元高校教師のブログ[since2007/06/27]

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信長の柩---八切止夫は爆破説

2007-07-04 04:30:30 | 異端日本史・民俗学

 信長の柩---昨年11月に放映されたテレビの番組名だ。本能寺から南蛮寺まで地下の脱出用トンネルがあったと言うのだ。本能寺の変で信長の焼死体が出てこなかったというのは、良く知られている。
 犯人は明智光秀ということになっているが、秀吉、家康、堺衆、門徒集団、など各説がある。

 番組では、そのトンネルと秀吉、山の民がキーワードになった。
 以前書いた「義経堂」の記事で、高木彬光「成吉汗の秘密」を紹介した。だが、本の名前を挙げたからといって、はたしてどのくらいの人が興味をもつだろう?まして、神田の古書店を徘徊するような熱心な人がいるとは思わない。

 それで今日は書名だけでなく、その一節を八切止夫「八切裏がえ史」から抜粋する。(以下、下線部まで)
  ----さて、やはり山科言経の日記にも、信長の遺骸が髪の毛一本も見つからぬから、どこかに生存しておられるのだろうというので、このために、---- ----本能寺は、包囲後3時間半で、いきなり大爆音と共に突然爆発して吹っ飛んでしまった。これは従来の日本には輸入されていない強力新火薬を使った結果でしかない。----そして本能寺は一階建てだが、そこから一町も離れていない四条坊門の天主教の公会堂兼火薬販売エージェントの建物は、当時としては高層建築の三階建てでバルコニーつき。ここの長老師父のオルガンチーノは、カリオン坊主にあとをばまかせ、6月2日の朝、長いワラジをはいて九州の「口の津」まで逃げてしまった。---- ------マカオ並びにヴァチカン司書館には、いくつかの史料も現存している。
 (右に出すのはその一例)  「マカオにおけるイエズス教会総司祭並びに、神のための学校を育てるサセント・ゴリアへ  テンカとよばれていた日本のノブナガ王が、キョウで爆死をとげた事に関しては、これは、われらは神の御名において何人の口をも封じねばならぬという事が、きわめて重要かつ大切であり、それが神の思召でもある。-----    政庁国務省ゴアにおける教皇使節代理ドン・フランシスコ」  

 

 信長は初めのうちはキリシタン(イエズス派)に対して好意的だった。だが、天下人である信長にとって、神の僕となることはできない。次第に両者は対立していき、ザビエルのイエズス派にとっても信長は邪魔者になってくる。当時、キリシタン大名というのが流行したが、信仰心というよりは、西洋の武器や(日本では原料が産出しない)火薬が欲しいので擦り寄ったまで。仏教のお寺やキリスト教の教会というのは、布教初期は、表の顔はさておき、その国への前線基地が実態。お寺など、比叡山延暦寺というように、~山が前につく。これは簡易型の城、つまり基地の名残である。キリスト教はつい最近、第二次世界大戦後の日本進駐のときも、日本人の精神を欧米化しようとの思惑は勿論だが、日本各地の辺鄙な田舎まで、やたらと教会が建てられた。いざと言う時の基地である。おかげで、マッカーサー統治下、イラクなどと違って一度も反乱がおきていない。しかし反面、先の大戦後、日本にキリスト者が急増したということもないのは皮肉である。 
 ところで、戦国時代の尖兵である宣教師達は日本を属国にせんとする意図で渡ってきた。フロイス日本史というのは高校でも習うが、彼らは日本の情勢をこと細かに本国に報告している。ヴァチカンやシントラの図書館にはそういう記録が保存されていて、八切止夫は特別な部屋を与えられ、これらの文書を研究したとのこと。
 だから、上に出した報告書は他にもたくさん、別の書物で紹介している。 

 さて、テレビでは秀吉が怪しいということだが、八切止夫には「信長殺しは光秀でない」という本もあることを付記しておく。 
 テレビでは「山の民」も重要な役目を担っていた。だが、あれはサンカではない。敵討ちと称する女が使ったのは短刀で、サンカならウメガイを使うし、やたらと人を襲うこともしない。本物のサンカなら村など作らず、テントとともに山野を逍遥する自然人だ。秀吉はハチのもので、山の民が彼を(最初は)バックアップしたというのも解せない。

付記 上記のテレビ番組は、加藤廣著『信長の柩』(日経)が原作であることを後で知った。ヤフーの検索にも、この私のブログが紹介されていると、友人に言われたので、「山の民」について少し付記したい。
 私は「山の民」→サンカと思ったが、著者の言う「山の民」とは、山師などの鉱山関係者を指しているのかも知れない。役の行者・小角、四国霊場を開いた弘法大師、山伏、密教、---こういう系列の集団のことかも知れない。そういえば、上記TV番組では、(記憶が定かではないが、確か)抜け道の出口付近を丸太を組んで塞ぎ、天井から土を落として生き埋めにした、との想定であった。
 

 


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