元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

奈良東部の紅葉巡り(赤目渓谷・談山神社・笠置山)--[その3]

2015-11-26 09:29:54 | 旅行

[その3]--- 笠置山・龍田大社・夜の奈良公園

笠置山--巨石・巨岩巡り遊歩道ハイキングと言ってもいい。

[笠置山自然公園マップ]--「観光笠置」(TEL:0743-95-2011)のパンフより



 すでに弥生時代には、巨石を神とする「磐座(いわくら)」信仰が行われていたようだが、奈良時代には山全体を修行の場とする修験道の行場となった。

 後醍醐天皇が鎌倉幕府に対して討幕運動を始めた第一歩が正中の変で、次の舞台がこの場所だ。1331年8月、御所を脱出した後醍醐天皇が笠置山で挙兵した*のを元弘の乱という。京都の六波羅探題を出た幕府軍・七万五千が笠置山を取り巻いた。守る天皇軍は、寄せ集めの俄か武士や僧兵たちで、足助重範(あすけ しげのり) を総大将としたが、その数3,000でも一ヶ月持ちこたえたという。そのときの兵火で笠置寺はことごとく消失したが、巨岩に刻んだ磨崖仏も火炎で表面が剥げ落ちた。
  このとき、後醍醐天皇に呼応して、吉野では護良親王(もりながしんのう)、河内では楠正成(くすのきまさしげ)が挙兵した。由緒正しき武士ではなく、新興の土豪であった正成が笠置山の天皇に呼ばれたという。対面した正成は、感激のあまり後醍醐天皇に忠誠を誓ったという。地元の人は正成は笠置山で幕府軍と戦ったと思っているようだが、神出鬼没の彼のことだから、一ヶ月に渡る攻防戦の最中、赤坂城から時折姿を現した程度ではないかと考える。


駅前にある笠置山攻防戦の模型? 上から弓を構えているのは足助(あすけ)重範? 大石をかざして投げつけようとしているのは、快力の僧兵か。下から幕府軍の武士が攻め登ろうとしている姿。

 入山入口を入ると、いきなり巨石巨岩群に圧倒される。山道の「修行場巡り」は、撮影などの
時間を入れると、一周1時間程度だろう。


太子堂前の巨岩

 
炎で表面が剥げ落ちた弥勒石。    兵火に遭う前の磨崖仏(弥勒仏)。正月堂の写真より。

 
正月堂脇から次の巨岩に向かう       兵火を免れた「こくぞう石(虚空蔵磨崖仏)」


「胎内くぐり」を通過しないと向こう側には行けない。     

                                 


平等石

 
                                                       「蟻の戸わたり」一人通過するのがやっと

 
    「戸わたり」の次の巨岩の下を登る


巨岩の上に出たら見事な紅葉があった。


二の丸跡から南方を見下ろす

↓以下3枚は「もみじ広場」の上部尾根道で写す。

↓以下3枚は下の「もみじ広場」で。

 


正面の石段を登って、後醍醐天皇行(あん)在所へ向かう。


階段を登った所が後醍醐天皇行(あん)在所


御製の前で


本堂方面へ下る 
                           

 

山城タクシーの藤田さん
  この計画の段階で、困ったことがある。当初は笠置駅から往復歩いて山に登る予定であった。ところが、みな年寄りなので、無理との声。それで、タクシー利用に切り替えた。
ところが、笠置駅には、タクシーはないという。笠置寺の住職(小林慶昭さん)にメールして
相談したら、山城タクシーの藤田さんを紹介してくれた。

 打合せ通り、約束の時間に加茂駅で2台の車が待っていた。私は藤田さん運転のほうに乗り、寺に向かう。運転席の隣り座席に座り、走っている間、いろいろ彼に訊ねた。
 笠置山攻防戦の総大将が誰だったのか、いまいち分からなかったので、「後醍醐天皇を
お守りしたのは、誰ですか?」と訊いたら、「これですよ」と、私の目の前に下げている写真入り身分証明書を指差した。私は、何のことか分からない。見ると彼の名前は正成。
 親が正成と命名したのだそうだ。彼は、この地の出身で、村では藤田正成を知らない者
はいないそうで、それほど、この地は正成ファンが多いのだ。それで、幕府軍と戦ったのは
楠正成と考えているようだ。

龍田大社--風神 龍田大社 公式ホームページ | 奈良県三郷町


この「かんなび神社」は大社の手前にある小さなやしろだ。


駅構内の改札口手前にあった。龍田大社が何故風の神様かは、大社に行けば分かる。


龍田大社。柱に巻きつかれた縄は龍の姿か?ユニークな造りの拝殿だ。

 


朱塗りの鳥居の向こうには、末社の高望汪のお妃(右)と枚岡大神・春日大神

高橋虫麻呂の万葉歌(拝殿の右手前にある)

島山を い往き廻(もとほ)る 河副(かはぞひ)の 丘邊(をかべ)の道ゆ 昨日こそ
吾が越え來(こ)しか 一夜のみ 宿(ね)たりしからに 峰(を)の上の 櫻の花は
(たぎ)の瀬(せ)ゆ 落ちて流る 君が見む その日までには 山下(あらし)
な吹きそと 打越えて 名に負へる(もり)に 風祭(かざまつり)せな
                                     ---------------
万葉歌 巻9-1751  高橋虫麻呂

[解釈]---島山を行き廻っている河の、その河沿いの丘の辺りの道を通って、つい昨日吾は難波へと越えて行ったのであったが、ただ一夜泊まっただけであったのに、峰の上の桜の花は激流の瀬から、散り落ちて流れて行く。天皇が御覧になられるその日までは、花を散らす風は吹かないでおくれ。この山を越えて風神として名高い龍田大社に、風祭り しよう。

                                           以上、三郷町のパンフより抜粋コピー

紅葉の名所・竜田川について---
 三郷町に大和川が流れているが、その支流に竜田川がある。隣の斑鳩町に竜田公園があり、その辺りが昔から紅葉の名所であったとのこと。以下のように百人一首で歌われていて、業平のは落語の「千早振る」の材料になっている。

 「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり」(能因法師)
 「千早ふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)

※龍田大社を訪問地に選んだとき、業平が歌った竜田川は当然頭にあったが、かなり離れた場所だと思っていたのが誤りであった。隣町なら勿論、竜田公園に行ったのに。残念。 

夕方の奈良公園---秋の日は釣瓶落とし
  龍田大社から戻って、陽の暮れるまで、ゆっくり奈良公園を散策しようと思っていたが---。
 日暮れは、あっという間に訪れた。当初は、「ささやきの小径」から飛火野へ歩き、春日大社参道をJR奈良駅まで下る計画であった。だが、その辺りにはライトもなく歩く人影もない。わずかに、青葉茶屋の灯りが見えるだけだ。
 よって、(春日大社に向かって)参道の左の原で鹿と戯れた後、さっさと南下し、猿沢の池に
着くころは、すっかり夜になっていた。


興福寺五重塔


猿沢の池。 夕食には未だ早いので、しばらく池畔のベンチに座り、水面に映ったライトや、
向こうの興福寺五重塔を眺めて過ごした。自分が高校生のときの修学旅行では、すぐ近くの大仏館に宿泊したが、こんなゆとりは無かったなぁ。

 駅近くのサイデリヤに入ったのは7時頃だっただろうか。ここでは、我々だけの席を用意してくれ、夜行バスの時間(10:30ごろ)まで居ても良いと言われ、嬉しくなった。
 各自、好みのものを注文し、途中で飲物などを追加注文した。今回の旅を振り返ったり、
来年度の旅行の話をしているうちにバスの時間に近づいた。 

[余談]
(1) 百万分の一の確率の遭遇
  メンバーのI さんは、一人で「四国お遍路」をしている人だが、今回は笠置駅で別れた。
  浄瑠璃寺と岩船寺に行きたいのだと言う。私は昔、生徒を連れて訪れたことがある。
 堀辰雄は「浄瑠璃寺の春」を書いているが、この寺は風情があって、なかなか良い寺だ。

  笠置駅で I さんと別れた我々が、猿沢の池を出て、土産店などに立寄りながら、観光客で賑わう春日参道を駅に向かって歩いていると、「あれぇ、--」と女性たちの声。私は雑踏のこちら側を歩いていたので、誰か知り合いとでも出遭ったのかなと思いながら近寄ると、なんと I さんがそこにいるではないか!

 時間と距離の歩行軌跡を表しても、I さんと我々はグラフ上で交わるはずが無い。そういう
ことがあるとすれば、宝くじに当たる確率よりも低いだろう。
 両者は歩道上で一瞬、すれ違うところだったのだ。向こうから来た彼に訊くと、宿泊ホテルに向かっているところだと言う。「反対ですよ、私たちは駅へ向かっているのです」と女性たち。「I さん、このまま行くと、猿沢の池に行ってしまいますよ」と私。彼の宿泊ホテルは、JR奈良駅前のスーパーホテル。「いや、違う。こっちだ。」と聴かない彼。

 已む無く、我々の方向に彼を強引に引っ張って行った。駅の近くにある奈良漬土産店に着いても納得しない。彼は駅の方向を店員に訊いている。
 女性たちを店内に残して、私は I さんをエスコートしてスーパーホテルの直下に到着。
やっと彼は納得した。それにしても、我々と出遭うことがなかったら、I さんは闇夜の奈良公園を彷徨っていたかも知れない。何しろほろ酔い加減であったから。

(2) エコノミークラス症候群 ---帰りの夜行バスが原因
  我々が利用した夜行バスは、3列トイレ付き。トイレ付が逆に災いしたようだ。普通なら、東京に着くまでに、SAなどで数回トイレタイム。車内にライトが点灯し、運転席から知らされる。あとで分かったのだが、トイレ付きなので、そういうことは一切無し。私は同じ姿勢でずっと椅子に座って寝ていた。そろそろ、東京に着く頃かと暗い外を見たら、建物はない。時計を
見ると、6時過ぎ。トイレに行っておこうかと、席を立った。ところが、戻るときに異変が起きた。下から上まで、踏み段は2か3。それが辛いのだ。バクバクで呼吸困難。倒れこむようにして座席に戻った。

 それから、また寝たのだろう。眼を覚ましたが、まだ東京ではない。外が明るい7時ころ知らされた。東名高速集中工事とかの渋滞で、2時間以上遅れているとのこと。
 東京駅鍛冶橋駐車場に着いたのが9:35分。ところが、バスから降りたら又バクバクで呼吸困難。思うように歩けない。仲間も心配してくれたが、時間をかけて、ようやく東京駅入口に到着。私はそこでザックを下ろし、血管を広げる薬を飲んだ。実は、動脈硬化症で、私の血管年齢は90歳近く。血管の断面図でいうと、70%は塞がっていて30%の通路を血液が通ってい
る状態。あと5%塞がったら手術、と医師には言われている。

 なんとか、我家に辿り着いたが、どうやらエコノミー症候群。11時間も同じ姿勢で動かなったのだから、当然だろう。ネットで調べたら、飛行機でもバスでも、同様な状況になると出ている。
症状はいったん治まっても、1週間以内に再発することもあるとも書いてある。

 それで、3連休が明け、猛烈に混んでいたが、地元の総合病院に行った。半日以上つぶしたが、エコノミー症候群ではない、との診断。「それだったら、今頃死んでいるよ」と医師。
「だったら、何んだったのですか?」と私。「血流の問題だよ、2・3度トイレ休憩があったはずだが」と医師。「それが無かったのです」と私。「とにかく、足踏みしたりして下半身を動かすことだよ」と言われた。だが、今回のようなバスでは、体操もできなかった。今後、夜行バスではSAで必ず起こしてもらい、外に出ることを心がけようと思った。

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