福岡県理容組合京都支部 三代目Riyou HOSOKAWA(理容ほそかわ) 店主のブログ・・・

福岡県京都郡にあり、行橋市にも近い理容店の三代目店主がお届けするブログです。このたび、タイトルから「青年部」を取りました

無事にばあちゃんを送ることができました~~~m(__)m

2016-04-20 17:07:56 | Weblog
ごあいさつが遅れまして申し訳ございません・・
先日、無事に、ばあちゃんを送ることができました。

三日と半分ほどお休みをいただき、大変ご迷惑をおかけいたしました・・・

おかげさまでよい式になりました・・・

孫だけでも13人・・
親族一同だけで60人あまり・・

家族葬のはずなのに、家族葬の人数ではおさまりきれないので、普通の葬儀になるほどでした・・・


まるで、僕らが子供の頃、いなかに盆・正月にみんな集まり、居間で雑魚寝みたいにみんなで寝ていたあの光景がふとよみがえりました・・・

みんながいっていましたが・・
「ばあちゃんは、こんなに大勢囲まれて、送ってもらえて、最終的には幸せだったねぇ~~」って・・・

葬式の日の朝、おときを食べていると、思わぬ依頼が・・・
本当は孫一人ひとりに、一言ずつ、贈る言葉を言ってほしかったのだが、あまりに多いので、代表で弔辞を読んでほしいと・・・

その大役が僕に・・・
男の孫で一番上・・断るわけにもいかず・・・


思い出がありすぎて、短時間で絞り込むのが大変でした・・・
清書を最後まで書けず、会場内にて清書を書いたほど・・・

その内容は・・・
もう忘れました・・・

それは、棺の中にいれたら、ばあちゃんが持って行っちゃった~~~~


成功したか失敗したかも言いません・・
ばあちゃんが判断するでしょう~~~~

でも、やっぱり不思議なことが・・・
清書を書いていた時、誰かがささやいた感じがした・・・
じいちゃんの命日は同じと思っていたけれど・・違うんだって・・・そう、一日ずれていた・・・
葬儀の一日前と思っていたけど、本当は二日前の13日だった・・・じいちゃんの誕生日がじいちゃんの葬式の日だったから勘違いしてた・・

あと、もう一つ、実質、最後の見舞いは大阪のおいちゃんの法事の後と思っていたのも、
実際は、僕が見舞いの後、家に帰ると危篤の一報が入り、もう一度、母ちゃんを連れて行ったのが最後だった・・・
おいちゃんの法事はその一か月前・・・

書き直す時間もないので、この二つはアドリブでこなした・・・
典型的なマニュアル男がよくこなせたものだ・・・

普段なら、しゃべると肺炎の後遺症で咳が出るのだが、この弔辞の間だけは全く咳もせず・・・

ばあちゃんがうまいこと演出してくれたのだろう・・・
僕が孫代表として、弔辞を読むことになったのも、さては、ばあちゃんの仕業かぁ~~~~


とにもかくにも、本当にお客様にはありがとうございましたとしか言えません・・・
待っていてくれたお客様はもちろん、残念ながら、他のお店に行かれたお客様も、ご来店お待ちしております
今後もRiyou HOSOKAWA(理容ほそかわ)をよろしくお願いいたします
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本日のPM5:00~、16日(土)は臨時休業、17日(日)、18日(月)は定休日をいただきます・・・

2016-04-15 10:21:34 | 店舗営業関係
4月15日(金)PM5:00~、16日(土)は、母方の祖母が亡くなったため、臨時休業をさせていただきます・・・

それは、昨日の夜、突然のことでした・・
20時過ぎにもう、さすがに危ないということで、母だけバタバタと用意をしていきました・・・

そして、熊本大地震でテレビは持ちきりになっていた22時半ごろ、ついに、ばあちゃんは天国に旅立ちました・・・
享年97歳・・・

今年、はじめに大たい骨を骨折し、急激に弱って寝たきりになったものの、点滴と酸素マスクだけの生活になってからでも1か月余り・・・

本当に頑張ってくれました・・・
ばあちゃんは東京出身、関東大震災の生き残り、僕は大学時代に熊本で過ごしたというのも変な因果関係でしょうか・・・

僕は5歳くらいから、夏休みや冬休みに弟とともに、店が忙しい関係で、いなかへ行っていたので、
そして、初めての男の孫ということで、かわいがってもらいました・・・

ばあちゃんとの思い出は、僕の胸の中におさめるとして・・


一度は完全に心臓も止まったのに、何度も危ないと言われながら生還し、何回も行ったけど、そのたびに安定し、本当にみんなが驚くばかりの生命力の強いばあちゃんでした
国東半島の国定公園の山の中に田舎はあります・・・
そこで、じいちゃんとともに、百姓をして、男三人、女三人の計6人の子供たちを育て上げました・・・
それも、みんな3歳違い・・・母ちゃんは3番目の長女・・

じいちゃんが不慮の事故で亡くなった後も、田舎で90歳過ぎまで生活し、その後、運よく田舎の施設に入ることができてから、中津の施設に移動するまで、ずっと全く医者のお世話にならず、腰は90°以上曲がって、身長は1mくらい?というほどでしたが、元気なばあちゃんでした・・・

僕は実家に帰ってから1か月~2か月に一回、田舎から施設までずっと、訪問していましたが、そのたびにとても喜んでくれました・・


ただ、一つ心残りだったのが、行ったたびに「お嫁さんはまだか~~~~~」って・・・「ばあちゃん・・今ならまだ式に出席できるから・・」って・・・何度も・・何度も・・・

結婚できなかったこと、自分の孫を見せてやれなかったこと・・・

ばあちゃん・・ごめんね~~~~

本当は3月27日に心臓が止まったから、逝きたかったのだろうけど、おばちゃんの心臓マッサージで戻って来たねぇ~~~~
そしたら、僕が3月28日に肺炎で入院・・・
待っててくれたんだろうねぇ~~~~


僕が退院してからも、咳が出ていて、ばあちゃんに会いに行くことを禁止されていたので、実質、最後に会ったのは3月21日・・
施設に入っていたので、咳をする人は入れてもらえないという事情も、そのときに施設内では季節外れのインフルエンザの大流行という事情もあったから・・


でも、二人だけの秘密・・
4月11日に3分ほどの訪問だったけど、誰もいないことを見越して会いに行ったね・・・
それが、最後になるなんて思わなかったけど・・・
眼が乾燥するからガーゼを目にしていたけど、意識のない中・・僕に何か言うように、荒い息をその時だけしていたね・・・
わかったよ・・・

いま、思えば、それがお別れだったのかな

日曜日には行けると思ったけど・・・約束していたけど・・・・


くしくも、じいちゃんと同じ月命日になったね・・・
きっと、じいちゃんとおいちゃんたちが迎えに来たのだろうねぇ・・・・
じいちゃんが亡くなった時、とても7回忌まで生きていないと言っていたけれど、17回忌が終わっても元気だったねぇ~~

ばあちゃん・・・苦しくなかったかい・・逝くときはスッと逝ったと聞いたけど・・・・
今は中津の施設だったから毎日のようにおばちゃんたちも来てくれて、寂しくなかったから大丈夫だったよねぇ~~~

本当に、今までありがとう

母も今日は一睡もしていないようです・・・
お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、月曜日まで三日間以上、臨時休業並びに定休日をいただきます・・・・
よろしくお願いいたします




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