オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

1/13新作速報☆彡

2010-01-12 | 新作速報&話題いろいろ
まいどです。冷たい雨がしとしとしとしと・・・今日もまたさぶかった。

明日は全国的に荒れ模様のようですね・・・

最高気温は高くても5℃前後やって・・・こちらも初雪が降るかも。
積もったらおもしろいけれど、ただ降るだけじゃあねぇぇ。

昨年だったかな、ちょっと積もったんですよ、んで、おもしろ半分にルウを散歩に連れ出したら・・・
おおーーっと! ひゃあ~~うぉぉぉぉ~~~??!!
いきなり坂道で(この辺りは丘隆地帯)思いっきり滑って転んで・・・
ちょょーーっ! ル、ルウっっ~~~大丈夫ぅぅ!??
雪にまみれた顔を上げると、転んでいるのは自分だけでした・・・チッ! ←Rose Partyなのに舌打ち。
ふと見たら、スカートがギザギザに破けていた。
チッ! なんやねん! あっ、高校生が笑いながら見てる・・・なんやあいつら、最悪や! ←どこまで口悪い?

笑われつつも、やっとの思いで立ち上がり、何とかして威厳を保とうと無理やり背を反らそうとしたがうまくいかず、よろめきながら散歩続行。
たまたま母が来ていたのですが、ズタボロになって帰ってきたわたしを見るなり・・・
「ああっ、ルウちゃん大丈夫っ?」
大丈夫じゃないのはあたしなんですけど^_^;? ルウはどーもなってないやん?^_^;
「ルウちゃん・・・?」不安げに呼びかけ、なぜかおやつをあげたので、
わけがわからなすぎてびっくりしました。
オバサンの行動はいつだってトンチンカンかつ意味不明です。

みなさまお風邪などめされませんよう。

えっとえっと。
明日1/13水曜日・セレクトお洋服新作をご紹介いたします(*^_^*)
すべて春物、みなさまが大好きなフリル・リボン・レースをたっぷりあしらったかわい子ちゃんばかりです^m^

春はパステル色やロマンティックデザインが多くて、やっぱりいいですネ~~
ワクワクしちゃいます。

☆スウィートローズエレガントスカート 

マキの一押し♪ 大大ブレイク間違いなし!
とってもとってもかわいいのん。
春らしいスウィートローズプリント、裾二段ホワイトレースつきフリル、
わたしの身長156で膝下丈、着丈60センチくらいでちょっと長めなのですが、
シフォンのヒラヒラ素材なので軽やかで、すっごくすっごくかわいいのです♪
春になったら薄手のかわいいトップスやブラウスに合わせて、
今の時期は、ホワイト系のふわふわニットと合わせると素敵です。
今年流行の牧歌的、少女めいた印象の中にも、エレガントさを感じられる超おススメスカート♪

☆レーシーフリルプリンセストップス

こちらもとってもおススメです!
お色はホワイト。
レーシー地に、段々フリルをたっぷりあしらった、ふんわりAラインのドールシルエット。
着用すると、あまりのかわいらしさに・・・ふぅぅっ・・・とため息が・・・
総裏地つきで、一枚でお召しいだたけます。

☆フリリントップス

お色はふわふわっとした優しげなパウダーピンク、胸元にフリルがたっぷり♪
一枚でお召しいだたけるかわいい長袖トップスは、オールシーズン大活躍!
MサイズとLサイズをご用意^m^

☆クリームフリルホワイトトップス
お色は真っ白(*^_^*)
胸元にクリームフリルをあしらった可憐なデザイン。
ちっちゃなグログランリボンのブローチつき。
こちらも、一枚でお召しいただける活用度大のトップス!
MサイズとLサイズをご用意(*^^)v

相変わらず語彙が少なく、がんばっても語彙が増えず、
うまく説明できません^_^;

各アイテムたくさんご用意しておりますが、
初回入荷分が完売した場合は次回来週早々入荷分での発送となります。

写真を撮る時間がなかったものですから、
今日もテキストのみでごめんなさいね・・・

明日の更新をお楽しみに♪(*^^)v^m^(^^♪


グリーフケアについて2。

2010-01-12 | 想い
いつもありがとうございます。

昨日の新作も大人気をいただきありがとうございます♪

人気ベスト3!
第1位・・・カメリアフリルドレスホワイトミラー
第2位・・・オリジナルトピアリー(ほとんどの方がお得な二個セットをお買い上げ♪ 『ピンクと白』は完売しました^_^;)
第3位・・・お菓子とハートのスウィートベア

ご注文くださったみなさま、楽しみにお待ちくださいネ♪



さて。
心に響く、K美さまからのメールをご紹介させてください。

『お洋服、想像していた以上にかわいくてお色もきれいで、とても気に入りました。

11月にNHKで放送していた「こころの時代」、高木シスターが出演していた日の、です。
私は録画して繰り返し見ています。
見るたびに深い悲しみをかかえている人の気持ちを思い涙があふれてきます。

Makiさんに教えてもらったグリーフケアのこと少しずつ知っていくうち、
私は何も乗り越えていないなと思うようになりました。
かえって、私は大丈夫なのよと思い込んでいる方が大丈夫じゃないんですね。
Makiさんも希望を持つ時もあれば
そばに愛する人がいない虚しさを感じる時もあると思います。
きっと愛する人を失った人は
死ぬまでいろんな葛藤を繰り返しながら生きていくのだと思います。
その悲しみがいつか薄らいでいくのか形を変えて希望につながるのか、わからないまま…。

飯田先生の本に書いてあるように生まれてくる前に人生設計をしてくるとしたら
私は○○を通して、愛を学ぶように計画してきたのだろうし
そのせいで絶望などしないように娘という天使を神様がつかわせてくれたのでは
ないだろうかと思うのです。
本当に娘は天使のようであり、神様に感謝せずにはいられないのです。

そしてこの経験は私をそれまでとは全く別の人間にしてしまったかのように
他者のためにお役に立ちたいと思わせるようになったのです。

この変貌を周りの人は理解ができなかったようです。
今までの人生をリセットしたかったぐらいです。
娘がいなければ、誰も知らない所に行きたかったです。
私には○○が人生の転機となりましたが
自分の生き方を自分で選ぶという
生まれる前の計画を気付かせることにもなりました。

少しわかったことといえばどんな時でも助けてくれる人がいたり、救ってくれる言葉が
あるということでしょうか(*^^*)
今日も笑ったり泣きそうになったり、心が忙しい(?)一日でした。
Makiさんの豊かな人生をお祈りしております***』


K美さま、いつもありがとうございます。K美さまは、一昨年、お店にもお立ち寄りくださいました。
K美さまとは、様々なところで繋がっている・・・と秘かに思っているわたしです。
うちのダーの遺体は、本人の強い意志で、阪大医学部に献体し、人工関節の手術と研究に貢献しましたが、
K美さまのご家族が、阪大で人工関節の治療を行われたそうです。
わたしはそれをお聞きしたとき、K美さまとわたしの関係を、秘かに特別なものだと感じているのです(*^_^*)

わたしがお世話になっている、カトリックのシスターであり、
聖トマス大学名誉教授・兵庫生と死を考える会会長・日本グリーフケア研究所所長
「シスター高木慶子」が出演した
NHKテレビ『こころの時代・究極の悲しみ』。
このブログでもご紹介したところ、多くの方が観てくださいました。ありがとうございました。

この番組放映後、シスターが主催している死別の会には、さらに大勢の、愛する人を亡くし『究極の悲しみ』を体験なさった方々が参加されるようになり、
この番組の、内容の影響力をまざまざと見せつけられた思いです。

この会に、わたしは、園田修道院のシスターIからの紹介で参加するようになりましたが
これはたぶん稀なことで、
多くの方は、インターネットで、この会を見つけて参加されています。
インターネットをしていない年配の方などは、このような会があることも知らず、
一人で苦しんでいらしたわけですから、
この会を多くの方に紹介できただけでも、番組出演の意味があったはずです。

わたしは、自分が敬愛するシスター高木の活躍を知ってほしくて、番組紹介をしたのではありません。
さらに言えば、
死別・喪失体験者にはもちろんですが、
でもそれ以上に、それらの苦しい体験がない方にこそご覧いただきたい、と思いました。
死別・喪失体験とは一体どういうものなのか、そのような筆舌しがたい苦しみを味わった人たちは、どんなことを想い、考え、苦しみと向き合っているのか、
そして、そのような人たちに、どのように接していけばよいのか・・・
それらを少しでも知ってほしかったからです。

それからもう一つ・・・。

2009年春に、シスターは『グリーフケア研究所』を立ち上げました。
会長はシスター高木、名誉会長は聖路加国際病院名誉院長、
この研究所の目的は、3年課程で遺族ケアの専門職「グリーフケア・ワーカー」を養成し、独自の資格を与えることです。
国内初の試みということからも、注目度は高く、様々なメディアで取り上げられています。

しかし、幾らメディアで取り上げられても、死別・喪失体験のない方には
なんのこっちゃわからない、てか、興味の無い話題ではないでしょうか。

でも、本当に興味を持たないでいられることなのでしょうか。
ある年齢まで生きるとしたら、家族や最愛の人の死は、誰にも避けては通れないことです。
わたしのように、30代での体験は稀ですが、
50代、60代、そして70代にもなれば、必ず愛する人の死を体験することになり、
その瞬間、死別・喪失体験は、他人事ではなくなります。

研究所の設立、専門ワーカー養成も含めて、グリーフケアを世間に認めてもらうことは、
ほとんどの方が、自分の死を迎える前に、家族や最愛の人を見送ることになる、
その現実を見据えて行われていることです。
最愛の人を失ったとき、自分を救ってくれるグリーフケアが世間に広く認知されていることは、
今後、悲嘆を経験するすべての人にとって、とても大切なことです。

シスターは言います。

『死別・喪失体験をした後、悲しみが十分癒されていなければどうなるか。
病気になるのです。悲嘆の上に、病気になるのです。
免疫力がガタンと落ち、病気になりやすい体質になることは、研究により、科学的データも出ています』

これはわたし自身が証明していますね^_^;
先日、医師に言われました。
『胃腸も、そして、治療を続けてもどうしても回復しない歯茎の腫れも、すべては、キミの免疫力の激しい低下からきている』

『人は、悲しみで死んでしまうことがある』と聞いたことがあります。
これはそういうことなのですね。免疫力の低下が、その人を、『まさかの死』に追いやってしまう。
激しい悲嘆というのは、それほどに、人を破壊してしまうものなのです。
大袈裟ではありません。

シスターは続けます。

『そして、悲しみを十分に癒されなかった人は、他人に冷たくなります』

これは意外です。どういうことでしょうか。
シスターは、ご自分の知り合いの方の体験を例に挙げました。

『Uさんとおっしゃる方がいまして、その彼女が、隣に住んでいる方と廊下で立ち話をしたときのことです。
Uさん自身は数年前に夫を亡くし、隣の方は、12、3年前にお子様を亡くされていました。
悲しみに打ちひしがれているUさんに向かって、隣の方は言われたそうです。
「あなた、いつまでもメソメソしているんじゃないわよ。夫なんて所詮は他人、いくらでも代わりがいるけれど、
わたしは子供を亡くしたのよ、子供に代わりはいないのよ!」

たとえ、死別から12、3年経っていようと、きちんと心のケアができていないと、
「自分はこんなに我慢して抑えて生きてきたのに、メソメソしているアンタは甘いよ!」と、
抑えつけてきた気持ちが、他人を前にして、わっと表に出てくることがあるのです』

それでは、グリーフケアにより、悲しみを癒された人たちはどうなるのでしょうか。

『ケアを受けて、心が癒された人たちは、苦しんだ分、他人に優しくできるようになります。
苦しみを知っている人からは、人生というものは本当に悲しくつらいもの、
みんなが悲しく苦しいのだから、優しく支えあいましょうね、という言葉が出てきます。
これが的確なケアを受けた人であり、悲嘆ゆえの素晴らしさを示唆しています。

悲嘆を経験し、的確なケアにて癒され、回復したとき、
その人は、元の状態よりさらにその上にいく力を得ています。
「あのとき(悲嘆経験前)の自分以上の自分になれる」それがわたしの、悲嘆ケアに関わる上での信念です。
悲しみを抱えた人が、ケアによって癒され、その人が、今度は、悲しみを抱えた人を癒す。
つまり、グリーフケアが進んでいくことで、社会全体が優しくなる。
わたしはそこを目指しているのです』

K美さんのお言葉・・・

『この経験は私をそれまでとは全く別の人間にしてしまったかのように
他者のためにお役に立ちたいと思わせるようになったのです』

には、シスターの「目指すところが」そのまま表れています。

わたしはまだとても、シスターの目指すところまではいっておらず、
元の自分に戻るなんて夢のまた夢、てか、もう二度とあの頃のような、天真爛漫な自分には戻れない、と思っていますが、
それはそれ、シスターの「目指すところ」は、わたしにとっても大きな希望となります。

余談ですが、
悲嘆=激しい悲しみ
の、その代表は、愛する人との死別とされていますが、
実際はそれだけではない、とシスターは言います。
『病気などで、乳房や子宮など、女性にとって大切な臓器を失ったり、
リストラ、倒産なども、大きな喪失体験として、激しい悲嘆を生み出します』

乳房くらい、子宮くらい、リストラくらい、倒産くらい・・・ではないのです。

死別体験者への安易な言葉かけにも注意を促しています。
相手との関係、親密度により、
その言葉かけが、相手にどのような影響を与えるかは変わってきます。

しかし、死別体験者も、個々それぞれで、
他人から「がんばって!」と言われて励まされる人もいれば、腹を立てる人もいます。
「夭逝したご主人のために、あるいはお子さんのためにも、あなたは生きなくちゃ」と言われて、
そうだ、がんばろう、と思う人もいれば、
アンタに何がわかる? と心を閉ざしてしまう人もいます。

わたし個人のことを言うなら、
もし本当に、寄り添ってくれる気持ちがあるなら、
何も言わず、知ったかぶりをせず、ただ話を、この悲しみを、苦しみを、さみしさを、聞いてくれるだけでいい。

黙って聞いてあげる。これは、実のところ非常にムツカシイことであります。
ついつい、相手の話の腰を折ったり、話題を自分のものにしたりして
なかなかうまくいきません^_^;

また、これは、死別体験者と関わる上で非常に大切なことだと思いますが、
十分に、存分に、泣かせてあげる、悲しませてあげることです。
泣いている相手に「あなたが泣いたら○○が悲しむよ」「いつまでもメソメソしていちゃだめ」なんて言うのはもってのほかです。
そう言われた相手は、悲しみを自分の中に抑え込み、後で、大変なことを引き起こしたり、心だけでなく体も病むことになります。

特に自死や、病気を早期発見できなかった場合など、
遺族は、激しく自分を責めたてています。
自分を責めてもどうにもならない、とわかっていながらも、彼らは、自分が許せないのです。
後追いする人たちを肯定することはできませんが、
それでも、後追いするくらいに苦しいその思いを、わたしは理解することができます。
喪失感に加え、さらに強い自責の念に駆られている人に向かって、
「いつまでも泣いていちゃだめ」なんて言葉は、あまりに酷すぎます。
「もっともっと泣きなさい。好きなだけ泣いて悲しみなさい」心からそう言ってあげたい。

想像力のカケラさえあれば、わかることなのだと思います。
相手は最愛の人を亡くしたのです。
もし自分自身が、愛する人を失ったとしたら?
愛してやまない人の呼吸が止まり、呼んでも叫んでも応えてくれず、そのいとおしい肉体が、かたく冷たくなっていくのをどうしても止められない、そんな地獄のような苦しみを経験したとしたら?
愛する人不在のまま、この先の人生を歩むことになったら・・・?

魂の存在云々の前に、わたしたちは肉体を持って生きているのですから、
まずは、それを失った激しい喪失感に苛まれます。
それは本当に、決して言葉にはならない悲しみです。
それだけでなく、何をやってもつきまとう虚無感、今後に対する不安など、様々な感情に、襲われるのです。

肝心なのは、相手の悲しみに寄り添ってあげることで、
「わたしの意見」を相手に押し付けることではありません。
どんな「正論」も、深く悲嘆にくれている人には通じないことがあります。

もちろん、今はこうして言えるわたしだって、自分が体験するまでは、何にも知りませんでした。
若さも手伝い、自分の死はおろか、愛する人の死など、考えたこともなかった。
フロイトが言うように、
死については完全なる傍観者であり、それを当然として、意識することもなく受け入れてきました。
よって、他人の悲嘆に対しても、冷たかったと思います。

でもそれじゃあだめなんですよね。
それじゃあ優しい世の中にはならない。
他人の悲しみに無関心でいることは、世間に対して、自分の悲しみにも無関心でいてください、とお願いしているようなもの。
ひとりぼっちで悲しみと向き合う覚悟ができていればいいけれど、
そんなことはできないのが人間です。
他人事だと思っていたことが、ある日突然、何の前触れもなく自分に襲いかかってくることは、
誰にでも起こりえること。
そのときに、他人から、優しい言葉や態度で接してもらえたら、どんなにうれしいでしょう。励みになることでしょう。
そのための土台作りをしておかなければならないのではないでしょうか。

お話は変わりますが。

これはかなり個人的なことですが、
わたしは、ダーを失ってから、
以前にも増して、お客様方との関係が密になったことを、強く感じています。
わたしが悲嘆経験者だということで、たくさんのお客様から、
いろいろなお話を聞かせていただく、つまり学ばせていただく機会を得ているのです。
それは、わたしが悲しみを経験したからこその恩恵だと思っています。
だからと言って、愛するあの人を失ってよかった、とは到底思えませんが、それでも
わたしはこのことに対して、心から感謝しております(*^_^*)

はあ。長くなった。いつも最後まで読んでくださる多くのみなさま、本当にありがとうございます。