RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.23後半

2008-12-26 16:27:08 | 連載小説
  

  8時56分盛岡行きMAXやまびこに乗車する。帰省ラッシュは昨日までだったようで、それでも混んでいたけれど、一人だったということもあって二階席の窓側が取れた。

 さっき買ったペットボトルのお茶と貴重品、それにCDウォークマンを手前の台に置き、荷物を網棚に上げる。

 ほどなくして東北新幹線がゆっくりと動き出した。

 初日は既に結構昇っていて、都会のビルを優しく照らしている。

「本日も東北新幹線をご利用頂きまして誠に有り難うございます。この新幹線は…」
 車内アナウンスが流れる。

 迷惑にならない限界ギリギリぐらいまでリクライニングをし、イヤホンを付けて、パソコンで編集したCDーRをリピートにして再生を押し、目を閉じる。    

 死んだように眠っていたらしい。目を開けると、もう大宮はとっくに過ぎただろうか、都会のビルは完全に姿を消していて、車窓には冬枯れの殺伐とした景色が広がっていた。

 遠くに霞む名前も知らない山々、どこまでも続くだだっ広い裸の田んぼ、黒っぽい緑色の針葉樹林、点在する家々…。雪もうっすら積もっている。田んぼには白い鷺の群れが来ていて、新幹線が近付いたからか、一斉に飛び立つ。

 こんな景色を眺めていると、心が大きくなる気がする。帰省は私にとって『仕切り直し』のような役目もあるのだ。

 ふとメールが来たので、受信箱を開けると、地元の男の子からだった。

「アケオメ。夏木実家戻ってる?スキー行かない?四日なんだけど。いまんとこ齋藤と後藤とオレ」
 少し考えたが、複数でなら問題はないだろう。このメンバーでは去年も行った。約束をした。

 東京から約1時間40分で福島に到着。新幹線の扉が開いた瞬間、思わず身構えた。東京から300キロ北だけあって、東京の寒さとは比べものにならない。  

 私の実家は、ここから阿武隈急行線という私鉄で仙台方面に20分行ったところにある。阿武隈急行線は、私が小学校の時に開通し、高校もこれで通学した。顔は知っているけれど名前は知らないような人が必ず何人か乗っている、そういうローカル電車だ。朝夕のラッシュ時以外は二両編成で、面白いのは、バスのアナウンスのように駅名の前にワンフレーズ入るところだ。

 駅には父が迎えに来てくれていた。

 私の実家は、住宅や畑の合間に大きなチェーン店の酒屋やドラッグストア、ホームセンターなどがあるような小さな田舎町だ。

 実家の玄関を開けると、まずランがしっぽを振ってお出迎えしてくれた。それからお母さん、お姉ちゃん、長澤さんの順に玄関に出て来てくれた。

 時刻は11時半になろうとしていた。

 秋のりんご狩りの時は実家には寄らなかったから、実家に帰ったのは、免許を取ったこの前の夏休み以来だ。

「年賀状、理美にも来てたわよ」
 母が二枚手渡してくれた。奈歩と香織だけはいつも実家に出してくれる。

 私の家は比較的広い。庭も広くて、春になればレンギョウやチューリップ、パンジーより一回り小さいビオラなど、色とりどりの花が咲き、五月の連休頃になると、ライラックやハナミズキ、クレマチス、シャクヤクなどが咲く。今は、ハナミズキも柿の木もサルスベリの木も葉っぱを落とし、枝がむき出しになっていて、鳥たちが賑やかにその枝に集まっている。前の家で日陰になっている部分には、雪が残っている。

 しばらくソファに座ってそんな景色をぼーっと眺めていたら、お雑煮やおせち料理が出てきた。炬燵の出ている座敷に移動し、雪見障子を開けて食べる。形のいい松の木が見える。その傍には、真っ赤な椿の花が咲いている。

 それから二階の自分の部屋で夕方までぐっすり眠った。


 夕食の前にピアノを弾いた。

「理美、ずいぶん上達したわね」
 と料理の手を止め、包丁を持ったままピアノの前に来る。

 ふふ、とそれに応えるようにさらに弾き続けた。

 夕食は、親戚から贈られて来たタラバガニを、レモン醤油でたらふく食べた。  
 ご飯の後、姉の手作りデザート、クリームブリュレを食べ、しばらく団らんした後また二階の部屋に行く。  雑誌を乱読したり眉を整えたりする。

 少しして、トントン、と姉が入って来た。

「ちょっといい?」
 と言うので、もちろん、何?と言うと、

「あのね、お母さんの話なんだけど…。昨日の夜、お母さんとおせち料理作ってたの。そのときお母さん急に具合悪くなってしゃがみこんで。そのまま昨日は寝室で眠ったんだけどね。もしかして乳ガンが再発しているのかなってふと思ったの。とにかく検査を受けた方がいいと思うの。理美も一緒に下に来てくれない?」  

 嫌な予感がした。下へ降りる。  お母さんに、あまり深刻にではなく軽い感じで、検査を受けに行って欲しいと話した。

 すると母は、

「そうね、ちょっとだるいのがなかなか取れないしお母さんも行かないと、と思っていたの。お正月明けたら連絡して行ってみるわね。二人共心配してくれてありがとう」

 それからお風呂に入って、二階の部屋に行き、松崎におやすみメールを打ち、床に入った。しかし母のことが気掛かりでなかなか寝付けなかった。



連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.23前半

2008-12-26 16:17:58 | 連載小説


     §


「おまたせ」

 先に着いていた松崎と私に、奈歩が元気良く手を振り、こちらへ向かって来る。井上くんも一緒だ。松崎は帰国してから一度飲みに行ったらしいが、私が彼に会うのは実に一年半以上ぶり。
 井上くんは、背は175センチ(ちょうど高村くんと同じくらい)スラッとしていて髪は黒いストレートヘアーで、女の子のように肩ぐらいまであって、それがまた似合っている。

 四人で京葉線乗り場に向かう。京葉線乗り場までは遠く、駅構内を三分は歩いただろうか。しかもエスカレーターで結構地下深くまで下った。  16時29分発快速蘇我行き。
 ちょうどボックス席が空いていて、二組のカップルが向かい合う形で座る。奈歩と私が窓側。
 出発のベルが鳴り電車はゆっくりと動きだす。降りる駅はここから約30分の、海浜幕張という駅だ。

 待ちに待ったカウントダウン・ライヴ。乗客のうち三人に一人ぐらいは私たちと同じライヴへ行く人と見えて、アーティストのロゴ入りTシャツ姿の男の子集団や、早々と首からペットボトルを下げている人、遠くから来たと見える大きな荷物の二人組の女の子などが、専ら今日出演のアーティストについて話している。  松崎はロック好きだ。特に洋楽、それもイギリス系が好き。今日は日本人アーティストばかりだけれど。

 私は普段あまり付けない不良っぽい大きめのチョーカーを付けてきた。奈歩は倉木麻衣みたいなポニーテールがとても似合っている。首にはやはり少し目立つアクセサリーをしている。

 駅に着くと、乗客の大半が降り、一気に改札へ向かい大混雑となる。はぐれないよう、思わず松崎の手を握る。
 会場までの道順は知らなくても心配はいらなかった。自然と人の流れに沿って進んで行く。海のそばだからかとても風が強くて、髪型がぐちゃぐちゃになったけれども、そんなことも笑い合う。途中ダフ屋が何人もいた。この人たちって普段はどんな仕事してるのかな…。

 7~8分ぐらい歩いただろうか、会場が見えて来た。幕張メッセは中学校の修学旅行で来て以来で、懐かしさがこみあげてきたけれども、そんなこと言うと田舎くさいかなと思って黙っていた。松崎がいきなり、

「ロッケンロー、ロッケンロー」
 と二回叫んだのには笑ってしまったが、そんな松崎でも浮かないような雰囲気があった。

 まずチケットを見せ、アームバンドをつけてもらう。これがない人は会場の出入りが出来ないようになっているらしい。それから出店で松崎と色違いでお揃いのTシャツを買った。オソロイ第二弾だ。奈歩と井上くんも、別な種類で色違いのお揃いを買っていた。

 会場に入って着替えをし、トイレ・化粧直しを済ませ、荷物を預けていざライヴ会場へ。
 そこはSF映画に出て来そうな四次元の大空間という感じだった。暗くて、天井からは、立体の大きな白い星が沢山釣り下げられている。たくさんの屋台が出ていて、まるで多国籍のお祭りのよう。

 既に人はいっぱいだった。

「まず何か軽く食べよう」
 と松崎が言うので、各自気に入った屋台に並ぶ。辛うじて空いてた席に座り、グリーンカレーを食べる。至近距離でも顔がはっきり見えないくらいの照明。

 食べ終えて早速一番大きいライヴ会場、第一ステージへ向かう。そこはあと十分で超ビッグな四人組グループが登場するということで、ものすごく混んでいる。中まで入って行けないでいると、

「まあ、ここでいいや」
 と、松崎は出口付近で腕組みをする。このグループはみんなそんなに目当てではなかったから、四人で出口付近に留まる。

 五分ぐらいして、ステージ両側に設置された、大画面のスクリーンにそのグループが映し出され、会場の盛り上がりは最高潮に達する。そうして割れんばかりの大音量でライヴは始まった。
 真冬なのにアーティストも観客もみんなTシャツ姿。曲はだいたい知っていた。

 何よりも松崎や奈歩、井上くんと一緒だから、それだけで気分もノリノリだ。  
 その後は少し奈歩たちと別行動して、松崎と二人で第二ステージやDJブースなども覗いて、松崎と一緒に体を動かしたりした。クラブの踊りはよく知らないのだけれど、
「理美ちゃん、腰の動きいいよ」
 と誉められた。おそらくデンマーク体操をやっているからじゃないだろうか。  
 23時に再び四人が集まって、23時20分からの第一ステージへ向かう。  

 松崎が大好きな10人グループなので、ここぞとばかりに人込みを分け入って無理やり前の方へ行く。

 20分ちょうどに、始まった。陽気なトランペットやサックスフォンがメインの音楽で、大みそかにとても似つかわしい。
 0時直前、入念に計算されていたのか、音楽がちょうど止んで、まさにカウントダウンが始まる。

「5・4・3・2・1 HAPPY NEW YEAR !!」
 最高の年明けだった。考えてみたら年明けを松崎と迎えたのは初めてだった。  

 始発から二番目の電車で帰った。ぎゅうぎゅう寿司詰め状態で、しかも途中、新浦安と舞浜の間で何かトラブルがあったようで、たっぷり20分も停止。

 やっと東京駅に着き、中央線に乗り継ぎ新宿まで来て、奈歩と井上くんとはここで別れ、松崎と私は明治神宮に初詣に行こうと言うことになって、山手線に乗り換え原宿駅で降りた。原宿駅は元旦の日は参拝客が多いために臨時改札が使われていた。

 疲れ、眠気はピークに達していたけれど、緑に囲まれた砂利道を松崎と手を繋いで歩いていると、陽の光も穏やかに降り注いでいて、なんとも言えない幸福感に満たされた。周りを何気なく見回す。もう結婚しているのか、それとも今年あたり結婚予定らしき普段着と着物姿のカップルや、どこかでオールしたとみえる私ぐらいの年の若い男女7~8名の集団、それから親子三人、三才ぐらいの男の子が真ん中になって足を宙に浮かせて両親の手にぶら下がって楽しそうに歩いて行く様子などが目に入る。

 新しい年という真っ白な一冊の本は、どんな風に埋められていくのだろう。  

 松崎の実家に初めて泊めてもらった日から、松崎のことを『家族』と意識するようになっていた私は、そんな周りの人たちの様子を見て、ごく自然にこんな言葉が出た。

「いつか子ども連れてお参りに来たいね」
 松崎はただ笑顔で、繋いでいる手を揺らした。

 参拝して駅へ戻る途中で、喫茶店で朝食を軽く食べる。その後、松崎は東京駅まで送ると言ってくれたけれど、松崎も疲れているに違いなかったし、ここからなら目黒駅はすぐだから、

「ここで大丈夫だよ」

 と言って、別れた。