

見出し画像のとおり、「まつちやましょうでん」と読むのですね。
浅草寺の支院で本龍院ともいうそうです。
このお寺のあるあたりは、10mほどの丘なのですが、推古天皇3年(キリスト暦595紀元1255仏暦1139)一夜のうちに涌現した霊山で、その時、金龍が舞い降り山を廻り守護したとの伝説があるようです。
推古天皇9年(キリスト暦601紀元1261仏暦1145)の夏に、干ばつのため人びとが苦しみあえいでいたときに、十一面観音の化身である大聖歓喜天が姿を現して人びとを救済し、聖天さまとして祀られたのが草創というのですが…。
このころは、日本の仏教受容の時期。推古天皇2年には、三宝興隆の詔が出され各氏族に造寺が要求されたそうですので、その影響もあるのかもしれません。

ちなみに浅草寺の本尊が見つけられたのが、推古天皇36年(キリスト暦628紀元1288仏暦1172)3月18日。
支院である待乳山聖天の方が古いということになりますね。
左の写真は、神楽殿でしょうか。
ちなみに浅草寺のご本尊が示現された際、一夜にして辺りに千株ほどの松が生じ、3日を過ぎると天から金の鱗をもつ龍が松林の中にくだったとのこと。
どうも、このあたりは、金龍にご縁があるようですね。
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