高知市の桂浜に立ち、観光名所として有名な坂本龍馬像の建立80周年を記念したイベントが25日、銅像前で行われた。早稲田大生時代に建立に尽力した入交好保氏(1903~1996)が生前、経緯を記した屏風(びょうぶ)を初公開。司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の朗読会も開き、観光客とともに入交氏らの偉業をたたえた。
龍馬を顕彰する「龍馬研究会」(岩崎義郎会長)と同市観光協会が主催した。屏風(縦1・8メートル、横3・6メートルの2枚組)は龍馬像近くで公開。有志3人と資金集めに東奔西走した入交氏が、県内を仲間と無銭旅行して遊説したことや、京都にいた大スター・阪東妻三郎のもとへ龍馬の映画を作るよう要請しに行き、後に実現したことなどを、日記調に墨書している。
朗読会に先立ち、岡誠也市長が「(入交氏らが)若い力で高知市の観光名所を作ってくれたことに感謝したい」とあいさつ。岩崎会長は「龍馬像はこれからの100年間も立っている。100年先にも人と平和を愛する龍馬の気持ちを伝える場として残ってほしい」と話した。
観光客らは、龍馬の活躍を朗々と読み上げた朗読に聞き入った。奈良県大和郡山市、会社社長西口賢さん(59)は「この像を見ると大きな気持ちになれる。『団塊の世代よ、立ち上がれ』といいたくなるね」と目を細めた。徳島県鳴門市の自動車整備業前田慎司さん(32)は「像の補修のためのお金を、今の学生が集めることだってできる。龍馬の伝えたかった思いが、未来につながっていくのがいい」と話した。
<坂本龍馬像> 桂浜東端の岩頭に立つ銅像。高さ5メートル、台座を含めると13メートル余りになる。1926年(大正15年)8月、早稲田大の学生だった入交好保氏らが、龍馬の功績が埋もれるのを惜しみ「坂本龍馬先生銅像建設会」を発足。県内外から約2万5000円(現在に換算して7000万~8000万円)の浄財を集めた。1928年5月27日に除幕。当時は日本一の大きさだった。1999年、「日本も龍馬も倒しとうない!!」との呼びかけで修復が行われた。経緯を記した屏風は1995年、入交氏が高知市に寄付し、桂浜の国民宿舎「桂浜荘」が保管している。
5月26日 読売新聞
龍馬を顕彰する「龍馬研究会」(岩崎義郎会長)と同市観光協会が主催した。屏風(縦1・8メートル、横3・6メートルの2枚組)は龍馬像近くで公開。有志3人と資金集めに東奔西走した入交氏が、県内を仲間と無銭旅行して遊説したことや、京都にいた大スター・阪東妻三郎のもとへ龍馬の映画を作るよう要請しに行き、後に実現したことなどを、日記調に墨書している。
朗読会に先立ち、岡誠也市長が「(入交氏らが)若い力で高知市の観光名所を作ってくれたことに感謝したい」とあいさつ。岩崎会長は「龍馬像はこれからの100年間も立っている。100年先にも人と平和を愛する龍馬の気持ちを伝える場として残ってほしい」と話した。
観光客らは、龍馬の活躍を朗々と読み上げた朗読に聞き入った。奈良県大和郡山市、会社社長西口賢さん(59)は「この像を見ると大きな気持ちになれる。『団塊の世代よ、立ち上がれ』といいたくなるね」と目を細めた。徳島県鳴門市の自動車整備業前田慎司さん(32)は「像の補修のためのお金を、今の学生が集めることだってできる。龍馬の伝えたかった思いが、未来につながっていくのがいい」と話した。
<坂本龍馬像> 桂浜東端の岩頭に立つ銅像。高さ5メートル、台座を含めると13メートル余りになる。1926年(大正15年)8月、早稲田大の学生だった入交好保氏らが、龍馬の功績が埋もれるのを惜しみ「坂本龍馬先生銅像建設会」を発足。県内外から約2万5000円(現在に換算して7000万~8000万円)の浄財を集めた。1928年5月27日に除幕。当時は日本一の大きさだった。1999年、「日本も龍馬も倒しとうない!!」との呼びかけで修復が行われた。経緯を記した屏風は1995年、入交氏が高知市に寄付し、桂浜の国民宿舎「桂浜荘」が保管している。
5月26日 読売新聞