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私の目指す「母婦」

2009年01月03日 05時45分22秒 | 家庭・結婚
 
2,600年前 インドで、お釈迦さまが 説かれた
家庭に生きる主婦の七つの道のお話が 書かれてある本のご紹介です。

                                



インド コーサラ国の首都 シュラバースティーの郊外にある
祇園精舎は、大富豪スダッタ長者が寄進されたものでした。

スダッタ長者には、七人の息子がいて 上の六人に
素晴らしい妻を迎えていたので、末の子にも・・・と
スダッタ長者の家と つり合うような大富豪の父のもとで慈しまれ
大勢の侍女に かしずかれて 珠のように輝く 美しく育った女性
玉耶(ぎょくや)を迎えることが出来 大変喜んでいました。

けれども、その喜びは 束の間
玉耶は、朝は遅くまで寝て 起きてからは ゆっくりと時間をかけて化粧をし
美しい着物を着たり、身を飾ったりすることに興味があるだけで
夫の世話、両親の手伝い、家事は一切せず 姑に礼儀をわきまえず
嫁に来たのか お客として遊びに来たのか 分からないような生活をしました。

玉耶本人に、自分が怠け者である自覚があるようには思えません。
娘時代に、何一つ自分でしなくても暮らすことができた 無知ゆえに
世間知らずのお嬢様であったのです。

夫の言うことも、スダッタ長者の言うことも その奥さんの言うことも
全く聞かず、毎日 ゴロゴロして、化粧ばかりしている嫁を
なんとかよい嫁にしようと お釈迦さまに 玉耶の心の病を
治していただくように説法をお願いしました。



仏陀は、「いくら容姿が整っていて端整だったとしても
それを鼻にかけ、人を侮るようなことがあれば、美は一転して醜へと
変わっていく。
外見の美しさを鼻にかけ、夫を侮り、軽んじてはいけない。
外見ばかりを飾り立て、心の内を磨かぬ女性は、けっして美しいとはいえない。」
など 世間の話、人の生き方、家庭婦人の生きる道、夫婦のあり方、女性の徳など
について説かれました。

玉耶は、「私はこれまで、いかに我がままで奢り高ぶった女性であったか。
なんと世間知らずであったか。他人に迷惑をかけたり、他人をばかにして
傷付けても、それをなんとも思わずに過ごしてきてしまった。」と
はらはらと 涙を流して 反省をされました。

この玉耶の涙を見られて
「世間には夫婦のあり方がいろいろある。妻たる人にも それぞれの型がある」と
仏陀は家庭に生きる主婦の七つの道「七輩婦(五善婦・二悪婦)」を示されました。





怨家婦(おんけふ)

夫に怨み心を抱いている妻
いつも夫に対して敵愾心を持っている 仇(あだ)か敵(かたき)のような妻
夫の言うことに いちいち反抗するので 夫婦喧嘩が絶えない。
夫への愛情はなく、不満と憎悪の炎に燃え いつもヒステリーを起こして
夫に吠えつき 夫のあら捜しばかりして 夫を傷つけることを
自分の生きがいとしている心は、常に夫への不平不満と憎しみで渦巻いている。

夫のここが憎い。夫のここが嫌い。けれども、仕方なく一緒に暮らしている。
自らを省みる反省の心もなく、ただ「自分の不幸は夫のせい」と考えている妻



奪命婦(だつみょうふ)

夫の生命を奪ってしまう妻 悪人
最も非道な悪妻 家の財産目当ての盗人
いつも悪いことを考えていて 世間に知られないように夫を殺し
財産を横領してしまおうと思っている恐ろしい妻



婢婦(ひふ)

婢とは、お手伝いさんのことです。
嫁に来たからには、行儀見習いに来たつもりで、両親や夫の命に従い
嫌なことでも逆らわず、辛い仕事でもいとわず
夫の両親から努めて仕事を習います。

大家に仕える善良な召使の気持ちで誠心誠意を尽くしていく妻

主婦業の技量は、十年続けた主婦と 一年目の主婦とでは かなりの差があります。
新米主婦は、どこに仕事があるのかも充分に分かりません。
その時に、仕事を教えてくれるお姑さんがいることはありがたいことで
お姑が、いない場合に発生する新米主婦の未熟のツケを直接受けるのは夫。
ひと通りの仕事が段取りよくこなせて、夫に迷惑をかけずに家庭の切り盛りが
できるようになるまでには、たいていの女性は婢婦を経験しなくてはなりません。



婦婦(ふふ)

婦人らしい妻、妻らしい妻
貞淑で、礼儀正しく、少しも出しゃばらず夫に仕える妻
よいことは夫に譲り、悪い事は「自分がいたらなかった」と反省する妻
日々、家庭の平和や夫婦の和合に心を砕いている妻

女性としての礼儀正さを 身につけることが必要
女性らしい女性、妻らしい妻になるためには
自分より年上で あの方は良妻とよばれる人を見本として
自分のふるまいが どう違っているのかを考えなくてはならない。
女性らしさは、家庭生活を通して、また 小さい子供を育てていく過程で
繊細な仕事を積み重ねていくことで 次第に磨かれていく



善知識婦(ぜんちしきふ)

よき指導者、先生のような妻
夫の過ちを見ると、これを叱り 改めさせていく
夫のよい面も悪い面も すべて知り尽くしながら
夫の足らざるところを補い、長所を伸ばして ひたすら内助の功を積む妻

絶えざる学習が必要
書物を読み、よき師に就き、よき人生観を持たなければ善知識婦にはなれない。



妹婦(まいふ)

妹のような妻
兄を慕う妹のように、真心をこめて支える妻
信頼と敬愛の念を持って 夫にかしづく妻
夫に対する細かい気づかいが必要
同じ家庭で育ったかのように夫婦の好みが一致しなければ
仲睦まじい関係には なかなかなれません。

仲睦まじい夫婦となるためには、妻が夫を敬愛し
夫のよいところを観察し、自分の我を折り 相手に合わせていくことです。
そして、いつの間にか 夫の喜ぶことを自分も喜ぶことができ
一緒に暮らしていると心が安らぐ そうした女性。妻



母婦(ぼふ)

最も難しい理想像
母のように慈愛深い思いで、夫を暖かく見守っていく愛情深い妻
夫のために尽くし、夫を許し、夫をなぐさめ、励まして、生かしていく。
夫の長所も短所もすべてを包み込み、すべてを許し、ただただ その存在だけを
慈しんでいく そうした大きな心、大きく包み込むような慈愛の心の妻

夫の欠点を見つけては、それに対して いちいち きりきりしているのでなく
欠点さえも夫の特徴として愛おしみ 自分の不足を反省し 自らを改善していく。

いつも余裕を持って仕事が出来る高い能力を持っていると
母のような寛容な妻が可能

相手を許し、相手を包み込んでいくためには、認識力の高さと広い心
高い仕事能力が必要
その高い能力を身につけるには、日々の努力と経験の積み重ねが必要
努力なくして母婦になることはできません。





玉耶は、「私は、まことに無知で、わがままな妻でした。
奢り高ぶったふるまいをして、みなさんに迷惑をかけました。
そのお詫びもかね、私は婢婦となって働きたいと思います。
これを仏陀にお誓い致します。」と心から懺悔して述べられ
心を入れかえ 努力を重ね 立派な長者夫人となって人々の尊敬を集めました。



家庭は、長い年月にわたって女性を育むところ
そこには、仕事の段階が数多くあり、婢婦から婦婦、善知識婦、妹婦、母婦と
一年、一年 成長していくことができるようになっています。

まず、自分が何もしらないことを認めなければなりません。
そして、その後 成長していくためには よき先生に就いて仕事を教えていただき
すべてを謙虚に学んでいくしかないのです。

あなたは、家庭において成長しているでしょうか?
それとも、退化しているでしょうか?
自分の姿、家庭における妻としての姿を振り返ってみてください。



                                


玉耶夫人は、婢婦を まず選ばれました。
スダッタ長者の家の主婦は、現代の大企業の管理職ぐらいの力量がある人でなければ
務まらないことでしょう。

私は・・・母婦(五善婦すべての意)を目指します。
そうでないと・・・務まらないでしょう。そうでないと、役不足でしょう?



私は、白馬の王子様を待っている世間知らずの夢見る乙女ではなく
世間がどれだけ厳しく、どれだけ はかないものか知り
全ての物事を否定し、さらに それを否定した世界観

世間の厳しさを知り、血の涙が流れるような日々を乗り越え
夢は叶えるものと知っている 筋金入りの永遠の夢見る乙女です。
それが、堂々と「母婦を目指します。」と書ける理由です。



この世は、仮の世。ひとときの楽しい美しい旅行のようなもの
一回一回の生命の終わりには、どのように そのひとときを大切に生き抜いたか
心で思ったことまで、すべて すべて明らかにされる時が 必ず すべての人に訪れます。



ひとときの生命 この世の命が終わった時、その時に、私は・・・

夫を愛しぬいて 優しく暖かい愛に満ち溢れた家庭を作りました。
夫を強く深く愛し続けて作り上げた この家庭の温かさが全世界に広がっても
恥ずかしくない。皆様から 理想とされる家庭を作り上げました。
と、心に偽りなく ただ一人の夫のために生きていく人生を歩みます。

あなただけを 心から愛していました。
これからも、いつの世も あなただけを愛し続けます。
と 言い切れる真実の人生を 私は送ります。

過去から ずっと ずっと そうだったように ・・・
 

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