返還式。
2009-06-04 | 想い
みなさままいどでございます(*^_^*)
なーんかムシムシしている大阪です^_^;
そーいえば・・・マスクマンはほとんど見かけなくなったな。
薬局やコンビニ、スーパーで、今ならマスク、いくらでも買えます^_^;
でももう遅すぎて、今度は売れ残っています^_^;
「旬」が過ぎると、見向きもされません^_^;
しかし、今のところ、重症者も報告されておらず、本当に良かったです。
6/3本日は、営業カレンダーにも記載通り、お休みをいただき、
大阪大学の第85回献体者遺骨返還式に出席してまいりました。
場所は、医学部共通棟大会議室。
うちはですね・・・以前も書きましたとおり、
こちらの都合で、すでに2月に遺骨を引き取っておりますが、
本来は、この日に、医学部長さんより、遺族に返還されるのです。
デジカメを忘れたので、
ケイタイのカメラで撮りました。古臭いケイタイですので汚い画像でごめんなさい。
ご遺族のみなさまは、年配の方ばかり。
わたしのような若者? は一人もおりません^_^;
みんな黒だけれど、わたし喪服は苦手で、ダーも着せたくなかっただろうから
白で行きました。お得意の白でネ。
悲しみのお席は、白でも構わないのです。
黙祷→医学部長からの挨拶→お一人お一人名前を読み上げて返還→解剖学教室教授からの挨拶。
一時間と少しだったでしょうか。
これまでに二度お会いした解剖学教室の教授が、わたしを覚えていてくださって、
大変親切に、お世話してくださいました。
その教授の挨拶に、感動いたしました。
「医学教育の核を成すものは、解剖学実習、そして病院実習と、みなが申します。
私も医学部を卒業して23年が経ちますが、解剖学実習のことは、今でも、鮮明に覚えております。
私共を教育してくださった献体者のみなさまは、
20年、30年経ても、なお、鮮明な記憶として、私共の心に生き続けております」
こんな言葉を生み出せるなんて、
この人は優しい人なんだろうなあ・・・と感激しました。
そうですよね・・・人の命を救う医師を育てる人だもん。
技術だけじゃない。何より大切なのは、患者を敬う心、患者を思いやる優しい心だもん。
こんな教授の下で学べる学生さんは幸せですよね。
ところで、
この方に、以前、詳しく調べていただいたところ、
うちは、系統解剖(学生さんたちの実習)ではなく、
整形外科の臨床ドクターたちの手により、「人工関節」の研究解剖に使われたそうです。
簡単に言えば、今、盛んに研究されている人工関節の手術の練習、そして研究に使われたそうです。
で、仰っていただけました。
「この研究は、関節を悪くした患者さん方に今すぐ活用できるものです。
生きている患者さんの体では決してできないことをさせてくださったのですから、
医学に対する大変な貢献です」
そうですよね・・・よかった。ダーの体は、本当に役立ったんだなあ。
うれしいな。
返還式のあとは、みんなで慰霊碑に向かい、献花をしました。
医学部の広大なキャンパス内に、献体者の慰霊碑があります。
わたしは、3度目です。
1度目は、成願してすぐ。2度目は、遺骨を受け取りに行った日に。
普段、門は閉まっていますが、遺族が申し出ると開けてくれます。
記念写真を撮る人が多くいました^_^;
別に悪いことではありません・・・。
しかしながら、ピースをする人や笑顔になる人は、ただの一人もいませんでした。
当然でございます・・・。
慰霊碑の背後に、献体者の名前を刻んだプレートが貼り付けられている縦長の銘板があります。
今回の献体者の名前が刻まれたものはまだ実際には貼り付けられていないのですが、
プレート自体は出来上がっており、本日見ることができました。
んで。
そのプレートは返還式場の前にあったのに見忘れたので、
急いで戻ったのですが・・・
途中で迷ってしまったのです。
確か3階の端だったのに、見当たらないんです。
「○○科医局」「○○科教授室」・・・なんだか古臭いドアが立ち並ぶ中を行ったり来たり。
それにしても、教授室があんな古臭いなんて・・・びっくり。さすが国立大学ですね・・・
みなさまご存知のとおり、『白い巨塔』のモデルは阪大医学部なんですけれど、
ビジュアル的にはイメージが全く違う。
きっと、テレビドラマのほうの印象が強いんですよね、小説ではあんなにキレイなイメージなかったもん。
迷いすぎて、もう、今、自分がどこにいるのかもさっぱりわからない。
白衣姿の男女が忙しそうに行き来している廊下で、ついに立ち尽くしてしまいました(ーー;)
どうしよう・・・と途方に暮れかけていたそのとき、何者かが声をかけてきたのです。
「どうされました?」
振り向くと、白衣の天使ならぬ白衣の男前がおりました。
「迷ったんです」と、わたしは実にハッキリとお応えいたしました。
「どこに行くんですか?」
「会議室です」
「大・中・小とありますが?」
その言い方があまりにおかしくて笑ってしまいましたが、
「『大』です」
「それではこの棟ではありません。向かいの棟です。一度一階まで降りて、
渡り廊下を行くのです」
白衣の男前は、「ついてきて」と言わんばかりに、自分が先になって階段を降り、
わたしがヨタヨタしていると(なんで? いや、ちょっといろいろあって、疲れていたんです)、
「大丈夫ですか?」と言って、手を貸してくれました。
この優しさ。この気遣い。男たるものこうでなきゃいけない。
そして・・・
不思議なことに、この人は、姿形、言葉遣いも、ダーに似ていた・・・。
白衣の男前のおかげで会議室に戻ることができ、無事、ダーの名前がしっかりと刻まれたプレートをこの目に焼き付けることができました。
わたしも死んだら、この大学に献体できるよう登録しているので、
「いつかあたしも同じプレートを作ってもらえるんやなあ」と思いました。
そして、年代が違うので、横に並ぶことはできないけれど、
慰霊碑の背後の、あの、同じ銘板に、貼り付けてもらうことができるんだ。
実際に死んで、魂だけの存在に戻れば、そんなことはどーでもいいことになっちゃうのかもしれないけれど、
今はこうやって想像するのが何だか楽しい。
社会貢献しているのは、献体者だけではありません。
この世を去ったすべての方々が、何らかの形で、死後にも社会貢献を続けているのです。
それぞれの心の中で、そう、教授が仰ったように、
生き続け、わたしたちを学ばせてくれているのです。
死は、怖ろしいものではありません。
ただ、遺された者にとっては・・・とてつもなくさみしいものです。
このさみしさ、この恋しさは、言葉では到底表すことなどできません。
生きている者に対する恋しさなど、モノの数には入らない、とさえ思ってしまうほどです。
だけど、そんなときは、想像してみてください。
先立ったあなたの愛する人が、今もきちんと生きていて、肉体がないから痛みもなく、純粋な心に戻れるから精神的苦痛もなく、
楽チンチン(!!)で漂いながら(いや、あの世にも仕事・役目があるらしいが)
触れることはできないけれど、もしかしたら生きていたときよりも近くで、
あなたを見つめ、護り、愛し続けてくれている・・・ということを(*^^)v
こんなんいただいて恐縮です・・・
直径約15センチ、びっくりするほど大きくて重たいぞ・・・
なーんかムシムシしている大阪です^_^;
そーいえば・・・マスクマンはほとんど見かけなくなったな。
薬局やコンビニ、スーパーで、今ならマスク、いくらでも買えます^_^;
でももう遅すぎて、今度は売れ残っています^_^;
「旬」が過ぎると、見向きもされません^_^;
しかし、今のところ、重症者も報告されておらず、本当に良かったです。
6/3本日は、営業カレンダーにも記載通り、お休みをいただき、
大阪大学の第85回献体者遺骨返還式に出席してまいりました。
場所は、医学部共通棟大会議室。
うちはですね・・・以前も書きましたとおり、
こちらの都合で、すでに2月に遺骨を引き取っておりますが、
本来は、この日に、医学部長さんより、遺族に返還されるのです。
デジカメを忘れたので、
ケイタイのカメラで撮りました。古臭いケイタイですので汚い画像でごめんなさい。
ご遺族のみなさまは、年配の方ばかり。
わたしのような若者? は一人もおりません^_^;
みんな黒だけれど、わたし喪服は苦手で、ダーも着せたくなかっただろうから
白で行きました。お得意の白でネ。
悲しみのお席は、白でも構わないのです。
黙祷→医学部長からの挨拶→お一人お一人名前を読み上げて返還→解剖学教室教授からの挨拶。
一時間と少しだったでしょうか。
これまでに二度お会いした解剖学教室の教授が、わたしを覚えていてくださって、
大変親切に、お世話してくださいました。
その教授の挨拶に、感動いたしました。
「医学教育の核を成すものは、解剖学実習、そして病院実習と、みなが申します。
私も医学部を卒業して23年が経ちますが、解剖学実習のことは、今でも、鮮明に覚えております。
私共を教育してくださった献体者のみなさまは、
20年、30年経ても、なお、鮮明な記憶として、私共の心に生き続けております」
こんな言葉を生み出せるなんて、
この人は優しい人なんだろうなあ・・・と感激しました。
そうですよね・・・人の命を救う医師を育てる人だもん。
技術だけじゃない。何より大切なのは、患者を敬う心、患者を思いやる優しい心だもん。
こんな教授の下で学べる学生さんは幸せですよね。
ところで、
この方に、以前、詳しく調べていただいたところ、
うちは、系統解剖(学生さんたちの実習)ではなく、
整形外科の臨床ドクターたちの手により、「人工関節」の研究解剖に使われたそうです。
簡単に言えば、今、盛んに研究されている人工関節の手術の練習、そして研究に使われたそうです。
で、仰っていただけました。
「この研究は、関節を悪くした患者さん方に今すぐ活用できるものです。
生きている患者さんの体では決してできないことをさせてくださったのですから、
医学に対する大変な貢献です」
そうですよね・・・よかった。ダーの体は、本当に役立ったんだなあ。
うれしいな。
返還式のあとは、みんなで慰霊碑に向かい、献花をしました。
医学部の広大なキャンパス内に、献体者の慰霊碑があります。
わたしは、3度目です。
1度目は、成願してすぐ。2度目は、遺骨を受け取りに行った日に。
普段、門は閉まっていますが、遺族が申し出ると開けてくれます。
記念写真を撮る人が多くいました^_^;
別に悪いことではありません・・・。
しかしながら、ピースをする人や笑顔になる人は、ただの一人もいませんでした。
当然でございます・・・。
慰霊碑の背後に、献体者の名前を刻んだプレートが貼り付けられている縦長の銘板があります。
今回の献体者の名前が刻まれたものはまだ実際には貼り付けられていないのですが、
プレート自体は出来上がっており、本日見ることができました。
んで。
そのプレートは返還式場の前にあったのに見忘れたので、
急いで戻ったのですが・・・
途中で迷ってしまったのです。
確か3階の端だったのに、見当たらないんです。
「○○科医局」「○○科教授室」・・・なんだか古臭いドアが立ち並ぶ中を行ったり来たり。
それにしても、教授室があんな古臭いなんて・・・びっくり。さすが国立大学ですね・・・
みなさまご存知のとおり、『白い巨塔』のモデルは阪大医学部なんですけれど、
ビジュアル的にはイメージが全く違う。
きっと、テレビドラマのほうの印象が強いんですよね、小説ではあんなにキレイなイメージなかったもん。
迷いすぎて、もう、今、自分がどこにいるのかもさっぱりわからない。
白衣姿の男女が忙しそうに行き来している廊下で、ついに立ち尽くしてしまいました(ーー;)
どうしよう・・・と途方に暮れかけていたそのとき、何者かが声をかけてきたのです。
「どうされました?」
振り向くと、白衣の天使ならぬ白衣の男前がおりました。
「迷ったんです」と、わたしは実にハッキリとお応えいたしました。
「どこに行くんですか?」
「会議室です」
「大・中・小とありますが?」
その言い方があまりにおかしくて笑ってしまいましたが、
「『大』です」
「それではこの棟ではありません。向かいの棟です。一度一階まで降りて、
渡り廊下を行くのです」
白衣の男前は、「ついてきて」と言わんばかりに、自分が先になって階段を降り、
わたしがヨタヨタしていると(なんで? いや、ちょっといろいろあって、疲れていたんです)、
「大丈夫ですか?」と言って、手を貸してくれました。
この優しさ。この気遣い。男たるものこうでなきゃいけない。
そして・・・
不思議なことに、この人は、姿形、言葉遣いも、ダーに似ていた・・・。
白衣の男前のおかげで会議室に戻ることができ、無事、ダーの名前がしっかりと刻まれたプレートをこの目に焼き付けることができました。
わたしも死んだら、この大学に献体できるよう登録しているので、
「いつかあたしも同じプレートを作ってもらえるんやなあ」と思いました。
そして、年代が違うので、横に並ぶことはできないけれど、
慰霊碑の背後の、あの、同じ銘板に、貼り付けてもらうことができるんだ。
実際に死んで、魂だけの存在に戻れば、そんなことはどーでもいいことになっちゃうのかもしれないけれど、
今はこうやって想像するのが何だか楽しい。
社会貢献しているのは、献体者だけではありません。
この世を去ったすべての方々が、何らかの形で、死後にも社会貢献を続けているのです。
それぞれの心の中で、そう、教授が仰ったように、
生き続け、わたしたちを学ばせてくれているのです。
死は、怖ろしいものではありません。
ただ、遺された者にとっては・・・とてつもなくさみしいものです。
このさみしさ、この恋しさは、言葉では到底表すことなどできません。
生きている者に対する恋しさなど、モノの数には入らない、とさえ思ってしまうほどです。
だけど、そんなときは、想像してみてください。
先立ったあなたの愛する人が、今もきちんと生きていて、肉体がないから痛みもなく、純粋な心に戻れるから精神的苦痛もなく、
楽チンチン(!!)で漂いながら(いや、あの世にも仕事・役目があるらしいが)
触れることはできないけれど、もしかしたら生きていたときよりも近くで、
あなたを見つめ、護り、愛し続けてくれている・・・ということを(*^^)v
こんなんいただいて恐縮です・・・
直径約15センチ、びっくりするほど大きくて重たいぞ・・・