【写真】 カクマ難民キャンプの村
人生、思い通りにはならない。人生は一度きりで、一度失えばそれで終わり。この世界は尽きることのない驚きで満ちている。
かつて私がいた村に、孤児の少女がいた。彼女の母親は寡婦だったが、少女を産んですぐに死んでしまった。彼女は、貧しい人々を支援していたカトリックの司祭の勧めで、ある家族によって育てられた。その家族は司祭から信頼されていたが、彼女を適切に養育せず、かえって嫌い、いつも何の理由もなくたたいていた。
少女はこの家族と一つ屋根の下で、ひどい仕打ちを受け、苦しい日々を送っていた。この家のすべての家事を担いながら成長した。まったくのひとりぼっちだった。精神的にも多くのトラウマを抱えることになった。
少女に責任を持つ司祭は海外で仕事をしていて、彼女の傍にはいなかったが、引き続き彼女を支援していた。しかし教育のためにと司祭が送っていた資金も、彼女のために使われることはなく、その家族が自分たちのために使ってしまった。貧しい少女はそのことに何一つ気がつかなかった。
家に来客があると、言われた通りに振舞いなさいと教えられていたので、来客の前では、すべてがうまくいっているようなふりをしていた。
ある日、少女は、そういう状況から救い出そうとしてくれるサマリア人に、自分のことを話した。そのサマリア人は村でビジネスをしていて、彼女を都会に連れて行って学校に通わせたいと思ったが、家族はそれに反対した。彼女のためと称してかき集めたお金を失うのが怖かったし、彼女の労働力を手放したくなかったのだ。
結局、彼女は助け出されなかった。神の子と自称している人たちのもとで、惨めな思いをしながら成長した。.
人は他人の過ちから学ぶ。自分のことのように隣人を愛すべきなのだ。欲張ったり妬んだりしたのでは、よいことは何もない。
こういう出来事は私の村に限ったことではない。世界のあらゆるところで同じようなことが起きている。今日は私に起き、明日はあなたや他の誰かに起きるかもしれない。それを忘れないでもらいたい。
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