大久保利通没後130年 育ちの地で顕彰祭 ひ孫が参列 鹿児島市加治屋町
明治維新で活躍した大久保利通の命日である14日、顕彰祭が鹿児島市加治屋町の「生い立ちの地」の石碑前であった。ひ孫の大久保利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=らが参列した。没後130年を機に偉業をたたえようと、若手神職でつくる県神道青年会が主催した。
祝詞(のりと)を奏上した後、写真を飾った祭壇に同会関係者らが玉ぐしをささげ、近代日本の建設に尽力した大久保の遺徳をしのんだ。
大久保は1878(明治11)年5月14日、東京・霞が関の自宅から赤坂仮御所に向かう途中、紀尾井町で石川県士族に襲われ、志半ばで命を落とした。
利泰さんは「これまで東京では慰霊祭が行われてきたが、鹿児島で顕彰祭を開いていただいて、子孫としてありがたいし、うれしい」と話した後、隣接する維新ふるさと館で講演。大久保家の暮らしぶりや、国葬の原型となった葬儀の模様などを紹介した。
南日本新聞 5月15日
大久保利通の没後130年、鹿児島で顕彰祭…再評価へ動き
近代日本の礎を築いた大久保利通(1830~78年)の没後130年となる命日の14日、大久保が幼少期を過ごした鹿児島市加治屋町で顕彰祭が開かれた。
鹿児島県民の間では、西南戦争(1877年)で政府側だった大久保に反感を抱く人も多く、慰霊行事はほとんど行われてこなかった。大久保の再評価につながる動きとして歓迎する声も出ている。
若手の神職約90人でつくる鹿児島県神道青年会=宮田昇会長(36)=が主催し、大久保のひ孫にあたる利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=ら約50人が参列。生い立ちを記した石碑の前で神職が祝詞を奏上し、全員で玉ぐしをささげた。
読売新聞 5月15日
明治維新で活躍した大久保利通の命日である14日、顕彰祭が鹿児島市加治屋町の「生い立ちの地」の石碑前であった。ひ孫の大久保利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=らが参列した。没後130年を機に偉業をたたえようと、若手神職でつくる県神道青年会が主催した。
祝詞(のりと)を奏上した後、写真を飾った祭壇に同会関係者らが玉ぐしをささげ、近代日本の建設に尽力した大久保の遺徳をしのんだ。
大久保は1878(明治11)年5月14日、東京・霞が関の自宅から赤坂仮御所に向かう途中、紀尾井町で石川県士族に襲われ、志半ばで命を落とした。
利泰さんは「これまで東京では慰霊祭が行われてきたが、鹿児島で顕彰祭を開いていただいて、子孫としてありがたいし、うれしい」と話した後、隣接する維新ふるさと館で講演。大久保家の暮らしぶりや、国葬の原型となった葬儀の模様などを紹介した。
南日本新聞 5月15日
大久保利通の没後130年、鹿児島で顕彰祭…再評価へ動き
近代日本の礎を築いた大久保利通(1830~78年)の没後130年となる命日の14日、大久保が幼少期を過ごした鹿児島市加治屋町で顕彰祭が開かれた。
鹿児島県民の間では、西南戦争(1877年)で政府側だった大久保に反感を抱く人も多く、慰霊行事はほとんど行われてこなかった。大久保の再評価につながる動きとして歓迎する声も出ている。
若手の神職約90人でつくる鹿児島県神道青年会=宮田昇会長(36)=が主催し、大久保のひ孫にあたる利泰(としひろ)さん(73)=東京都在住=ら約50人が参列。生い立ちを記した石碑の前で神職が祝詞を奏上し、全員で玉ぐしをささげた。
読売新聞 5月15日