幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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祖母の教え 「入道雲と神仏への心」(再掲)

2017-09-07 23:28:51 | ばくちゃんの独り言

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※ご好評いただいている過去記事です。

さて、今日の高知は、夕暮れに激しい夕立ちがありました。。

しかし日陰も長くなり、暑かった今年の夏も、終わりを告げようとしているのを感じます。

夏になると思い出すのは、祖母から人としての、大切な精神を教えていただいたことです。

私事であり、幸福の科学には直接関係しないかも知れませんが、生涯反省を含めて、つづらせていただきたく存じます。

思えば私は、とても信心深い家庭に育ちました。
今では、そのことにとても感謝しております。

しかし幼少年期の私は、神仏への信仰に対しては、どこか冷めているというか、一定の距離を取っていたと思います。

神仏を信じていなかったわけではないのですが、「努力以上に幸せになろうとするのは、欲が深いのではないか?」という思いがあったと、今になって思えます。

ですから子供心に、すぐ神仏に頼ろうとするこの家族を、「もっと、人間としてやることがあるんじゃないか。」と、当時は思っていた節があります。

そんな冷めた私でしたが、今は亡き母方の祖母だけには、まったく頭が上がりませんでした。

祖母は子どもの頃から体が弱く、ろくに学校にも行っていない方でしたが、頭が良く口がたち、そして、ちょっとした痛みなどは、祖母がマジナイを唱えると、チョッチョっと治してしまうような、そんな不思議な力も持っていました。

このマジナイは、真言宗のマントラだと、生前に祖母は言っておりました。



そんな祖母と、高校時代の夏の午後に、私は神仏について話をしたことがあります。

私は祖母に、

「先祖供養が大事だと、おばあちゃんたちはすぐに言うけど、自分のことは、自分でやらないといけないじゃないかな。」
「人としてやれる努力があると、僕は思うけどな。」

と、問いかけました。

「ふ~。」

と、ため息をつき、祖母は私に問いかけました。

「お前には、大切なことが理解できていないようじゃ。」
「あの入道雲を見なさい。」

そう言って祖母は、夏の空を指差しました。

「夏の入道雲は、どんどんどんどん天に昇り、とても勢いがあるように見える。」
「じゃがな、昇りつめた入道雲は、いずれ自分の重さで、雨になって落ちていくんじゃよ。」

「覚えておきなさい。」

「所詮、人間は弱い。」
「神仏を否定したり、信仰を笑う・・・ということは、あの入道雲のようになるんじゃよ。」

すると、晴れていた空はにわかに曇り、ドシャブリの夕立が始まりました。



祖母は、

「なあ。バァの言うた通りじゃろ。」

と、ニコっと、微笑みました。
そして、祖母はこう話を続けました。

「お前の言っていることは、一見正論に聞こえる。」
「じゃが、それはな・・・、神仏と、競うことになるんじゃよ。」
「神仏と競うものは、やがて自分の重さで堕ちて行く。」

「覚えておきなさい・・・。」

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この世的な評価とは別に、その人が宗教的な素養を持っていること、「仏や神の目、仏や神の考えというものを意識しながら育ち、大人として生き、子育てをしている」ということは、とても重要なことです。

この世では、宗教的なものの有無にかかわりなく、この世的な価値観で平面的に色分けをされているだけですが、真実の目で見たならば、その違いには大きなものがあります。

たとえば、学校の場合、この世的な値打ちは同じようなレベルであっても、宗教的な真理が入っている学校と、そうでない学校との違いは大きいと言えるでしょう。(中略)

「魂の自己鍛錬、魂の自己訓練としての教育は、いったい、どうあるべきか。何を基にすべきか」ということを考えなければなりません。

根本的には、まず、「信仰は尊いものである」ということを知ることが大事です。

いまの日本において特に問題なのは、信仰を嘲笑う風潮がまだ根強いことです。

信仰を持っている人を軽蔑したり、ばかにしたり、劣った者であるかのように言ったりする風潮がありますが、これは悪しき風潮です。

人々に信仰がなくて、いちばん喜ぶのは誰であるかといえば、それは悪魔です。

「信仰がない」ということは、「仏や神を否定する」ということであり、「この世は仏や神の支配する世界ではない」と言っていることと同じなのです。

「信仰を持っている人は、おかしい」と言って、嘲笑うような無信仰者が多数になるならば、「この世に仏や神の力は及ばない。この世は闇の世界である。空に太陽が出ていても、屋根をつくれば日は射さない」と宣言していることと同じです。

信仰の否定は、「この世を、悪魔の支配に委ね、悪魔の世界とする」ということになるのです。それを知らなければいけません。

したがって、「真実の信仰を持つことは、人間として高貴なことであり、魂として尊いことであるのだ」と知ることが大事ですし、そういう人を数多くつくらなければいけません。

信仰が、ばかにされ、踏みにじられる世の中は、悪魔の支配する世の中です。

まず、信仰心の大切さを理解し、それを訴え、「信仰は尊いものである」ということを多くの人に知ってもらうことが大事です。
『生命の法(いのちのほう)』(幸福の科学出版)P182~184


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