お子さんを見つめる母親の愛情 母に感謝

例年ならば小学生の皆さんが
小学校に集団登校する姿が町中で見られます。
大きなランドセルを背負った初々しい1年生に
少し先輩顔の2年生
緊張気味の新班長は何度も振り返りながら
班の仲間の様子を考えながら歩いているのだろうな~と。
以前のことですが、
通勤途中の渋滞中に目に入った事があります。
朝の登校中、小学生のお子さんが1人で
バタつかせて転びそうになりながら走っていました。
その先には集団登校の仲間が皆で待っていました。
走っているお子さんは、ランドセルに黄色にカバーが
付いていたので、おそらく1年生だと思います。
お母さんと集団登校の皆が見えるT字路まで一緒に来て、
そこからはお子さん1人で走っているようでした。
お母さんがT字路の交差点で心配そうに
後ろから見守っていました。
お子さんは必死になって走り、集団登校の仲間に合流し
無事に一緒に歩いて行きました。
お母さんはその姿を確認し、自宅に帰りました。

私はその光景を見たとき、ふと思ったのですが、
お子さんが倒れそうに必死に走っている時、
もし転んでしまったらお子さんは何て叫ぶだろうか?
もう私にはこの一言しか無いのでは・・・と思いました。
きっとお子さんは倒れた時に反射的に振り返って
「お母さん!」と言うのではないでしょうか。
「お父さん」でも「おばあちゃん」でも「先生」でも無い
きっと「お母さん!」だと思いました。
もし倒れてしまったら、そのときお子さんは
振り返った時に「たまたまお母さんがいてくれて良かった」と
思うでしょう。
でもいつか、お子さんが成長したときに
気がつく時が来ると思います。
「たまたまお母さんがいてくれた。」のではなく
「いつもずっと私を見守っていてくれたから
たまたま私が振り返った時にもいてくれたんだ」と。
たまたまはお母さんではなく私の方だったのだと。
今は自粛が広がり行動が制限され
大変厳しい状況にあると思いますが、
お子さんにとって母親は偉大です。
「妻の味」というのは聞きませんが、「お袋の味」は永遠です。
お袋の味は実は料理だけではなくて
生活の中にいっぱいあるのではないでしょうか。
あらためて母の日
少し照れくさいですが家族みんなで
感謝の気持ちを言葉や行動で表現できるといいな~と思います。

例年ならば小学生の皆さんが
小学校に集団登校する姿が町中で見られます。
大きなランドセルを背負った初々しい1年生に
少し先輩顔の2年生
緊張気味の新班長は何度も振り返りながら
班の仲間の様子を考えながら歩いているのだろうな~と。
以前のことですが、
通勤途中の渋滞中に目に入った事があります。
朝の登校中、小学生のお子さんが1人で
バタつかせて転びそうになりながら走っていました。
その先には集団登校の仲間が皆で待っていました。
走っているお子さんは、ランドセルに黄色にカバーが
付いていたので、おそらく1年生だと思います。
お母さんと集団登校の皆が見えるT字路まで一緒に来て、
そこからはお子さん1人で走っているようでした。
お母さんがT字路の交差点で心配そうに
後ろから見守っていました。
お子さんは必死になって走り、集団登校の仲間に合流し
無事に一緒に歩いて行きました。
お母さんはその姿を確認し、自宅に帰りました。

私はその光景を見たとき、ふと思ったのですが、
お子さんが倒れそうに必死に走っている時、
もし転んでしまったらお子さんは何て叫ぶだろうか?
もう私にはこの一言しか無いのでは・・・と思いました。
きっとお子さんは倒れた時に反射的に振り返って
「お母さん!」と言うのではないでしょうか。
「お父さん」でも「おばあちゃん」でも「先生」でも無い
きっと「お母さん!」だと思いました。
もし倒れてしまったら、そのときお子さんは
振り返った時に「たまたまお母さんがいてくれて良かった」と
思うでしょう。
でもいつか、お子さんが成長したときに
気がつく時が来ると思います。
「たまたまお母さんがいてくれた。」のではなく
「いつもずっと私を見守っていてくれたから
たまたま私が振り返った時にもいてくれたんだ」と。
たまたまはお母さんではなく私の方だったのだと。
今は自粛が広がり行動が制限され
大変厳しい状況にあると思いますが、
お子さんにとって母親は偉大です。
「妻の味」というのは聞きませんが、「お袋の味」は永遠です。
お袋の味は実は料理だけではなくて
生活の中にいっぱいあるのではないでしょうか。
あらためて母の日
少し照れくさいですが家族みんなで
感謝の気持ちを言葉や行動で表現できるといいな~と思います。