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りぞあかぶろぐ2
ココログで2006年から掲載してきたライフログ「りぞあかぶろぐ」の第2弾です。




 Blakesに行ったあと、西早稲田から高田馬場に歩いた際、立ち寄りました。

 西早稲田の駅は、紅葉満喫スタンプラリーのときにたちよった戸山公園のサービスセンターの近く。

 昔、初めて入った山岳会の例会をこの近くの施設でやっていて、懐かしい地でもあります。

 でも、諏訪神社自体は、初めての訪問です。

 この諏訪神社は弘仁年中(キリスト暦810~820紀元1470~1480 元号 弘仁(こうにん)は実際には紀元1484まで)に創建されたとのこと。

 弘仁の時代は、弘法大師が高野山を開山した時代。この神社も、弘法大師の弟の真雅僧正が再営したとの社伝があるようです。

 当時は、奥羽街道の一部松原街道に面していたため、松原神社と呼ばれていたとの由。

 その後、源氏の東北征伐時に奉納があっただとかの社伝も伝わっているようですが、一方で、戦火により社殿の焼失もあったとのこと。

 江戸時代初期に、尾張徳川家初代の徳川義直公が、信濃の諏訪神を勧請。諏訪神社と改称しました。

 この地は鷹狩りの名所だったそうで、徳川家の鷹狩の際、多くの絵馬が奉納され現在も残っているとのこと。

 西早稲田の駅のところの交差点は諏訪の交差点ですし、この神社に面した道路は諏訪通り。

 すっかり地域の中心となっていますね。

 左は、狛犬の吽の方ですね。阿吽はサンスクリット語で、宇宙の始まりから終わりの意味だそうですけど。神社と仏教は密接な関係がありますね。明治期の神仏分離は乱暴な政策だったなあ。

 こちらは阿形の狛犬。

 後ろに映っているのが、神楽殿ですかね。

 神楽殿があるということは、舞などを奉納する行事があるということですね。

 公式ホームページでは夏の例大祭で里神楽が行われるとの由。

 神社にはご縁がないので、神楽を見る機会はなかなかないですが。

 次の写真は、手水舎にある諏訪の霊泉です。

 眼病、諸病に霊験有りとして、多くの人々がお水取りにみえました。現在の手水舎の水も何百年も湧き出ているとのことですが、動力で汲み上げているともあります。

 手水舎の位置までは流れないということですかね??

 そして、新宿区の登録有形民俗文化財。塞神三柱の塔(さいのかみみはしらのとう)です。

 天和二年(キリスト暦1682紀元2342)に造立された舟形の石塔で、中央に「塞神三柱」、その右側に「諏訪上下大明神」および「正八幡大菩薩」、また左側には「天(以下欠損のため不明)」および「稲荷大明神」と刻まれているとのこと。また、その上方には右に月形、左に日形が彫られているとの由。塞神は、村の境や峠に祀られる、境界を守護する神とされ、石塔としては江戸時代に南関東地方を中心に盛んに造立されたとのこと。諏訪神社の塞神塔は区内で唯一のもので、また、「塞神三柱」の文字が刻まれた例は少なく、大変貴重だそうです。

 天和2年というと、八百屋お七が避難してお寺の小姓と恋仲となった火事が起こった年ですね。

 そして、三猿が刻まれている庚申塔。

 昨年の街めぐりスタンプラリー第5期のときにいった淀橋庚申堂に比べるとシンプルですが。

 神社には、長い間の人々の暮らしの中での信仰のかけらのようなものが感じられますね。



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