元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

青森3日間の旅→その6(日本中央の碑、キリストの墓、ピラミッド)

2008-08-17 05:12:47 | 旅行

 2008-8-9 約束の時間9時前に、つばめタクシーのジャンボが東龍館に来てくれた。当初は、キリストの墓伝承館から乙供に戻る約5時間コース4.5万円で約束していた。ロビーで、もう少し出すから、青森駅までやってもらえないかと交渉した。彼は会社に電話し、あと1万円プラスでOKというので、交渉成立。急遽、奥入瀬渓流経由で、八甲田山中を突っ切ることになった。

 早速、みんなに伝えたら、もちろん皆賛成。ザックを車に積んで青森までのドライブとなった。 

[2日間お世話になった東龍館]--いよいよ、お別れだ。前日は、夜遅く着いたにもかかわらず、風呂に入れてくれ、部屋も十分なスペースをとっておいてくれた。部屋は沢山あり、かけ流しの、つるつる温泉といい、朝晩の食事といい、文句は無い。女将さんは、2人の(近所の?)お手伝いさんと一緒にやっているようで、東北人特有ののんびりした感じ。商売気が無く、この料金でやっていけるのかと、少し心配だ。何しろ安いし、一人部屋もあるし、温泉もいい。一人旅にはもってこいの旅館だ。もしかしたら、隠れファンのリピーターが多いのでは。私の隣部屋には、そういう感じの男性が一人で泊まって、この風呂を堪能していた。


 手をつけ始めた夕食


 朝食(この味噌汁のシジミは、近くの小川原湖でとれたのであろう)

 
 東龍館の正面玄関

[その6+その7走行コース図]
「青森県レンタカー協会ドライブマップ・南部エリア」の地図に、ソフト「ペイント」で上書きしました。

  運転手は、昨日と正反対の人のようで、あまり口を開かない。別に機嫌が悪いわけではなさそうだ。
東北人特有の朴訥な青年である。最初に寄ったのが「日本中央の碑発掘場所」。歴史公園と同じ場所だと思っていたので、面食らった。車を停めて、「ここです」と指を指しただけ。整備されていない森の中へ階段が下っている。私は案内してくれるものと思っていたが、青年は降りてこない。
 どうやら、今日一日は、この調子でいくらしい。つまり、各ポイントで、私が先頭にたつことになりそうだ。

日本中央の碑】[リンク]→つぼのいしぶみ - Wikipedia/日本中央歴史公園


 ここが発見場所なのだ。こんなさびしい山の中に来る人なんていない。

 ところで、何故この場所が、「日本中央」なのか、昔から多くの解釈があるらしい。大和朝廷からすれば、もちろん、中央なんかではない。坂上田村麿も、ここには来ていないようだ。反大和の、蝦夷たちの主張かもしれない(---竹島に関する韓国大統領発言に似ている)。「津軽外三郡誌」を持ち出すまでもなく、ヤマト政権以前の日本を思わせる文化圏でもあったのか、---謎多き碑であることは確かだ。

 ここから、車を走らせて「日本中央の碑歴史公園」に辿り着いた。ここには、著名人がいろいろ、訪れているようだ。

 


 これが、発掘された問題の碑である。

 

  キリストの里までは、五戸を通ってかなりの距離を走る。
キリストの墓】[リンク]→キリスト・大石神ピラミッド】竹内文書 - Wikipedia/ ナニャドヤラ - Wikipedia

  「この話を信じる・信じないは、各人の自由だ」とよく言われる。だが、このことに関しては、そんな生易しいことでは済まされない、という歴史的事実がある。この話が明らかになった時代には、柳田国男、金田一京助などが動員され、反対に、近くではイスラエル(大使)が関わってくる。いや、そんなものではない。戦時中は「天津教事件」といって、狂気的とも云える国家的弾圧事件となるのだ。『蟹工船』の小林多喜二拷問死を持ち出すまでも無く、戦時中の共産党に対する国家弾圧は有名だ。それと同じようなことを、竹内巨麿と天津教に対して、国家権力がしたのである。狩野亨吉 を使って『思想』(岩波書店)誌上で、天津教古文書偽書説を書かせる かたわら、竹内巨麿を投獄し、竹内文書などの古文書類や神宝などの証拠物を、ことごとく没収してしまった。これらは先の大戦で、保管所倉庫の中でことごとく消失してしまったと云われている。だが、ひょっとしたら、(キリスト教国家には、あまりにも衝撃的な証拠物なので)マッカーサーにより秘かに国外に持ち出された、という噂もある。

 いずれにしても、これほどまでの国家弾圧をしてまで隠さねばならないものが、竹内文書や神宝類にはあったのではないか?「各人の自由だ」と云っていられない事実に、占領軍もイスラエルも目をつぶっていられないものがあったのではないか?---と考えるのが普通であろう。

   「十来塚」の脇にある記念碑


手前が弟イスキリ、向こうがキリストの塚

以下は「伝承館」内部にある陳列物だ。


沢口家には、ときどき日本人離れの顔立ちをした者が生まれたという

大石神ピラミッド】---ピラミッドといえば、誰でもエジプトのそれを思い描く。砂漠の中は別として、平の土地ではない所にも、ピラミッドはあると云われている。三角錐に似た、頂上が見通しの良い山を少し加工して巨石などをルールに従って配置した(太陽石、方位石、星座石、鏡石)山のことだ。例えば、方位石には大きな割れ目があり、正しく東西とか南北に向いている石だ。陽の光を反射する鏡石など、太陽信仰や有効エネルギーと関係があるという。葦嶽山(富山県)、皆神山(長野県)、尖山(富山県)、位山(岐阜県)、大和三山(奈良県)、三輪山(奈良県)、筑波山(茨城県)などが挙げられる。

  ※山道の奥にもう一つ、上石神ピラミッドというのがあるので、車はそちらへ進んだが、入口をなかなか発見できなかった。途中で林道をUターンして、帰り道に登り口を発見したが、時間もロスしたし、急斜面のようなので、そちらは断念した。

 ダートの林道から国道454に出て、二の倉ダム方面に進む。道の駅があって、そこで昼食となった。----そこの食堂の「冷たいラーメン(冷やしラーメンではない)」600円はチョーうまかった。元来私は味噌党で醤油は敬遠するのだが、ここのラーメンの氷の入った醤油ベースはいただける。特におつゆが絶品で、あまり舌触りが良かったので、その冷たいおつゆを全部飲んでしまった。

※「青森3日間」→その7へ。次は最終回です。


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