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短編:想いのメモリ<14>遊びビジネスとザリガニ釣り

2020-07-02 13:04:02 | 短編小説:想いのメモリシリーズ

短編:想いのメモリ<14>遊びビジネスとザリガニ釣り

家の前には小野川があり、そして家から歩いて30分の場所には、小さな釣堀屋があった。
お金が貰えると釣堀屋に良く行って、釣りを楽しんだのを覚えている。

小野川には蛙(かえる)やタナゴ、ヤゴ、タガメ、鯉、フナ、ザリガニ、時にはライギョ、利根川ではウナギの稚魚、セキソン山の基地の周辺には昆虫がたくさんいた。
今では、蛙やタナゴ、ヤゴ、タガメ、鯉、フナ、ザリガニは、もう見かけなくなった。
たぶんきっと農薬のせいだろうね。
子供ながらも大人の人間はひどいと思った。
それから、子供の頃は田んぼがあって、良く友達と農道を歩きながら黄緑色に輝いて飛んでいた蛍もいたけど、住宅街になってしまって蛍を見る事も出来なくなったしね。

話は変わるけど、あるビジネスがあった。
当時はビジネス感覚ではなく金(おかね)が貰えるよというある叔父さんからの情報によって、ただ遊び感覚ではじめてた。

セキソン山の基地の周辺にいる昆虫を捕まえたり、ウナギの稚魚を網で獲ったりしたら、カブトムシやクワガタやウナギの稚魚やザリガニは叔父さんが買ってくれた。
結構当時では高額だと思う。
カブトムシは、オス五十円メス三十円で大きさや色合いによってはオス百円メス八十円、クワガタは種類が違っても八十円で大きさによっては百円、ウナギの稚魚は叔父さんに渡された直径20センチ程の小さなバケツで1ケース千円だったと、ザリガニは10匹で30円だったと、しっかりと覚えてる。
当時は両親から一日のボクの貰える小遣いは五十円~百円、友達も五十円~百円くらいだったと思う。

カブトムシとクワガタは、山の中では、わな(トラップ)を作ったり、木の穴の中や木々には流れるように、ハチミツとリンゴジュースを混ぜて塗ったり、白い網を張ってリンゴを小さく切って網に取り付けて、たくさんの場所に仕掛けていた。
ウナギの稚魚は、膝くらいの川の水面で芽の小さい網を張って、仲間達と見に行って稚魚が入っていたら、昆虫を取る網でバケツに入れてた。
このやり方は、叔父さんが教えてくれた事でした。

だいたい一日には、千円から始まって、時には、三千円の収入はラッキーだった。
ウナギの稚魚は小さなバケツで1ケース千円、2ケースなら二千円だったからね。

これは、親には知られないように、仲間同士の秘密であった。
三人でこの遊びをしていたので、欲しいものが自分で買うことができた。
ボクらは遊びであったが教えてくれた叔父さんには、ビジネスでいいように使われたんだろうね。
でも、きちんとお金はくれた。
三年生から六年生の間の春から夏までの遊びのビジネスは、三年間で終わった。

また話は変わるけど、良く食べたもの。
この頃のボクは、母が注文して養殖のザリガニを買ってきて、自宅でザリガニをよく食べた。
それから、田んぼが多くある実家の近くの綺麗な山水の流れる川では、真っ赤で大きな天然のアメリカザリガニや天然の日本ザリガニを釣って食べた事もある。

今では、天然のアメリカザリガニは、高級料理店で扱っている様だった。
今では、ほとんどザリガニは採ることはできない、話では天然ザリガニは時期的に一部の場所でしか採れないらしい。
天然のアメリカザリガニや日本ザリガニを鉄格子のワナを川の中にたくさん入れて、取っていた叔父さんから聞いた話で高く売れると言っていた。

養殖してるとこもあったが天然の方が美味しかったし、今では養殖屋さんは無くなってしまった。
ラー油としょうゆ漬けで食べると最高だった。
素手で食べると、手がかゆくなったな。
昔は、あれほどいた生物は現在ほとんどいなくなった。
ちょっと寂しいなと思う。


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短編:想いのメモリ<13>町内対抗ソフトボール大会

2020-06-19 11:01:47 | 短編小説:想いのメモリシリーズ


短編:想いのメモリ<13>町内対抗ソフトボール大会

今は分からないけど、こどもの為か、地域活性化の為か、小学校時代には、こども会というものがあった。
ソフトボール大会に参加をしなきゃいけなかったっけかな?良く分からない。

僕の地域では保育園や幼稚園があり、市内では町内という区画があり、各町内で多くの友達がいた。
各町内ではソフトボールチームがあり、友達のみんなが入団したから多分僕も町内のソフトボールチームに入団したと思うが当時の状況では曖昧。
ボクは遊び感覚で練習をしてたが監督やコーチからの指示を受けて基礎から学ぶ練習をするようになり、もう遊び感覚は無くなりチーム内でもライバル心めらめら。

ボクの記憶は曖昧かもしれないが記憶にあるのは一つは、バッターでは四打数四安打、守備はセンターを守り駆け抜ける瞬発力で、相手選手のホームランをアウトして防いだ時の感動は忘れてはいない。
このとき、僕の町内の町内対抗ソフトボール大会ではメダルをもらえた。
何色を貰ったかははっきりと覚えていないが、何回もメダルを貰ってたから結構強いチームだったと思う。

監督がサインを出すのだが下手くそ伝わらなくて面白かったが、いやボクたちが監督の話し聞いてなかったのだと思う。
バントのサインで、そのまんまで、相手にも知られてるような感じだったので監督無視してた時もあった。
いつも練習の時には、補欠含めメンバーで色々な事を決めてたな。
しかし、これが監督やコーチの目的みたいで、子供達がワンチームとして団結する様に接していたのかもしれない。

監督の指示でやコーチからのバントのサインがあったけど、相手のチームにはバレバレだったので、ボクはサインを無視してフルスイングしたらラッキーでレフトオーバーにホームランを打った。
みんなで喜んでたら監督が来て頭を撫でてくれて「良くやった、これで良いんだ」って言われた。
コーチとか仲間のチームメイト達は、監督を見ながら笑ってたけどね。

チームメイトの自己判断で、ボクらは練習をする様になっていて団結力だけは、どこの町内にも負けないくらいあったと思う。
これって今思えば、ボクらの町内でが教育の方針で一環なのか?と思う。

試合中に、監督やコーチが厳しくサインで指示を出し、サイン通りに上手くいかなかったら可愛そうに子供の頬に軽くビンタするチームもあったしな。
でも、ビンタされても、すみませんと謝る姿を見て、凄いなと思ったりもした。
教育の一環なのか?町内によって教育の方針が変わるのかなとも思った。
でも、今思えば、あの同級生で幼なじみは、かわいそうに思う事もあった。

同じ町内じゃなくて良かったと思う!これはボクの本音です。


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短編:想いのメモリ<12>あー食べられちゃったよ

2020-06-04 10:47:45 | 短編小説:想いのメモリシリーズ


短編:想いのメモリ<12>あー食べられちゃったよ

またこんなこと書いてーって思わないでくださいね。
ボクは兄弟二人で4才違い。
ボクが小学低学年の頃には、カラーテレビがあって、楽しくて面白くてたまらなかった。
何を観ていたかは「ウルトラマンやカメンライダーやミラーマンやアニメ」口を開けて夢中でテレビの画面に集中していた。
ヒーローものや面白いアニメのテレビ番組が好きで好きでたまらなった。

ボクはテレビを見るときは、必ず「カールやポテトチップスやポップコーン」を持って食べながら観ていた。
テレビに夢中になるとお菓子の袋を持っているだけになっていた。
隣にいた弟も一緒に夢中になってたはずが?番組が終わるとテレビの電源を切る前に弟はいなくなる。

弟はボクがお菓子を持つようになってから一緒にテレビを観るようになっていた。
ボクがテレビの画面に向かうようになるとお菓子を食べることも出来ないくらい夢中でいたとき番組が終わりテレビの電源を切ると何とお菓子を食べようとしたら袋の中身がないんです!お菓子がないんです。
ボクが持ってるのは、お菓子の空の袋だけでした。

一緒にテレビを観て横に座っていた弟はいないんです。
そうです、夢中になってるときに、ボクの持ってるお菓子の袋に、弟は横から静かに手を伸ばし全て食べてしまったんです。
「ウギャーー」とにかく泣きました。
親にはなだめられたけど、納得することが出来なかった。
弟の目的は、テレビではなく、お菓子が目的だったんです。
それからボクは弟と一緒にテレビを観るときは、お菓子の袋を開けなくなった。
ボクは周囲に弟がいないことを確認してから、お菓子の袋を開けてテレビを観るようにしました。
子供の頃って何が起きてもおかしくないのですね。


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短編:想いのメモリ<11>デパートの屋上のイベント

2020-05-21 11:11:17 | 短編小説:想いのメモリシリーズ


短編:想いのメモリ<11>デパートの屋上のイベント

3歳頃のボクらの楽しみは、デパートの屋上で遊ぶことだった。
時は流れると今はもう遊んでいたデパートは閉店して解体されて平地になってしまった。

昔々それなりに大きなデバートがありゲームセンターで、いつもインベーダーゲームやピンボールをして遊んでいた。
毎週だったか月に何回かは、今ではもう全く記憶にないが記憶にあるのは、ウルトラマンと仮面ライダーのイベントが屋上であった。

ボクらはもう常連で必ず友達同士で電話連絡をとりあって観に行くと何人かが必ずイベントの舞台の上に昇っていた。
手を上げて選んでもらえないと泣くは泣くはで、必ずボクら含め友達の中から選んでもらってた記憶はある。
ボクらはイベントの舞台の上にいると王様気分で、自分をアピールだったのかもしれない。
そして、ウルトラマンや仮面ライダーの姿のお兄さんお姉さんがボクらを抱いてくれたり持ち上げてくれると観客席にいる大人の人からも拍手をしてくれて皆で笑ってくれた。

このデパートは当時は自動ドアではなくて、ガラスの観音開きなんですが・・・
ボクと一人の友達が遅くなり全力疾走して、そのデパートへ入ろうとした時には扉が開いてると勘違いしてガラスの扉に顔面正面衝突して倒れて鼻血が止まらない。
それでも鼻血を出しながら、イベント会場の屋上へ駆け上がった記憶がある。
イベント会場の屋上にて鼻血がすごくて目が回って観客席で横になってダウンして倒れてしまった。
イベントに参加していたどこかのお母さん方に介護されていた事を思い出す。
なんかボクらって、何も怖くない無謀でむちゃくちゃな子供だったのかもしれない。


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短編:想いのメモリ<10>:秘密基地をめぐりバクチク大戦争

2020-02-09 10:18:36 | 短編小説:想いのメモリシリーズ


短編:想いのメモリ<10>:秘密基地をめぐりバクチク大戦争

第二の秘密基地をめぐり、バクチク(爆竹)大戦争が始まった。

今日の天気は曇りのち晴れになるのかな。ボクや仲間達の体調は良好で大戦争にはもってこいの天候だ。

でも天気予報は当たる確率はわからない、雨が降るか降らないかと思う事もあったが、雨が降っても気にする事はなかった。

バクチクを使って第二の秘密基地を取りあう遊びだが、バクチク大戦争と名付けて戦いに向かう。

戦う場所は、小学校第二校舎のグラウンドの裏に、セキソン山で急な斜面もあるが、ボクらは何のそので怪我をすることを当たり前と思っていた。
色々な遊びをして怪我には慣れている、ボクと仲間達だった。

中腹(約30メートル)程に過去の戦争での防空壕らしき穴があった。

4人ずつで2つのグループを作りグラウンドから、セキソン山にスイスイと登ろうとする。
バクチク大戦争のルールとしては、先に防空壕へ入れば勝利となる。

急斜面だが、一気に登って行くことは出来ない。
バクチクに火をつけ、怖いと思う事もなく、相手に投げつけ、さらに登れないようにしていく。

足がすくむが、なんのその、自分たちは戦う戦士だと思い込んでいただけだった。

火傷もあり体制を崩して滑り落ちたり、急斜面の道にある木につかまったり、木々のツルにつかまったりして、大きな木に爆竹をあてながら登っていく。

ただの遊びだったと思うが諦める仲間達はいない。
しかし、秘密の基地に、たどり着くと「感動と喜び」で、勝つか負けるかではなかったと思う。

なぜ!雨が関係するのか?目的地は防空壕、雨が降ればそこで雨宿りが出来る。

負けた方は山から滑って降りて(約100メートルの急斜面)校舎の屋根の下で雨宿りをする。

校舎の方が良いと思う人もいたが、勝った方には駄菓子屋さんからの宝物の欲しさだけだったのかもしれない。
今のボクの腕には、あの頃の傷が残る。

バクチク大戦争が終わり、ボクは自宅に帰ると風呂場でシャワーを浴びた時、気づくが痛みは感じなかったが、2日ほどすると痛みを感じるようになった。
しばらくして会えなかった仲間たちに聞くと、みんな同じよに怪我と痛みがあったようだ。

今考えれば、過激すぎてとんでもないことだと今では思う。
特に何も考える事がなかった怖いもの知らずで、無知で無頓着で無鉄砲なボク達だったのかもしれない。

これを読んで、爆竹は危ないので真似しないようにね。

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