4月15日(金)PM5:00~、16日(土)は、母方の祖母が亡くなったため、臨時休業をさせていただきます・・・
それは、昨日の夜、突然のことでした・・
20時過ぎにもう、さすがに危ないということで、母だけバタバタと用意をしていきました・・・
そして、熊本大地震でテレビは持ちきりになっていた22時半ごろ、ついに、ばあちゃんは天国に旅立ちました・・・
享年97歳・・・
今年、はじめに大たい骨を骨折し、急激に弱って寝たきりになったものの、点滴と酸素マスクだけの生活になってからでも1か月余り・・・
本当に頑張ってくれました・・・
ばあちゃんは東京出身、関東大震災の生き残り、僕は大学時代に熊本で過ごしたというのも変な因果関係でしょうか・・・
僕は5歳くらいから、夏休みや冬休みに弟とともに、店が忙しい関係で、いなかへ行っていたので、
そして、初めての男の孫ということで、かわいがってもらいました・・・
ばあちゃんとの思い出は、僕の胸の中におさめるとして・・
一度は完全に心臓も止まったのに、何度も危ないと言われながら生還し、何回も行ったけど、そのたびに安定し、本当にみんなが驚くばかりの生命力の強いばあちゃんでした
国東半島の国定公園の山の中に田舎はあります・・・
そこで、じいちゃんとともに、百姓をして、男三人、女三人の計6人の子供たちを育て上げました・・・
それも、みんな3歳違い・・・母ちゃんは3番目の長女・・
じいちゃんが不慮の事故で亡くなった後も、田舎で90歳過ぎまで生活し、その後、運よく田舎の施設に入ることができてから、中津の施設に移動するまで、ずっと全く医者のお世話にならず、腰は90°以上曲がって、身長は1mくらい?というほどでしたが、元気なばあちゃんでした・・・
僕は実家に帰ってから1か月~2か月に一回、田舎から施設までずっと、訪問していましたが、そのたびにとても喜んでくれました・・
ただ、一つ心残りだったのが、行ったたびに「お嫁さんはまだか~~~~~」って・・・
「ばあちゃん・・今ならまだ式に出席できるから・・」って・・・
何度も・・何度も・・・
結婚できなかったこと、自分の孫を見せてやれなかったこと・・・
ばあちゃん・・ごめんね~~~~
本当は3月27日に心臓が止まったから、逝きたかったのだろうけど、おばちゃんの心臓マッサージで戻って来たねぇ~~~~
そしたら、僕が3月28日に肺炎で入院・・・
待っててくれたんだろうねぇ~~~~
僕が退院してからも、咳が出ていて、ばあちゃんに会いに行くことを禁止されていたので、実質、最後に会ったのは3月21日・・
施設に入っていたので、咳をする人は入れてもらえないという事情も、そのときに施設内では季節外れのインフルエンザの大流行という事情もあったから・・
でも、二人だけの秘密・・
4月11日に3分ほどの訪問だったけど、誰もいないことを見越して会いに行ったね・・・
それが、最後になるなんて思わなかったけど・・・
眼が乾燥するからガーゼを目にしていたけど、意識のない中・・僕に何か言うように、荒い息をその時だけしていたね・・・
わかったよ・・・
いま、思えば、それがお別れだったのかな
日曜日には行けると思ったけど・・・約束していたけど・・・・
くしくも、じいちゃんと同じ月命日になったね・・・
きっと、じいちゃんとおいちゃんたちが迎えに来たのだろうねぇ・・・・
じいちゃんが亡くなった時、とても7回忌まで生きていないと言っていたけれど、17回忌が終わっても元気だったねぇ~~
ばあちゃん・・・苦しくなかったかい・・
逝くときはスッと逝ったと聞いたけど・・・・
今は中津の施設だったから毎日のようにおばちゃんたちも来てくれて、寂しくなかったから大丈夫だったよねぇ~~~
本当に、今までありがとう
母も今日は一睡もしていないようです・・・
お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、月曜日まで三日間以上、臨時休業並びに定休日をいただきます・・・・
よろしくお願いいたします