幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
日々の活動や、イベントのお知らせをいたします。

『純粋な心』『青春の方法』 『眠ってはいけない』

2017-06-21 15:31:02 | オープニングメッセージ

  お陰様でベスト10入りできました。これからも応援クリックお願いします!

幸福の科学月刊誌オープニングメッセージ集「伝道宣言」より

『純粋な心』

純粋な心は、澱みを嫌う。

世俗的な欲望で凝り固まった、人々の群れが発する、

よこしまなエネルギーを嫌う。

聖なる人々は、精神的公害を嫌う。

「貪(とん)」

「瞋(じん)」

「癡(ち)」

「慢(まん)」

「疑(ぎ)」

「悪見(あっけん)」

の六大煩悩の罪を知り、

日本から、

世界から、

それを洗い流そうとする。

純粋な心が、清流となり、大河となって、

地球を清めてゆくのだ。

※貪(とん)とは貪りの心、瞋(じん)とは怒りの心、癡(ち)は愚かな心。「心の三毒」

 慢(まん)は慢心、疑(ぎ)は神仏を疑う心、悪見(あっけん)とは、間違った見解。

 仏教では、「心の三毒」を含め、「六大煩悩」と言いいます。(ばく)

https://the-liberty.com/article.php?item_id=8317

『青春の方法』

未来への自信は、まだないであろう。

過去と訣別するには、

春はまだ浅すぎる。

しかし、

無明の薄暗がりの中で、

手探りをしているのは、あなた独りではない。

恥ずかしくて消えてしまいたい日も、

悔しくて、涙が止まらない日もあるであろう。

挫折の中、

砂の如き時間を、噛み締め、

耐え続けることもあるであろう。

しかし、

それが青春。

それも青春。

未来の大鷲にも、

飛べない雛の時代はあるのだ。



『眠ってはいけない』


若者たちよ、

居眠りをしてはいないか。


世の不正や虚偽に対して、

目をつぶりすぎてはいないか。


もっと勇気を出せ。


正しいものを正しいと、

言い切れるだけの強さを持て。


邪悪なるものを、邪悪なるものをものであると、

断言できるだけの自信を持て。


仏弟子には、

智慧と、

勇気と、

愛が必要だ。


断じて、

眠ってはいけない!

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします! 

人はなぜ愛するのか ―大川隆法総裁 心の指針151―

Happy Science Academy Cheer Dance 2016 World Champions, performance.

★佐川町「桜座」高岡郡佐川町甲346番地1

※今後の高知県下、外部会場での映画上映情報です。現在6ケ所で開催予定です。近隣の方をぜひおさそい下さいませ。

★佐川町「桜座」6月24日(土)
①10:00
②13:00
③15:30
④19:00

★黒潮町あかつき館 6月25日(日)と7月2日(日)
①10:00
②13:00
③15:00

★四万十志和生活改善センター 6月25日(日)
①13:00
②15:00
③17:00
④19:00

★四万十昭和基幹集落センター 6月25日(日)
(予定です)
①10:00
②13:00
③15:00

★香南市 黒潮ホテル 7月2日(日)
①10:30
②12:40
③14:50 

★四万十興津多目的集会所 7月2日(日)
①10:00
②13:00
③15:00
④17:00
⑤19:00

 


大川隆法総裁の遺言。(オープニングメッセージ裏話・更新)

2017-06-21 01:26:35 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

   お陰様でベスト10入りできました。これからも応援クリックお願いします!

今年発足から31年を迎える幸福の科学。

その歴史は、ひとえに、大川隆法総裁という御仁の、卓越した思想、そして指導力や経営力の歴史であります。

また、大川隆法総裁という方の、人柄そのものが幸福の科学の歴史です。

幸福の科学の歴史から抽出される大川総裁のお人柄は、”全く私心がない”ということです。

それだけは間違いのないことです。

たとえば、私心にまみれた私ならば、判断に迷う岐路において、大川隆法総裁のような決断はできないです。(笑)

宗教界ではまず教祖殿を作り、それを総本山とするというのがセオリーですが、大川隆法総裁は、まず、信者職員の研修施設を建てて、それを総本山化しました。

その間御自身は、賃貸マンション生活だったのです。

総本山研修施設は栃木県内にたくさん造られ、今思えばそれは、世紀末の惨事から、首都東京を守る結界の意味があったとしか考えられません。

なぜならば、栃木県は東京の東北部(鬼門)にあり、大川隆法総裁は、宇都宮在住までして、首都を護ったと推測します。

晴れて1999年夏、大川隆法総裁が、頑なに拒んでいた教祖殿が、東京に大悟館として建立され、総裁は初めて、ご自身の自前の居に入られました。

これも今思えばですが、1999年の夏という、人類の悪想念がピークに東京入りですから、また自らご自身を、東京の結界の一部になさったのやも知れません。

いやきっとそうでしょう。

大川隆法総裁は、そういう御仁なのです。

以前の記事で書いた、繁栄の法大献本の折には、大川総裁は東京住まいだったのですね。

大悟舘と同年、1999年建立、聖地四国正心館礼拝堂 http://shoja.jp/shikoku/

念願の教祖殿入りした大川隆法総裁ご一家。

これで教祖様ご自身に、よい環境が与えられたのですから、「もっとお働きになっていただける」と、私は簡単に考えておりました。

しかし、世紀が明けてからの総裁は、今から思えば、何か元気なかったように見えました。

講演会も、大会場を使ってのものは少なくなり、正心館や総合本部ビルを使っての、ビデオ公演のような形での開催が増えました。

そして大川隆法総裁のお声も、今から思えば、絞り出すような感じでした。

前世紀のような、はつらつとした若々しさが薄らいだのです。

「大川隆法総裁が、お老けになった。」

当時の大川総裁は、40台半ばだったと思いますが、私はそう感じておりました。

今から思えば前世紀末に、大川隆法総裁は、相当のエネルギーを消耗なさったのだと思います。

大川隆法総裁は、命を削っていたと思うのです。

そして2004年、大川隆法総裁は、心臓麻痺で倒れました。

それまでの激務が祟ったのです。

大川隆法総裁の心臓は、完全には、動いていませんでした。

心室細動といって、痙攣のように動いてはいるけれども、血液を全身に送るポンプ機能がないので、現実的には心停止状態だったのです。

しかし、総裁はその医学的には、完全に亡くなっている状況にもかかわらず、生きているのです。(笑)

これは、医学界の奇跡でした。

この、「心臓が止まっているにもかかわらず、元気に生きている人。」という演目で、大川隆法総裁は、世界に医学論文に発表されています。(笑)

いや、現に今でも、大川隆法総裁の心臓は、動いていないかもしれません。(笑)

後日その件について、大川隆法総裁、至極あっさりと曰く。

「医者が何と言おうと、使命のある者は、死なないんですよ。」

「あーはははははははは。」

大川隆法総裁が、心不全で集中治療室で治療を受けていた時の、エピソードが伝わっております。

倒れた次の日総裁は、すでに食事が取れるほどに回復なさっていました。(心臓が止まっているにもかかわらず。)

「ああ、美味しかった。」と合唱し、食事を終えた総裁は、おもむろに筆記用具を取り出し、次々と執筆活動を始めたのです。

それが、今幸福の科学の月刊誌の冒頭に載っている、オープニングメッセージなのですね。

そして総裁は、以前のご著書「太陽の法」で書いてある、ご自身が亡くなると予言された期日までの、月刊誌オープニングメッセージを、すべてこの危篤状態のときに書き上げたのです。

そのお心は、もう推測する以外にないのですが、総裁はこのときに、ご自分の死を覚悟なさったのではないでしょうか?

「万一今、自分が亡くなっても、人類が路頭に迷わないように、せめてオープニングメッセージだけは残しておきたい。」

そういったお心で、危篤状態でオープニングメッセージを、書き残されたのではないでしょうか?

つまり、毎月私たちが触れることができる、月刊誌、「月刊幸福の科学」のオープニングメッセージは、大川隆法総裁からの、人類への遺言なのです。

毎月この月刊誌の到着を、心から楽しみにしていらっしゃる80代のご婦人が、私が担当している地区にいらっしゃいます。その方曰く。

「この月刊誌の、最初のお言葉(オープニングメッセージ)が大好きなのよ。」

「大川先生はお若いのに、先生のお言葉は、死んで行くだけの私たちより深いものがある。」

「私は、この最初のお言葉を読むと、何も怖くなくなるのよ。」

「私は、大川隆法先生の大ファンよ。」

 

そう言ってそのご婦人は、入会してしてくださいました。

命を削り、私財を投入にてまで、破滅を回避した大川隆法総裁。

そして死の間際においても、「せめて人類に遺言を。」と思えるこの御仁。

このお方が、仏陀・救世主でなくてなんなのでしょうか。

いや、もうそういう表現だけでは、浅薄な言葉にしかならないと私は思うのです。

                (ばく)

  ランキングに参加中。クリック応援お願いします!   

 

仏の心 ―大川隆法総裁 心の指針124―

隠された力 ―大川隆法総裁 心の指針116―

『無限のパワー』

さあ、信じるがよい。
人間のパワーが無限であることを。

無限であることを信ずるがゆえに、
無限のパワーが出てくるということを。

自分でそれを有限と信じてどうなる。
それで、幸福になった人が一人でもいるか。

しかし、わたしは言おう。

無限のパワーを信じてこそ、
無限のエネルギーを放出させうるのだ。

無限に大きな仕事をした方など、歴史には数限りなくいる。

死してなお、その名が、その言葉が、その思想が、
仕事をしつづけているのだ。

我が言葉を信じよ。
あなたの力は無限である。

あなたは無限界人間となれるのだ。

仏の子に限界などないのだ。

「無我なる愛」(オープニング・メッセージ第二集)

Come what may - たとえ何があろうとも -


ランキングに参加中。