべられても、支援と聞いただけで自分達が『常軌を逸している』と言われているような気がして、素直になれない者もいる[iv]。
重要なのは、非常に幸運でない限り、大部分の難民は信頼を寄せていた友情や社会的な支援の拠り所だった人たちを失ってしまっている。これこそ、難民にとって最も大きな損失なのだ――どこに流れ着こうとも。人間はたとえその人が必要とするすべての物質的援助を得ようとも、支えてくれる社会的ネットワークなしには、決して生きていくことはできない。難民が新しい社会的ネットワークを構築するのを助けることは、人にできる最も価値あることの一つだ。そういうことこそ、友情を構築する行為と言える!
社会的ネットワークを立て直すには非常に長い時間がかかる。というのも、それは個々のメンバーが互いを充分に知ってはじめて、相互の支援を提供する準備が整うのだから。しかし残念なことに、多くの難民は自分が経験した大きな苦しみから抜け出すことができず、自分を越えて他者の要求にまでは考えが及ばない。
難民が一つの問題に一緒に対処するのを妨げているもう一つの重要な要因は、難民の出身国が多岐にわたるため、それぞれが自分の利益と政治的立場によって行動してしまうことだ。難民は通常、自分の利益や政治的立場に心を奪われ、それから逃れることはむずかしい[v]。しかし、キャンプに住んでいる難民は1951年協定にきちんと記されている移動の自由や住居を選ぶ権利の侵害を皆が味わっている。それなのに、他の人が方針を決めたり、自分達のための規則を作ったりするのを、どうやら黙認し、すっかり従順になってしまっているのは、どうにも解せない。
どんな集団であれ、一同に代わって話す場合には、代表が話さなければならない。しかしキャンプの難民にとって、自分たちでグループを組織し、リーダーを選んで、その人にグループの代弁をしてもらうのは、とても難しい。難民キャンプでは、多くの異なる背景を持つ人たちが一緒にされ、しばしば、(支援機関のスタッフによって)互いの性格について何の前知識もなしに「リーダーを選べ」と言われる。この選挙は通常、知らずに選んでしまった悪人やリーダーシップに欠けた人を投票で追放し、有能だとわかっている人を選び直すために、何度でも選挙ができることを保証する規約もないまま行われる。選挙自体が民主主義の原理に反して行われるころもある――無記名投票ではなく、人々が候補者の後ろに並ぶ選挙を、私はしばしば目撃した。その結果、場合によっては、みんなに恐れられているガキ大将がリーダーに選ばれてしまうこともある。現実を直視しよう;難民は、旧習を墨守する母国の基準と価値のみならず権力の構造まで、持ち込んでしまっている! キャンプの職員が使っている言語を話すことができる人――通常英語だが――には大きな強みがあり、まわりの人はこれだけで、この人を選ぶかも知れない。キャンプのリーダーの中に、言語能力と堕落の極み併せ持っている人を見つけるのは、珍しいことではない。
力と自分自身を語ること
現実を直視しよう。どんな社会にも、自分達の意見を言うことも、自分達の権利や利益を代弁することも、自分達の保護のために設けられた規則を批評することも決して許されない特定の集団がある。囚人や精神病院に隔離されている患者、子ども、身体障害者、天災の被災者、困窮している者(例えばホームレス、社会福祉事業機関の世話になっている「問題のある」家族)などである[vi]。キャンプに閉じ込められている難民は、このようなグループに当てはまるのか?ゴッフマン[vii]とフーコー[viii]の書物は、研究者にこんな警告を出している。収容施設を支配している人たちの支配力が、そのグループを「物が言えない集団」にしているのだと。
ゴッフマンの本に基づいて作られた『カッコウの巣の上で』という映画は、施設の支配力がどのように精神病院の患者に働くかを、はっきり見せてくれる。この映画の中で、看護師のラチェッドは、担当患者達を完璧に支配していたが、一人の患者に反発された結果、殺人が起きてしまう。これは難民キャンプで見せるのに価値ある映画といえる。
長年にわたる支援団体の仲裁を通じて、これら声を発しないグループの中に見られる無力が問題にされてきた。今では障害をもった人のためにもオリンピックが開催される。また一定の歳になれば子どもも自分の意見が言えることがわかり、子ども自身が計画や運営に積極的に参加するプログラムがどんどん増えている。
他方、キャンプの状況は、難民を『率いる』NGOが実際の権力を握っている。予算やその他の割り当て資産に関する情報を難民と共有せず、その領域内のほぼすべての事柄に絶対権力を有している。こんな状況下では、キャンプでも民主主義が機能するリーダーシップ構造は可能だなどという考えは、茶番劇だ。おそらくキャンプが自ら崩壊しない限り、キャンプとは福祉事業(ゴッフマンの用語では、完全な施設)、権力を有する他者によって運営される福祉事業でしかないと思っておいたほうがいい。
一方、キャンプの悪い点を申し立てるには、フィードバック・メカニズムを構築することから始めるのも一つの方法である。そうすれば、適正化の見込みのある問題を指摘していくうちに、資金提供者にキャンプの悪について気づかせることができる。いつか難民が団結して自分自身のアムネスティをつくるという夢は、なかなか実現しそうもない。当面は、KANEREのために働くジャーナリストに、カクマの住民に対する大きな責任を負ってもらうことになる。
[i]例外はある:世界の主要言語の一つで書くことができる一部の難民は、自分達が経験したことを本にして出版した。カクマの元居住者の場合、「歩いている男の子」と自己説明がしている出版物が何冊かある。しかし、どれも、難民の状況を包括的にコメントするものではないし、また難民の権利侵害が起きたときそれをシステマティックに提示しようとするものでもない。
[ii] 概要、UNHCRのために書かれたマーク・マロック・ブラウンのKRCレポート P8。(1991年9月)
[iii]米国難民移民委員会(USCRM)http://www.refugees.org/warehousing/namibia,を通さないと、「難民の声」新聞のことは知り得ない。彼らは最新の情報テクノロジーを使っていないからだ。ウェブ上で捜そうとすると、サファリのための旅行者宿泊施設のページしか出てこない。しかしKANEREのことは、KANERE+ケニア、カクマと入れれば、三番目に掲載されている!
[iv] 過去一年半、私はエジプトでイラクの難民を援助してきた。彼らは、長年にわたるサダムの抑圧、制裁と三度の戦争を通して抑圧と精神的外傷(だからといって彼らが「常軌を逸している」ことにはならない)を負っていることを自ら知っていた。そればかりでなく、自分達が専門家の支援を必要としていることもわかっていて、実際、支援を要請していた。悲劇は、利用できるカウンセリングがカイロになかったことだ。彼らが手にできたのは、鬱病のための「向精神薬」だけでだった。
[v] 大部分の難民は自分達の経験が余りにも無意味であるため、自分達の経験の意味を理解することができない。何が起きたかを書き留めると、過去をある程度、秩序立てて見ることができるものだ。
[vi] 私は最近無国籍に関する講座に出席したが、無国籍の人は出席するように促されたにもかかわらず一人として出席していなかったし、国の保護なしで存在することの恐怖を明らかにする証言や、無国籍でなければ持てたはずの権利の欠如の証言もなかった。
[vii] E.ゴッフマン、1991(再版)『収容所:精神病患者と他の収容者の社会的状況に関するエッセイ』ペンギン社会科学
[viii]例えば、M.フーコー、1977 『規律と罰則:刑務所の誕生』ガリマール」
「難民のために語る、あるいは難民自身が語る」への投稿
サディック・ノアより 2009年2月3日 午後1時21分投稿
ハレル・ボンド博士へ
KANEREの博士の論説に対して一筆啓上します。私は、何故難民が通常フィードバックのためにさえ声をあげないかという分析と、博士の権力に対する主張を読んで興味を持ちました。私はそれらの見解に共鳴します。私はまた長い間、ソマリアの難民に教育を受けるように勧め、また個人の声を取り戻し自分達のことをしゃべるよう勧め、サポ-トに努めてきました。ご存知の通り、KANEREは、その住民の大多数がソマリア人であるカクマ難民キャンプにベースを置いています。
私はソマリアからの難民で、イギリスに来るまでの長い間カクマ キャンプで暮らしていました。現在は英国の国籍を得て、公務員として働いています。重い読書障害者であるにもかかわらず、LLBと大学院で法律実務を勉強するための準備をしました。英語はイギリスで第二言語として学んだだけという事実も役に立ちませんでした。
博士のセンターは、難民に関するおびただしい量の情報を公開しています、それらのいくつかを読ませてもらいました。オックスフォード大学は難民の権利を助長することに突出しているにもかかわらず、難民に対する無関心と偏見が渦巻いていることに驚き、博士に手紙を書く気になりました。例えば、私はオックスフォードで3年間続けて、人間の権利に関する通信講座の学士プログラムに応募していますが、まだ受け入れられていません。私が正式な教育経歴を持っていないため駄目だったのです。私の唯一の教育証明書は、大学卒業2.2です。オックスフォード大学は私が成し遂げたこの小さな結果のために大きな努力を要したことを知っていますが、そこで勉強する機会を与えてくれません。
それは難民の世界で我々の多くが気付く無意味なダブルスタンダードで、オックスフォード大学もそこに連なっています。一方、彼らは難民でない人たちの難民研究には大わらわですが、彼らの研究の基礎となる難民に力をつけさせようとはしません。難民研究に関してオックスフォードは高潔で知的な教材がを作ってきたのですから、難民コミュニティが難民に教育と権利拡大の機会を与えるためにどれだけ苦労してきたかも理解してもらいたいと思います。さもなければ、オックスフォードは、少数の選ばれた者のための、既成のエリート主義的権力組織のままです。敬具
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