カクマでフィールドワークをして過ごしていた数ヶ月の間に、KANEREのチームから何度か新聞に記事を投稿するよう依頼されました。いくつかの理由があるのですが、私は当初、そのアイディアを受けるべきかどうか迷っていました。記事を書かせてもらうのはとても名誉なことですし、難民キャンプの毎日の生活が実際にどんなものかを証言させてくれるのは、私が十分に「知識のことを知っている」と彼らに信頼されているからだと思いました。しかしまた、KANEREは難民による難民のための自由な自己表現のプラットフォームだという基本方針や役割について慎重に考えざるを得ませんでした。学問的な見地から難民問題に専門的に取り組んでいるものの非当事者である私が、難民たちの立場を代表して、すでに上手く運営できている新聞の紙上討論で、いったい何をすべきで何ができるでしょう。同時に重要なのは、この記事の読者としてどういった人たちを想定すべきなのかということです。2つ目の問題に関しては、間違いなくバイアスのかかった私の個人的な経験やものの見方を公的に表明することを喜ぶ人たちもいるかもしれませんが、その一方で私の記事に怒る人もいるかもしれないと気づきました。1つ目の問題については、自分が目撃した毎日の現実や、体の移動を制限されたり暗黙のうちに適切な振る舞いを期待されたりしている難民キャンプでの実際の「生活」を、報告する体験談として書けばいいのではないかと思いました。そこで、記事を投稿することにしました。しかし、専門家としての立場から書くのではありませんし、これこそが「真実」だと主張する気もありません。
この記事は経験談から始まります。私は、キャンプ内のいくつかの異なる活動グループと交流しました。政治的に複雑な状況で形成された人間関係は不安定な事が多く、彼らの間には緊張感がただよっていました。次に、私がカクマでしたことについて考察していきたいと思います。そして最後は、カクマで実践されている市民権の概念を探ります。この記事は暗に、UNHCRやケニア政府、その他の権限ある重要な団体への提言になっています。つまり、難民たちの市民としての「行動」を、単なる破壊活動や抵抗活動、さらには不服従活動として見るのではなく、自分たちの生活環境についての心配から生まれた責任感のなせる業と考えようではないかと提言しています。そして何よりも大切な目的は、対等な立場での対話と交渉ができるように階級格差の少ない場をつくり出すことです。
〈1.フィールドワーカーとしての経験〉
カクマに滞在している間、私は大学院生で修士課程で研究中という、社会人として比較的あいまいな立場にいました。そのせいで、よく難民キャンプの専門家や職員たちに怪しまれ、私の「使命」について尋ねられる場面も何度かありました。キャンプ内では、普段着で働くさまざまなNGOの大勢のスタッフと会いました。彼らと、いつも有意義な話ができたわけではありませんが、同時に私は他の「訪問者」が得られないような特権や自由を楽しんでいました。寄付者や政治家、ジャーナリスト、映画監督、こうした「部外者」の多くは、カクマを訪問する機会があっても、滞在する期間が比較的短く、数日あるいはたった数時間後にはまた飛び去ってしまいます。また滞在期間中、客人たちの行動は慎重に計画され、さまざまな方法で彼らの安全を確保するためのスケジュールが組まれます。私はそうした安全策の対象ではなかったので、数ヶ月の間、キャンプ内を自由に歩き回りました。こうした客観的な視点が、この記事を書く正当な理由のひとつになっています。私は多くの時間を人類学用語で言う「参与観察」に費やしました。これは、幅広い方法が含まれる重要な用語です。私はフィールドワークのために、情報を提供してくれる人たちとキャンプ内のいろいろな場所で過ごしました。レストラン、コーヒーショップ、難民たちの家、難民受け入れセンター、食料配給センター、バスケットボールのコート、難民のための図書館など、カクマのあらゆる場所に行きました。こうした場所で集めた難民たちの話は、難民たちの身近な話や意見であることが多いのです。インタビューの中で情報提供者たちは自分たちの考えを語ってくれました。キャンプ内での一般的な状況について、UNHCRや他の支援団体や政府機関について、安全と保護の問題、難民の権利や人権(へのアクセス)を擁護するのか拒否するのか、問題解決のための手続きが長引くこと、そしてより個人的な経歴や迫害についてなどが語られました。
〈2.なぜ市民権なのか〉
まずは、私がいう「市民としての行動(Acts of Citizenship)」の定義をしておきます。その後でカクマ難民キャンプにおける市民権の現状のひとつをより深く掘り下げます。難民の視点からは、特に受入国の法律が適用されない難民キャンプでしばしば長い時間、生活することを余儀なくされている状況では、「市民権」という概念は場違いで現実と矛盾しているように思えます。現場で働いている人たちは皆、法律上の言葉通りの市民権や普通なら市民権に付属しているはずの諸権利が存在していないことに気づいています。それが明確であるのに、なぜ不適切に思えるこの概念を敢えて使おうと考えるのでしょうか。この記事で私が想定している「市民権」や「市民としての行動」という言葉はエンジン・イシンが述べている概念に由来しています。彼は、「市民権」を「権利を主張するための権利」という観点から次のように考えています。
「...その考え方(というの)は、現に存在しているあらゆる権利以前に政治に関わる権利があり、(...)政治に関わる権利はそれを行使する所にのみ存在することができる」(さらに)「[権利を持つための]権利や[権利を主張するための]権利を行使しなければ、私たちは人間であることを主張することすらできない。もし人間の力で権利を獲得したと考えるなら、私たちが権利と言える権利を獲得したのは、私たちがそれを政治的課題と考えて闘ってきたからだ、と思い至る。(...)私たちは政治的課題になってはじめて、権利を持つようになる」(イシン2012: P109)
そして「(...)市民権を行動という視点から考えると、市民権がない人たちがいかに市民であるかのように行動し、未だ手にしていない権利を主張しているか、興味深い」(同書P.111)
従って、市民権というのは必ずしも、誰か専門家によって与えられるものと考えるべきではないと言えます。私が強調したいのは、市民権は、単なる法律用語ではなく、政治と関わりを持つようになるプロセスのひとつと考えられるということです。つまり、(まだ)与えられていない(市民としての)諸権利を主張し、それらが存在しているかのように行動するという手段も、政治に関わりを持つようになるプロセスなのです。そもそも難民キャンプは非政治的な空間で純粋に人道的な場所とされていましたし、今でもそう考えられています。難民キャンプでの諸問題は普通、政治ではなくて保護と援助の観点から理解されます。ですからキャンプ内の住民が自分たちの生活の中で市民としての立場や政治的な主観性を確立した暁には、秩序の概念が乱されると考えてしまうのも当然です。これから人道支援の現場であるカクマキャンプの話をする中で、以上のような考察をふまえて、難民によって市民権がどのように成り立っているかを見ていくことにしましょう。
〈2.1政治に参加する権利を求めて:難民が成立させた「市民権」とは?〉
カクマの難民キャンプの特徴は、他のキャンプと比べて設立されてから長いこと経っている点です。常設キャンプだと言う人もいます。ですから当然、カクマキャンプとしての政治体制が形成されています。しかし不安定で、しばしば矛盾や対立を引き起こすような手法がとられています。カクマ内での他の行動基準の多くがそうであるように、政治参加者としての権利をどの程度行使できるかについても曖昧なままです。例えば「リーダーシップの新制度(the new structure of leadership)」を取り上げてみましょう。これはUNHCRが考案し、(一部)実施されている制度です。コミュニティーのメンバーが地域の代表にふさわしいと考える他のメンバーを推薦できる制度で、共同居住地の問題に難民が関われるように、人道支援機関が取りはからいました。これは、難民たちに自らが生活をコントロールしている、あるいは政治に参加していると実感させる戦略です。とはいえ、その制度の目的や意図が誰のためのものか、厳しく問いかけていくことは重要です。最終的には、誰が「リーダーシップの新制度」を管理し、誰のための制度なのかが問題になるからです。難民たちは本当に自分たちの生活環境で自治を行っているでしょうか。それとも制度の開始は単に秩序を目的としたもので、主導権は引き続きUNHCRにあるのでしょうか。この構想は、実際には難民たちの部分的な政治への参加しか認めない見せ掛け、あるいは偽物の政治活動ではないかという根本的な批判があります。彼らは難民として、ごく部分的な政治参加は認められていても、決して十分でも完全でもないのです。この批判について、たくさんのエチオピア人難民が置かれている状況を明らかにしてみようと思います。彼らは一致団結して、UNHCRとルーテル世界連盟(LWF)に対して嘆願書を提出し、自分たちに認められている再定住の権利について、不満の声を上げました。
〈2.2「オールド・レフュジーズ」が団結:嘆願書提出〉
私が「オールド・レフュジーズ」を紹介されたのは、このグループとLWFの平和構築担当職員の会合に出席したことがきっかけでした。「オールド」というのは年齢ではなく、このキャンプに到着してから長い月日が経っているという意味です。このグループのエチオピア人たちがカクマにやってきたのは1991年から1993年の間です。彼らは、長年キャンプに滞在しているのだから、自分たちには再定住などの恒久的な解決策を講じてもらうう権利がある主張しています。彼らの要求は、次のようなものです。
「私たちの多くはカクマキャンプに20年以上も住んでいるのに、再定住の機会さえ与えられませんでした。私たちより滞在年数がずっと少ない人たちでも、個人ファイルが作成されているというのに、私たちのファイルはまだ未決定の棚の中です。さまざまな機会にいろいろな分野の専門家たちと面接をしてきましたが、いつも待つように言われてきました。現地事務所に行くと、待つように言われる。いつもそうです。話をした職員によって対応が違うこともあります。そして裁判はいつまでも未決のまま。私たちは[キャンプに到着した日に応じた]個人ファイルが2008年から作成されているのを知っています。だから自分たちは見落とされていると感じています。私たちは、忘れられた人間です。話を聞いてくれる人が必要です。病人や弱った人々もいます。この場所に20年以上も人知れずに生活してきた結果がこれなのです」
このグループはさらに、この嘆願書提出の理由を説明し、LWFに調停の補助をしてくれるように頼みました。
「お伺いしたいことがあります。UNHCRの人たちに話を聞いてもらうにはどうすればいいでしょうか。私たちは、個別の手続きを続けるのではなく共に団結する必要があると感じています。そこで私たちはこの嘆願書を作成しました。UNHCRは私たちの父親のような存在です。UNHCRは、もともと難民の面倒を見ることを期待されているというのに、今ではそこで働く職員は判断力を失っています。抗議に行って感情的な行動を取るなど最終手段に訴える時が来ているのかも知れません。でもそんなことはしたくないのです。私たちが適切な方法で事態を前進させられるよう、導いて下さい。エチオピア人コミュニティーとUNHCRが対立しているいま、貴団体に架け橋になっていただく必要があります。私たちは文明人としてのやり方に従いたいのです。彼らに私たちと対話してもらいたいのです」
この嘆願書には45人以上が署名し、UNHCRとカクマキャンプの運営者たちに提出されました。嘆願書作成の援助と仲介役をLWFに頼んだのは、UNHCR側の反応がなかったからです。不満についての話し合いにUNHCRが積極的に応じないのではないかという懸念もありました。私が注目し評価しているのは、要求している権利の内容だけではなく、何よりもまずこの団体がこのような主張をした方法です。この団体は自分たちが特定の範囲で政治に参加する一員であると仮定し、団結して自分たちが認める「政府」(UNHCR)に市民がやる方法で呼びかけました。つまり、前もって考えられる最も正式で洗練されたコミュニケーション手段を使って主張したのです。彼らは権力者たちに敬意を払いながらも、自分たちにとってきわめて重要な問題を交渉の場に上げることを要求しています。しかも洗練された市民がやる方法で。
ここで分かる事があります。「オールド・レフュジーズ」は、嘆願書を提出したり対話を促したりすることで、自分たちには市民権があることを主張し、政治に参加する一員であることを明確に表現していますが、実際は、政治への参加は部分的にしか認められていません。苦情や要求を言っても、回答を拒否されてしまうことが多いのです。政策を実施すべき政治的分野では、対話は行われていないのです。オールド・レフュジーズによる以下の質問は的を射ています。「UNHCRの人たちに話を聞いてもらうには何をしたらいいのでしょう。どのような制度なら機能するでしょうか」これらの質問にはまだ答えが出ていません。不透明なUNHCRの手続きのなかで今後の見通しを得るにはどうしたらいいか、難民たちの生活を覆っている不可解な事柄について関係機関とコミュニケーションをとるのは不可能ではないかなど、「制度」に阻まれている現状について、いまだに日々の話題に上っています。
〈結論として〉
市民権は他にも様々な形で形成されていますが、紙幅の関係上、この記事ではそれらに焦点を当てることは控え、この嘆願書のケースに絞って話をすることにしました。しかしながら、カクマの人々は、日々、市民権に関していろいろな経験をしながら暮らしているので、当然、KANEREでも様々な例が取り上げられています。寄稿者たちが例えばNGOの車両が大通りを猛スピードで走っているという記事を書けば、それは難民が子どもの安全に対して心配しているという訴えかけです。洪水や豪雨の後でおぼれる危険性や、水道が日常的に壊れるという記事のなかで、(難民やトゥルカナ族の)子どもたちがラガス(干上がった川床)へ水を汲みに行かされたり、LWFの敷地前の門につめかけて石油缶に水を入れてもらいに行かされたりするのは無茶だと書いています。また、カクマの学校の発展や地域の教育の改善についての話や、ヘルスケアへのアクセス情報も掲載されています。こうした記事はすべて、市民の関心事という視点から書かれています。KANEREがこうした重要な仕事を続けていく術を見つけてくれることを、私は切に希望しています。
参考文献:イシン、エンジンF. (2012年)『国境なき市民たち』(ロンドン&ニューヨーク/Continuum International Publishing Group)
執筆者紹介:マンディ・ジャム。オランダ人女性で、オランダのライデン大学大学院で文化人類学を専攻している。2012年2月から6月にかけて、修士論文研究のためカクマ難民キャンプで民俗学的な調査を行う。その間、キャンプ内での政治形態について難民たちがどのように感じているか、そしてどのような意見を戦わせているかを研究課題にした。同時に、エチオピア難民が祖国から逃げたり追放されたりした個人的経験が彼らの心理にどう影響を与えているかにも注目した。以前はカイロのNGO、「アフリカ・中東・難民アシスタント(AMERA)」で、都市難民を対象に心のケアの分野で働いていた。
この記事は経験談から始まります。私は、キャンプ内のいくつかの異なる活動グループと交流しました。政治的に複雑な状況で形成された人間関係は不安定な事が多く、彼らの間には緊張感がただよっていました。次に、私がカクマでしたことについて考察していきたいと思います。そして最後は、カクマで実践されている市民権の概念を探ります。この記事は暗に、UNHCRやケニア政府、その他の権限ある重要な団体への提言になっています。つまり、難民たちの市民としての「行動」を、単なる破壊活動や抵抗活動、さらには不服従活動として見るのではなく、自分たちの生活環境についての心配から生まれた責任感のなせる業と考えようではないかと提言しています。そして何よりも大切な目的は、対等な立場での対話と交渉ができるように階級格差の少ない場をつくり出すことです。
〈1.フィールドワーカーとしての経験〉
カクマに滞在している間、私は大学院生で修士課程で研究中という、社会人として比較的あいまいな立場にいました。そのせいで、よく難民キャンプの専門家や職員たちに怪しまれ、私の「使命」について尋ねられる場面も何度かありました。キャンプ内では、普段着で働くさまざまなNGOの大勢のスタッフと会いました。彼らと、いつも有意義な話ができたわけではありませんが、同時に私は他の「訪問者」が得られないような特権や自由を楽しんでいました。寄付者や政治家、ジャーナリスト、映画監督、こうした「部外者」の多くは、カクマを訪問する機会があっても、滞在する期間が比較的短く、数日あるいはたった数時間後にはまた飛び去ってしまいます。また滞在期間中、客人たちの行動は慎重に計画され、さまざまな方法で彼らの安全を確保するためのスケジュールが組まれます。私はそうした安全策の対象ではなかったので、数ヶ月の間、キャンプ内を自由に歩き回りました。こうした客観的な視点が、この記事を書く正当な理由のひとつになっています。私は多くの時間を人類学用語で言う「参与観察」に費やしました。これは、幅広い方法が含まれる重要な用語です。私はフィールドワークのために、情報を提供してくれる人たちとキャンプ内のいろいろな場所で過ごしました。レストラン、コーヒーショップ、難民たちの家、難民受け入れセンター、食料配給センター、バスケットボールのコート、難民のための図書館など、カクマのあらゆる場所に行きました。こうした場所で集めた難民たちの話は、難民たちの身近な話や意見であることが多いのです。インタビューの中で情報提供者たちは自分たちの考えを語ってくれました。キャンプ内での一般的な状況について、UNHCRや他の支援団体や政府機関について、安全と保護の問題、難民の権利や人権(へのアクセス)を擁護するのか拒否するのか、問題解決のための手続きが長引くこと、そしてより個人的な経歴や迫害についてなどが語られました。
〈2.なぜ市民権なのか〉
まずは、私がいう「市民としての行動(Acts of Citizenship)」の定義をしておきます。その後でカクマ難民キャンプにおける市民権の現状のひとつをより深く掘り下げます。難民の視点からは、特に受入国の法律が適用されない難民キャンプでしばしば長い時間、生活することを余儀なくされている状況では、「市民権」という概念は場違いで現実と矛盾しているように思えます。現場で働いている人たちは皆、法律上の言葉通りの市民権や普通なら市民権に付属しているはずの諸権利が存在していないことに気づいています。それが明確であるのに、なぜ不適切に思えるこの概念を敢えて使おうと考えるのでしょうか。この記事で私が想定している「市民権」や「市民としての行動」という言葉はエンジン・イシンが述べている概念に由来しています。彼は、「市民権」を「権利を主張するための権利」という観点から次のように考えています。
「...その考え方(というの)は、現に存在しているあらゆる権利以前に政治に関わる権利があり、(...)政治に関わる権利はそれを行使する所にのみ存在することができる」(さらに)「[権利を持つための]権利や[権利を主張するための]権利を行使しなければ、私たちは人間であることを主張することすらできない。もし人間の力で権利を獲得したと考えるなら、私たちが権利と言える権利を獲得したのは、私たちがそれを政治的課題と考えて闘ってきたからだ、と思い至る。(...)私たちは政治的課題になってはじめて、権利を持つようになる」(イシン2012: P109)
そして「(...)市民権を行動という視点から考えると、市民権がない人たちがいかに市民であるかのように行動し、未だ手にしていない権利を主張しているか、興味深い」(同書P.111)
従って、市民権というのは必ずしも、誰か専門家によって与えられるものと考えるべきではないと言えます。私が強調したいのは、市民権は、単なる法律用語ではなく、政治と関わりを持つようになるプロセスのひとつと考えられるということです。つまり、(まだ)与えられていない(市民としての)諸権利を主張し、それらが存在しているかのように行動するという手段も、政治に関わりを持つようになるプロセスなのです。そもそも難民キャンプは非政治的な空間で純粋に人道的な場所とされていましたし、今でもそう考えられています。難民キャンプでの諸問題は普通、政治ではなくて保護と援助の観点から理解されます。ですからキャンプ内の住民が自分たちの生活の中で市民としての立場や政治的な主観性を確立した暁には、秩序の概念が乱されると考えてしまうのも当然です。これから人道支援の現場であるカクマキャンプの話をする中で、以上のような考察をふまえて、難民によって市民権がどのように成り立っているかを見ていくことにしましょう。
〈2.1政治に参加する権利を求めて:難民が成立させた「市民権」とは?〉
カクマの難民キャンプの特徴は、他のキャンプと比べて設立されてから長いこと経っている点です。常設キャンプだと言う人もいます。ですから当然、カクマキャンプとしての政治体制が形成されています。しかし不安定で、しばしば矛盾や対立を引き起こすような手法がとられています。カクマ内での他の行動基準の多くがそうであるように、政治参加者としての権利をどの程度行使できるかについても曖昧なままです。例えば「リーダーシップの新制度(the new structure of leadership)」を取り上げてみましょう。これはUNHCRが考案し、(一部)実施されている制度です。コミュニティーのメンバーが地域の代表にふさわしいと考える他のメンバーを推薦できる制度で、共同居住地の問題に難民が関われるように、人道支援機関が取りはからいました。これは、難民たちに自らが生活をコントロールしている、あるいは政治に参加していると実感させる戦略です。とはいえ、その制度の目的や意図が誰のためのものか、厳しく問いかけていくことは重要です。最終的には、誰が「リーダーシップの新制度」を管理し、誰のための制度なのかが問題になるからです。難民たちは本当に自分たちの生活環境で自治を行っているでしょうか。それとも制度の開始は単に秩序を目的としたもので、主導権は引き続きUNHCRにあるのでしょうか。この構想は、実際には難民たちの部分的な政治への参加しか認めない見せ掛け、あるいは偽物の政治活動ではないかという根本的な批判があります。彼らは難民として、ごく部分的な政治参加は認められていても、決して十分でも完全でもないのです。この批判について、たくさんのエチオピア人難民が置かれている状況を明らかにしてみようと思います。彼らは一致団結して、UNHCRとルーテル世界連盟(LWF)に対して嘆願書を提出し、自分たちに認められている再定住の権利について、不満の声を上げました。
〈2.2「オールド・レフュジーズ」が団結:嘆願書提出〉
私が「オールド・レフュジーズ」を紹介されたのは、このグループとLWFの平和構築担当職員の会合に出席したことがきっかけでした。「オールド」というのは年齢ではなく、このキャンプに到着してから長い月日が経っているという意味です。このグループのエチオピア人たちがカクマにやってきたのは1991年から1993年の間です。彼らは、長年キャンプに滞在しているのだから、自分たちには再定住などの恒久的な解決策を講じてもらうう権利がある主張しています。彼らの要求は、次のようなものです。
「私たちの多くはカクマキャンプに20年以上も住んでいるのに、再定住の機会さえ与えられませんでした。私たちより滞在年数がずっと少ない人たちでも、個人ファイルが作成されているというのに、私たちのファイルはまだ未決定の棚の中です。さまざまな機会にいろいろな分野の専門家たちと面接をしてきましたが、いつも待つように言われてきました。現地事務所に行くと、待つように言われる。いつもそうです。話をした職員によって対応が違うこともあります。そして裁判はいつまでも未決のまま。私たちは[キャンプに到着した日に応じた]個人ファイルが2008年から作成されているのを知っています。だから自分たちは見落とされていると感じています。私たちは、忘れられた人間です。話を聞いてくれる人が必要です。病人や弱った人々もいます。この場所に20年以上も人知れずに生活してきた結果がこれなのです」
このグループはさらに、この嘆願書提出の理由を説明し、LWFに調停の補助をしてくれるように頼みました。
「お伺いしたいことがあります。UNHCRの人たちに話を聞いてもらうにはどうすればいいでしょうか。私たちは、個別の手続きを続けるのではなく共に団結する必要があると感じています。そこで私たちはこの嘆願書を作成しました。UNHCRは私たちの父親のような存在です。UNHCRは、もともと難民の面倒を見ることを期待されているというのに、今ではそこで働く職員は判断力を失っています。抗議に行って感情的な行動を取るなど最終手段に訴える時が来ているのかも知れません。でもそんなことはしたくないのです。私たちが適切な方法で事態を前進させられるよう、導いて下さい。エチオピア人コミュニティーとUNHCRが対立しているいま、貴団体に架け橋になっていただく必要があります。私たちは文明人としてのやり方に従いたいのです。彼らに私たちと対話してもらいたいのです」
この嘆願書には45人以上が署名し、UNHCRとカクマキャンプの運営者たちに提出されました。嘆願書作成の援助と仲介役をLWFに頼んだのは、UNHCR側の反応がなかったからです。不満についての話し合いにUNHCRが積極的に応じないのではないかという懸念もありました。私が注目し評価しているのは、要求している権利の内容だけではなく、何よりもまずこの団体がこのような主張をした方法です。この団体は自分たちが特定の範囲で政治に参加する一員であると仮定し、団結して自分たちが認める「政府」(UNHCR)に市民がやる方法で呼びかけました。つまり、前もって考えられる最も正式で洗練されたコミュニケーション手段を使って主張したのです。彼らは権力者たちに敬意を払いながらも、自分たちにとってきわめて重要な問題を交渉の場に上げることを要求しています。しかも洗練された市民がやる方法で。
ここで分かる事があります。「オールド・レフュジーズ」は、嘆願書を提出したり対話を促したりすることで、自分たちには市民権があることを主張し、政治に参加する一員であることを明確に表現していますが、実際は、政治への参加は部分的にしか認められていません。苦情や要求を言っても、回答を拒否されてしまうことが多いのです。政策を実施すべき政治的分野では、対話は行われていないのです。オールド・レフュジーズによる以下の質問は的を射ています。「UNHCRの人たちに話を聞いてもらうには何をしたらいいのでしょう。どのような制度なら機能するでしょうか」これらの質問にはまだ答えが出ていません。不透明なUNHCRの手続きのなかで今後の見通しを得るにはどうしたらいいか、難民たちの生活を覆っている不可解な事柄について関係機関とコミュニケーションをとるのは不可能ではないかなど、「制度」に阻まれている現状について、いまだに日々の話題に上っています。
〈結論として〉
市民権は他にも様々な形で形成されていますが、紙幅の関係上、この記事ではそれらに焦点を当てることは控え、この嘆願書のケースに絞って話をすることにしました。しかしながら、カクマの人々は、日々、市民権に関していろいろな経験をしながら暮らしているので、当然、KANEREでも様々な例が取り上げられています。寄稿者たちが例えばNGOの車両が大通りを猛スピードで走っているという記事を書けば、それは難民が子どもの安全に対して心配しているという訴えかけです。洪水や豪雨の後でおぼれる危険性や、水道が日常的に壊れるという記事のなかで、(難民やトゥルカナ族の)子どもたちがラガス(干上がった川床)へ水を汲みに行かされたり、LWFの敷地前の門につめかけて石油缶に水を入れてもらいに行かされたりするのは無茶だと書いています。また、カクマの学校の発展や地域の教育の改善についての話や、ヘルスケアへのアクセス情報も掲載されています。こうした記事はすべて、市民の関心事という視点から書かれています。KANEREがこうした重要な仕事を続けていく術を見つけてくれることを、私は切に希望しています。
参考文献:イシン、エンジンF. (2012年)『国境なき市民たち』(ロンドン&ニューヨーク/Continuum International Publishing Group)
執筆者紹介:マンディ・ジャム。オランダ人女性で、オランダのライデン大学大学院で文化人類学を専攻している。2012年2月から6月にかけて、修士論文研究のためカクマ難民キャンプで民俗学的な調査を行う。その間、キャンプ内での政治形態について難民たちがどのように感じているか、そしてどのような意見を戦わせているかを研究課題にした。同時に、エチオピア難民が祖国から逃げたり追放されたりした個人的経験が彼らの心理にどう影響を与えているかにも注目した。以前はカイロのNGO、「アフリカ・中東・難民アシスタント(AMERA)」で、都市難民を対象に心のケアの分野で働いていた。
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