93歳の実父は、
招集令状をもらい、
戦地に赴いたこともある。
最近のつぶやきは、
こうである
「我が人生に悔いなし」
米寿を
迎えた頃から、
思い出すのは、
戦友のことが多い。
友を想って、
日本各地を
子や孫を連れなって
歩いた。
ゆっくりしか歩けないのだが、、、
私が案内したのは、
九州鹿児島の鹿屋航空基地
新幹線で鹿児島まで
そこから、
レンタカーで、
桜島の噴火を見ながら、
大隅半島へ
( その前年には、
孫と知覧に行っていたのだ )
幼なじみが、
ここから
旅立ったのだと、、、、
友の遺品を見たいと
思っていたが、
今の時代のこと、、、
本人・家族の了承がないと
閲覧できないとの事だった
若くして亡くなったが、
戦後70年も経っていたら、
親、兄弟はいないことが多いはず
事情を話して、
友の確認だけは、
してもらったようだ。
そこで見たのは
たくさんの
零戦機
ちょうど、
「 風立ちぬ 」の映画を観て
たくさんの
若い男の子が、
零戦機の説明を
受けていた
若くして
戦争で命を落とした友
が多い中
戦地に向かう船上で、
終戦を迎えたと、
悔しがって?
いた、、、
身体を1番動かしたかった青年期
GHQに禁止されていた、
剣道ができなかったのも
とても残念がっていた
まだ孫たちと、
行きたい所は
あるようだが
今回ばかりは、
「 大変高齢でリスクは
計り知れない 」
と、ドクター 👨⚕️
2月の手術も心停止
したのだから無理もない 😰
友の分も生き抜いたと
悔いはないようだ