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ドエライびっくりたまげぇのニュースが舞い込んできました。
超大物歌手、和田アキ子さんの守護霊霊言が、幸福の科学で収録されたのです。
インタビュアーは、これまたなんと、千眼美子さん。
千眼美子と言えば、女優清水富美加さんの法名です。
幸福の科学では、これまで度々公開霊言を行っていますが、千限さんがインタビュアーをするのは初めてです。
バツグンのトークセンスを持つ千限さんです。
これから芸能関係者の守護霊霊言のインタビューは、彼女が担うことになるのかな?
だとすれば、「徹子の部屋」ならぬ、「美子の部屋」ですね。(大笑)
彼女(千限美子=清水富美加)さんがやれば、面白いに決まっていますので、楽しみがまた増えました。
和田アキ子さんが守護霊霊言対象になったのは、恐らくTBS系の日曜お昼の人気番組『アッコにおまかせ』で、清水富美加出家騒動から、一貫して清水富美加さん報道に対して、客観的かつ、擁護的とも思える放送をしてきたことと、2週に渡り、千眼美子芸能復帰の放送枠を取っていたことで、「どういうことなんだろう」と言うことだろうと思うんです。
私は個人的に、和田アキ子さんを歌手として尊敬しているし、『アッコにおまかせ』でも、宗教問題に関しては、「寛容」と「客観性」いうことと、「個人の信教の自由性」というで一貫していると思います。
番組の方針そのものに、和田アキ子さんの人生観は、そうとうの影響力を持っているはずなので、和田アキ子さんには、そういう方面でも一定の信頼感を抱いておりました。
ですから、今回の守護霊霊言を大変興味深く思っています。
守護霊とは、各人に5人いると言われている魂の兄弟の一人で、地上に生きている人に、最も影響力の強い霊で、その方の前世です。
言わば守護霊とは、潜在意識とも無意識であり本音でありましょう。
ですので守護霊霊言は、今地上に生きている方に、とてもよく似た個性を持っています。これが1~2時間、インタビューに答える形で、大川隆法総裁に宿ってお話なさるのが常です。
大川隆法総裁、トランス状態でもなく、声もモノマネとかではありませんが、話し方とか、まるで本人?と思える話になるのです。
木村拓哉守護霊霊言だと、
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本当は、ハングリーで、そういうことについて悩むような人のほうが、芸は磨かれていって、うまくなるんだけど、「意外に、歌手でも食っていけるし、バラエティー番組でも生きていけなくもないしねえ」なんて思ってるからさあ。その“開き直り”が、一種の「強さ」になってる。
映画とか、ドラマとかをつくる人は、いちおう、要求してくるよ。彼らには、「演技として、ここまでいかなきゃNGだから、OKやGOは出さない」っていうのがあるけど、俺だったら、何て言うの? バラエティー番組でも、歌手でも生きていけるので、気に食わなければ、(顔を右に振って)プリッとして、「もう、やめちゃった。ほかの人に頼んでよー」と言って、帰っていきそうな感じがするから、そこまで要求できないでいる。
そういうところで妥協させるのが、俺の技なんだけど、そうだと分かっていながら、俺の技を破れないところが、制作側が主導権を握れないわけなんだよなあ。
しかも、そういうふうに、無茶をするところが、また、主役級に見えるところなんだよ。
だから、あんまり、まねはしないほうがいいよ。
『俳優・木村拓哉の守護霊トーク 「俺が時代を創る理由」』幸福の科学出版P134~136
と、こんな感じで2時間程続きます。これらは、「ホントのことだよ。」ということでやり続けているわけです。
プーチンだ、トランプだ、金正恩だと言っても、そしてたとえ、これが彼らの本音だと言われても、本人のキャラクターを知らない限りでは、証明する術はないわけですが、秋元康さんや木村拓哉さん、今度の和田アキ子さんなどだったら、日本人で知らない人はいないので、偽物だと公開したり書籍化などできません。
そして、やろうと思えば、霊言収録翌日出版もやれるのが幸福の科学出版ですので、恐らくは、今週日曜日の『アッコにおまかせ』の放送までに、緊急出版にこぎつけるのではないかとも。
おそらく、千限さんがインタビューしておりますし、やるんじゃぁないかと。
ということで、まだ霊言拝聴できていないんだけど、次の『アッコにおまかせ』の録画予約しました。(爆笑)
とううことで本日は、経典『宗教立国の精神』より、大川隆法総裁が目指すべきものをご紹介いたします。
(ばく)
あの鐘を鳴らすのはあなた / 和田アキ子
映画「君のまなざし」 劇場予告編
私には夢があります。
(中略)
私の夢は、一言で言うならば、「宗教を信ずる者が尊敬されるような日本にしたい」ということです。
今の日本は、宗教を信ずる者が尊敬されるような状況にはなっていません。
しかし、宗教の本来の使命から考えれば、宗教を信ずる者たちは、この世で人間として生きていながら、神、仏に近づいていこうと努力・精進し、日々、自らを磨いている人たちであり、社会的尊敬を受けて当然の人たちなのです。
そういう人たちが、戦後六十数年、あるいは、明治期からであれば百数十年間の歴史において、どちらかといえば、低く見られ、蔑まれ、あるときには、差別され、迫害を受けたことが数多くあります。
まことに、まことに、残念で残念でなりません。
“この世のみに生きている人”にとっては、肉眼では見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり、姿を見ることができない天使を信じたり、神や仏の存在を信じたりすることが、おそらくは、とてもこの世離れした夢幻の世界、昔のおとぎ話の世界のように見えもし、聞こえもするのでしょう。
しかし、真なる信仰を持って、自ら教学をし、努力、研鑽している者にとっては、あるとき、そうしたものの一部に触れる瞬間があります。
あるとき、天使を見る人もいます。あるとき、亡くなった祖父母と出会う人もいます。
あるとき、自らの守護霊といわれるものからインスピレーションを明確に受け取ることもあります。
確かに、目に見えない世界はあるのです。
したがって、私は、「『見えないものが見える』と言う人は異常であり、『見えないものは見えない』と言っている人のほうが正常である」という現在の価値観を、何とかして変えたいと考えています。
これが私の希望の一つです。
正しい信仰に目覚め、実践している人々が、この世において、見下されたり、つまらない人間であるかのように扱われたりすることに対し、これ以上、黙っていることは決してできないのです。
その意味において、宗教を信ずる者が、この世においても発展・繁栄する姿を見せ、人類の希望となることが大事であると思います。
また、「宗教が尊敬される国にする」ということを、別の言葉で言えば、「信教の自由が、人間の基本的人権として人々に受け入れられ、この地上において、この国において、本当に根づく」ということでもあります。
本当の意味における「信教の自由」を、この世において確立したいと考えているのです。
「宗教を信ずる者が差別されることのない世の中にしたい。宗教を信じる者が尊敬される世の中にしたい」、そういう思いを原点として持っています。
『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)P74~77