オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

千中のクリスマスツリー☆彡

2007-11-30 | 新作速報&話題いろいろ
みなさまいつもありがとうございます。

昨日のドレスコラージュにはたっくさんのご注文本当にありがとうございました(*^_^*)
自信作なので、ご注文いただきましたみなさま、どうぞ楽しみにお待ちくださいませ(*^^)v

ただいま大変ご注文が混みあっております。
順番に発送させていただいております。何卒よろしくお願いいたします。
いつも同じことばかり言ってごめんなさい・・・。
今週水曜日以降にお振込みいただきましたお品物は明日発送させていただきますのでよろしくお願いいたします。

12/1から12/3まで三連休をいただきます。土日はダーの関係で福岡に行って参ります。
福岡・・・五回目かな? 最近では三年くらい前に、ダーとルウの二人と一匹で遊びに行きました。
川沿い? の屋台がだーっと並んでいるところで、ビールを飲みながらおいしいものを食べました。夏だったので風が気持ちよくって。
楽しかったなあ・・・(*^_^*)

昨日、大切なお客様Tさまからこんなメールをいただきましたのでみなさまにもご紹介させてくださいネ。

「まきさん。こんばんは。いつもお世話になります!
ROSEPARTYのホームページとまきさんのブログを毎日欠かさずチェックするのがわたしの日課です。
わたしの密やかな楽しみの一つになっています。
電話でお話するとき、まきさんはいつも明るかったけれど、心の中では大変な事と闘っていたんだなと思うと涙が出ます。
ごめんなさい。後ろ向きなこと書いてしまって。
でもわたしはまきさんの強さと前向きさが大好きです。
人前でメソメソしなかったまきさんのことが大好きです。
きっと強くならざるをえなかったんだと思います。
医療問題のこともわたしは他人事だと思いません。たまたまわたしの家族や友人の中には大きな病気をした人がいないのですが、
いつそうなってもおかしくないんだと思っています。
だから医療問題も自分たちが健康なうちに色々と考えていかなければならないと思います。
さっそく娘とも話し合ったりしました。
これからもまきさんの心の思い、たくさん聞かせてほしいです。
長々とすみません。ドレスコラージュ楽しみに待っています!」

Tさま、ありがとうございます。
「医療問題のこともわたしは他人事だと思いません・・・」Tさまのこのお言葉を拝見したとき、
とてもうれしかったです・・・。
このブログは毎日数百名の方々にご覧いただき感謝しておりますが、その中のお一人でもこのように思ってくださる方がいたこと、
もうそれだけで思い切って書いてよかったと思います。
本当は、書くことにとても勇気がいりました。価値観は人それぞれですから、わたしが一方的に書いていいのかな、という思いも実はありました。
でも、「弱い者(進行がん患者)がますます弱い立場に追い込まれてしまう」この現状を(例外もあると思いますが)
この目ではっきりと見てしまったわたしは、このまま放っておくことはできないな・・・と思ったのです。
正義感なんて大したものじゃなくて、ダーが懸命に過ごしてきた日々を無駄にしないためにも、ダーのことが終わったからハイ。おしまい。なんて思っちゃいけないな・・・と。

かと言って、大したことはできないので、小さなことからコツコツと(西川きよしサンのように)自分なりにやっていきたいと思います(*^^)v
ちなみに西川きよしさんの家と結構近いので千中で「あの有名な奥様」にときどき会ったりします(もちろん知り合いじゃないのでお見かけするだけです)。腰の低いとてもお綺麗な方です。(なんのこと?)

・・・わたしはちっとも強くないんですよ。見せかけの強さだったりして(^_^;)
でも強くなりた~~い! と心から願っています。

Tさま、本当にありがとうございました(^^♪




千中(千里中央駅)のツリーです。これはセルシー広場のヤツ。
毎年同じように見えるけれど、ちょっと違ったりしているのかなあ・・・^m^



アップ♪





夜はかなりキレイです♪



セルシーの地下にもあった・・・
かわいい♪ なんかこう子供向けで懐かしい感じがしますね。

愛ちゃんとのデートのときに撮ったのですが、ツリーを撮りすぎて(というか、家から持ってきたときにはすでに充電の赤マークが点滅していた・・・)、愛ちゃんと会ったときにはすでに電池切れ・・・
かわいい愛ちゃんのお顔が撮れませんでした。
また今度デートしたときご報告させてください(^^♪
それにしても20代の若い女の子とのデートはなんて楽しいのでしょう・・・
愛ちゃんは、未来への希望がいっぱいで、とにかくキラキラ輝いていました。
それにさすが優ちゃんのお姉ちゃんだけあってしっかり者でとってもやさしい子♪
冬休みにはまた優ちゃんが来てくれる予定なので今からワクワクしています♪

ころころ話が変わって申し訳ないのですが
イマンの新工場ホーローを明日ご紹介できるかも・・・できなかったらごめんなさい(>_<)
ホーローは限定品ばかりで、数も100個限定、150個限定など、取扱い店舗に振り分けられましたので、入荷数の少ないお品物ばかりです。
楽しみにお待ちくださいませ♪

夜になるといよいよ冷え込みますね。
みなさまどうぞお風邪など召されませんよう・・・。


クリスマススペシャルドレスコラージュ☆彡

2007-11-28 | 新作速報&ロマンティックアイテム


ドレスコラージュファンのみなさま・・・お待たせいたしました☆彡
メルマガでもお知らせしたRose Partyオリジナルドレスコラージュ♪
クリスマススペシャルバージョンでお作りさせていただきました♪

製作者のくららさんが、これまでで一番の出来栄えかもしれない・・・(*^_^*)と
自分で自分にびっくりしてしまったという・・・(^_^;)

実物は画像の100倍、いえいえ1000倍ステキです~~~

オリジナルドレスコラージュはたっくさんの方々にコレクションしていただいております
リビングや寝室の壁にずらーっと並べて飾ってくださっている方もいれば、
お子様のお部屋に飾ったり、パウダールームに飾ったり・・・



「レースの国のロマンティックドレス」
初めてお作りした横型フォルムがレアです♪



今回は、いつもにも増してドレスがゴージャスなんです・・・
ピンクのチュールレースとシフォンを重ねた薔薇刺繍のドレスなんて・・・
星空きらめく夜会ドレス・・・みたいな(はぁ・・・?)

とにかくすっごくステキです



横幅が53センチと迫力あります!



背景がね・・・本当に美しいんです。
ピンクに総レースを重ねたホワイトピンクな世界・・・☆彡



こちらは「リボンの国のロマンティックドレス」
その名のとおり、ピンクのリボンでデコレーションされた夢の世界



ドレスのふくらみ具合といい、デザインといい・・・もう最高です

こんなに素敵なデザインはどこを探しても見つからないと思います(*^^)v



下から見るとこのボリューム感をおわかりいただけると思います。

HPより画像が大きいので少しはご覧いただきやすかったでしょうか(*^_^*)

でもですね・・・実物のステキさは画像ではどうしても表せません(>_<)
ぜひ実物を手にしてうっとり・・・夢の世界を彷徨って?!みられてくださいね☆彡

ウィンターフェア大盛況をいただきまして本当にありがとうございます。
もちろんコラージュも対象ですので、ぜひプレゼントもゲットなさってくださいね。

価格はHPにてご案内しております。
Rose Partyのお客さまのためだけに作られたスペシャルコラージュ・・・
どうぞお見逃しなく

発売は、11/28か11/29の夕方以降を予定しております。お楽しみに


☆イマンの新工場でのお初ホーローに関してお問い合わせいただきましてありがとうございます。
もちろん当店にも入荷してまいります♪
個数限定のレアものばかりですよね♪ ポーレットも出ちゃってるんですよ・・・すごーい♪
入荷次第HPにてご紹介させていただきます。
特に時間など決めずに通常通りご紹介予定ですのでよろしくお願いいたします(*^_^*)

看取るについて。

2007-11-25 | 想い


優ちゃんの作った置くだけフェンスにダイアナさんのタイルを付けてみました♪
木工用ボンドで簡単にくっつきます(*^_^*)かわいい(*^^)v

寒くなってきましたネ~~。
ルウのお散歩は夜間なのですでにわたしは完全防備です(ーー;)厚手のパンツにセーター、
コート、ファーの帽子、手袋、履き古したブーツ・・・
履き古したブーツほど歩きやすいもんはない! でも、これで外出するのはちょっとねぇぇ・・・
というわけで、ルウの散歩用になるわけデス(^_^;)

カルピン写真館にはたくさんのメッセージ本当にありがとうございました!
「癒されました♪」「もっと見せて欲しい♪」「うちの子もアメショーです!」
「イマンなネコちゃんにびっくりしました!」などなど・・・Kさまもきっとお喜びになると思います♪



さて。今夜は「看取る」ということについてわたしの経験と反省をちょっと書いてみたいと思います。

ご来店のお客様が、わたしの手を握りいっしょに泣いてくださったり、
通販のお客様からの暖かい想いあふれるメールを拝見するたび、やっぱり二年間黙っていてよかった・・・と改めて思います。

もし、事後報告でなければ・・・あの二年間に一言でもお客様や仕事関係の方に弱音を吐いていたら・・・
わたしはきっとやさしい気持ちに甘え、依存していたかもしれないし、
そんなことでちゃんと仕事ができたかどうか・・・この仕事で食べさせていただいている以上、いいかげんなことは絶対にできないです。

それに、ダーはわたしが、通常通り仕事を行い、通常通りの生活をすることを切に望んでいましたから、
やっぱりこれでよかった、と思います。

わたしがこうして事後報告なるものを続けているのは、自分が経験したことを話すことで少しでも誰かの役に立ちたい、というちょっとおこがましい気持ちもあるのですが
もう一つ、日本のがん治療について・・・主に後進国並みに遅れている抗がん剤治療と患者主体の医療について、患者と家族の立場から書きたい、と思うからなんです。

現在、日本では、二人に一人ががんに罹り、その内の三人に一人ががん死します。
ご存知の通り、日本人の死因のトップは二番手を遥かに上回る数で「悪性新生物=がん」です。
いま健康な人でも周囲に患っている人がいなくても決して他人事ではないんですよね・・・
遠い未来だと思いますが、自分がそうなったとき、自分の大切な人がそうなったときのことを
今から考えておくことは大切かもしれない・・・なんて思うんです。

決して、そんなことばかり考えて生きたほうがいい、なんて思っているわけではありません。
生きることはたくさんの経験を積み、心から楽しむことだと思っています。
わたしもこれからの人生、決してあきらめていませんし、大いに笑い大いに楽しもうと思っています。

ただ・・・今この時間にも、困っている進行がん患者がたくさんいることは忘れてはいけない・・・って・・・思うんですよね・・・
海外では普通に認可されている抗がん剤を日本では使えない現実。
あれを使えばあと数ヶ月、一年元気に過ごせるかもしれない・・・と知っているのに使えない現実・・・
患者とその家族の葛藤・・・わたしは何度も経験しました。
著名ながん専門医平岩正樹先生が仰るとおり「進行がん患者の寿命は用意された抗がん剤の数で決まる」のです。これは疑いようのない真実です。

いてもたってもいられなくなって、何か自分にできることはないか・・・と考えた結果、
アービタックスという原発大腸がんに効果のある遺伝子治療薬の早期保険認可を嘆願するための個人活動を起こし、
数千名の署名をもって今年の6月、厚生省に提出してきました。
この薬は、欧米諸国ではすでに数年前から認可され使用され効果が認められているのに日本では未だ認可されていません。

担当してくれた方は、わたしが手に持っていた分厚いファイルを見て「こんなにたくさん個人で集められたのですか・・・」と言ったきり、絶句されました。
担当の方は、自分からいろいろと訊いてくださり、最後には「あなたの想いを決してむげに扱うようなことはしません」と約束してくだざいました。
ダーが厚生省に勤めていたことがあっていろいろ聞いていたので、本当のところ、わたしはちゃんと話を聞いてもらえるとは思っていませんでした。
ただ絶対に郵送ではなくきちんと手渡ししなければいけない、と思ったので持参したのです。
それなのに、あんなに丁寧に対応いただき、今でもあの担当の方には感謝しています。

発足したのはわたしですが、署名は、わたしの力ではありません。
ダーの飼い主さん方、友人の方々、わたしの親友や友人らが積極的に署名活動をしてくれたんです。
優ちゃんは一人で600人もの署名を集めてくれました。彼女は本当にすごいです。
Rose Partyがもし大きくなれたら、わたしは一番に彼女を雇い、店長にしたいです(*^^)v大工もできる店長なんて素晴らしいです。
しかもただ署名をとったのではなく一人一人に主旨を説明してくれました。だから、主旨に賛同できない、と言って断る人もいたそうです。
それにしても並大抵のことではありません。
彼女は、ダーが旅立った今でも、アービタックスの存在を忘れていません。この活動の主旨を忘れていません。

アービタックスは来年の3月頃に保険認可予定だそうですが、もちろんダーは使えませんでした。ダーだけじゃありません。何万、何十万という、進行がんの患者さんが使えていません。
認可が遅れるのは、厚生省のせいだけじゃないんですよね・・・厚生省はわたしたち国民に反応した対応をとるんです・・・

それらのことを中心に伝えたいことがあるのですが、あまりにもたくさん経験しすぎたせいか、かえって頭の中で整理がつかなくて。
どっか別にHPでも立ち上げて書こうかな・・・なんてずっと思ってもいるのですが。
ただですね・・・この話題は、患者やその家族だけじゃなく、今現在健康な人たちに知っていただかないとあまり意味がないと思うんです。
決して他人事として捉えてはいけない・・・と思っていただけたら、きっと何かが変わると思うんですね。

話を戻しますがよく、身内や友人知人なんかにも、言われるんですよ。
「どうして黙っていたの。もし知っていたら少しはあなたの役にたてたかもしれないのに」って。
とってもありがたい言葉なんですけど、やっぱり黙っていてよかった・・・
事後報告だから、こうして落ち着いて語ることができるから・・・
もしその最中だったら、こんなに落ち着いて話すことなどできなかっただろうし、
自分の嫌なところたくさん見せてしまったかもしれないし・・・

それにわたしは決してひとりぼっちではなかったんですよ。

わたしは親友の和子にだけは何でも相談できました。彼女は最期の最期まで・・・
ダーが亡くなる直前まで、わたしに「アバスチンをあきらめるな」と言い続けてくれました(アバスチンというのは今年の6月に認可された原発大腸がんに効果のある新薬です。認可は6月でしたがうちの病院に入荷したのは8月下旬です。このあたりのことも問題です)。
彼女はわたしの気持ちを理解していたので、決して知ったかぶりして「使わないのも一つの手だよ。100%緩和に切り替えて楽になるのも本人のためかもよ」なんて言いませんでした。

また、ダーの親友も同じでした。
わたしがどんなに切羽詰っていて支離滅裂になっているときでも、我慢強く話を聞いてくれ、前向きな話だけをしてくれました。

和子は「アタシがいる限りアンタはひとりじゃない。何かあったらいつでも行くから」といつも言ってくれていましたし
ダーの親友は「辛くなったら夜中でもいつでも電話してきなさい」と言ってくれました。
もちろん実際はそんなに頻繁に電話なんてできないけれど、でも、その言葉にどれだけ救われたか・・・言葉では言い表せません。

何より、ダーが元気だったから・・・体調が悪い日も心だけは元気だったから・・・
もし、ダー本人の気力がなければ、わたしはとっても辛かったことと思います。

治療について、二人でどんなにたくさんの時間話し合いをしたかわかりません。
二人とも熱くなりすぎて、何度ケンカをしたか知れや知れません。
あまりに意見が食い違って、昔のことまでネタにしてケンカするシマツ・・・。
ケンカはするけれどすぐに仲直りするのがわたしたちのいいところでしたけど^_^;

従来の「がん患者とその家族」は、患者はひとり鬱状態に入り、家族はそんな患者を腫れ物にでも触るように扱う・・・
「死について」語り合うことを避ける・・・

わたしたちは、そうではなかったんです。
「死について」を避けることなく、大いに語り合いました。
わたしはダーを病人として扱ったことはほとんどなかったように思います。
もちろん最初の発覚時の頃と最期の頃はそうなっていたかもしれないけれど
それまでの長い期間、二人の間に遠慮はありませんでした。
もちろんそれがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、わたしたち自身はそれをいいことだとみなしていました。
「がん患者は決して不幸じゃない」彼を見ていて納得できました。不幸なのは自分自身と向き合えない人なんだ、って。
治療について、迎える死について、嘘偽りなく、真剣に話し合うことができて本当によかった。

きっとこのことも、わたしの心の深いところが満たされている一つの理由になっていると思います。

ただ、化学療法が効いて、普通に生活できるときはいいけれど、
薬剤耐性に陥り(抗がん剤はどんなに効いていても必ず耐性ができていずれ効かなくなります)もう使う薬がなくなったとき・・・
患者は、決して「避けられない死」と一対一で向かい合うことになります。
それはどんなに辛く恐ろしいことでしょう。
どんなに精神力のある人でも、信仰心の厚い人でも、例えば死後の生命を信じている人でも・・・
程度の差こそあれ、一時的にノイローゼに近い状態になります。
そしてそれは自然な状態で、決して忌むべきものでも避けるべきものでもないんです・・・

そんなとき、もし家族が、患者を腫れ物に触るように扱えば、彼らはどんなにさみしいでしょう。心細いでしょう。
逆に、いっしょに泣いたり、世の不条理に対して怒ってくれる人がいればどんなに心強いでしょう。
自分のことをこんなに心配してくれているんだ・・・と思うと、どんなに心満たされるでしょう。安心することでしょう。
いっしょに死について語れる人がいたらどんなに救われるでしょう。

8/31に体調が悪化して入院したとき、肝機能がかなり低下していて、トイレに行ったとき、よくない状態の便が出たんですね。
それで、ダーは驚いて、「なんで? どうして?」ってしきりに言うんです。
自分の状態がかなり悪くなっていることに、初めて気づいたんだと思うんです。
それで部屋に戻っても横にならずにベッドに腰掛けたまま、「どうして・・・」って何度も何度も言うんです。
自分の状況が信じられないわけです。
そして初めて泣いたんです。

精神力のある人で、がんが発覚してからも弱音一つ吐かず、いつも笑っていた人が。
抗がん剤治療には二ヶ月に一度「評価」という大切な通過点がありまして、
使っている薬が効いているか否かをCT造影で検査するんですね。
つまりがんが進行していないかどうかをチェックするんです(縮小・増大・不変を)。
それを待っているときわたしはいつも緊張で吐き気を催していたほどなのですが
ダーは隣で、わたしの心配を他所に、はまっていたナンクロ(めちゃくちゃムツカシイクロスワードパズル)を必死でやったりしていて・・・それくらいいい意味で楽観的な人が。

「どうして・・・?」って。自分の体が自分の自由にならない。体の内部で破壊が始まって、それはもう、自分の手には負えない。自分の体なのに自由が利かず、自分の体なのに勝手にどんどんおかしくなってしまう。
どんなに悔しく悲しかったことでしょう。
どんなに呆然としてしまったことでしょう。

わたしは、静かに、声を立てずに号泣するダーを抱きしめて「大丈夫だよ。がんばったんだから。もういいんだよ。もうあんまりがんばらないで」と言いました。
決してあきらめの言葉ではなかった。でもそんな言葉が口をついてしまったのです。
間もなくダーは平静を取り戻し、いつもの笑顔に戻りました。

このときは薬剤性肝障害だったので、その後、アバスチン投与を計画するほどにまで回復したのですが・・・

抱きしめてくれる存在がいること。これは病気と向かい合っている人には本当に必要な存在だと改めて感じました。
抱きしめる側は辛いと思うんです。わたしも辛かったです。今思い出しても胸が引き裂かれそうです。
あの時はこんなに辛い場面に出会わなければ生きていけないというならわたしはもう死んでしまいたい、と本気で思いました。
薄明かりの病室で、わたしは、どうしてこんなにやさしくて、こんなに人のために尽くしてきた人が、こんなに苦しい思いをしなければならないのか、と・・・
わけがわかりませんでした。

でも、一番辛いのは本人なんですよね・・・そのことを忘れてしまうんです。わたしも忘れたことが何度もあります。自分の悲しみに圧倒され、本当に辛いのは誰なのか・・・まったく忘れてしまったことがある・・・
でも、そばにいる側は、それを忘れちゃいけないんですよね・・・どんなに辛くても自分の悲しみはちょっと横においておかなければ・・・。

もしそれができたとします。
だけど。だけどそれでもまだ、患者のさみしさや苦しみには追いつけない。
「死へむかう」という極限状態を、元気に生きている人が本当にわかることなどできない。
それでもやっぱり家族や周囲の人たちは、患者の心が救われるような態度をとらなければならない・・・。
抱きしめてあげる。手を握ってあげる。愛の言葉をささやいてあげる。
痩せた体を抱きしめるのは辛いんです。紙のように薄っぺらになった手を握るのは怖いんです。愛の言葉さえ口にするのは何だか不安なんです。
それでも・・・やらなければならない・・・と思いました。

果たしてわたしにそれがすべてできたかどうか・・・全く自信がないんです。
死について語ることを避けることは一切しなかったし、本当の病態についても隠しごとはなかった(最初はあったんですけどそれも途中で告げました)。
でも・・・。
ダーはわたしだけを求めていたのでわたしの存在がそばにあればそれでいいと言ってくれたけれど、
わたしはそんなに頼りにされていたにも関わらず、ダーの心のケアをうまくできたかどうか自信がありません。
それどころかたくさん失敗してしまった・・・たくさん傷つけてしまった・・・。
それらの後悔が全部吹っ飛ぶほど素晴らしい最期だったから、いつまでもわたしがこんなことを言っているとダーに叱られるかも知れないけれど。

とにかくたくさんたくさん反省しました。反省は後悔という名の後ろ向きなものにすりかえるのではなく、次に活かさなければ意味がない。
もしまたこのようなことが起きたときは(自分がまだ若い以上、そして両親が生きている以上こういうことはまたやってきます)、まずは心のケアを中心に考えなければならない、と肝に銘じています。

ただ、看護する側はそれでなくとも心身ともに疲れ果てているのですから、きちんと休養をとるべきだと思います。

わたしは、最初の頃と最期の頃は食べられない、眠れない・・・だったので、優ちゃんのママ、まりこさんからいつも「真希ちゃん体を大切にして。ちゃんと食べてしっかり眠ってね・・・」と言われていました。
でも食べられないし眠れなかった。最初と最期の頃の事でしたしそれはそれでいいと思うのですが、
途中の期間、わたしは至って普通に生活していました。ダーはいつも、わたしがおいしそうにたくさん食べるのを見るのが好きだったので、たくさん食べていたし眠っていたし
モリモリ仕事をしていました。
読書、DVD鑑賞、買い物、外食・・・たくさんのことでストレス発散していました。
何一つとして、自分を規制するものは作りませんでした。もちろん、ダーがそれを望んでいたからできたことですが・・・。

うちの場合は、最期は一ヵ月半入院しましたが、それ以外は薬剤変更のための入院だけ(二年間で約一週間ずつくらい三回)でしたので、看病というほどのこともしていませんが、
病人が家にいること自体がとても辛い時がありました。そんなときは、ひとりで外に出ました。
もちろん元気なときはいっしょに何度も出かけましたが、元気なときでもひとりになりたいときがあったので、そんなときはひとりで外出していました。

痛みや苦しみがある状態では一人にしておけませんが、うちはそんなことはほとんどなかったので、わたしは好きに外出していました。
ダーはいつも「行ってらっしゃーい(*^^)v」と笑って送り出し、「お帰り。なんかいいものあった?」と迎えてくれました。
仕事以外の時間では、とにかく治療のことで頭がいっぱいで、常に破裂しそうだったのは、ダーではなくわたしでしたから、ダーはわたしを自由にさせることでわたしの心身を護ってくれたのだと思います。

患者も自分のことを心配してほしいけれど、周囲の家族も自分たちのことを心配してくれる人がいるととってもうれしいんですよ・・・。
愛する人の状態が悪くなってくると、そばにいる人間は、孤立無援のような状態を味わってしまうんです。

何にもできない自分の無力さに打ちひしがれ、やり場のない怒りやら悲しみがどっとあふれてきて・・・。
本当はひとりじゃなくても、ひとりだと感じてしまう・・・。
だから、まりこさんがわたしを気遣って頻繁に連絡をしてくださったことは本当にありがたかったです。

看護する側は、本人に面と向かって接しているときは(本人が体だけじゃなく心に痛みを感じているときももちろん)、自分の悲しみや苦しみは忘れ患者への想いに徹し、それ以外は、自分の自由に過ごすこと・・・
それができたら一番いいだろうなあ・・・

もちろん、いろいろな事情でできない場合もあると思います。
病人はわがままになるものですし怒りっぽくなる人も多いと聞きます。
わたしなんて本当に恵まれていたと思います。相手がダーだったからここまでできた、と思います。
もし、病人が怒りっぽくて家族をそばから離したがらなくて家族が息もつけないような状態であるとしたら・・・どうすればいいのかな・・・
もしそれがわたしの友人・・・例えば和子に起こったことだとしたら・・・
わたしはできる限り時間を作り、和子の代わりに、病人と仲良くなり、少しでも和子が外へ出られるよう手助けしたいと思います。
こんなことは三年前のわたしなら言えなかったことだけれど。

今日のブログは「いま、わたしは母の看病をしています」というあるお客様からのメールに対しての応えにもなればいいかな・・・と思っています。
「答え」ではなく「応え」です。アドバイスなんておこがましいことも言えないのであくまでわたしの体験です。

誰かが言っていました。「もし看病しなければならない人が現れたときは、自分がしてほしいと思うような看護ができれば最高ネ」と。
とってもムツカシイですけどね・・・でも努力は必要ですよね(*^_^*)

何事もそうだと思うんですけど「ムツカシイからできない」ではなく「ムツカシイけど努力してみる」という考え方から
すべてが始まるように思います・・・いい方向に繋がっていくと思います(*^^)v

最後までお読みくださったみなさまありがとうございました(*^_^*)



かわいいクリスマスイルミネーションを付けてみました(*^^)v
レッドグリーンが点滅します☆彡

明日の夜は優ちゃんのお姉ちゃん愛ちゃんとのデートです♪
楽しみっ(*^^)v


カルピン写真館(*^_^*)

2007-11-22 | お客様より・・・♪
ネコ好きはもちろん、そうでない方も必見!

その名も★カルピン写真館★

Kさまの愛猫、アメショーのカルピンちゃん★
チャーミングショットをご覧あれ♪



カルピンはイマンが大好き~~(*^_^*)

オデットのウォッシングタブはカルピンサイズ!?

「ボクの寝床にぴったりニャーン♪」



コレットのボックス缶もカルピンサイズ!!!???

「スッポリ入れていいだろニャーン!」



ダイアナのカーサンシェードはちょーどいい仕切り??!

「陽射しカットでぐっすり眠れるニャーンzzzzz・・・」



(物憂げに・・・と言うかちょっとコワイ顔つきで・・・)おてんとさんを仰ぎ見る・・・




「へっへーン! ひっくり返ってカルピンチャーン!(意味不明・・・)」
かわいすぎっ(>_<)

癒しのカルピンパワーで明日も元気に過ごせそう♪

Kさま、お写真本当にありがとうございました。

第二弾もどうぞよろしくお願いいたします(*^^)v




みなさまから大絶賛をいただいている「優ちゃん作・置くだけフェンス」☆彡
写真を撮りに見えられる方も多いんですよ(*^^)v
ヤッタネ、優ちゃん♪

ああ・・・ダーの作ったのが霞んで見えるわ・・・
きっとダー本人もそう思っているでしょう・・・^_^;

風にぱーーっと、踊りながら散る落ち葉・・・この雰囲気がすっごくステキで見とれてしまいます。





置くだけフェンスを背景に撮ってみました。我ながら気に入っています♪

ホワイトピンククリスマス壁掛けツリー大好評発売中(^^♪


カルピン! &感謝について

2007-11-20 | 想い


店舗の大切なお客様「Kさま」のカルピンちゃんです(*^_^*)
大人気のハートチェアにのっかってお茶目な笑顔(!?)

カルピン・・・かわいい名前ですよね。わたしは知らなかったのですが『テニスの王様』という人気漫画からとられた名前だそうです♪

このカルピンちゃん、人懐こくてやることなすこと愛らしくてKさまの癒しの存在なのです。

お鍋に入っている写真を拝見したとき、あまりのかわいらしさに声を上げてしまいました。
これからも「カルピン写真館」と題してカルピンちゃんのかわいい写真をご披露させていただきたいなあ・・・なんて思っています。
Kさまよろしくお願いいたします(*^_^*)

Kさまから、心のこもったお手紙をいただきました。

Kさまは、以前大きな病気をされたとき、体が自由に動かない・・・という体験をされていらっしゃいます。
体の痛みは心の痛み。精神的にどんなに不安な日々を送られたことでしょう。
今はお元気になられ、幸せな日々を送られていますが、その時に感じた不安、苦しみ、悲しみは・・・どれほど激しいものだったでしょう・・・。

店舗でもお会いしていたのですが、このブログを読んでくださり、わざわざお手紙をくださったのです。
「生きることについて考えさせられました。人を思いやり愛する気持ち、当たり前になりつつある日常生活への感謝の想いを忘れず日々過ごせたらいいなと思っています」と最後を締めくくってくださいました。

感謝する・・・言葉は簡単ですが、これはもう実際は簡単なことではないんですよねぇ・・・^_^;
誰だって「感謝して生きたい」と思っているはずですよね。
「感謝しなければならない」と自分に言い聞かせているはずですよね。
でも、落ち込む日もある。イライラする日もある。ハラワタが煮えくり返ってどうもこうもない日もある・・・
わたしも同じです。
そんなときに、感謝なんてしてられるか! と思うわけです。
なんでこんなツライ目に遭って感謝なんかせなあかんねん! って・・・^_^;
神様ちゃうねんからそういつもいつも感謝なんかしてられるかアホ! みたいな。
それが多くの人の本音だと思うんですよ。

たとえば、敬虔なクリスチャンの人はいつも「感謝」と言う言葉を口にされます。
クリスチャンでない人にしてみれば、はあ・・・? なんで感謝なん? って思うことに対しても感謝されます。
一口でクリスチャンと言っても、いろいろなクリスチャンがいるわけですから、感謝ばかり言わない人もいるかもしれないけれど、
わたしの周囲のクリスチャンは「感謝」ばかり言うわけです。
それでわたしは、感謝? ほんまかいな・・・と思ったことも度々あったんですよ。

でも今はわかります。感謝を口にされる、いえ、口だけじゃなく、本当に心から生きていることや周囲の人に大して「感謝している」人たちは、
たいていの場合、大きな苦しみをなめられたことのある方たちなんですね。

クリスチャンじゃなくても、自分の人生を変えてしまうほどの衝撃に出会い、それを乗り越えた人たち・・・乗り越えようと努力されている人たちは、
「感謝」を本当の意味で理解されている方が多いと思うんですよ。

苦しみ、悲しみ、不安・・・それらに教えてもらったことがあるからです。
それらを経験しなければ知り得なかったことがあるからです。
「教えてくれてありがとう」「大切なことを知らせてくれてありがとう」
そういう意味での「感謝」なんですよね。
今ならわたしは、それがよくわかるんです。

「夫を、あるいは妻を、大切な人を・・・死なせてくれてありがとう」なんて言う人はいますでしょうか・・・絶対にいません。
でも「辛いことから学ばせてくれてありがとう」と言える人は多いと思います。
わたしはその中のひとりです。

エリザベス・キューブラー・ロスというスイス生まれの女医のことをご存知でしょうか。
わたしはお気に入りの遠藤周作さんの著書『眠れない夜に読む本』の中で初めて知ったんですよ。

ロス博士は、何十年もの間、死が差し迫った末期がん患者さんたちにインタビューし、今どのような心理でいるかを訊ねてきました。
その内容は、世界的ベストセラーで、現在も医師や看護師のバイブルになっている『死ぬ瞬間』『続・死ぬ瞬間』で明かされているそうです。
実はわたしは今注文している段階でまだ読んでいないんです。
内容は多少知っているのですが、きちんと読むのは初めてなんです。
きちんと読んだ後にまた感想を書きたいな、と思っていますが、
著書の中にこんな言葉があるそうです。

「どんなに上がったり下がったりしようと、どんな人間の経験にも、かならず意味があります。どんな経験も、ほかでは決して学べないことを教えてくれます。神は人間に、必要以上の試練を与えたりしません」

わたしはこの中の「神」を「偉大な愛・力」と置き換えますが、この言葉は、わたしの「現在」そのままのような気がしてなりません。
Kさんの苦しかった日々もきっとそうなのかな・・・と思ったりします。

苦しみをなめたからこそわかる想い。
不安な日々を味わったからこそ、感謝できる今の幸せな日々。

Kさまの感謝はそういう感謝なんですよね。
病気になってよかった、とは言えないかもしれない。でも、病気になったからこそわかった
「家族の愛。生きることの幸せ」
Kさまの感謝の想いは・・・それだから重い言葉、意味の深い言葉としてわたしに伝わってくるのです・・・。

Kさま、生意気言ってごめんなさい。
お手紙本当にありがとうございました。


・・・あれから四週間が経ちます。

わたしは2005年12月、ダーのがんが発覚してから、時の流れに・・・あまりにも冷酷に過ぎゆく時間におびえ、慄き続けていました。

お願いだからもう少しゆっくり流れてください・・・
どうかわたしのあの人を連れていかないでください・・・

もちろん、いつもそんなふうに不安だったわけではありません。
と言うのも、ダーは本当に元気ながん患者だったんですね。
抗がん剤もよく効きましたし、副作用も容認できる範囲でしたし、何よりがん性の疼痛が一切出ませんでしたし・・・
二週間ごとに大阪と九州を飛行機で行ったりきたりするのは、普通の人でもしんどいことですよね。
彼はそれを楽しんでいたくらいだったんです。

彼が、(わたしからすれば)突発的にがん患者になってからも、わたしたちは大いに笑い、泣き、ケンカもして・・・

だからこそわたしは通常通り仕事を続けていられたし、ほとんど変わりない毎日を過ごせていたわけですが
それでも・・・近い将来かならず別れがやってくる・・・ということを忘れたことはありませんでした。
どんなに打ち消そうとしても打ち消せない現実。
これは確かに酷なものでしたが、だからこそ、積極的治療を求めて、自分でも信じられないほどの精神力をもって行動を起こせたのかもしれません。

でも、ふとしたときに・・・不安が突き上げてくるんですね。
たとえば・・・発覚した際、医師に「長くても一年半」と言われたわけですが、
のちに調べて、それは同じような状態の人の「生存期間中央値」であり、すべての人にあてはまるわけではないことを知りましたが、
それでも、その「一年半」という数字は、わたしの心を苦しめました。
いつもではないけれど、ふと不安に駆られ、「一年半」という数字を思い起こすと決まって沈み込むような不安に苛まれたものです。
同時に、「一年半」と言われたのだから、それに反抗して三年生かしてやろう、なんて、その数字が強気になる原動力でもあったわけです。

数字にこだわるのは人間の悲しい性ですね・・・。

亡くなってから一番辛かったのは、二週間が経ったころでした。
あの人が・・・二人の想い出が・・・どんどん遠く離れていってしまうような感覚に襲われ、いてもたってもいられなくなって・・・

ある日、こっそり阪大医学部に行ったんです。
ダーの遺体はまだ阪大医学部に安置されています。
(献体については後日また書かせていただこうと思います)
遺体は魂の抜け殻。ただの抜け殻でしかない。
わたしは嘘でなく、それを信じているんです。なのに、その日わたしは、無性に肉体が恋しくて恋しくて・・・
「会いたい。触れたい。」
胸の奥の奥から付きあがってくるような欲望を感じていました。

少しでもあの人の肉体のそばにいきたい・・・この想いをどうすることもできずに、途中でお店を閉めて行っちゃったんです。

献体者の慰霊碑に手を合わせ、案内をしてくれた方に、訊ねてみました。
「あの・・・いま、どこに安置されていますか」
「あそこの辺りです」
指差された部屋の窓に向かい、語りかけました。
しばらくそうしていましたが、何も感じられず・・・むなしい気持ちのまま帰ってきました。いえ、何かを期待して行ったはずなのに、かえってさみしくなってしまった・・・。
なんでやねん・・・なんでこんなことに・・・?
悲しくて虚しくて何もかも嫌になりそうでした。「あたしってアホ・・・」とつぶやき続けていました。

沈み込むような気持ちのまま、家に帰ってきて、はっ、と気づきました。
はっきりと・・・わかりました。

あの人はあそこにはいなかった。
だってあの人はここにいるじゃないか。
あたしのすぐそばにいるじゃないか。

献体による正常解剖のため、あと一年、長ければ二年、ダーの遺体は阪大医学部に安置されます。

それでもあそこにはもうダーはいない。
わたしの愛する人はここにいる。

この感覚は、同じような想いをされたことのある、一部の方にしかわからないと思いますが、
わたしははっきりと悟ったんですね・・・。

ここにいる。あたしの中にいる。あたしのそばにいる。

涙がたくさん出ました。でも、それは悲しみの涙じゃなくて安心の涙でした。
ほっ、としました。ああ、ここにいるから大丈夫、だと。


わたしは、いつまで残っているのかしらないけれどこれからの自分の人生を、
ダーの面影だけを頼りに生きていこうとは思っていません。
自分だけの人生なら、それもいいかもしれない。でも、わたしのこれからの人生は、ダーの人生でもあると思っているんです。
「ダーがのり移った」とかそんなコワイ話じゃないですよ^_^;
ダーが見護り続けてくれている人生、って意味です。だからこそ幸せにならなければならない人生って意味です。

彼はこの世に生きているとき、わたしに大変執着していました。
彼は、物質的幸せをまったく望まず、また人間関係に於いても徹底して「去るものは追わず」の性質でしたが、
わたしにだけは執着していました。
正確に言うと、わたしの心に執着していました。
わたしの心を求めてやみませんでした。
出会って二年ほどしたころでしょうか、こんなことを言いました。
「ぼくが欲しいのはマキの心だけなんだよ。他には何もいらない。肉体さえも本当はいらない。だけど心が得られないから肉体をもって得ようとしてしまう。それが辛い」

わたしはまだ若くて、奔放で・・・多少はわかったけれど、その意味の本質がわからなかったんですけど。
ダーはきっとわたしを通して、何か本当に暖かな強い真実の愛を求めていたのでしょうね。

それでも彼は、最期にはすべての執着から解かれていたことがわかりました。
「ありがとう、マキ。マキがいればそれでよかった」
その一言で、あの人がわたしへの・・・この世のすべての執着から解き放たれたことを感じました。
その時に感じたんじゃないんです。後になってわかったんです。

「それでよかった・・・」わたしさえいればそれでよかった・・・
過去形になってしまったその言葉に、言いようのないさみしさを感じたけれど
それは彼の本心だったはずです。

彼が執着を解いて旅立ったのなら、わたしもまた、旅立たなければならない。
わたしの場合は、今は、死ではない。これからの人生に。新しい時間の中に。

そのことをしばらくしてから悟りました。

泣いてもいいし、悔やんでもいい。
眠れない夜も続くかもしれない。
でも、わたしは自分の人生と向かい合わなきゃ・・・わたしは生きなきゃならない。生かされているんだから。
自分ひとりで生きているわけじゃないんだから。
偉大な愛に生かされているんだから。

どうして自分ひとりで生きているなんて・・・そんな傲慢なことが言えるでしょう。
どうして自分の人生をあきらめ泣き暮らすことができるでしょう。
わたしを支えてくれるたくさんの人たちに対して、そしてわたしを護ってくれるダー、そして偉大な力に向かって・・・。
わたしはこの一ヶ月、あまりにも偉大な力を感じ続けました。
その名を「神」と呼ぶのでしょうか。それはわからない。
こういうときにすべてを宗教的に解釈できるほど信仰心もない。

だけど、人は決して自分の力だけで生きているわけではなく、何か大きな愛の中を、その愛をひたすら求めて生きていることがよーくわかったのです。

それを日頃は、夫とか子供とか親とか・・・特定の人に見立てているだけで、本当は、
もっともっと大きな、なんて言えばいいのでしょう・・・人間本来が求めているのはもっともっと深い・・・偉大なる愛。救われる愛。
うーん。。。ムツカシイけれど、わたしはそのように感じました。

「救われたい」と願う気持ちさえあれば、偉大な力はきっと救ってくれるって。
物質的なことではない、精神的なことです。
「夫のがんを治してください」そんな物質的な願いではないんですよね・・・もちろん叶えてもらえれば幸せだけど
そういうのとは違うんですよね・・・

「心を救ってください」と願ったとき、わたしは確かに救われました。
わたしは、ダーの謙虚でいて素晴らしい最期に、そして笑顔に救われました。

「どうか強く生きさせてください」と願ったとき、それは確かに叶えられました。
わたしはいま、絶望していません。泣くこともあるけれど心の深いところで満たされいます。

誰が叶えてくれたんだ? わからない。少なくとも自分の力だけではないのは確かです。
だから偉大な愛、偉大な力・・・としか言えないんです・・・。

傲慢だった自分を心から反省しました。
「反省」できたこと。それはわたしにとって本当に意味深いことなんです。
まるで自分の力だけで生きてきたみたいに偉そうにしていた自分が、何か大きな力に支えられ愛に護られていることを初めて知り、
ようやく自分を省みることができた。

どうして俗的に生きてきた、物質主義的に生きてきたわたしが、ここまでこんなふうに考えることができるのでしょうか。
自分でも不思議でなりません。

もしかしたら、わたしはこのことを知るために大きな試練を与えられたのではないかと・・・半ば本気で信じたりしています。


わたしはあの人のことを永遠に愛し、永遠に覚えていようと思います。
忘れられるわけがない。
でも、あの人はもう執着を絶った。
あとは、わたしを、見護り続けているだけ。
わたしが、生きることをあきらめず、泣いたり笑ったり・・・をくり返し、
最期のときがきたら「ありがとう。幸せだった」と、ダーのように周囲のみなさんに言えるように。
精神を・・・・魂を磨かなければ。こんなわたしに・・・できるかな? ほとんど自信はなし。。。^_^;
でもがんばらなきゃ。
とりあえず努力はしなくっちゃ・・・

四週間たって、わたしが感じている想いです。

はあ・・・長かったですね。
最後までお読みくださったみなさま、ありがとうございました。







星組公演『エル・アルコン 鷹』/『レビュー・オルキス 蘭の星』

2007-11-19 | TAKARAZUKA歌劇☆彡


久々に観劇してきました(*^_^*)
4ヵ月ぶり? わあ・・・本当に久しぶりです。おささんの退団公演も行きかったけれど・・・ 

ダーがとってくれたチケットは、一階一列目センターのとびきりよいお席です。
いつもながら、とうこさんの妖しいまでの美しさに卒倒しそうになりました^_^;

とうこさんと5回目が合ったぞ(・・・ウソやろ・・・)
南海まりちゃんが微笑みかけてくれたぞ(・・・気のせいやろ・・・)
それにしても、あと少しいたら絶対に娘役トップになっただろう南海まりちゃんが退団なんて・・・(>_<)
一番いい時期に・・・輝いている時期に退団を決めるのですから、きっと未来に素晴らしい希望を抱いていらっしゃるのでしょうね・・・

「引き際が肝心」という言葉がありますが、
引き際を綺麗に飾れる人はその後の人生においても素晴らしい成功をおさめる人が多いと思います。

うちのダーさんは、特に宝塚には興味がなかったのですが、
毎回、「楽しんできてね」と送り出してくれました。

宝塚にはそれほど興味がなかったけれど、お芝居や歌は大好きで昔はよくオペラなど観にいっていたようです。
音楽も大好きで、わたしはダーの影響でモーツァルトの魅力にはまりました。
学生時代はコーラス部に所属していたと聞いたときはたまげましたケド。
だってわたしの知る限りかなり音痴だったし・・・

彫刻も絵画も大好き。映画も大好き。特に『アマデウス』や『ベン・ハー』は何度もくり返し観ていました。
趣味の広い人・・・つまり好奇心旺盛な人だったなあ・・・と改めて思います。
人は好奇心さえあれば、他人の何倍も楽しんで生きられますネ。




『エル・アルコン』は青池保子さんの漫画『エル・アルコン』と『七つの海 七つの空』を
ミックスして宝塚流にアレンジしたオリジナルミュージカル!

とうこさん演じる「ティリアン・パーシモン」は、七つの海に野心を賭ける冷酷非道な海軍士官ですが、
まあ・・・かっこいい・・・赤毛のアンじゃないけど「ぞくぞくっ」としました。
一口に男役といってもいろいろなタイプがあるわけですが、とうこさんの魅力はやはり、匂い立つような色香のある男・・・
やさしいだけの男よりずっと魅力的です。

果たしてダーは色香のある男だったか・・・ハイ、わたしはそう感じていました^_^;
わたしは初めてダーに会ったとき「この人・・・色っぽい男性やなあ・・・」と思いましたもん。
色っぽいって・・・なんかいやらしい言い方ですけどね。




去年も同じような写真出しましたよね。
今年も立派なツリーが・・・(^^♪
チャリティー募金をした人は、紅いリボンをツリーにくくりつけることになっています。




少しだけ紅く色づいた花のみち・・・


今日はとっても寒い豊中です。
買い物に行くときコート着ました^_^;
みなさまお風邪など召されませんようご自愛くださいませ。

ただいま大変ご注文が混みあっております。
本日発送できなかったお荷物はすべて火曜日以降となります。
よろしくお願いいたします。



聴診器・・・

2007-11-16 | 想い
みなさまこんばんは。
いつもありがとうございます。

励ましのお言葉たくさんいただきまして本当にありがとうございます。
「少しでも元気になってほしい」とお菓子やお花や本など・・・たくさんお送りいただいております。
どうかどうかお気遣いなく・・・どうぞお願いいたします。

Nさまから、「ブログ毎日見ています。更新がないときはがっかりします。一言でもいいので書いてくださいね」とメッセージいただき、
とてもうれしくて・・・
がんばって更新していきますのでよろしくお願いいたします。



ダーが単身住んでいた家にあったもろもろが送られてきました。
ダンボールにぎっしり三箱分。
わたしと同じで本が大好きだったので、わたしが読めそうな書籍類、診療ノート、
写真類・・・

これは診療ノートですが、24時間休みなしで往診しましたので、どのページもびっしり書かれています。
こんなにもたくさんの方に呼ばれて診療していたんだなあ・・・と思うと
飼い主さんたちに改めて感謝の想いでいっぱいです。


元気だったころはもちろん、がんが発覚してからも、同じように毎日毎日、がんばっていたことがわかり、
本当にダーは幸せな人だったんだなあ・・・と思います。

男にとって仕事は生きる術ですもんね。




写真を撮るのが大好きな人だったんです。自分で現像もできるほどで・・・^_^;
アン、ルウ、その他の動物たちの写真も山ほどありました。

これは数年前、日本最南端の島、トカラ列島にうかぶ宝島に行ったときの写真です。
二度行ったんですけどね、遊びじゃなくて、診療に・・・
宝島はですね、ネコの多い島で、島の方の依頼で、避妊手術をしに行ったんですよ。
二日か三日で20匹以上のネコちゃんの手術をしたんじゃなかったかなあ・・・
わたしとルウも助手?! としてひっついていきました。

ちゃんとした場所もないわけで、何だか野戦病院みたいな感じでしたね。

もともとダーは大型動物(馬や牛など)も得意でしたし、鳥類、爬虫類何でも診ることができたので、そのアグレッシブな姿勢が野戦病院の先生にぴったりのように感じました。

あの人が手術をしている姿を見るのが大好きでしたね。
何だかとってもかっこよく見えて・・・ヒゲぼうぼうのオッサンなのにネ^_^;
そのおかげか、わたしは血も肉も怖くないんですよ(・・・(ーー;))

しかし、夏場だったのでそりゃあもう・・・亜熱帯の島ですから暑いのなんのって。
電力資源にも限りがあるため、民宿も、食堂にしかクーラーがついていないんですよ。
泊まる部屋には扇風機だけ(>_<)
ココだけの話、二人とも裸で寝ました(~_~)

温泉もありまして・・・なんでこんな暑いのに温泉なん・・・?
とか思いつつ、二人で喜んで行きましたけど。

信じられないほど美しい景色の中で、たくさん想い出作って帰ってきました。



愛用の聴診器も入っていた・・・
えーと・・・これどうしよう?
・・・壁にでも飾っておくか!
ルウに食いちぎられる危険性はありますけどね・・・

それにしても・・・わたしが大好きだった頃のダーの写真を見ているうちに、
なんかこう・・・恋愛していたころの記憶がぱーっと蘇ってきまして^_^;
あの頃・・・ダーはすでにオッサンだったのにわたしに夢中で(笑)、わたしも小娘だったのにダーに夢中で(笑)
いやー楽しかったです・・・(*^_^*)

写真とか想い出の品とか・・・見たら涙が出るんじゃないかと思いましたが
涙は出ませんでした。
ただただ、幸せな時間が蘇ってきて・・・

会いたいなあ・・・とは・・・もちろんいつも思っていますけど、
まるで片想いしているみたいな・・・そんな気持ちで・・・
恥ずかしくなるんですけどね^_^;

闘病の二年間も、わたしにとって意味のある日々でしたが、
それまでの日々はやっぱり特別ですね。
どうしてこの人に恋をしたのだろう・・・と考え、ああ、こういう人だったから恋したんだなあ・・・と思ったり^_^;

最近のわたしは、身近な人に、ダーとの懐かしい、ときめきの日々を語るのが楽しくて。
でもかなりノロケが入っているので聞いている方は、苦笑するしかないかも・・・(*^_^*)





ありがとうございます

2007-11-14 | 想い
毎日毎日たくさんのメールをいただきます。
みなさま本当にありがとうございます。

一通一通読ませていただきながら、こんなにもたくさんの方に、こんなにもやさしいお言葉をかけていただけるなんて、正直・・・信じられない思いでいます。
わたしはこんなにもみなさまにやさしくしていただけるような立場じゃないのに・・・ってちょっと恐縮しています。
ごめんなさい。でも、本当にありがとうございます。
月並みな言い方しかできずに・・・情けないのですが、本当に感謝の想いでいっぱいです。

わたしがあれからダーのことを書き続けているのには、自分なりに目的があります。

生きるってとってもしんどい。
生きるって悲しみの連続だ。
生きるって一体なんなんだ?

・・・だけど生きることをあきらめきれない。・・・なんで?

ダーがいなくてさみしくて仕方ない。
どうしていないの・・・! と泣きたくなる。
どうしてわたしのダーがこんな目に遭わなければならないんだ?

・・・だけどわたしの心の深いところは満たされている。・・・どうして?

まあ・・・そういうことを伝えたいんです・・・
わたしの稚拙な文章でどこまで伝えられるのか・・・自信はありませんが・・・

ちょっと今夜はムツカシイことは書かないでおきます。
頭がシャッキリと回っていないので(いつものことか(~_~))。

今日、店舗の大切なお客様Iさまがご来店くださいました。
Iさまは、わたしが初めてブログでダーの旅立ちを書いた翌日、とても美しい百合の花束をお持ちくださいました。
その翌日もご来店くださり、たくさんお話をさせていただき、今日もたくさんお話をさせていただきました。
Iさまは、オープン当初からの大切なお客様で、そして、わたしはIさまのことがずーっと大好きで・・・
Iさまがご来店くださると、心が浮立つような、うれしい気持ちになるのです。

わたしもこんな女性になりたい・・・精神の美しい凛とした女性に・・・
いつもそう思っています。

Iさまのやさしい笑顔に、お心遣いに・・・今日も心から感謝しました。
本当にありがとうございます。

人への感謝の想いが募れば募るほど・・・癒されていくように想います。

感謝の想いを忘れ、自分の殻に閉じこもっているときに限って、
イライラしたり、沈み込むような気持ちになって体調まで悪くなってしまいます。

神様(偉大な愛の力)は、魂の向上のためにこの世に生きるよう、わたしたちを諭していることがよーくわかります・・・
わたしは宗教はよくわかりません・・・神の存在も・・・よくわかりません・・・。
でも、人が、偉大な力に護られ、生かされていることは確信しています。



ポンポンブランケットを肩からかけて、夜もがんばっているわたしです・・・(*^_^*)
ビロードのようなやさしい肌触り・・・お気に入りです(*^^)v


ある愛への想い

2007-11-11 | 想い
優ちゃんの力作・置くだけフェンス・・・(*^_^*)
実際にご覧くださった店舗のお客様、
ブログで画像をご覧くださったみなさまより、大絶賛のメッセージをたっくさんいただきました(*^_^*)

九州に帰った優ちゃんに告げましたら、もちろん大喜びでした。
あまりにもたくさんメールをいただいたので、お一人お一人にお返事ができずにごめんなさい・・・。
この場を借りてお礼申し上げます。

通販のお客様も、いつかぜひ、観にいらしてくださいね・・・(*^_^*)



なんやねん、この顔・・・と驚かれたみなさま、ごめんなさい。
うちのルウルウさんです。
わたしのダーが一番気に入っていたルウの写真なんです。
ケイタイの待受になっていました^_^;

ルウの幼年期、わたしは仕事の関係で家を空けることが多かったので、この子はダーが育てたようなものです。
九州で、単身、往診のみの獣医として開業していたダーは、毎日ルウを助手席にのせ、走り回っていました。
いつもルウが楽しく遊べるような原っぱや草むらで休憩をとり、自分はコンビニで買ったおにぎり頬張りながら、楽しそうに駆け回るルウをうれしい気持ちで眺めていたそうです。

愛情たっぷりに育てられたルウはもちろんダーが大好きで、
お通夜のときは、ダーの顔にお尻をくっつけるようにして眠っていました。

この画像は、ダーのPCからもらったものですが、タイトルは「真っ黒クロスケ」^_^;
いつももっさりうっかぶっているルウを、愛情こめて「雑巾ルウ!」「デカシーズー!」「アホチンルウルウ」と呼んでいたダーでした。
亡くなる数日前から、「ルウに会いたいなあ」と毎日つぶやくので、わたしが「連れてくるよ、何とかして」と言ったら「ダメだよ。みんなに迷惑かけるから」なんて笑っていました。
亡くなる5日ほど前から、体がまったく動かなくなって車椅子にも乗れなくなっていたので、病院の前で会わせることもできない・・・
そこでわたしは、ルウをこっそり病室に運び込むために、「犬用ワイドカート」なるものを手に入れ、秘かに計画を立てていたんですけどね・・・。
だけど実際にそんなことして見つかったらとんでもないことになっていたかも。

患者が大切に想っている家族であれば犬であろうがネコであろうが自由に入れる病院の存在を知っていますが、
公の大きな病院では、なかなかそこまではできないでしょうね。



わたしとルウのこの写真は、PCの壁紙になっていました^_^;
4年くらい前のものだと思いますが、
「このころの真希はこんなにかわいかったんだね~~(ダーは長年関東にいたのでちゃっかり標準語デス)」と言われ、ムッとしたことを覚えています^_^;
「そんなに違う?」とわたしが訊くと、「違うよ~~」と断言され、2時間ほど何を言われても口を聞かなかった・・・という経緯があります。
確かにね・・・今とは違う・・・。痩せちゃって頬の辺りに年齢が表れはじめていますから^_^;

それにしても、「僕はこの写真が大好きなんだ」と微笑んでいたのが昨日のことのようです。


今日・・・わたしは、ある大きな愛に包まれ、何だかとても幸せな気持ちでいます。

ダーは単身、九州のド田舎で開業をしていたので、住んでいた家の後片付けのことなどで、弟のKさんと電話で話をしました。
ダーとわたしは、年齢がかなり離れていたので、Kさんはわたしにとって人生の大先輩です。
事務的な話が終わり、想い出話の途中、Kさんは唐突に切り出しました。

「兄は幸せでした。それは本当によくわかります。だけど、真希さんはどうだったのだろう・・・。真希さんの大切な10年を兄は台無しにしてしまったのではないだろうか・・・。それを思うと、僕は、申し訳なくてお詫びの言葉もありません・・・いつもそのことばかりを考えていました。兄は、真希さんに辛いことばかりさせてしまったのではないか、と・・・それをどうすればいいのかと・・・」
そう言ってKさんは号泣されました。
「兄のことはもう終わりました。だからもう何も心配しないでほしい。真希さんはまだ若いのだから、ご自分の人生を、ご自分の人生だけを大切に想って生きてほしい」

わたしは・・・わたしは、Kさんの心からの愛に圧倒され、しばらく言葉も出ませんでした。

ダーを選んだのはわたし自身です。そうであるなら、この結果もわたし自身が選んだことです。
誰も悪くはない。誰のせいでもない。
それに、わたしは、みなさんが仰ってくださるほど、ダーに尽くせたのでしょうか・・・。
周囲の人はみな、「真希ちゃん本当にご苦労様でした。ありがとう」と労いの言葉をかけてくださいます。
そんなときわたしはいつも想うのです。
みなさんが思ってくれるほどわたしは何もできなかったのに・・・と。

治療に関しては、わたしたちができることはすべてやり尽くした、という自信があります。
がんが発覚し、イレウス解除のため、原発切除の手術を行ったあと、医師はわたしに言いました。
「やはり腹膜に高度な転移がありました。末期がんです。無治療、あるいは抗がん剤が効かなければ7ヶ月ほど。抗がん剤が全部効いて一年半くらい」
わたしは医師の告げる余命なるものを信じていません。同じ結腸がんの肝転移・腹膜播種でも、人それぞれ様々な経過をたどります。
ある専門医が「人それぞれ個性が違うように、がんも千差万別」と言っていますがその通りだからです。
医師の告げる余命は「生存期間中央値」ですから、中央値より短い人もいれば長い人もいます。
ダーが患っていた病態で、治癒がないことは事実です。延命のみであることは事実です。
だけどわたしたちは延命のための延命をやったつもりは一切ありません。
だからこそ、二年間のほとんどを、ダーは、大阪と九州を行ったり来たりしながら仕事を続ける事ができました。
みんながびっくりするほど元気ながん患者として、生きることができました。

わたしたちの抗がん剤治療は、「元気な日を一日でも長く」の目標に到達したものであったから、治療に関してわたしは一切後悔はしていません。

だけど、その他もろもろのことで、小さな後悔はたくさんあります。

ダーは、親戚にも誰にも言わないことをわたしに約束させ、わたしと二人だけの日々を望みました。
ダーに心から愛され、心から信頼されていたわたしなのに、果たして、ダーの望みにきちんと応えることができたのかどうか・・・あまり自信はありません。

そのことをKさんに告げると、「真希さんがいてくれたから兄は幸せな死を迎えられました」と断言してくれました。
「兄はそれでよかった。でも真希さんは・・・」

わたしも断言しました。「わたしは幸せだったんです。わたしはあの人に、心から愛され、たくさんのことを教えてもらいました。あの人の生き方と死に方は、これからのわたしの人生に大きく関わってくるはずです・・・わたしは、心から感謝しているんです・・・」

電話を切った後、わたしは、うれしくて泣きました。
こんなにもわたしを心配してくださる方がいたなんて・・・
「愛」は、男女関係、親子関係だけの特権ではない、としみじみ思いました。
わたしを想って泣いてくださったKさんの愛は、自我の悲しみを忘れた、本物の愛だと感じました。
兄を想うからこそ、遺されたわたしをも大切に想ってくださるのでしょう・・・
本当にありがたくてありがたくて・・・心が洗われたような気持ちになりました。

ダーが旅立ってから、ダーのお客様(ダーが診ていた動物たちの飼い主さん)、友人知人関係の方から、たくさんのお言葉をいただきましたが、
そのほとんどが、「ジュン先生は幸せだったんですね」というお言葉でした。
決して寿命を全うしたという年齢まで生きられたわけではありません。
わたしとは随分歳が離れていましたが、まだまだ若く、まだまだ何でもできる歳でした。
それでも、「幸せだったんですね」と言っていただけて本当にうれしい・・・。
本当にダーのことを知っている、想ってくれている人にしか、この言葉を口にはできません。

「生きる」ということは、長短ではないと思っています。
この世で生きている間、どれだけ精一杯生きることができたか・・・人を愛すことができたか・・・自分の目標に近づけたかどうか・・・
その点、ダーは合格点をとったに違いありません。

愛する人の死は悲しいばかりではありません。
それは、遺された人の受け止め方次第で、随分と違ってくるように思います。
さみしくなったら思う存分泣けばいい、誰かに一時依存してもいい。でも、そればかりじゃ、愛する人を失わなければならなかった本当の意味がわからなくなる・・・。

わたしたちはついつい忘れてしまいます。この世での人生には限りがあることを。忘れていても、有限であることは、絶対に変えられない事実です。
自分の人生も、愛する人たちの人生も・・・みな有限です。
限りある中を生きていかなければならないのですよね・・・。
決して悲しいことではありませんよね。無限であれば、しょーもない人生を送ることになるかもしれないけれど、
有限だからこそ、今できることを精一杯やらなくちゃ・・・と思えるのですから(*^^)

たくさんの末期がん患者さんと話をしてわかったことは、
彼らはみな、病を患って初めて限りある自分の人生に気づき、ちょっぴり怠惰に生きた過去を反省し、
絶望と虚無を乗り越え、生きることの意味、その素晴らしさ、その残酷さを知り、
それでも生きたい、それだからこそ生きたい、という想いをかみしめているという事実です。
それほどまでに、大切な「生きる」ということ・・・

ダーの旅立ちによって、生きること、その本来の意味への理解を深めることができたわたしは幸せ者です。

そして、Kさんに、深い愛を与えていただけて本当に幸せです・・・(*^_^*)


優ちゃんアッパレ(*^_^*)

2007-11-09 | 新作速報&話題いろいろ
ダーの作った置くだけフェンスにくっついている薔薇を見て、
「えーーっセンセイ、これどーやって作ったんだろぅぅ? 優にはできないよ~~」と嘆いていた優ちゃんだったのに・・・



・・・めっちゃできてます・・・
この薔薇、リボン、葉っぱ・・・すべて優ちゃんのセンスで創り上げたのです。
それにしてもなんてキレイな薔薇でしょう・・・
どうしてこんなのが作れるの・・・不器用なわたしには謎ばかり・・・



一日かけて漆喰を塗り、乾かして、今朝見てみると・・・!
こんなに素敵なのができちゃっていました!

センターのハートもぜーんぶ優ちゃんの力作。



完成品の設置に余念のない優ちゃん・・・




設置完了(*^_^*)
なんてかわいいフェンスでしょう。
優ちゃんアッパレ!

わたしは優ちゃんに「ぜんぶ優ちゃんに任せるからね」と言っていましたので、
デザインもすべて優ちゃんオリジナルです。



つなぎ目部分はパールアレンジで。



とってもかわいいリボン♪



なんて素敵なピンクの薔薇・・・




優ちゃん、本当に本当にありがとね。
ダーがどんなに喜んでいるでしょう。
きっと、「なんだ、僕のより優ちゃんが作ったもののほうがいいじゃない!」なんて苦笑しているかも。

18歳の高校生、優ちゃん。
一番つらいとき、ずーっとわたしのそばにいて、かわいい笑顔、真剣なまなざし、やさしい言葉でわたしを励ましてくれました。

こんなに頼りになる18歳はどこを探してもいないとわたしは思います!

優ちゃんは、今日、飛行機に乗って帰りました。
冬休みにまた必ず来てくれることを約束して・・・。

優ちゃん本当にありがとう。
何より、優ちゃんを大阪に残してくれたご両親、学校の先生に心より感謝いたします。
何度、ありがとう、を言っても足りないくらいです。

優ちゃんの未来に、わたしが少しでも役立てることを願っています・・・。

店舗のお客様、ぜひこの素敵なフェンスを観にいらしてくださいね(*^_^*)



わたしのダー(*^_^*)

2007-11-06 | 想い
みなさまこんばんは。いつもありがとうございます。

毎日たくさんの暖かいお言葉をいただきまして・・・本当にありがとうございます。

いただいたメールの中には、愛するお父様やお母様を亡くされたときのこと、大切な友人を亡くされたときのこと、
また、現在お子様が病気で日々奮闘されていらっしゃること・・・など、
自らの経験から得た心の想いを綴ってくださった方もたくさんいらっしゃいまして・・・
読ませていただきながら、人はみな、普段どんなに明るく振舞っている人であっても、
心の中ではいろいろな悲しみや困難を相手に、自分自身と闘っていることを改めて知りました。


わたしたちは生きている限り、必ず愛する人の死を経験しなければなりません・・・
それがわたしのように現在であれ、遡った過去であれ、まだ見ぬ未来であれ・・・
必ず経験しなければならないことなんですよね・・・。誰だって、絶対に避けることはできない・・・。
自分自身の死ももちろん・・・。

辛いけれど、悲しいけれど、さみしくてどうしようもないけれど、
必ずやってくるのですから、そのときに自分を見失ってしまわぬよう、日頃から自分自身の心を癒す術を見つけ出しておくことが必要なのかな、と思います。

わたしの場合は、
ダーが、以前からわたしに教えてくれていた「死」に対する価値観、
そしてわたし自身がダーの闘病生活の中で、いつの間にか築いていた死への想い。
何より、生きるためにできることはすべてした。最期の最期まであきらめなかった。後悔のない闘い方をした、ということが、心を癒す術になっているように思います。


わたしのダーは信仰心の厚い人でしたが、根っからの科学者でした。
そんな彼がわたしに説いていた「死」は、「死は終わりではなく、次の段階へと進むステップである」ということでした。

ダーは、若い頃、医学部の研究室で「日本住血吸虫」という虫の研究を行っていました。
この虫が体内に寄生して起こる疾患「日本住血吸虫症」は、昔は日本の山梨県などを代表とした風土病でもあり(水田改革により現在日本では根絶しているようです)、
現在も東アジア方面など発展途上国では、この疾患により死亡する人が大勢います。
この虫はヒトに寄生すると(イヌやネコなどにも寄生します)、宿主の体内で成長し、最終的には宿主を死に至らしめます。
ダーは、この疾患の研究と医療支援のため、フィリピンや中央アフリカに長期滞在するなど、この疾患のスペシャリストでした。

彼は、死というものを、この「日本住血吸虫」の生態に置き換えて説明することがよくありました。


・日本住血吸虫の生態は・・・

宿主(寄生したヒトやイヌ・ネコ・牛など)のうんちから卵が排出される→水中で孵化→ミラシジウム幼生に変化→ミヤイリガイという巻貝の体内に侵入→
ミヤイリガイの内でスポロシスト幼生に変化→ミヤイリガイの体内でセルカリア幼生に変化→
ミヤイリガイの生息する水田に宿主が皮膚を浸ける→皮膚から侵入→門脈に吸い付き宿主の体内で悪さをして最終的に宿主を死に至らしめる・・・
・・・このくり返しです。

それにしても、この虫はなんと多彩な変貌・変化を遂げていることでしょう・・・
なぜこのような変化を辿るのか、という疑問は愚問で、ただそうなるようになっているからそうなる、というのが答えだと思います。

寄生虫と、人の死をいっしょにするなんて・・・という声もあるかもしれませんが、
ダーの言いたかったことはそのようなことではありません。

日本住血吸虫は様々な変化・変貌を遂げ、次の段階へと進んでいく。
人もまた、様々な変化を遂げ、次のステップへと進んでいくのであれば、死は次のステップへの経過でしかない・・・

ダーはわたしに、自分自身が長年携わってきた、日本住血吸虫の生態を明かすことで、死は最終的なものではない、ことを示したのです。
彼のそうした理解は「生命の不思議」に繋がっているものだと思います。
彼は科学者で、科学的根拠のないものは信じない性分でしたが、一方で、この虫の不思議な生き様に、科学では証明できない、自分たちには計り知れないことが起こっていることを悟っていました。
目に見えるものだけがすべてじゃない。
耳に聴こえてくることだけがすべてじゃない。

だからこそ、科学者なのに、信仰心の厚い人だったのだと思います。

確かに、わたしたちはなぜ自分がここに在るのか、その答えを出せる人はいないのではないでしょうか。
母親の胎内で、細胞分裂をくり返し、産まれ出てきたことは知っていても、
なぜ一個の細胞が秩序を保ちながら倍々ゲームをくり返し、人の形になるのか・・・
なぜ精神を宿して生まれてくるのか・・・
そもそもなぜ人類が誕生したのか、どうやって創り出されたのか・・・
さっぱりさっぱりわかりません・・・

昔は、人が生まれてきた意味も生きる意味もわからないことで落胆し、自殺をした哲学者が大勢いたと聞きます。

答えの出ないものを追い求めて窮地に陥るのではなく、答えの出ないものは答えの出ないものとして扱うしかないのではないかな・・・とわたしは思っています。
生物の誕生のすべては神秘的で、答えなど出せるはずもない。
「なぜそうなるのか」ではなく「そうなることが答え」ということでしょうか・・・。
そう考えると、日本住血吸虫の生態も、人の死は終わりではなく次の段階へいくためのステップでしかない、
という想いも、受け入れることができるのではないでしょうか。


わたしは、亡くなる人は、みな、幸せな気持ちで次の段階へ進んでいくと思っています。
わたしのダーのように、最期まで意識があり、痛み止めも延命措置も何もせず、「ありがとう。幸せだった」と言って、笑って旅立つ死もあれば、
事故やある疾患での突然死、また、最期まで苦しんだように思われる死など・・・
様々だと思いますが、それでも、わたしは、亡くなる方はみな、幸せな気持ちで次のステップへ上られるのだと信じています・・・。

先日も書いたように、わたし自身は、信仰心の厚い人間ではないんですね。
ものすごく現実的で、心の目で物事を捉え、心の声で何かを聴く、というようなことが困難で、
「あたしってほんと俗的だなあ・・・」と思うことがよくあります。
ダーとの日々で、特にこの二年間で少しは変わってきたとは思いますが・・・
それでも俗的な人間に変わりはなく、そんなわたしでさえ、死は終わりではない、ということはずっと信じていました。
死により「無」になるのは肉体で、精神(魂)はずっと生き続ける、って・・・。

もし、ダーの魂がわたしを見守ってくれているとしたら・・・
わたしがいつまでも悲しんでばかり、泣いてばかりいたら、どんなに心配するだろう、って思うんです。
日頃から彼は、「もし自分が死んでも、いつまでも泣いていたらだめだよ。真希は絶対に幸せになれるからね」と
言っていました。
「真希、愛しているよ。大丈夫だからね」と最期まで言ってくれました。

「死」に対して、特に愛する人の死に対しては、人それぞれ価値観の違いがあると
思いますが、
わたしは、本当にその人のことを愛していたなら、精神力のすべてを使ってでも、その人の死を受け入れ、強く強く生きていかなければならないんじゃないかな、と思っています。
遺された人たちが、亡くなった人に心配をかけないような生き方をすることこそ、亡くなった人への最大の供養であると思っています。

そうは言っても、確かに、現実は厳しいものです。
愛していればいるほど、その人の不在に耐え切れない思いがします。
でも、それでも、やっぱりわたしは、どんなに辛くても受け入れなければならないよね・・・と思っています。
今すぐじゃなくてもいい。ゆっくりでもいいから。

もしわたしが死んだら・・・わたしだって、愛する家族や友人たちにいつまでも悲しんでいてほしくない・・・
できることなら早くわたしへの執着を棄てて、新しい日々の中で幸せを見つけていってほしい・・・。
愛する人がいつまでも自分のために泣き暮らしているのをそれでいいなんて思えるわけがありません・・・。

死は忌むべきもの、悲しむべきもの・・・と思うのは、決しておかしなことではありまんし、
生きている人間が当然抱くべき感情だと思うのですが、
そんなわたしたちにも必ずいつか・・・死は訪れるんですよね・・・
決して逃れられないものです。
それを、忌むべきものであり、悲しむべきものだと決め付けてしまうのは、ちょっと違うんじゃないかな・・・と思ったりします。
死は必ずやってくる。だからこそ、死について、もう少し、穏やかで精神的な捉え方をしていないと、
本当に死がやってきたとき・・・安らかに迎えることができないのではないかな・・・なんて考えたりします。

また、死を忌むべきもの・・・としてしか捉えられないのは、生にたいする否定でもないかな・・・って。
生と死は、決して切り離すことのできない一セットなのに・・・って。

ダーもわたしも、最期の最期まで生きることに執着し、何が何でも生きてやるぞ、と死に反抗してきました。
当然です。
わたしにしてみれば、こんなに愛する人を簡単に死なせるわけにはいかなかった。
ダーにしてみれば、こんなに愛するわたしをひとり残していくわけにはいかなかった。
自分の体の中でひとつひとつ破壊が起こり、容態が悪くなっていく中でも、新薬の投与に前向きだったダーは、本当に、最期まで生きることをあきらめなかった人でした。

そうであれば、わたしにとってダーの死は怒りそのものではないか、忌むべきものじゃないか、と思われると思いますが、そうとも言えませんでした。
確かに、ダーの死はわたしにとって、これまで生きてきた中で一番の衝撃で一番の悲しみで、言葉になんて言い表せないくらいの想いがあります。
愛する人を失ったとき、誰もが経験する、
他人にはわからない・・・自分だけの想いをたくさんたくさん持っています。
決して誰にも言えない想いをたくさんたくさん持っています。

だけど、最期まで生きることをあきらめなかったからこそ、死は穏やかに、やさしく、訪れてきてくれたように思うのです。
「よくやったね。がんばったね。お疲れ様ね・・・」と。

目尻を下げ、口角を上げ、本当に笑顔で逝った彼を見たとき、わたしの中に、死に対する怒りは生まれてきませんでした。
途方もないさみしさや悲しみはあったけれど、怒りはなかった。
やさしく迎えにきてくれたんだ・・・という感動があっただけだったと思います。

ダーは死の前、「道を整え ローソクを灯し 天使を待とう」という自分で創った言葉を紙に書いていましたが、
そのとおり、道を整え、ローソクを灯していた彼を、やさしい天使たちがそっと抱き上げてくれたような・・・そんな感じがありました。

そんなふうにやさしく迎えてくれたことに対して、わたしは、
自分自身の途方もないさみしさや悲しみとは別のところで、
ありがとう、わたしの大切な人をやさしく迎えにきてくれて・・・と、感謝の想いすらあります。

生きることを軽んじたり逃げたりした結果の死と、最期まであきらめず生に執着し続けた死とでは、
同じ死でも違うと思っています。
ダーはまさしく後者でしたし、だからこそ、穏やかな死を迎えられたのだと信じています。

ダーの死に携わってくれたある方が、今でも毎日のように言ってくれます。
「真希ちゃん。先生の死は本当に素晴らしかったよ。たくさんの死を見てきたけれど、誰もあんな死に方できないよ。絶対にできないよ。
真希ちゃん、これでよかったんだよ。本当によかったんだよ」と。
慰めでも何でもなく、それが真実なんだと知ったとき、わたしは心からうれしく思いました。
ダーの死を、悲しいものとばかり決め付けるのは、ダーに対して失礼だと感じるようにもなりました。


だけど・・・だけど・・・愛する人の死はとてもさみしくて悲しくてやりきれなくて・・・
死というより、その人の不在に圧倒されてしまって・・・
部屋中あちこちにダーの想い出が散らばるのみで、実際はいない・・・
どこにもいない・・・
その現実に打ちひしがれて、心がつぶれてしまいそうになる・・・
なんでいないの? と大声で叫びたくなってどうもこうもない・・・
ダーの匂いがこびりついているジーンズやハンカチやいろいろなものを抱きしめて、それで心の平穏を保っているときもあるんです・・・。

それでも。それでもわたしは、心の深いところでは、満たされた想いでいるのです・・・
何だか言葉で説明するのは難しいですね・・・。

こんなことを書くと笑われそうですが、わたしはイヤというほどダーに愛されました。
なんでこの人はこんなにも強くあたしを求めるんだろう・・・
なんでこの人はこんなにもわたしを愛し、理解し、護ってくれようとするんだろう・・・と、正直、不思議なときもありました。
単に女性として愛されている、というよりも、何だか本当に、無償の愛みたいなのをずーっと感じていたんですね。
わたしたちはお互いに隠し事が一切なかったので、ケンカも多く、一日口を聞かない・・・なんてこともよくあったんですよ。
それでも、ケンカをしながらでも、いつも、ダーの自分に対する無償の愛を感じていました。

でも、わたしの満たされた心は、わたしに対するダーの深い愛を得られたことだけに依存しているわけではありません。
もしそれだけなら、逆に後悔とさみしさで泣き暮らしていたかもしれません。

わたしが愛する人の死を完璧とは言えないまでも受け入れることができた「核」になること・・・
それは、わたしたちが、精一杯、できる限りことを尽くして、病気に立ち向かっていったことなのですが、
それはまた後日書かせていただこうと思います。




ダーの作った置くだけフェンスの文字に色を塗ってくれる優ちゃん・・・

ピンクという色にとことんこだわってうるさいわたしのために、ダーが買ってきてくれたのは
こんなにかわいいベビーピンクでした。



場所も移動して・・・とってもステキになりました。

優ちゃんは、あと二つ・・・作りかけのままになっていた置くだけフェンスを完成させるべく
がんばってくれています。

それにしても・・・ダーがどんなにうれしがっていることでしょう・・・
優ちゃんが自分の後を引き継いで作ってくれるなんて、きっと夢にも思わなかったでしょうから・・・
本当に喜びながら、優ちゃんを叱咤激励していると思います。



素敵なマット類・・・とっても優雅で雰囲気ありますよね(*^_^*)
すべてメーカー価格より大幅値引きのセール価格にてご紹介いたします。
本当は今夜の予定だったのですがサーバーがメンテナンスに入っていて、
HPの更新ができないんですよ。
なので明日以降に・・・。



画像よりずっとキレイな上品ピンク・・・♪
ロングサイズは縦幅がそれほど大きくないので、ベッド下のマットにとってもいいと思います♪

かなりステキなので大ブレイク間違いなしですね・・・(*^_^*)

お楽しみに。





優ちゃんの雄姿。

2007-11-02 | 想い
みなさま、いつもありがとうございます。
ごめんなさい。わたしがブログに書いたものだから、お客様方よりメール、お電話、お花、果物、電報・・・といただいております。
ありがとうございます。心から感謝しております。
ですがどうかこれ以上はもうお気遣いなく・・・どうぞお願いいたします。

わたしの心は満たされています。これは真実です。
それは・・・この二年間の、立ち向かい続けた日々のおかげだと想います。
結果的にわたしのダーは旅立ちましたが、わたしはそれまでの経過・・・つまり、
治療を精一杯、わたしたちにできる限りのことをやってきた・・・
力尽きるまであきらめなかった。最期の最期まで新薬に懸ける想いを失わなかった・・・
そのことに満足しているから、わたしの心は満たされています。
何より、ダーのあの笑顔、みなさまの支え、にわたしは満たされています。
ダーは幸せでした。約10年連れ添ってきたわたしが言うのですから間違いありません(*^_^*)
みなさま本当にありがとうございます。


そしてわたしは・・・優ちゃんにとってもとっても支えられています。
彼女は高校三年生。18歳です。
一言で言うと、こんなにタフでやさしくてしっかりした18歳は世界中どこを探したっていない・・・ってこと^_^;
彼女はすごいです。最近の日々は、彼女の存在なくして語れません。
一番辛いときにわたしのそばにいて、その類稀な存在感とやさしさと強さでわたしを支えてくれました。

ダーが、神様が授けてくれたわたしの宝です。
いまのわたしにとって、ダーの次に大切な存在です。



Rose Party店舗はダーの作ったあれこれがそこら中で息をしています。
このお庭の「置くだけフェンス」もダーの手作りです。
手先が異様に器用だったダーは、何でもかんでも手作りしてくれました。

そして、今年の7月だったかな・・・「置くだけフェンス」をあと二つか三つ作ってもっとお庭をキレイにする、と宣言し、
一人で作業にとりかかりました。
彼は、がん患者になってからも、何でもできました。力仕事はもちろん、本当に何でもしてくれました。

しかし、8月から少し体調の変化がでてきたのでそのままになっていたのです。



作りかけてそのままになっていたこの置くだけフェンスを見た優ちゃんは決心しました。
「あたしが先生の代わりに作る!」

えーーっ優ちゃん・・・本当に?!
優ちゃんならできそう・・・ダーの意志を引き継いで完成させてくれそう・・・
それに、優ちゃんは建築科の三年生。
普通の子とは違います。





ご来店のお客様方に
「すごいねーー!」と言われながら必死でがんばる優ちゃん!

しばらくの間、店舗ではこの優ちゃんの雄姿をご覧いただけそうです・・・



ルウの散歩も毎朝優ちゃんが行ってくれます。
思いっきり引っ張られながらも・・・楽しそうです・・・^_^;

優ちゃん、本当にありがとう。