【写真】カクマキャンプの周辺の風景
人間倉庫を終わらせるための世界的キャンペーンにスポットライトを当てるため、KANEREはメリル・スミス氏(米国のNGO、難民移民委員会の政府関係・国際支援の責任者及び『世界難民調査』の編集者)にインタビューし、UNHCRについて、キャンペーンの成功例、難民フリープレスにつての三点に関して質問した。
KANERE:人間倉庫反対キャンペーンに対するUNHCRの対応は?
メリル・スミス氏:このキャンペーンに対するUNHCRの対応は一つというわけではない。UNHCRは、1951年協定の難民の地位に関する権利を普及促進させる義務がある。生計を立てるために稼ぐ権利、移動の自由の権利もこれに含まれる。これらは強制的なキャンプ収容とは相容れない権利だが、UNHCRのスタッフは真剣に受け止めている。実際、難民の扱いに関して「人間倉庫」という言葉を最初に使ったのは、1988年の難民高等弁務官(当時はジャン・ピエールホッケ氏)自身だった:
世界で1200万人という大勢の難民が都市以外の難民キャンプ置かれているが、その人間性を損なう状態から難民を抜け出させることが、本来、我々にとって最大の関心事である。余りにも多くの難民がほぼ全面的な依存状態の中で、事実上、「人間倉庫」に入れられている。
2000年代初期のUNHCRの評価政策分析部は、我々がキャンペーンを起こすきっかけになっgた『2004年世界難民調査‐人間倉庫論争』に引用した多くの仕事を後押ししている。ただし1980年代と90年代にはUNHCRの保護が減退したのも真実である、そして、人間倉庫での「ケアとメンテナンス」という運営機能が強まるにつれ、保護機能は更に顧みられなくなった。キャンプで難民の地位の決定や司法管理のような本質的な機能を取り入れても、UNHCR独自の保護役割の強化にはならない。かえって、役所にありがちな惰性のようなものを浸透させることになった。
しかし、UNHCRの政策は主にその上級委員会、特にその資金提供メンバーである国々の職務の一つに過ぎない。したがって、UNHCRを、その気になれば難民の世界を変えることもできる自主的組織として扱うより、関係する政府や資金提供国、ホスト国に対して見解を主張するほうが効果的である。現場でのプロテクション職員の中には、難民の権利に関して英雄的な仕事をしている人もいて、こんな状況下でも現状に挑戦しようとするUNHCR上級職員の意欲に驚くこともある。しかし結局のところ、UNHCRは国々の出先であって、その逆ではない。
また、人間倉庫が継続しているのは、おそらく、UNHCR自体に原因があるのではなく、UNHCRのパートナーの行動により大きな要因があるのだろう。やはり、キャンプ維持に一番関わりの深いパートナーは、地元の草の根的な小さいNGOではなく、主要な資金提供国の首都に本部を持ち、UNHCRよりさらに強く議会工作をする巨大な組織だ。我々はUNHCRに影響を与え、変えていく必要があるが、問題の根本原因を認識しなければならない。つまり誰が資金を管理し、いかにそれが費やされているかを認識する必要がある。
KANERE:これまでのキャンペーンで際だった成功は何ですか?
メリル・スミス氏:キャンペーンを軽視することなく、あるいは誇大妄想的に見えることなく答えるには、難しい質問だ。政府は陳情活動の影響で政策を変えると言うことは滅多にないし、政府にそれを言えと迫るべきでもない――進歩的な政策を実行する際に、政府が自分たちは寛大で、人道的で、啓蒙的であることを自慢したければ、政府の手柄として認めてやったほうがいい。とはいえ、ご承知のように、彼らは実によく見ている。(ジュネーブ会議で彼らが自分達の評点を見るためにどれくらい素早く世界難民調書のコピーを取り上げることか!) そして非公式に、人間倉庫キャンペーンがあったればこそ、政策の見直しや変更を始めたと認めたりする。我々は時々こういう言葉を耳にするが、人前で特定の例を明らかにすることはできない。
ただこれだけは言っておくが、レバノンの労働大臣のパレスチナ人に対する就業規制の緩和、タイの首相の難民キャンプ訪問とそれによる職業訓練および生計機会の増加の約束、ケニアで短期間実行された難民の都市への住民登録、その他の長年にわたる政策転換のいくつかはこのキャンペーンの影響だと信じている。(重要:ここで言う「キャンペーン」とは、キャンペーンに参加している世界中のすべての組織の、すべての行動を含むもので、米国難民移民委員会(USCRL)の行動だけを指すものではない)
恐らく、キャンペーンの最大の成功は目に見えない。何かが起きなかったことが成功だったからだ。すなわち、シリア、ヨルダンといった地域でイラク難民のキャンプ収容化が見送られた。2003年の侵略の前には――略直後には膨大な数の難民が出ると誰もが予想し――キャンプはまさに計画の一つだったと記憶している。幸いにも、難民はその時は国から去らず、それらの計画は棚上げされた。難民がかなりの数で国を出始め、当事者は上級政策方針会議で再び収容化の提案をしたが、それらの計画は拒否された。聞くところによると、拒否の理由の一つに、「『収容』したら、彼らを人間倉庫に入れたと言われるだろう」という危惧があったからだという。
KANERE:難民フリープレスは、人間倉庫を終らせる世界の努力に貢献できると思いますか?
メリル・スミス氏: まさしくできます! ナミビア当局はオシレ・キャンプでインターネットカフェを閉鎖し、タイでは難民が携帯電話を持つことを禁止したが、それには理由がある。難民が自分に利用できる限られたツールで何を成し遂げたか、見てほしい。ナミビアで、手でタイプされた「難民の声」を見てほしい。難民の手で作られ、密かにキャンプから持ち出してきたので、我々がインターネットに載せて、皆が見られるようにした。このウェブジャーナル、KANEREに皆が注目しているのを見てほしい。なるほど、確かに不愉快なこともあるだろうが、変化をもたらすのは簡単なことではないのは、周知の事実だ。難民が自分たちの状況を直接の目撃者として語り出すことは、難民についての嘘や間違った情報を否定する上で極めて重要だ。あなた達が声を上げなかったら、誰があなた達に関する情報を正しく流すのか? 情報提供はどうやってするのか?
あなた達はいぶかるかもしれない。「難民が何を考え、何を言うかなど、誰が気にするものか。 我々が力と影響力を持ち合わせた人間なら、こんなところにはいやしない!」と。しかし、影響という言葉は動詞で、単なる名詞ではない――あなたが言うこと、することで、物事は変わる。ジュネーブの会議で話しをする貴重な機会を与えられた元難民が、「元難民として・・」と言い始めたとたん、部屋が静まりかえるのを聞かせたい。誰が、彼に逆らうるだろう? 政府の政策立案者は、難民が何を言うか、何を書くか、考えざるを得ない――特に自分達の有権者がそれを指摘するときは。しかし何も指摘されなかったら、何もなしようがない。「人間の顔」ほど、公共の意識を高めるのに強力なものはない。難民自身の言葉で語られる難民の実情も然り。それなしでは難民はただの平凡な人。人々に操られる人。自分の意見が言えないのなら代弁しようと言いたくなる雌鹿の目をしたポスター子どもと同じだ。人が難民の声を語るとき、たいてい、もっと援助をという訴えばかりで、もっと権利をという訴えにならないのは、どうしてだろう?
ジュネーブでの会議で忘れられないのは、アフリカの政府代表が自国の難民について、私には真実とは思えないことを言ったことだ。私は廊下に出て、遠いキャンプの難民リーダーを彼が密かに持っていた携帯電話でようやくつかまえて、連絡をとった。彼からの情報を持って、私は直ちに会議に戻り、私の主張を裏付ける具体的な事実を示して、その代表に反駁することができた。そのときの彼女のショックときたら! 報道の例ではないが、要点は分かるだろう――難民は、自分達の声を聞いてもらうためには手に入るどんな手段でも躊躇せずに使う必要がある。特に難民についての決定が下されるテーブルでは。っこんな格言があるのをご存じだろうか。「あなたがテーブルにいなくても、メニューには載る!」難民によるフリープレスは、難民が居合わせることができない場所でも、難民の声を聞いてもらえる重要な手段の一つである。
メリル・スミス氏のこの記事に対する惜しげない貢献に感謝します。人間倉庫を終らせるための米国難民移民委員会のグローバルな努力において、スミス氏の活躍を祈ります。
人間倉庫を終わらせるための世界的キャンペーンにスポットライトを当てるため、KANEREはメリル・スミス氏(米国のNGO、難民移民委員会の政府関係・国際支援の責任者及び『世界難民調査』の編集者)にインタビューし、UNHCRについて、キャンペーンの成功例、難民フリープレスにつての三点に関して質問した。
KANERE:人間倉庫反対キャンペーンに対するUNHCRの対応は?
メリル・スミス氏:このキャンペーンに対するUNHCRの対応は一つというわけではない。UNHCRは、1951年協定の難民の地位に関する権利を普及促進させる義務がある。生計を立てるために稼ぐ権利、移動の自由の権利もこれに含まれる。これらは強制的なキャンプ収容とは相容れない権利だが、UNHCRのスタッフは真剣に受け止めている。実際、難民の扱いに関して「人間倉庫」という言葉を最初に使ったのは、1988年の難民高等弁務官(当時はジャン・ピエールホッケ氏)自身だった:
世界で1200万人という大勢の難民が都市以外の難民キャンプ置かれているが、その人間性を損なう状態から難民を抜け出させることが、本来、我々にとって最大の関心事である。余りにも多くの難民がほぼ全面的な依存状態の中で、事実上、「人間倉庫」に入れられている。
2000年代初期のUNHCRの評価政策分析部は、我々がキャンペーンを起こすきっかけになっgた『2004年世界難民調査‐人間倉庫論争』に引用した多くの仕事を後押ししている。ただし1980年代と90年代にはUNHCRの保護が減退したのも真実である、そして、人間倉庫での「ケアとメンテナンス」という運営機能が強まるにつれ、保護機能は更に顧みられなくなった。キャンプで難民の地位の決定や司法管理のような本質的な機能を取り入れても、UNHCR独自の保護役割の強化にはならない。かえって、役所にありがちな惰性のようなものを浸透させることになった。
しかし、UNHCRの政策は主にその上級委員会、特にその資金提供メンバーである国々の職務の一つに過ぎない。したがって、UNHCRを、その気になれば難民の世界を変えることもできる自主的組織として扱うより、関係する政府や資金提供国、ホスト国に対して見解を主張するほうが効果的である。現場でのプロテクション職員の中には、難民の権利に関して英雄的な仕事をしている人もいて、こんな状況下でも現状に挑戦しようとするUNHCR上級職員の意欲に驚くこともある。しかし結局のところ、UNHCRは国々の出先であって、その逆ではない。
また、人間倉庫が継続しているのは、おそらく、UNHCR自体に原因があるのではなく、UNHCRのパートナーの行動により大きな要因があるのだろう。やはり、キャンプ維持に一番関わりの深いパートナーは、地元の草の根的な小さいNGOではなく、主要な資金提供国の首都に本部を持ち、UNHCRよりさらに強く議会工作をする巨大な組織だ。我々はUNHCRに影響を与え、変えていく必要があるが、問題の根本原因を認識しなければならない。つまり誰が資金を管理し、いかにそれが費やされているかを認識する必要がある。
KANERE:これまでのキャンペーンで際だった成功は何ですか?
メリル・スミス氏:キャンペーンを軽視することなく、あるいは誇大妄想的に見えることなく答えるには、難しい質問だ。政府は陳情活動の影響で政策を変えると言うことは滅多にないし、政府にそれを言えと迫るべきでもない――進歩的な政策を実行する際に、政府が自分たちは寛大で、人道的で、啓蒙的であることを自慢したければ、政府の手柄として認めてやったほうがいい。とはいえ、ご承知のように、彼らは実によく見ている。(ジュネーブ会議で彼らが自分達の評点を見るためにどれくらい素早く世界難民調書のコピーを取り上げることか!) そして非公式に、人間倉庫キャンペーンがあったればこそ、政策の見直しや変更を始めたと認めたりする。我々は時々こういう言葉を耳にするが、人前で特定の例を明らかにすることはできない。
ただこれだけは言っておくが、レバノンの労働大臣のパレスチナ人に対する就業規制の緩和、タイの首相の難民キャンプ訪問とそれによる職業訓練および生計機会の増加の約束、ケニアで短期間実行された難民の都市への住民登録、その他の長年にわたる政策転換のいくつかはこのキャンペーンの影響だと信じている。(重要:ここで言う「キャンペーン」とは、キャンペーンに参加している世界中のすべての組織の、すべての行動を含むもので、米国難民移民委員会(USCRL)の行動だけを指すものではない)
恐らく、キャンペーンの最大の成功は目に見えない。何かが起きなかったことが成功だったからだ。すなわち、シリア、ヨルダンといった地域でイラク難民のキャンプ収容化が見送られた。2003年の侵略の前には――略直後には膨大な数の難民が出ると誰もが予想し――キャンプはまさに計画の一つだったと記憶している。幸いにも、難民はその時は国から去らず、それらの計画は棚上げされた。難民がかなりの数で国を出始め、当事者は上級政策方針会議で再び収容化の提案をしたが、それらの計画は拒否された。聞くところによると、拒否の理由の一つに、「『収容』したら、彼らを人間倉庫に入れたと言われるだろう」という危惧があったからだという。
KANERE:難民フリープレスは、人間倉庫を終らせる世界の努力に貢献できると思いますか?
メリル・スミス氏: まさしくできます! ナミビア当局はオシレ・キャンプでインターネットカフェを閉鎖し、タイでは難民が携帯電話を持つことを禁止したが、それには理由がある。難民が自分に利用できる限られたツールで何を成し遂げたか、見てほしい。ナミビアで、手でタイプされた「難民の声」を見てほしい。難民の手で作られ、密かにキャンプから持ち出してきたので、我々がインターネットに載せて、皆が見られるようにした。このウェブジャーナル、KANEREに皆が注目しているのを見てほしい。なるほど、確かに不愉快なこともあるだろうが、変化をもたらすのは簡単なことではないのは、周知の事実だ。難民が自分たちの状況を直接の目撃者として語り出すことは、難民についての嘘や間違った情報を否定する上で極めて重要だ。あなた達が声を上げなかったら、誰があなた達に関する情報を正しく流すのか? 情報提供はどうやってするのか?
あなた達はいぶかるかもしれない。「難民が何を考え、何を言うかなど、誰が気にするものか。 我々が力と影響力を持ち合わせた人間なら、こんなところにはいやしない!」と。しかし、影響という言葉は動詞で、単なる名詞ではない――あなたが言うこと、することで、物事は変わる。ジュネーブの会議で話しをする貴重な機会を与えられた元難民が、「元難民として・・」と言い始めたとたん、部屋が静まりかえるのを聞かせたい。誰が、彼に逆らうるだろう? 政府の政策立案者は、難民が何を言うか、何を書くか、考えざるを得ない――特に自分達の有権者がそれを指摘するときは。しかし何も指摘されなかったら、何もなしようがない。「人間の顔」ほど、公共の意識を高めるのに強力なものはない。難民自身の言葉で語られる難民の実情も然り。それなしでは難民はただの平凡な人。人々に操られる人。自分の意見が言えないのなら代弁しようと言いたくなる雌鹿の目をしたポスター子どもと同じだ。人が難民の声を語るとき、たいてい、もっと援助をという訴えばかりで、もっと権利をという訴えにならないのは、どうしてだろう?
ジュネーブでの会議で忘れられないのは、アフリカの政府代表が自国の難民について、私には真実とは思えないことを言ったことだ。私は廊下に出て、遠いキャンプの難民リーダーを彼が密かに持っていた携帯電話でようやくつかまえて、連絡をとった。彼からの情報を持って、私は直ちに会議に戻り、私の主張を裏付ける具体的な事実を示して、その代表に反駁することができた。そのときの彼女のショックときたら! 報道の例ではないが、要点は分かるだろう――難民は、自分達の声を聞いてもらうためには手に入るどんな手段でも躊躇せずに使う必要がある。特に難民についての決定が下されるテーブルでは。っこんな格言があるのをご存じだろうか。「あなたがテーブルにいなくても、メニューには載る!」難民によるフリープレスは、難民が居合わせることができない場所でも、難民の声を聞いてもらえる重要な手段の一つである。
メリル・スミス氏のこの記事に対する惜しげない貢献に感謝します。人間倉庫を終らせるための米国難民移民委員会のグローバルな努力において、スミス氏の活躍を祈ります。
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