松ひとり言

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100歳の浜田さん・・衆議院選挙の投票へ・・・

2014年12月15日 08時13分21秒 | 日記

《100歳の浜田さん、選挙のハガキを持って、梅津北小学校へ投票に出発です・・・》

正確には来年の2月4日で満100歳なんですが9月の敬老の日にお祝いと表彰状を

国と、京都府と、京都市、から頂きましたので通称100歳に成っています

ここ2年間で救急車に3度乗りましたが、お蔭様で・・・元気ですよ

耳が殆んど聞き取りにくいだけで、食欲も凄いですしね記憶力も衰えずに

どうかすると・・・71歳の私よりも覚えてはる事があるんですよ、(負けそォ~)

今年の9月10日付けでブログにしましたが、母を30年程優しく支えて下さった浜田さん

私にとって大恩人なんです、母と一緒に暮らしてもらっていた息子所有の家に今も・・・

元気に住んで頂いています、私が二日に一度訪問して、コーヒーを一緒に

浜田さんは、十代の時からコーヒーフアンで、今でもコーヒーにはちょっと煩い

そんな、100歳の浜田さんが衆議院の選挙に是非行きたいと・・・次回は無理やしと

そこで、車椅子で投票所へ・・・・と最初の写真になるんですわ 

梅津北小学校まで車椅子で僅か5分程なんですが、道路が平らでないのですね

日頃、歩いていると気が付かないのですが、道路の真ん中から左右に下がっている

だから・・・車椅子が傾くのです、対向車が来たら、脇へ寄せるのが大変で力がいります

学校へ着きましたら・・・前には階段がエエどうしようと思って回りを見回したら

スロープが作ってありました・・・良かった、良かった・・・・・やっとの事で会場は

投票する三角形の台も、それぞれ高低のあるのに 初めて気が付きました

一番低い所が、車椅子にピッタリでした、(車椅子から降りなアカンと思っていたので)

文字も見事に書いて、投票箱へも自分で入れてもらいました、貴重な一票です

会場では一方通行に成っていますが、スロープでないので係りの人が元の入り口へ・・

導いて下さいました、入った時に100歳ですと言ったのでBIP扱いでした

校門まで戻って、もう一枚記念写真を撮りました

《写真てえらい老けて映るんやね、こんなに老けてませんよ・・・100歳やけどもう少し若い・・・

まあ兎にも角にも投票場までの短い珍道中が終わり帰宅して・・・浜田さんの一言

『ああこれでやっと義務が果たせたわ、ずっと気になってたんや・・・あんたのお蔭や』

この気持があるから今日まで元気で来られたんやね、毎日が感謝、感謝、の浜田さんです

 ”チャクラ” さんをはじめ、各ヘルパーさんに優しくしてもらっているのも浜田さんの人柄

母もそうでした、その母も歳が明けて3日が4回目の命日になります

淋しいやろけどもう少し呼ばんと待っててあげて下さいと願いつつ

100歳の浜田さん、衆議院選挙投票への挑戦の一幕でした

投票用紙には・・・≪公明党≫と書いてはりました

 

 

 

 

 


京都嵐山の花灯路・・・凄い人・人・人

2014年12月14日 10時57分00秒 | 日記

まずは、花灯路の地図を見て下さい《後の写真とてらし合わせてね~》

《昨日歩いたコースは、渡月橋の手前から長辻通りを竹林の小径に入り大河内山荘から亀山公園、保津川に出て渡月橋まで》

地図と見事な写真ですが、もちろん私のカメラでは有りません

竹林の小径は人・人・人でこんなに明るくもありません

では、私のカメラを覗いて見ましょう・・・・・エエとこ撮りでね

京都市右京区梅津の自宅を出て、もちろんカメラ片手に(わかってるわ)

市バス28番大覚寺行きで梅津西浦町から渡月橋の手前まで、降りたら人の波

渡月橋の真ん中で動かなくなり・・・・寒い寒い・・・・・

次の天龍寺まで乗ったら良かったと、悔やみながら橋を渡り・・・ああ写真を

 

《渡月橋は左側通行ですので行かれる方は・・・お気をつけ下さいね凄い人でしょう・・・寒さ分からへんやろな~》

 

《なんか!周りが暗くて、橋だけが浮いて見えてるので、木津の流れ橋みたいやね、渡月橋には見えへんな~》

《ちょっとピンボケで申し訳ありません、渡月橋の真ん中からパチリ、左側通行の文字見えますか

渡りきると、お土産屋さんが両側に並んでいます、八つ橋屋に扇子屋さん

 

それから、ちょっと変わったお店もありましたよ二階もご覧下さいやて~・・・・・何屋さんやろね?????

さて、いよいよ竹林の小径に入って行きまっせ~

  

  《?????何故かこんな処で ”ゆるキャラ” 出現何のゆるキャラやろ 因みに嵐山ゆるキャラは・・・》

《人力車も入って来ていて、周囲には素人カメラマンでビッシリでした・・・・・何のゆるキャラやろ~》

 

《絵に描いたような、竹林の小径ですね、この下に人の頭が数珠繋ぎに成っているのです・・・竹より多いかな?》

     《大河内山荘に出てきました、ここから亀山公園を通って保津川へ降りていきます》 

  

 《暗い中に人だかりが?、周恩来の ”雨中嵐山” の歌碑の前でした、中国の人達かも知れませんね》

 

   《保津川へ降りてきました、丁度屋形船が一艘下って行くところでした、左の明かりは渡月橋の方角です》

 

   《ライトアップの照明です、川向こうを照らすので、これぐらいの大掛かりな照明になるのですね・・・・》

 

     《この上下4枚は宝厳院(天龍寺派の寺院)です、まだ紅葉が少し残っていました》

 

 

 《宝厳院の昼の顔です、凄いでしょう、夜も雰囲気ありますね・・・帰りに ”吉兆” で食事でも 夢物語ですね 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


あれは昨年の秋だった、それが今・姫路城が将に白鷺の城に

2014年12月13日 15時19分20秒 | 日記

  

《先日、テレビで平成の大修理のほぼ終わった姫路城の特集がありました、生まれ変わったその姿は≪白鷺城≫でした》

あれは昨年の11月の終わり頃でした、修理中の大屋根が目の前で見られるのを知り

カメラ片手に行って来ました、これは昨年にブログしましたが、今一度目の前の大屋根を

見て欲しくって、・・・・・いやいや、あの大屋根の前に居たことを、自慢したくって(他に無いのか・・・)

正式な公開は来年の3月らしいのですが、その白鷺の羽を広げた姿も、ネットからですけど・・・・

《下の写真は、姫路城のビフォーアフターです、こんなに白くなったとは、上の大屋根と比べて下さいませ・・・・》

 

 

   《この一番天辺に居たのが信じられません、エレベーターで7階?まで上がったのですから・・・・》

 

テレビでは俳優の滝田栄が案内していました、その時お堀を船で遊覧出来ると言ってたので調べました

 

《いい感じでしょう、ただし3月まで休みで、4月から再開とか・・・もちろん来年行きまっせ・・・楽しみやな~》

それでは最後に、姫路城についてちょっと、調べました

昭和6年(1931)・・・・国宝に

昭和26年(1951)・・・新国宝に

昭和31年(1956)・・・国費により8ヵ年計画で天守閣の解体修理着工【昭和の大修理】

   39年(1964)・・・天守閣群の全工事完了

平成5年(1993)・・・・ユネスコ世界遺産に登録

平成21年(2009)・・・大天守保存修理工事着工

このように度々の工事を経て、今日の白鷺城の勇姿がある

テレビで言っていた、一度も戦いの無かった平和の城であると

番組で滝田栄が姫路城を感慨深げに見ていたその目が潤んでいたのが印象的でした


≪二宮金次郎の一生≫を読んで初めて知った二宮尊徳

2014年12月08日 10時11分16秒 | 日記

正直、まだ半分しか読んでませんが、なんと凄い人がこの時代に

二宮金次郎と言えば、小学校の校門を潜ると、あの姿で佇んでいた少年

  

 そうなんです薪を背負って歩きながら本を読んでいる少年像

私なんか、この本を読むまで、金次郎さんの事・・・(気安く言うなよ)

全くと言っていいほど知りませんでした、名前も通称≪金治郎≫なんですってね~

それも知りませんでした、一般には『金次郎』と表記されることが多いらしい

天明7年7月23日(1787)相模国足柄上郡栢山(かやま)村に生まれ

安政3年10月20日(1856)下野国都賀郡今市村で70年の生涯を閉じている

二宮尊徳も(そんとく)で通っているが正確には『たかのり』と読むらしい

百姓・利右衛門の長男として生まれているが、農村復興に生涯を捧げている

これは自分自身の過酷な体験からくるもので、5歳の時濁流で家が流され

その時、父の田畑も流失している、又14歳で父を、16歳で母を亡くしている

そこからが、金次郎の頑張りが始まる、荒地を復興させ、僅かに残った田畑を

小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の復興に成功する

百姓が好きでありながら、学問も好きであった金次郎が18歳で岡部家へ奉公に

それは、今までの伯父の家では「ただ働き」同然で、しかも伯父は学問嫌いである

岡部家は学問好きで、しかも給金が頂ける、これも生家復興の為であった

或る時、岡部家の主人から「どうして、講義を聞かないうちからそのように

理解が出来るのかね」と聞かれた金次郎はこのように答えています

「世の中の人達は書物を読む時、まず文章を読んでから、その後で

内容を理解しようとします。 しかし私は、先ず最初に天地大自然の中にある

道理をよく考え、しかる後に読んだ書物の内容が、天地大自然のどの道理に

当たるのであろうかと考えると、おのずと見当がつきます」と

又こんな逸話も残っている・・・・・

* 子供の頃、草鞋を編んで金を稼ぎ、父の為に酒を買った

* 荒地を耕して田植え後の田に、捨てられている余った苗を集めて植えて米を収穫

* 一斗枡を改良し、藩内で統一規格化させた。役人が不正な枡を使って量をごまかし

  差分を横領していたのを防いだ

* 倹約を奨励し、かまど番から余った薪を金を払って買い戻した

* ナスを食べたところ、夏前なのに秋茄子の味がした事から、冷夏となる事を予測

  村人に冷害に強い稗を植えさせた。 予想通り冷夏で凶作(天保の大飢饉)となったが

  桜町では餓死者が一人も出なかった

* 村人の仕事ぶりを見て回り、木の根しか撤去できない、周りの人から馬鹿にされていた

  老人に15両もの褒美を与え、逆に人が見ているときだけ他の村人よりも3倍近くも

  働いているように見せかけて、普段はサボっている若者を厳しく叱った

数え上げると切りがないくらいの逸話があるので、今回はこのぐらいで

この後、生家を復興した力量が認められ、奉公先の服部家の財政建て直し

桜町領の復興事業、殆んど原野と化した青木村の復活、と財政再建や

復興事業に生涯を懸けた、その中でも特に特筆すべきは金融政策である

これまでの小田原藩が投入した補助金や援助費は与えてしまっていたが

金次郎の投入する金は、与えるのではなく、貸すのである

一旦は貸すが、返せるようになった時に返してもらうのである

すなわち、鍬がなければ鍬を買う金を貸すが、鍬で田畑を耕して作物が出来れば

その利益から返済してもらうのである、一度で返せなければ長期分割返済もある

金は与えてしまうと、百姓を甘やかすだけである、と言うのが金次郎の持論である

いわゆる現在に於いての、投資のかたちをこの頃から始めていたのである。

この本の著者【三戸岡道夫】さんは、”あとがき” に

薪を背負って読書する少年像、すなわち一生懸命働きながら、懸命に勉強する少年

これは、少年時代のみにスポットライトを当てただけで、全体像ではないと言っていて

更に、二宮金次郎というと、思想家、道徳家、農村指導者、と言うイメージは半面で

他面には、スケールの大きい実業家、したたかな商人、偉大なる政治家、

静かなる政治家、静かなる革命家、と言う面と両者を総合したのが実像である

その結果、関東を中心に、六百余カ村という村の復興を手掛け

何千町歩、何万町歩と言う、田畑を開発したのである・・・と

そして金次郎の報徳の教えの核心は

  勤労 (よく働く)

  分度 (身分相応に暮らす)

  推譲 (世の中の為に尽くす)

この三大徳目のように、自分の全生涯を農村に推譲した

大資産家になれた事は間違いないはずが、日光の地で死亡した時

金次郎所有の田畑は一坪もなく、また膨大な資金もすべて、

報徳金として貯蓄されて、農村復興資金に投入され、

私有財産としては全く残していなかった、すなわち・・・・・

自分の全財産を、自分の為でなく、農村のために捧げたのである

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都舞台の映画・・・昔・時代劇、今・サスペンス

2014年12月05日 12時24分15秒 | 日記

昭和20年代の京都が舞台のロケ先は、お寺か神社が殆んどでした

私も、小学生の時、近所の大徳寺や今宮神社に時代劇の撮影を

よく見に行きました、嵐寛寿郎の鞍馬天狗、長谷川一夫の銭形平次、

    

《嵐寛の鞍馬天狗、美空ひばりと    こちらは松島トモ子、60年程前の映画ですね》

           

長谷川一夫の銭形平次、テレビでは橋蔵が、    大河ドラマ【赤穂浪士】の大石内蔵助

先日【村上たか】をブログした時、大河ドラマ第一作目の【花の生涯】に触れましたが、

第二作目が【赤穂浪士】でした、討ち入りの時間帯は視聴率53パーセントだったとか

未だにこの記録は破られていないとか、私も毎週楽しみに見ておりました

さて、 前振りが長くてすんまへん、京都舞台の映画(テレビドラマ)も現在はサスペンス

中でもテレビ朝日が≪科捜研の女≫、≪京都地検の女≫、≪おみやさん≫

藤田まことの≪京都殺人案内≫、まだまだ、橋爪功、船越栄一郎、と両指では足りまへん

そこで、(何処やねん!)よく使うロケ地を紹介致しましょう

京都東山にある ”古川町商店街” と ”白川” です

  

 

《中々味のある商店街ですけど、シャッターが目立ちますね~、ひょっとしたら定休日やったんかいな~

《上の地図で赤線の所が古川町商店街です、そこへ白川が流れ込んで来て、祇園の巽橋の下を流れます》

 

《古川商店街から東へ10メートル程行くと ”白川” に出ます、ロケーションが良いでしょう、名取裕子が・・

《少し下がると、この石橋があります、色んな俳優さんが渡った橋ですよ、京都の人でも案外知らない場所です》

《あれサスペンスのロケに出会ったかなと、近づくと・・・結婚式用の撮影でした、【京都地検の女】かと思ったわ》

《この場所、テレビでよく見ませんか、名取裕子と寺島進が、また沢口靖子と内藤剛志が、運が良ければ出会えるかも》

もう一ヶ所あります、これは昨年に写した写真です、

今出川の加茂大橋から北側にある飛び石、【科捜研の女】で

よく使います、マリコ(沢口靖子)と大門(内藤剛志)の二人が

ひょっとしたら、今頃渡っているかも・・・・・

    《不思議ですが、ココを渡る時、向こうの東からこちら側へ渡ってきますね、・・・・

 

先程の白川、あまり人が歩いていません、

あなたも一度行かれては如何ですか