オリジナルインテリア「Rose Party~Since 2003~」マキとスタッフのブログ♪RueRueと薔薇♪

20周年!オリジナルインテリアと大人可愛いファッション、高橋真琴の生活用品を少女のココロを忘れない女性たちへ。

7/6追記アリ!  アッパレニッポンフェア大好評開催中♪ &カメリアを髪につけた○○ちゃん♪

2010-07-06 | 想い


7/6追記
明日って七夕なんですネ
じゃあ七夕スペシャルにしちゃおうかしら^_^;

明日、7/7水曜日新作速報です

Rose Party オリジナル 夢のメルヘンストーリーセット

ガラスフレームドレスコラージュ、メルヘンチャペルコラージュ、メルヘンウィンドウハートタペストリー(いずれもプティサイズ)、そして、
メルヘンローズドレッサーの
4点を、なんとセットにしちゃって販売いたします
福袋ではありません、こういうセットなんですよ、今までにないタイプのネ^_^;
メルヘン好きにはたまりません

↑の画像は、その中の一点、メルヘンチャペルコラージュ

他のアイテムは、明日のお楽しみ
めっちゃかわいいですョ

んで。



メルヘンストーリーセットには、画像のプレゼントまでおつけしちゃいます(*^_^*)
花文字は、違います、これでみなさまのご希望文字をお入れいたしますからネ



プレゼントは、ピンクと白のハートソープ、
ソープの入っているパールクラウン、そして、可憐な薔薇の香りを楽しめるサシェのセット
ピンクと白のハートは、画像のようにクラウンに入れて飾っていただくと素敵です
なんてかわいらしくて豪華なのでしょう
一つ一つわたしが選んで買ってまいりました^m^



かっわいい~~
文字までメルヘンチック
「4アイテムの中でみなさまのご希望のもの一点に」お入れいたしますのでお楽しみに



このメルヘンローズをたっぷり使ったものもセットに入ります♪
このローズ・・・完璧にみなさまの好み
ありそうでなかなか見つけられない、ベビーピンクローズは貴重です



メルヘンチャペル
これまでにも何度か使いましたよネ、ラタンやコラージュに。
わたし、このチャペルが大好きなんです
今回は、チャペルの尖塔に、ベビーピンクのフエルトで模った十字架をつけてみました。
そんなたいそうなものではなく、ハサミで切り取った簡単なものなのですが、
どのコラージュも、この十字架に限り、すべてわたしが切りました♪
祈りをこめて。

その他にも、フリフリレースのお散歩バニティ(化粧ポーチにも♪)、メルヘンローズのプティリースなど
ご紹介予定です
すべて限定品ですのでどうぞお見逃しなく。
更新をお楽しみに


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ひゃあ、みなさまいどでございます。

アッパレニッポンフェア大好評開催中です
旧作の・・・特にお洋服と、イマンの在庫がどんどんなくなってきています。
便宜上、旧作と申しておりますが、在庫のあるお洋服は、つい最近更新したものばかりですもんね^_^;
明日、朝6時までです^_^;
36時間限定にしたら、終了時間が早朝になった・・・アハハ。

引き続き、みなさまのご参加お待ち申し上げております。



頭に白カメリアつけちゃっている我らが聖子ちゃんの映像を発見!
大興奮いたしました。

三つつけています^_^;
なんてかわいいんだろう。



真っ白なドレスに白カメリアつけて、メルヘンの国のお姫様です。



聖子ちゃん、よく頭に(髪に、と言って!)いろいろつけていますが、
一番多いのが、白いお花ですよネ、
お顔がぱっと可憐になる



最近の聖子ちゃんも

聖子ちゃん、お肌の色が真っ白
何歳になってもまるでお人形さんのような愛らしさ。
そして、いつ見ても、春の風のようにさわやか、一点の濁りさえ見つけられない。

今年のクリスマスは、聖子ちゃんのディナーショーに行くことを決心。
以前行ったのは、もう10年以上前、15年くらい前かも、忘れるくらいに昔。
まだ、聖子ちゃんがディナーショーを始めて間もないころだったと思います。
それ以来、行っていないけれど、今年は行きます。
コンサートや宝塚はいくらでも一人で行けるけれど、さすがにディナーショーは一人では行けない。
でも、コンサートなんかと違ってあまりにも高価なので、簡単には人を誘えない^_^;
ということで、親を誘ったところ、「行く、行くーっっ!」と飛びついてきました(あたしの親ってナニモノ?^_^;)
さっそくニューオータニに電話して詳細を訊ねてみたところ、チケット発売は9月中旬、
電話はかかりづらいけれど、日にちによっては取れる、と言っていただきました。
でもせっかくだから、前のほうに行きたいな・・・
後ろだと、ディナーショーの意味がない。もう一度、あの聖子ちゃんを間近で見て、卒倒したい。
同じ値段払うんだし^_^;
がんばろっと。



Rieさん
びっくり、千中でこんなん発見。
千里の丘、千中に出現^_^;
Rieさんは車ですから、中環沿いのほうが行きやすいのはわかっていましたが
Rieさんに笑っていただこうと思って、思わずパチリ

Rieさん、ファックスありがとうございました。
メルヘンボックス喜んでいただけてとってもうれしいです。
メルヘンな世界をご堪能いただけましたでしょうか(*^_^*)
カメリアおつけいたしますのでまたぜひご来店くださいネ。
お待ち申し上げております。



いつまでも駅でがんばっとります。

今日の仕入れ時の格好。

ブルマリンの白ワンピに、例のブラウス、ルネのカメリアバッグオレンジピンク、
そして先日発売したスウィートパラソル
このパラソル軽いので使いやすい♪

ワンピのウエストに、R&Rカメリアをポイントにつけてみたんですよ、
このカメリアで、遊びまくりです。



二枚撮ったので二枚^_^;

スカートが膝ギリギリなので、レースのレギンスはいて、バレエシューズ合わせてもいいと思いますけれどね。

お話変わります。

先日、死別の会のメンバーに、
「マキちゃん、訊きたいことがある。なぜ、それほどまでに、神様を信じられるの?
どんなふうにすれば、目に見えない神様を、それほどまでに信じきることができるの?」

この死別の会は、カトリック教会が背後にあるとは言え、
愛する人を亡くした人なら、誰でも自由に出入りできる会ですから、
そのほとんどは、非信仰者です。年配の方がほとんどなので、仏教徒さんも多いですネ。

まあ、とにかく、信じられない人にしてみれば、
これは、つい口をついてしまう質問なんですよね。
あんたって何でそんなに神様を信じちゃうの? みたいな^_^;

わたしの答えは、
「信じると決めたら一心に信じる。理屈じゃあないんです。それが信仰なんですよ^_^;」

「んで、わたしの知っている神は、いつもそばに寄り添ってくれている、心の同伴者イエスさま、なんです」

もちろん、こんな答えで、相手が納得するわけはありません。

「どんなふうに神を感じるの、神様って本当にいるの?」
これは、多くの無神論者の方の疑問です。

でも、考えてみてくださいな^_^;
万物の創造者を、宇宙を司る偉大なる力である存在を、人間が、すべて理解し、語れるなんてことがあるわけないんです^_^;
神様の不思議・・・いわゆる神秘を、人間の理性で語れるのなら、神様って人間以下の存在ってことですよね^_^;
そんなことあるわけないんですよ、神様は、天地宇宙を支配する絶対的存在です。
人間は、イエスさまを通して神の子となりますが、
人間はあくまで人間であり、どう転んでも、神様と同じにはなれないんです。

でもほら、身近なところで、ちょっと神様に触れることができますよ。
まず、わたしたちの体を想像してみてくださいな、
このわたしたち自身の体、夫の体、子供の体、ワンコの体、
よくできていますよね~~神秘としか言いようがありませんよ、細かいところまで完璧な設計ですよ、
誰がこんなもん創ったのでしょうね。
ある解剖学者が言ったそうです。「人間の体はあまりにもよくできているので、誰かがつくったとしか言いようがありません」
その「誰か」が、神様です。

遠藤周作は(ついに呼び捨て)、様々な著書の中で、
この偉大なる神の力を「X(エックス)」と呼んで表現しています。
神の不思議は、「X」と呼ぶしかないほどに、考えても考えても、悶え苦しみながら考えても、我々の頭脳でとらえることなどできないのです。

「こういう神秘の上に成立しているのがキリスト教である。神秘があればこそ、神秘のなかに入る人こそ、無尽蔵なのである」と、
周作(名前で呼び捨て)の『キリストの誕生』のあとがきで、高橋たか子さんは書いています。

神の存在を訊かれたとき、「神は愛です、愛そのものです」と答えます。
すると、わけのわかんない顔をされちまいます^_^;
無理もありません。
神の愛とはナニぞや?

愛にはいくつかの代表的種類がありますね。
ギリシャ語では以下4つに分かれます。
・男女の愛(エロス)
・友情(フェリア)
・親子の愛(ストルゲー)
そして、神の愛・「アガペー」です。

アガペー以外の愛は、すべて条件付きと言われています。
親子の愛さえ、血のつながり、という条件が付きます。
けれども、アガペーには、条件が付きません。無償の愛です。
汚らしい、弱い、情けない、何のとりえも価値もないわたしのような者を、無条件に愛してくれる、それが神の愛です。

それではどうすれば神の愛を、この肌に、この心に、感じることができるのでしょうか。

信じることなんですよ^_^;
それだけで、他に何にもないんですよ^_^;

信じていても、神様は願いを聞いてくれない、今だって、あちこちで戦争が行われ、無残な死がくり返されている。
神は何にもしてくれない、沈黙し続けている。

きっと、そう思われることと思います。

わたしだって、願いを聞き入れてもらえなかった一人です。
わたしは最愛の人を失いました。
本当なら、こんなのやっていられない! 何がキリストだ、ってなもんですよ。
最愛の人を死によって失うほどに苦しいことがあるでしょうか。
わたしはまだ30代ですよ^_^;
彼の病気が発覚し、長くは生きられない、と告げられたときは、30そこそこでした。
わたしは30代の半分以上を、この、厳しすぎる現実と向き合っています。

けれども、後々考えましたね、本当に聞き入れてもらえなかったのか? って。 
以前にも、何度か書きましたが、神というのは、そういう無理難題を押し付ける存在ではないんですよ、
これはわたしのダーに教えてもらったことですけれどね。

「彼を死なせないでください」
あきらめることなど決してできなかったわたしは、最期の最期まで、怯えながら祈り続けました。
けれども、これが、真実の、願い、祈り、と言えたのでしょうか。

もう決して引き戻せないところまで行ってしまった人を、わたしは、自分の悲しみとさみしさと怖れから、死なせないでほしい、連れ戻してほしい、と願ってしまったような気がします。
わたしが、真実、願い、祈らなければならなかったのは、
死にゆく最愛の人を、わたしから離れて旅立つ最愛の人を、
わたし自身ではなく、彼のために、彼のことだけを想って、
安らかに、滞りなく、神の元へと返せるように・・・ということだったのだろう、と今になって、思います。

そのように、わたしはうまく祈れなかったけれど、それでも、神は、受け止めてくれました。
わたしは、最愛の人が、神の手に抱きしめられたその姿を、映像ではありませんでしたが、
心の中で、しっかりと見たからです。
わたしの本当の信仰は、そこから始まりましたから。

それでも、世の中には、あまりにも悲惨なことが多すぎる。
病死ではなく、戦死や殺人など、どう考えても神の憐れみの見つからないものが多すぎる。
しかし、これは神のせいなのでしょうか? 
戦死や殺人を、神が望むわけはありません。
神は、殺すなかれ、殺されるなかれ、を、わたしたちに約束させました。
約束を破るのは、誰なのでしょうか。
わたしたちは、神の憐れみを否定する前に、自分たちのやっていることを完全に忘れています。

それでも決して尽きない、納得のいかない「神の沈黙」に関しては、周作(完全に呼び捨て)の『沈黙』(ノーベル文学賞候補に挙げられたほどの作品なのです、ただし、一部の反対者によって候補にはなりませんでした)をご紹介するまでお待ちください^_^;
待てない方は、てっとり早く、『沈黙』を買って読んでください^_^;
長編に入りますが、文字は大きく、わたし的には「中編」と言ってもよいくらいです。
聖書を読んでいない非キリスト教信者でも、ゼッタイに読めます。
素晴らしい、心の深いところで慟哭を起こす作品です。

ただこれだけは先に言っとこうかな、神は沈黙しているんじゃあないんですよ(*^_^*)
試しているのでもないんです。神は・・・主 イエス・キリストは、
わたしたちの心の同伴者として、永遠に、そばについてくれているんです。
ですから、それを信じるか信じないか、ただそれだけが問題ですよね。

さて、ついでに^_^;
キリスト教では、神を「三位一体」と表現しますね。
カトリックでもプロテスタントでもない、あるキリスト教宗派
(ただし、この団体は、キリスト教とは認められていません、でもそんなことはどーでもいいし、あたしにはよくわかりません^_^;)の人に、
「三位一体などとは、聖書のどこにも書かれていない」と言われたことがあります。
「神は、旧約の神のみであり、イエスは、神の子であるから、神より下に位置づく」と言われました。
イエスさまを侮辱しているのではありません、この宗派? は、このような教えを通しているわけです。

しかし、そうではないのです^_^;
新約聖書・マタイ福音書28-19に、「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」と書かれています。

この、父(神)子(キリスト・イエス)・聖霊(神の働き)三つで一体なんですよ^_^;
三つで一体であり、唯一の神なのです。
それなら神が三つあるのか? そういうことではないんですよ^_^;
三位が一体であり、神は唯一絶対のものなのです。だんだん意味がわからなくなりましたか?^_^;

いや、簡単ですよ、
三つで一つ、そのうちのどれを欠いても、父なる神にはならない、ということです。

ということは?
キリスト・イエスは、神様なのです。
神の子だからと言って、神様の下に位置するとか何とかそういうことではないんですよ。
三つで一つなんだからね^m^

また、神は、内側にあるものではなく、きちんとペルソナ(人格)を持っているのですから、
外側にある対象、実在者であります。空想の中の人物ではありません^_^;

ここで、周作の『わたしにとって神とは』の中から、
わたしが一番感動した言葉を、簡潔に書き添えておきます。

「だから私は、人間には神を求める心があれば、まずそのままでいていいと思うんです、
別に教会の敷居をまたがなくても。
つまり、神は働きだと言いましたけれど、
その人がキリストを問題にしないでも、キリストのほうでその人を問題にしているから、
大丈夫、ほおっておいていいのです。
キリスト教徒にならなくても、キリストは救ってくれるのか、と言う人がいますが、
もちろんそれは大丈夫、救ってくれます。
ただ、救ってもらおうという期待感だけは持っていなくてはなりません」

わたしたちが、キリストを問題にしなくても、
あちらさんのほうで問題にしてくれているから大丈夫、
なんと勇気のわく、なんと心強い言葉でしょうか。
これこそ、神の愛なのです。

さらば!