さて、待乳山聖天ですが、真土とも書くといわれているそうです。
このあたりは泥海だったのが、ここだけが真の土だったということなんですが、ちなみにこの本龍院境内。地理院地図でも山と扱われていて、標高9.7mと表示されています。なんでも東京で一番低い山らしいのですが。
境内に入ると阿吽の狛犬が迎えてくれます。
そして銅造宝篋印塔(どうぞうほうきょういんとう)です。台東区の指定文化財。
全国でも類例が少ない銅製のものとのことですが、本院である浅草寺にもあるようです。
ここのものは、網がかかっているようなところが変わっていますね。
銘文は本塔基礎西面に天明改元辛丑歳/五月大吉祥日/待乳山/本龍院現住/恵晃代/御鋳物師/西村和泉守作とあり、東面には16名の奉納者名が刻まれており、蔵前の札差等によって奉納されたとのことです。
天明元年(仏暦2325紀元2441キリスト暦1781)ですか。天明というと、天明の大飢饉。田沼時代の末期ですね。
大飢饉は天明2年からですので、大災害の予兆があったのでしょうか。
天明元年の2年前の安政年間には桜島が噴火したりしたようですけど、江戸と薩摩は遠いですので、そんな雰囲気はなかったかな。
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