RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.21

2008-12-24 12:56:56 | 連載小説
  

   §

 クリスマス・イヴの朝は、霜が降り、霞んでいて、太陽は控えめに、その顔をちょっとだけ覗かせていた。天窓から見えるその様子は、いかにも寒々しい。それもそう、まだ6時20分だ。朝方のちょっと変な夢で早く目が覚めてしまったのだ。
 枕元のCDラジカセに、ヒーリングミュージックをリピートにしてかけ、しばらく微睡む。
 やがて陽の光が差し始め、霞が消え、明るくなってくる。今日は良い天気のようだ。
 ロフトを降り下のカーテンを開けたのは八時半だった。CDは優に三周はしたみたい。

 こんなに早く起きても、約束は午後だ。場所は恵比寿。ガーデンプレイス方面出口に二時。

「理美ちゃんは、何も考えなくていいから」
 とメールにあったので楽しみだ。

 洗濯物がたまっていたので、洗濯機を回す。そして思いきって布団を干した。ロフトだと下に下ろすのが面倒で、なかなかこまめに干す気がおきなくて、ついついずっと干さずにいたりする。

 松崎に少し前、

「クリスマスは久しぶりにどこかにお泊まりしたいなー」
 と値だって、

 「うんいいよ、考えとく」
 と言ってくれていたから、部屋片付けはあんまりがんばらなかった。

 久しぶりにマライア・キャリーのアルバム『メリー・クリスマス』を取り出し、かける。
 気持ち良く聞きながら朝食を用意し、ソファに座り食べていると、またあの嫌なブザー音が鳴り、急いで食べ終えて皿を流しに片付け、洗濯物を干す。

 干し終わって、スッキリして時計を見ると、十時になるところだった。

 待ち合わせにはまだ早かったので、しばらくTVを観て、11時になって、お化粧を始めた。

 アイシャドーはニットの雰囲気に合わせ、明るめのシルバーにした。メイベリンの安い一色のだけど結構重宝してる。チークはキツくない仄かなピンク色に抑えて、口紅はランコムのヌーディーなピンクベージュのを塗り、その上から透明なグロスで包んだ。髪型はしばらく迷った末、久しぶりにアップにしてみた。もしもフォーマルなレストランとかだったらその方がいいと思ったのだ。備えあれば憂いなし、だ。ネックレスは相変わらずフォリフォリのハートの。実はネックレスはあまり持っていないのだ。珍しくイヤリングまで付けてみた。小さいパールのだ。私はピアスには憧れるのだが、どうも穴を開けるのが恐くて未だにイヤリング派だ。

 マニキュアも上品なシルバーで決めてみた。いかにもクリスマスという感じだけれど、まさにそうなのだから自信を持って…。薬局で少し前に遊びで買ってみたネイルアートのセットを取り出し、親指と薬指にだけ白い小さなストーンを、爪の根元と右端に置いて、透明なマニキュアで接着した。右手に付ける時はちょっと大変だったけれど、ピアノをやっているからか、左手も意外と器用に使えたのは新たな発見だった。

 予定より少し早く、14時10分前に恵比寿駅東口改札に着いたのに、松崎はいつものように既に待っていてくれた。

 松崎は、特別な時にしか着ない黒いカシミアのコートを着ていた。足元もピカピカの革靴だ。髪型も、いつもは無頓着で平気で跳ねたりしているのに、今日はかっこよく決まっている。私はおもわずにっこりしてしまった。

 松崎も穏やかな表情で、

「こっち」
 とガーデンプレイス方面を指差して、歩き出した。

 恵比寿ビールの広告なんかを眺めながら、スカイウォークをのんびり進む。これはじれったい時もあるけれど、松崎と一緒だと、まるでアミューズメントパークに来たような気分にもなれるから好きだ。

  後ろに居る松崎が、
「今日は髪型がんばったね」
 と誉めてくれた。松崎はいつだってストレートだ。

 信号が青になって、向かった先は三越の先にある映画館だった。ここはよく単館ものを上映していて、たまに変わった映画もやったりする。

「ユーロスペースのロシアアニメと迷ったんだけどね」
 松崎が繋いでいた手を放し、映画館のドアをゆっくり引く。

 中に入るとすごく混んでいた。けれど、松崎はなんと待ち合わせの前に、14時45分からの回のチケットを買って、整理番号をもらってくれていた。私はその心遣いがすごく嬉しくて、まずお礼を言った。

 ロビーは、ほとんどが男女のカップルだった。幅広い年齢層の人がいる。着飾っている人もいるが、普段着の人もちらほら。表情も華やかだ。

 映画は『スコルピオンの恋まじない』という、犬猿の仲の男女が恋の呪文により惹かれ合ってしまう様を描いた、ロマンティックコメディだった。とても気楽に観れた。

 映画館を出ると、辺りは暗くなっていた。ガーデンプレイスは、至る所がライトアップされていて、とても幻想的な光景。バカラのガラスも素晴らしかった。いったいいくらするのか…なんて考えるのは、今はよそう。

 松崎と手を繋いで、身を寄せ合って歩くこと5分、小さな洋風の白い建物に着いた。外にメニュー表が出ていて、小さな照明で照らされている。

 松崎は何も言わずに、ドアをゆっくり開けて私を中に促し、自分はその後ろから入り、ドアを静かに閉める。

「予約していた松崎です」
 と松崎はジェントルマン風に言う。

 普段喫茶店などで注文するときはねちっこい控えめな声なのに。きっと松崎はTPOって言うのをちゃんとわきまえているのだろう。

「松崎様ですね、お待ちしておりました。コートをお預かりします」
 バリッとした白いシャツに、黒いベスト姿の店員さんが、とても丁寧な気持ちのよい笑顔で言う。コートを脱ぎ、店内に案内してもらうと、松崎は随分前に予約してくれていたのだろうか、一番奥の窓側の席に通された。椅子を引いてもらって座る。なんだか一気にお姫さま気分だ。髪をアップにして、パールのイヤリングをつけてきて正解だった。

 松崎がすごく紳士的に見える。私は高校の時から英単語の本来の意味を調べるのが好きだった。ジェントルと言う形容詞も調べたことがあった。穏やかな、優しい、親切な、おとなしい、ゆるやかな、静かな、礼儀正しい、上品な、家柄の良い…まさに松崎を形容している言葉だと、出会ってしばらく付き合ってそう思ったものだ。それが、最近はそんな素敵な松崎がすぐそばにいるのに、高村くんに心が移ったりしていたのは何だったのだろう。高村くんにも紳士的な要素はある。けれども、松崎とは何かが違うのだ。松崎の振る舞いには安心感がある。

 店内にはブラームスのセレナード第一番がかかっている。周りを見渡すと、内装は白を基調とした、いたってシンプルな装いで、それがかえって高級感を引き出しているように思えた。

 ディナーには少し早い時間だからか、席はまだ空いていたが、やはりイヴの夜とだけあって、それとも、もしかしたら隠れた人気のお店でいつもそうなのかもしれないけれど、どこの席にも『Reserved』の札が立ててある。そして各テーブルの上には、透明の小さな花瓶に、小輪の深紅のバラとカスミソウの小枝、それにシダの葉っぱが生けられている。

 ここは気取らない南仏料理の店だった。最初にシャンパンを選んだ。ボトルではなくグラスにした。クリスマスのコースを予約してくれたみたいで、オーダーしないのに前菜が出てきた。トマトとアンチョビ、モッツァレラチーズの乗ったブルスケッタで、上に乾燥したハーブが細かくパラパラとかけられていて、食べてみるとバジルやオレガノの風味がしてにんにく、オリーブオイルも全体の味と見事に調和していて、

「美味しいね」
 と松崎とにっこり目を合わせた。

 松崎とは、もう特に改まっていろいろしゃべるということはない。ただ、言い様もない安堵感がある。松崎とのこんな穏やかな時間がやっぱり一番居心地がいい。   それでも、今日は映画の話なんかを楽しく話した。

「オレ、ウッディ・アレン好きなんだ。独特のワールドっていうか、人間哲学みたいなのがあるんだよね」

「そうだね。私は脇役で出てたシャーリーズ・セロンが好きなの。『ヴァガー・バンスの伝説』って言う映画もいいよ、今度ビデオ借りて見よう」

「『酔っぱらった馬の時間』も、案外よかったよね」
 何の脈絡もなく松崎が言うので、

「ああ、ロードショーに行ったのに席ガラガラだったやつ?あれ地味だったじゃん」
 と笑った。

「あのさ、さっき映画館入る時言ってた、ユーロスペースで始まったロシアアニメってどんなの?」
 ユーロスペースという映画館も単館もののいい映画を上映する。
「酔っぱらった馬の時間」もそこで観たのを思い出して言うと、

「『クルテク』っていう映画で、好奇心いっぱいのもぐらのお話なんだ。オレさ、小さい時『もぐらとずぼん』っていう絵本好きだったんだけど、それが映画化されたみたいなんだよね」

 それじゃあ今度それも観に行こうね、と約束した。

 カニのだしが効いたクリームスープは絶品だった。

 メインディッシュは鴨肉のローストだった。付け合わせのアスパラのソテー、ニンジンのグラッセ、エリンギにマッシュルーム、スナックエンドウも色とりどりできれい。白地に金と青緑の縁模様のしてあるお皿も素敵だった。

 私はここで、持って来た長い細い小さな箱とメッセージカードを取り出した。合鍵の方はまだ出さないでおく。

「はい、これ、約束していたものだよ」
 と松崎に両手で差し出す。松崎は、

「ありがとう」
 大きな目をさらに大きくして、早速リボンを解き、箱から中味を取り出した。

「おーいいねぇ」
 気に入ってもらえるか内心不安だったので、その言葉でとても救われた。

「そう?これ見て。私のもお揃いで作ったんだよ」
 私は、まだケイタイに付けずにバッグに忍ばせてきた、赤とピンクのケイタイストラップを取り出し、松崎に見せたら、

「オソロイって初めてだね」
 普段モードの松崎になって、はにかみながら笑う。

 考えてみたら今まで長く付き合ってきたのにお揃いって買ったりしたこと一度もなかったなぁ。

「ここではなんだから、後で一緒にケイタイに付けてみようね」
 と言って、ストラップをしまう。

 すると今度は松崎が、内ポケットから小さな水色の箱を取り出し、

「はい、これはオレから理美ちゃんに」
 と言って左手で差し出す。

 私は、 「えー、ありがとう!嬉しい。何かな?」

 と言って、それを両手で受け取り、ゆっくり白いリボンを解き、箱をそうっと開けてみる。

 それは、とても華奢な、シルバーのネックレスで、トップは綺麗な石がはめ込まれた小さな十字架だった。私は、丁寧にそれを取り出し、手に取って眺めた。なんて綺麗なんだろう。

「ネックレスって、服とかによって選べるように、色々持っててもいいかなと思って」
 松崎は恥ずかしそうに、にこにこしながら言う。

「大ちゃん、いつのまに選んでおいてくれたの?すごく気に入ったよ。ありがとう」
 私は今日最高の笑顔を見せた。

 ちょっと冷めちゃったけれど、メインディッシュの味はとてもよく、松崎のスマートなナイフとフォークさばきを眺めながら、ゆっくり噛んで味わった。

 その後デザートが運ばれてきた。ガトーショコラ、ダークチェリーのタルト、パンナコッタが乗っていて、周りには赤いソースで小さなハートがたくさん描かれてある。コーヒーと紅茶が一緒に運ばれてきて、それを飲みながら、三種類を交互に味わった。  とても素晴らしいディナーだった。

 お店を出て、又松崎は何も言わずに歩き出す。

 
  次に連れて行ってもらったのは、大通りから少し入った、こぢんまりとしたホテルだった。そこは、エントランスに趣味のいい一色だけのイルミネーションが、目線より下の植え込みにバランスよく光っている。行ったことはないけれどパリ郊外の隠れ家風プチホテル、と言った感じだった。扉も、病院などの無味乾燥な透明な自動ドアではなく、ダークブラウンのかなりの高さのある扉で、自動ではあったのだけれど、普通よりも開くスピードがゆっくりな気がした。

「松崎ですが」  松崎はまたジェントルマン風に早変わりして、大人っぽい声で受付の小西真奈美風の素敵な女性に伝える。

 松崎が宿帳に記入している間、私は傍にあったアール・デコ様式を意識した、硬めのソファに腰をおろし、緊張して待つ。隣には木の戸棚があって、中には香水の瓶が沢山飾られていた。こんな所があったなんて恵比寿はまだまだ未開の地だ。  エレベータもレトロな感じで、やはり色はダークブラウンで、三階に着いた時の、 「チン」  という音がなんともアナログ的でオシャレだった。松崎は扉が開くとさりげなく私を先に通してくれて、

「307だよ」
 とだけ小さな声で言う。私は表示に従って、奥に進んで行く。

 廊下には絨毯が敷いてあって、靴の音はしない。

 カード式のカギで扉を開ける。部屋に入り、キーボックスにカードを差し込むと、明かりが灯った。

「うわぁ、素敵だねぇ」

 私ははしゃいでそう言った。中はけして広くはなかったけれど、なんと言うのだろう、趣があって、色にしても統一感があってかっこいい。壁の色は薄いくすんだ水色で、白い傘が被さった間接照明が数カ所にある。洋服ダンスやソファは皆ベージュ色。カーテンは壁の色に似た水色に白と紺の縦縞が交互に入っている。

「ほんとはウエスティンに泊まりたかったんだけど、予約いっぱいでさ」
 高くて、ではなく予約いっぱいで、と言うのが松崎らしい。

「私ここで充分満足だよ。最高だよ!大ちゃん、今日は何から何までホントにどうもありがとう」

 そうお礼を言って、私はまだコートを着たままだったけれど、松崎に抱き着いた。

 松崎のコートを脱がせてあげてハンガーにかけ、自分のも脱いで隣のハンガーにかける。

 その後、備え付けのポットに電源を入れ(水はあらかじめ入っていた)お湯を沸かす。
 松崎はやはりここでも小学生の坊やに戻り、タンスの引き出しを開けたりバスルームに行ったり、部屋中を色々チェックする。

 そして、ベッドの脇にあったオーディオをいじり、ラジオをクラシックのチャンネルに合わせると満足気な顔で窓辺に行き、カーテンを開けて外を見た。

「ここの部屋は南向きだね、さっき入って来たエントランスのイルミネーション見えるよ」
 こっちに来な、と手招きするので、

「どれどれ?」
 と私も窓辺に行って、松崎と顔を近付けて外を見る。

「本当だ、月も出てるね」
 窓ガラスが息で白くなる。

 松崎は、私の顔をまじまじと見て、

「理実ちゃん、きれい」
 と言った。松崎の言葉はいつだってシンプルだ。そしてシンプルだからこそ胸にグッとくる。

「髪アップにすると大人っぽくなるね」

 とまた髪型を珍しそうに観察して、前髪に手櫛を入れて斜めに流してくれた。

「こうしてちょっと固めると、もっと大人っぽくなる」
 松崎って、意外にセンスある。私もその方がいいかなとは思ったのだが、何せ直毛なので諦めていたのだ。

 松崎と接していると、いつのまにか心が裸になる感じを今も味わっていた。相手の心との間にバリアを作らない、それでいて自分から土足でズカズカ入ってくるわけでもない。松崎は安心を引き寄せるホントに不思議な力を持っている。

 それから松崎は先程のケイタイストラップを取り出して、自分のケイタイに付け始めた。私はお湯が沸いたので紅茶を淹れる。

「理美ちゃんも付けてみてよ」
 と言うので、紅茶を注いでからケイタイとストラップを取り出し、付けてみた。
 二人して見せ合った。部屋の柔らかな照明が、石、ビーズ、一つ一つに注がれ、透明なビーズは、雨上がりのアジサイの葉に乗った雫のように見えた。

 時刻は九時半になるところだった。

 私は一息ついて、バッグから小さな箱を取り出し、

「大ちゃん、これは私からのもう一つのクリスマス・プレゼントなの」
 松崎に箱を差し出した。

「え?、なんだろ、ありがと」

 松崎は早速包みを開け箱の中味を見た。

「これって…」

 松崎が一瞬固まった。目がとても真剣だ。

「そうだよ、私のアパートの。これからはいつでもこれ使って開けて入っていいよ。ロフトで寝ても構わないし、ベランダで煙草吸っても構わないし、好きに使っていいよ。あっ、火の元には気をつけてね。私の大ちゃん用の扉は24時間オープン致しております」

 ちょっと照れくさくて、そんな言葉を言い終わるか終わらないうちに、私の体は、松崎の胸の中に包まれていた。松崎は私をしっかりと抱き締めたまま、耳もとでささやいた。

 「理美ちゃん、ありがとう。すごく嬉しいよ」

 そうして、そのままベッドに倒れ込み、待望のキスをした。深く、長く、お互いを夢中で吸い合った。

 洋服のボタンを一つ一つ外してもらって…なんていう時期はとっくに過ぎた。服も全部脱ぎ捨て生温かい肌をぴったりと合わせて、松崎は私の体の隅々にキスをする。繊細な指先は私の感じるところすべてに見事なまでにフィットし、あとはもう無我夢中で快楽を貪った。

 月が優しくこちらを見ていた。