以下はその「あとがき」に、この文集の顧問として載せたものだ。
久し振りの銀世界だ。学年末の雑務の中で、今私は、この近所がまだ田畑や野原や池や沼だらけだった頃を思い出している。春には菜の花やレンゲが咲き、「一本線路」の土手はつくしんぼが一斉に芽を出す。「寿恵広」の前は小川がさらさらと流れていて、派出所の脇や菅原橋の下は恰好の釣り場であった。桜・もくれん・紫陽花・イチジク等が、季節の移ろいと共に、どの庭先からも心に触れてくる---そうした自然の恵みの中で育った子供の頃。
それから、焼死体の山で川も埋まったあの三月の(本所・深川)大空襲。それも、防空壕から這い出た少年の目には、夜空を真紅に染める、あまりにも美しい一編の幻想の詩としか映らなかった---そうした時代を経て、やがて君達は生まれた。そして、今日、小岩高校を卒業していく。
こうしてみてくると、君達と私の間には、大きな隔たりがあるはずなのだ---ところで、ここに不思議な時の錯乱が起こる。私の時は停止し、君達の時はそれを乗り越えて行くという---。
食用蛙がうなり、ヨシキリがさえずっていた小岩湖も埋められていく。やがて、白鷺の姿も、その湖と共に永遠に失われるのであろう。
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