オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

いつもさみしい・・・克服法?!

2007-04-23 | 想い
みなさまこんばんワン

ホワイトラタン復活第二弾大ブレイクを頂戴し、すべて完売いたしました。
驚いたというか本当にありがたく思ったのは、ほとんどの方が3アイテムすべて
お買い上げくださったことです。
本当にありがとうございました。
ホワイトラタンは存在感が特別ですので、トータルコーディネートでお部屋がますます輝くと思います
ありがとうございました。楽しみにお待ちくださいませ


さて。今日はとっても興味深い話題を見つけたのでご紹介します
(長くなりそうだ・・・)

「ほぼ日刊イトイ新聞」さんで取り上げられている、その名も
「いつもさみしい問題。血液型O型の人はいつもさみしいってホント?」
http://www.1101.com/samishii/
こちらでとられた統計では、O型の86.3%がいつもさみしい。と感じていらっしゃるとのことです。
また、全体(すべての血液型)でも、53.3%と二人に一人がいつもさみしい。と感じていらっしゃるとのことです。

ちなみに、わたしはO型です
そして、間違いなく「いつもさみしい。」です(笑)。

アンタそんなに忙しいのにさみしいなんて感じる暇あんの? と言われそうですが、
忙しさとさみしさは関係ありません
子育てでパニックな毎日を送っている友人が、ふと、「アタシなんかさみしい」と洩らしたときにも、さもありなん、と思いました。

話は戻りますが、「O型はいつもさみしい。」を、非科学的だと言われるとその通りかもしれませんが(わたしは科学的なことにかなり興味を抱いている人間ですがそうかと言って科学がすべてだとは思いません)、
自分にあてはまる問題であり、なおかつ、問題の進め方、解釈の仕方がとってもおもしろくて
ついつい読んでしまったのですが、読んだ後、何だかすっきりしました。
清涼飲料水よりよっぽど効果ありました。

ここではさみしさの分類をされていて・・・

①「いつもさみしい。」は大勢といっしょにいるときほど感じる。
②「いつもさみしい。」は楽しいときのほうが感じやすい(先走りさみしさ症候群)。
③「いつもさみしい。」はさみしさを人に見せないようにがんばっているほど感じやすい。
④「いつもさみしい。」は人に頼らずひとりが嫌いじゃないほうが感じやすい。
⑤「いつもさみしい。」は他人の本音がわからないほど感じやすい。
⑥「いつもさみしい。」はさみしさの原因がわからないほど感じやすい。

みなさまどうですか。当てはまるものがおありですか?
わたしは③と④と⑥が当てはまります。
わ~~い三つも当てはまっちゃた
しかも②もちょっと当てはまるような・・・
ちなみに、まったく当てはまらないなあ、と思ったのが⑤です。

ここからはわたしなりの解釈なのですが・・・
結論から言うと、人は誰でも、間違いなくさみしいもんデス
その「さみしさ」を極端に言えば、「悩み・苦しみ」として扱うか、
「仕方ない」と扱うか、「当然でしょ」と開き直るか、また、鈍感すぎて気づいていないか・・・
ちなみにここで語っているのは、相手あってのさみしさ(たとえば恋人になかなか会えないとか)ではなく、人が生まれながらに持っているさみしさについてなのですが。

①は、誰もが感じたことのある、よく聞く感情ですよね。
ワイワイ楽しんでいる瞬間にふと、自分の笑顔が歪んでしまっていることに気づいたりして
他人との距離感がつかめていないと起こることが多いように思いますね。
家族がいても、夫がいても、友達がいても、基本的にはさみしいものですから、
そういう意味で、大勢の人間がいる場所、というのは、人がもともと持っている漠然としたさみしさを認識しやすい場であるのかも。

②は、楽しいときは思う存分楽しめばいいのに、こんなに楽しい時間はそんなに続かない・・・なんて、
なぜか先走ってさみしさを感じてしまう。
幸せな人が、幸せすぎて怖い、この後にはとんでもない不幸が待ち受けているのではないか、と怯えてしまうことに似ているのかもしれません。
しかしそれは決して「良いものの考え方」ではないようですね。

③はわたし自身に当てはまるのですが、異様にさみしいんだけれど何がさみしいのか
自分自身でもよくわからない、つまり漠然としたものだから
他人に「わたしさみしいねん」なんて言えないんですよね。恥ずかしくて。
だから、逆に強がって、ちっともさみしくなんてないわ、となり、
余計にさみしさが募る・・・ということでしょうか。

④これもかなり当てはまりますね。他人に頼るのは好きではありません。
できることなら何でも自分でしたい(できること少ないので願望)。
しかも、ひとりの時間が本当に好きなんですよね。大勢でいるのはあまり得意じゃないんですよ。
ひとりでごはん食べるのもぜんぜん平気だし、買い物もひとりのほうが楽だし、ひとりで好きな小説を読んだり、DVDを観たりして過ごす時間は至福です。
本に没頭しているときに、たとえばダーが話しかけたりしてくると、イラッ、とくるんですよね。
ひとりですることにさみしさを感じることってほとんどないんですね。

なのに、漠然とした、言いようのないさみしさは常に感じているですよね説明が難しいんですけど。

⑤はちっともわたしに当てはまりません
他人の本音を知りたいなんて・・・あまり思ったこともないような気が・・・。
他人のことより自分のことがわかんないからでしょうね(笑)。

⑥逆説的ですが、さみしさの原因がわかればさみしさを克服できるというのは真実だと思います。
以前、強迫観念(手洗い恐怖や買い物依存)の本を読んだときに、
「心の病は、自分がそれを病として認識したときから完治への道が開ける」とありましたがその通りだと思います。

心の病だけではありません。現在では、「がん」は日本では二人に一人が罹り、
そのうちの三人に一人が亡くなる病で、決して他人事ではないのですが、
10年ほど前から、多くの場合、本当の病状(病期)を100%本人に告知するようになっています。
それ以前は、胃がんを「胃潰瘍」、胆のうがんを「胆のう炎」なんて本人を騙してきました。
告知するようになって何が変わったかというと、治療そのものです。本人に告知もせずに、副作用の出る抗がん剤を投与することはできません。
胃潰瘍と言われている患者が、なぜ胃潰瘍なのにこんな強い薬を与えられるのか、と不審に思って当然のことです。
そのため、告知をしない時代には、満足な治療はできなかった、という事実があるそうです。

それと同様、さみしさも原因がわかれば、解決される可能性が高い。
だけど、それは限局されたものであり、もともとわたしたちが備えている漠然としたさみしさ、については当てはまらないのでは・・・?

漠然としたさみしさを解決する術はあるのでしょうか?
たぶんないと思うんですよね。人は常にさみしい生き物であり、
漠然としているにも関わらず、そのさみしさに対して気持ちの制御がつかず、
泣きじゃくったり、叫んだりして生きていくもんだと思います。
沈みゆく夕陽を見ているとなぜか涙がこぼれてきた・・・という話はよく聞きますが、
自然に流れてくるその涙を止めることはできないんですよね。
わたしの場合、夏の夕方の風の匂いを嗅ぐと、なつかしさとさみしさで異様な気持ちになっちゃうんですよ。
取り戻せない時間を取り戻したくなるような・・・
だけど、この感情もまた自然なものたがら、止めることはできないんですよね。

だから、わたしの「漠然としたさみしさ」克服法としては、そのさみしさと、とことん付き合う、ということでしょうか。
誰かに、たとえば異性にそのさみしさを癒してもらいたい、と思って依存しても、相手だってさみしさを抱えているわけですし、
本当の意味での癒しにはならないんじゃないかなあ。それに、もし拒否されたとしたら、とっても傷つきますよね、きっと。
さみしさを癒してほしくて近づいているのに、余計な傷をつけられるのではどうにも採算が合いません(笑)。
「いつもさみしい。」と言ったって、24時間さみしさに負けているわけではなく、
誰だって仕事したり家事をしたり子育てをしたり自分らしい時間を過ごしているわけですもん。
さみしさに支配され、自分や他人を傷つけてしまうことはあってはならないことですから、
「さみしさはわたしの一部。とことん付き合うしかない」と開き直ってしまうことがいいのではないかなあ、と思ったりしています。

「いつもさみしい自分」を認め、それと付き合い続ける事を覚悟し、その上で開き直る

これができたら楽になれるのでしょうね・・・

まあ誰もみな孤独なもんデス。孤独な戦士デス。
自分が孤独であることを認めている人は、わたしの経験から、とてもやさしい人が多いような気がします。

はあ・・・長かったですね。珍しく、めちゃくちゃ時間かけて書いてしまいました
なぜここまで書いたかと言うと、いつもさみしい。を感じている人に、
一人じゃないですよ~~と言いたかったわけです
最後まで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。お疲れさまでした