縄文人の反乱 日本を大事に

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●難波(なんば)●ミナミ●南地(なんち)●十三(じゅうそう)

2012年10月01日 21時13分33秒 | 色んな情報
●難波(なんば)●ミナミ●南地(なんち)●十三(じゅうそう)
★難波(なんば) http://p.tl/J0ee
大阪府大阪市中央区・浪速区の地域名称。または、中央区の町名。
★沿革      http://p.tl/pXtO
難波の地名の由来となった西成郡難波村は、もともと南船場・島之内・新町・堀江の一帯にあり、上難波村(南船場)と下難波村(他)に分かれていた。現在ではほとんど難波と認識されることのない南船場に、後述の難波別院・難波神社があるのはこのためである。大坂城下の拡張に伴い、上難波村はわずかに飛地を残す程度となり、下難波村は道頓堀以南へ移動となった。また、堀江の開発によって、木津川沿いの地域は西成郡西側町・材木置場として分割された。1700年、上難波村飛地を下難波村に編入し、難波村に改称された。
★「大坂」地名発生以前の大坂   http://p.tl/l52r
のちの「大坂」が位置する上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地で、「浪速(なみはや、なにわ)」、「難波(なにわ)」、「浪花(なにわ)」、「浪華(なにわ)」などと称されてきた。

★ミナミ    http://p.tl/fJ4g
大阪府大阪市中央区と浪速区、西区にまたがる日本最大の面積を持つ繁華街の総称。
島之内・道頓堀・難波・千日前といった地域に広がる繁華街の総称で、これらの地域が大阪市の中心業務地区である船場の南側に位置することや、大半がかつて存在した南区の区域にあたることからミナミと呼ばれている。
心斎橋は、船場と島之内を結ぶ橋梁名が由来であることからもわかるように、心斎橋筋に沿って船場側にも及ぶ地域名称であり、一概にミナミとは言えない。また、島之内側の心斎橋筋沿い、即ち心斎橋筋商店街は売買双方にとってステイタスエリアであり、ネームバリューの高い心斎橋をわざわざミナミなどと言い換えることも稀である。ただし、現行町丁名の東心斎橋は例外で、狭義では東心斎橋の歓楽街を指してミナミと呼ぶ程である。

★南地(なんち)は大阪市の花街。http://p.tl/KP0H
★十三(じゅうそう) (大阪市) http://p.tl/XfEf
大阪府大阪市淀川区にある地名。 十三駅付近のエリアを指すこともある。 地名の由来は、旧摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説[1]や、昔ここにあった淀川の渡しが、摂津国において上流から13番目だった説[2]など、諸説存在する。

★大阪の花街(おおさかのはなまち)  http://p.tl/30EQ
★かつての「大阪四花街」       http://p.tl/mA_z

★大和屋女将の語る昭和のサムライたち   http://p.tl/O2Ta
★難波神社   http://www.nanba-jinja.or.jp/
★難波駅 - Wikipedia   http://p.tl/n5M7
難波新地(現・中央区難波)の南端に南海難波駅、ほぼ中央に大阪難波駅および地下鉄 千日前線ホーム、両者を結ぶように地下鉄御堂筋線ホームが位置し、難波新川(現・ 阪神高速1号環状線)を挟んで西側に地下鉄四つ橋線ホーム、さらに西側にJR難波駅 が...

★難波宮 - Wikipedia   http://p.tl/nZKg
難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。
★難波京 - Wikipedia   http://p.tl/EKcu
難波京(なにわきょう、なにわのみやこ)は、古代日本において難波の地に設営された都城である。飛鳥時代に宮が設置された(前期難波宮)が、京の存在は確認できていない。奈良時代に設置された宮(後期難波宮)と合わせて京として実質を伴ったとする見解が有力である。

★史跡難波宮跡    http://p.tl/ZsJx
★難波津 (なにわつ、旧:なにはつ) http://p.tl/E8fC
古代大阪湾に存在した港湾施設の名称である。現在の大阪市中央区付近に位置していたと考えられている。
★難波津 (和歌)   http://p.tl/2wiB
難波津の歌(なにわづのうた)は、古今和歌集の仮名序で「おほささきのみかどをそへたてまつれるうた」として紹介されている、王仁の作とされる和歌。
・浪速区 - 区内の地域名である難波(なんば)との混同を避けるため、「浪速」表記が採用されている。

★なんでも梅学>仁徳朝に「咲くやこの花」 http://p.tl/XDMD

★咲くやこの花館(さくやこのはなかん)http://p.tl/nLbi
大阪市鶴見区の花博記念公園鶴見緑地内にある屋内植物園。日本最大の温室(延床面積6900m²)を有する。
★咲くやこの花館通信   http://p.tl/yRPr
★咲くやこの花賞(さくやこのはなしょう)http://p.tl/YzOO
大阪市が大阪から世界に文化人を発信し、また大阪文化の振興・発展を目指すために設けている賞である。

★咲くやこの花賞 - 公式サイト     http://p.tl/I1wB

●時世【トキヨ】●じ‐せい 【時世】【時勢】●いま‐よう【今様】

2012年10月01日 21時13分33秒 | 色んな情報
●時世【トキヨ】●じ‐せい 【時世】【時勢】●いま‐よう【今様】
★時世【トキヨ】
1 時代。時節。「―を経る」
2 その時の世の中。その時代の風潮。「―に従う」 「-のしからしむる所 /当世書生気質逍遥」
 
・じ‐せい 【時世】
時とともに移り変わる、世の中。時代。ときよ。「いやな御―だ」
その時その時の世の中。また,そのありさま。時代。 「結構な御-」 「-に合わない」 → 時勢 (補説欄)

★時世時節【トキヨジセツ】
その時その時の移り変わり。その時その時のめぐりあわせ。「これも―で、致し方がなかろう」〈広津和郎・風雨強かるべし〉

★じせい‐そう【時世粧】
流行のよそおい。はやりのかっこう。「さながら明治時代の―を見るようだ」〈風葉・青春〉

★豊国画 絵本時世粧(とよくにが えほんいまようすがた)| 国文学研究資料館  http://p.tl/OeJ5
★株と御時世~ぶきよう録     http://p.tl/Zmk8

★17世紀のロシアを再現するフェスティバル 「時代と時世」祭    http://p.tl/I_Wr
★時世亭:日本史中国史その他よろず取扱   http://p.tl/r_bi
★和歌の世界:時世の句           http://p.tl/Jt1Z
★戦国武将の時世の句-戦国未満        http://p.tl/gEfe
★時世の漢詩「時事偶感」          http://p.tl/83HT
★時世. この便利な時代、          http://p.tl/38Zr
★【映画】困難な時世Hard Times       http://p.tl/aLuY
★赤穂四十七士 辞世の句          http://p.tl/HHSu
★天に客星輝く時・・世が乱れる・・(噓)  http://p.tl/8bRi
★時世石ばし山、頼朝ふし木かくれの図(詳細) http://p.tl/qBA1
★国立国会図書館のデジタル化資料 - 時世花鳥風月 http://p.tl/wZ1w
★よもやま記 > 秀次辞世の句         http://p.tl/_MRm
★高野山よもやま記 高野山霊宝館      http://p.tl/hNAA
★辞世の句 - Wikiquote           http://p.tl/0puC
★時世粧. 巻第1-5 / 維舟 [編]        http://p.tl/v1tI
★女劇時世粧. [上],中,下 / 式亭三馬 作 ; 五渡亭国貞 画 http://p.tl/TKiC
★♪「時世 時節は 変わろと ままよ……」 http://p.tl/yhHA

★いま‐よう〔‐ヤウ〕【今様】
1 当世風。今風。「―のやり方」「―の建築様式」
2 「今様歌」の略。
「古き都の荒れゆくを、―にこそうたはれけれ」〈平家・五〉
日本の中古(ちゅうこ)および近世歌謡の種目名。(中古 (時代区分))
普通名詞「今様」(当世風)を使って漠然と呼称していた「今様歌」を略して分類用語となった。
★今様 - Wikipedia   http://p.tl/yAFG
今様の碑 、永観堂内、京都市東山区. 今様(いまよう)は、日本の歌曲の一形式。今様とは「現代 風、現代的」という意味であり、当時の「現代流行歌」という意味の名前であった。
『越天楽今様』
中でも有名なのは、『越天楽』のメロディーに歌詞を付けた『越天楽今様』である。雅楽の楽器を伴奏に使う場合のみ、雅楽の謡物に該当する。
★『越天楽』(えてんらく)http://p.tl/f5YW
雅楽の演目である。舞は絶えて曲のみ現存している。雅楽の曲のなかで最も有名な曲である。楽器は主に8種類。管楽器、弦楽器、打楽器に分かれている。
「越殿楽」とも記述される。
越天楽に歌詞をつけたのが『越天楽今様』であり、中で最も有名なのが『黒田節』で、日本では結婚式などで演奏されることが多い。『浦安の舞』と並んで巫女が奉納する場合が多い『豊栄の舞』も、現代版越天楽今様と言って良い。

★黒田節(くろだぶし)http://p.tl/oBYa
福岡県福岡市の民謡。「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」の歌詞で有名。なお、初期にレコード販売された頃は黒田武士と表記された。

★浦安の舞(うらやすのまい)http://p.tl/WXLe
神楽(巫女神楽)の一つ。近代に作られた神楽である。

★豊栄の舞. 「豊栄の舞(とよさかのまい)」http://p.tl/bJpZ
乙女舞とも言われています。 舞人は榊 または季節の花を右手に持って舞います。 舞人は多くの練習を積み、祭典において 奉納いたします。

★近代に作られた神楽 - Wikipedia   http://p.tl/UkvS
明治以降に創作された神楽(楽曲、及び舞踊)について説明する。

★重陽の節句祭 豊栄の舞 -その1- http://p.tl/c6zB  -その2- http://p.tl/7omW
★浦安の舞 http://p.tl/jiQz
★世界遺産 丹生都比売神社奉告祭 豊栄の舞 奉納    http://p.tl/yIJr

●南京玉すだれ 大道芸 ●玉簾 (たますだれ)鑑賞花

2012年10月01日 21時13分33秒 | 色んな情報
●南京玉すだれ 大道芸 ●玉簾 (たますだれ)鑑賞花
★玉簾 (たますだれ)(「珠簾」とも書く)http://p.tl/N4tv
★玉簾 (たますだれ) 写真集      http://p.tl/iM2f
★ステルンベルギア(黄花玉簾(きばなたますだれ))http://p.tl/0g80
★タマスダレ - Wikipedia    http://p.tl/giE5
ヒガンバナ科の植物のひとつ。 クロンキスト体系ではユリ科。

★南京玉すだれ - Wikipedia   http://p.tl/yvZE
南京玉すだれ(なんきんたますだれ)とは、日本の大道芸の一つ。歴史のある芸で伝統芸能であるとも言える。一人の演者が長さ20~30数センチの竹製の小型のすだれを持ち、唄にあわせて踊りながらすだれを変化させて釣竿、橋、しだれ柳、旗などに見立てる。演者が持つすだれの名称でもある。
★日本南京玉すだれ協会     http://tamasudare.org/
★日本南京玉すだれ協会 ブログ  http://p.tl/nsO0
★南京玉すだれ - YouTube    http://p.tl/wabZ http://p.tl/SC7y http://p.tl/jHTz
★浅草雑芸団「がまの油売り、南京玉すだれ」 2012/01/02    http://p.tl/iXpZ
★安野俊丸の玉すだれの作り方 http://p.tl/rJzc
★南京玉すだれのルーツ    http://p.tl/_Pb6
★南京玉すだれの仕掛けの秘密 http://p.tl/Xznf
★大江戸玉すだれ       http://tamasudare.com/
★玉すだれとは        http://p.tl/VZNM

★タマスダレ(玉簾)      http://p.tl/unYx
タマスダレ(玉簾)は、夏~秋、道端や公園で白い六弁花を一茎に一花咲かせるユリ目 ヒガンバナ科タマスダレ属の半耐寒性常緑多年草(球根植物)です。 葉は濃緑色で、葱 のように細長いです。 花色により呼び方が異なります。
白花を、タマスダレ、または、ゼフィランサス・カンディダ(Zephyranthus candida)と呼びます。
★タマスダレ(玉簾) - SANNET http://p.tl/elQk
★玉簾(たますだれ)密かに咲いて(≧o≦)ノ: あそび心   http://p.tl/xetP
★タマスダレ(玉簾)の四季(花から実・種子へ)/癒し憩い画像データベース  http://p.tl/zk-N

●ツバキ(つばき)【椿・山茶】●江戸五木(えどごぼく)●木曽五木(きそごぼく)

2012年10月01日 19時47分31秒 | 色んな情報
●ツバキ(つばき)【椿・山茶】●江戸五木(えどごぼく)●木曽五木(きそごぼく)
★ツバキ - Wikipedia   http://p.tl/x5gj
1.椿           http://p.tl/5sqW
徳島県中東部、阿南(あなん)市の一地区。旧椿町。橘(たちばな)湾南部の小半島部を占める地域で、椿泊(どまり)はかつて阿波(あわ)水軍の本拠地であり、またカツオ漁でにぎわった。燧(ひうち)崎は火打石の採掘地であった。周辺の山地にはヤブツバキの群生地がある。レストランや大浴場などを備えた椿自然園はツバキの名所となっている。
2.ツバキ         http://p.tl/ZMzl
ツバキ(つばき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(全6件)
【椿・山茶】
[学名:Camellia japonica L.]
ツバキ科の常緑高木。ツバキ属の他の種類と区別して、ヤブツバキと称することもある。高さ5~15メートル。樹皮は平滑で灰白色をしている。葉は互生し、楕円(だえん)形で長さ5~12センチメートル、先は短くとがり、縁(へり)に細かい鋸歯(きょし)がある。
3.椿昇(つばきのぼる)     http://p.tl/Yhew
... 知識と技術をもつIMI研究生の有志をチーム「椿組」とすることで、これまでにないネットワーク(分散)型のスタジオ工房により制作を行うスタイルを構築する。2003年の「椿昇『国連少年』」展(水戸芸術館)は彼ら ...
4.椿海(つばきうみ)      http://p.tl/fC5U
... 江戸初期、現在の匝瑳(そうさ)市、旭(あさひ)市にまたがる地域は、椿海とよばれた潟湖の湾入で太平洋と続いていた。この地が町人請負新田(うけおいしんでん)として開発され ...
5.椿温泉(つばきおんせん)   http://p.tl/O8Wz
... 海岸段丘が太平洋に面する枯木灘(かれきなだ)海岸の椿谷(つばきだに)にある硫化水素泉。 ... (たるづめ)で大阪方面へ船積みされた。紀勢本線椿駅下車。また国道42号が通じる。[執筆者:小池洋一 ...
6.椿姫(つばきひめ)      http://p.tl/OAJt
フランスの小説家デュマ(子)の長編小説。1848年発表。マリ・デュプレシスという作者の愛人をモデルにし、主人公の回想形式をとる。椿の花を愛して椿姫とあだ名される高級娼婦(しょうふ)マルグリット・ゴーチエは、青年弁護士アルマン・デュバルのひたむきな情熱に触れて愛に目覚める。 ...
7.椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき) http://p.tl/91Gt
江戸時代の読本(よみほん)。曲亭馬琴作、葛飾北斎(かつしかほくさい)挿絵。28巻29冊。前編は1807年(文化4)、後編、続編は08年、拾遺は10年、残編は11年に江戸の平林庄五郎(しょうごろう)から刊行。 ...
8.椿葉記(ちんようき)     http://p.tl/P17w
持明院(じみょういん)統、崇光(すこう)天皇一流の盛衰を記した書。崇光天皇の孫で『看聞御記(かんもんぎょき)』を著した伏見(ふしみ)宮貞成(さだふさ)親王(のち後崇光(ごすこう)院)の著。 ...
9.椿大神社(つばきおおかみやしろ) http://p.tl/NpJb
三重県鈴鹿(すずか)市山本町に鎮座。猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀(まつ)る。865年(貞観7)正(しょう)五位下(げ)、891年(寛平3)従(じゅ)四位下を授けられ、勲位は865年以前に勲七等に昇り ...
10.椿島(つばきじま)     http://p.tl/UORw
岩手県南東部、陸前高田市広田半島の南東洋上約1キロにある小島。全島花崗(かこう)岩からなり、面積2050平方メートル、最高標高35メートル。 ...
11.椿椿山(つばきちんざん)  http://p.tl/9pME
... 号は椿山のほかに琢華堂(たくかどう)、休庵(きゅうあん)など。 ... 崋山は椿山を信頼し、椿山もまた、蛮社(ばんしゃ)の獄(ごく)(1839)で崋山が逮捕されたときには、その救援活動の中心となっ ...
12.トウツバキ        http://p.tl/MNTO
【唐椿】、[学名:Camellia reticulata Lindl.]
ツバキ科の常緑小高木。中国雲南省原産でツバキに似るが、葉は楕円(だえん)形で表面の網脈が著しくへこむ。花は桃色の中大輪で花弁は5~7枚、子房に毛がある。
13.ヒメツバキ        http://p.tl/Uvgx
【姫椿】、[学名:Schima merteusiana (Sieb. et Zucc.) Koidz.]
ツバキ科の常緑高木。葉は枝先に集まって互生し、長さ4~10センチメートル、全縁である。 ...
14.リンゴツバキ       http://p.tl/wues
【林檎椿】 ツバキ科の常緑高木。九州の屋久(やく)島に多いのでヤクシマツバキともいう。ツバキに比べて果実が大きく径5~8センチあり、果皮が厚く、種子は小さい。葉は長楕円(だえん)形で細い。 ...
15.加唐島(かからじま)   http://p.tl/vw-p
... 北部にはツバキが多く自生し、「椿の島」として知られる。ツバキの実は特産。古来、朝鮮方面との交通ルートにあったので、百済(くだら)の武寧王(ぶねいおう)誕生や ...

★資生堂 http://p.tl/LOh7 -シンボルマークの「花椿」、ヘアケアブランドの「TSUBAKI」http://p.tl/yyTa

★木の一覧        http://p.tl/HYm0
★モッコク(Ternstroemia gymnanthera, (Wight et Arn.) Bedd.(木斛))http://p.tl/AlHH
ツバキ科の常緑高木。江戸五木の一つ。モチノキやマツと並び「庭木の王」と称される。
★江戸五木(えどごぼく)とは、江戸時代に江戸で重視された造園木。http://p.tl/gl09
・モッコク
・アカマツ
・イトヒバ(サワラの変種。)
・カヤ
・イヌマキ

★アカマツ(赤松、学名:Pinus densiflora)http://p.tl/nJi4
マツ科マツ属の常緑針葉樹である。複維管束亜属(いわゆる二葉松)に分類される。別名はメマツ(雌松)。
★イトヒバ 糸檜葉    http://p.tl/XzlF  http://p.tl/5JDD  http://p.tl/qcXu  http://p.tl/nuGk
★サワラ(椹、学名:Chamaecyparis pisifera)http://p.tl/w-0f
ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹。日本特産種で、岩手県から九州各地にかけての山地に自生する。
★カヤ(榧、学名:Torreya nucifera) http://p.tl/nLT2
イチイ科(またはイヌガヤ科)カヤ属の常緑針葉樹である。
日本の九州、四国、本州中南部、朝鮮半島に分布する。日本では群馬県、福島県あたりが北限となる。これらの地域で暖帯林に散生する。
同属にシナガヤ Torreya grandis、アメリカガヤ Torreya californica などがある。
★イヌマキ(犬槇、学名:Podocarpus macrophyllus)http://p.tl/cOJE
マキ科マキ属の常緑針葉高木。関東〜四国・九州・沖縄、台湾の比較的暖かい地域に分布する。

★木曽五木(きそごぼく)http://p.tl/qGkZ
江戸時代に尾張藩により伐採が禁止された木曽谷の木。ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・サワラの五種類の常緑針葉樹林のことを指す。木曽節にも唄われている。

★季節の花一覧(雑学) http://p.tl/N7jC

★ご‐ぼく 【五木】 いつき 【五木】 ご‐もく 【五木】
5種の木。特に江戸時代、用材の確保のために藩の領主によって伐採を禁じられた木。梅・桃・柳・桑・杉、また、槐(えんじゅ)・柳・桃・桑・梶の木など、種々の説がある。ごもく。


★第7章 木材供給の歴史  12.木曽の五木  http://p.tl/223V

★日本人と木の文化    http://p.tl/kXFn

●エビ●えび●海老●蝦

2012年10月01日 14時26分26秒 | 色んな情報
●エビ●えび●海老●蝦
★はてなキーワード > エビ えび
漢字では海老または蝦。
甲殻綱十脚目のうち長尾類に属する節足動物の総称。体は左右相称で細長く、頭胸部は硬い甲皮でおおわれ、腹部は七つの関節があって内側に曲がる。長い触角と、飛び出た複眼をもつ。腹部に遊泳脚、頭胸部に歩脚があり、はさみをもつものもある。淡水・海水にすみ、イセエビ・クルマエビ・シバエビ・テナガエビなど、食用にする種類が多い。
ちなみにサクラエビは、全世界でも貴重で静岡県の駿河湾に生息する。
★エビ           http://p.tl/na69   http://p.tl/ovnF
... サクラエビは静岡県の名産で、干して出荷している。岡山県の小エビの塩漬けは郷土の珍味であり、また広島県尾道(おのみち)の海老(えび)茶漬けは、小エビの頭、尾殻をとり、しょうゆ漬けにして焼いたものを用いる ...
 
★えび芋料理(えびいもりょうり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
京都の郷土料理。芋棒の名前が一般的である。江戸中期、大坂方面から物資を積んで北海道に運んだ船は、帰りにコンブ、ニシン、サケ、タラなどの水産物を積んできた。コンブの加工品は大坂の名物になり、ニシンは京都名物のにしんそばになった。開かずに干したタラを棒だらというが、これは京都特産のエビイモと味の調和がよく、二つの名前をいっしょにして、えび芋棒だらといった。これが略されて芋棒というようになった。この料理は、タラのもどし方とイモの煮方に特殊な技術が必要である。このほか、エビイモだけの料理もあり、エビイモのあんかけ、エビイモの旨煮(うまに)、エビイモの揚げだしなどはそれぞれ特色ある料理である。 [ 執筆者:多田鉄之助 ]

★えびせんべいの里-豊かな恵みをお届けします。http://www.ebisato.co.jp/

★えびめし - Wikipedia   http://p.tl/86AQ
 えびめしとは、ご飯に海老などの具を入れて油炒めしソース味に仕上げた料理で、 焼き飯やピラフの一種である。岡山県近辺で食されており、特に岡山市(中心市街地)の 郷土料理として有名である。

★イセエビ - Wikipedia   http://p.tl/P1ma
 イセエビ(伊勢海老、学名:Panulirus japonicus、英語: Japanese spiny lobster)は、エビ目(十脚目)イセエビ科に属するエビの1種。広義にはイセエビ科の数種を指す(後述)。熱帯域の浅い海に生息する大型のエビで、日本では高級食材として扱われる。
★葡萄色 - Wikipedia    http://p.tl/mxXE
1.葡萄色(えびいろ)は、山葡萄の実のような赤紫。本項で詳述。
2.葡萄色(ぶどういろ)は、ブドウの実のような赤紫。鉄道のぶどう色についても本項で詳述。

★えびボクサー - Wikipedia http://p.tl/v2ww
ちなみにエビとして登場するのは、実際にはシャコである。 ... パンチ力が非常に強く、 人間よりも大きいエビ(本当はシャコ)に出会った主人公ら男女が、その「エビ」に ボクシングをさせてひと儲けしようと ...

★クルマエビ - Wikipedia  http://p.tl/Uq1u
クルマエビ(車海老、車蝦)、学名 Marsupenaeus japonicus は、十脚目クルマエビ科に分類されるエビの一種。インド太平洋沿岸の内湾砂泥底に生息する大型のエビで、重要な食用種でもある。
★シラエビ - Wikipedia   http://p.tl/PYMu
シラエビ(白海老)Pasiphaea japonica は、エビ目(十脚目)・オキエビ科に属するエビの一種。サクラエビと同様深海に生息する小型種で、富山湾沿岸では食用に漁獲される。学名のシノニムとして Pasiphaea sivado Kubo, 1965 がある。
★海老煎餅 - Wikipedia   http://p.tl/BXqQ
米を原料とする一般的な煎餅と異なり、ジャガイモなどから作られる澱粉とエビを材料 として用いて製造された菓子の総称で、エビをそのまま、もしくは乾燥させるか身を磨り 潰したものと澱粉を共に焼くか油で揚げたものである。
★市川海老蔵 (11代目) - Wikipedia http://p.tl/UC9I
十一代目 市川 海老蔵(じゅういちだいめ いちかわ えびぞう、1977年12月6日 - )は、 歌舞伎役者、俳優。歌舞伎名跡「市川海老蔵」の当代。屋号は成田屋。定紋は三升、 替紋は杏葉牡丹。本名は堀越 孝俊(ほりこし たかとし)。
2010年11月25日早朝、西麻布の飲食店で暴行を受け、頭部、顔面を負傷して帰宅。
海老蔵本人が12月7日、都内のホテルで記者会見を行い「日ごろの自分のおごりが招いたことだと思います」と謝罪した。
★伊勢えび祭はこんなお祭り   http://p.tl/-b7p
★えびみち  エビだより    http://p.tl/cwlE
★甲殻類(こうかくるい)図鑑(エビ ・異尾類(いびるい) /口脚類(こうきゃくるい) 他)http://p.tl/5Z8S

★折り紙・えび    http://p.tl/kGQH

●【紫苑】シオン   ●津波警報(大津波)は 紫色

2012年10月01日 12時45分25秒 | 色んな情報
●【紫苑】シオン   ●津波警報(大津波)は 紫色
★【紫苑】[シオン(キク科)]
[学名:Aster tataricus L. f.]
キク科の多年草。茎は直立し、高さ1~2メートル。上部で多数分枝し、大形の散房状花序をつける。根出葉は大きくて、栽培のものでは65センチメートルに達するが、花期には枯れる。葉は長楕円(ちょうだえん)形で、基部がしだいに狭くなり、葉柄に移行して翼となる。茎葉は狭小でやや無柄となり、上に移るにつれて線形となる。8~10月、径3~3.5センチメートルの頭花を開く。中央の管状花は黄色、周辺の舌状花は淡紫色である。朝鮮半島、中国東北部を中心とする北部中国、モンゴル、シベリアに分布し、日本では九州と中国地方の山地の湿草原にまれに生育する。地下にある短くやや肥厚した根茎を乾燥したものを漢方で紫苑という。平安時代から観賞用としても栽培されている。 [ 執筆者:小山博滋 ]
・文化史
根にアスターサポニン、シオノン、ケルセチンなどを含み、鎮咳(ちんがい)、去痰(きょたん)、利尿の効能があり、中国では古来、薬草として扱われた。『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』(500ころ)にすでに取り上げられ、日本には平安時代の初めまでに渡来した。『新撰字鏡(しんせんじきょう)』(901ころ)に紫苑、和名加乃志太(かのした)と出る。「かのした」は、葉を鹿(しか)の舌に見立てた名と思われる。『今昔(こんじゃく)物語集』に、亡父をいつまでも思い出すようにと墓にシオンを植えた男の話が載るが、これはシオンの中国名の一つ返魂(はんごん)草にちなんだ説話であろう。 [ 執筆者:湯浅浩史 ]

★紫苑物語(しおんものがたり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
石川淳(じゅん)の短編小説。1956年(昭和31)『中央公論』に発表、同年講談社刊。歌の家に生まれた守(かみ)は、歌から出て弓の道をみいだす。彼の弓は「知の矢」から「殺の矢」へと開眼し、さらに「魔の矢」へと上昇する。守の前に、彼にとってのいま一人の自己、これを乗り越えるべき自己として、平太という存在が現れる。守は平太と対決し、この乗り越さるべき自己を射ることによって、自らも死ぬ。守の冀願(きがん)はこの運命的な自己実現において、山野にとどろく鬼の歌のあかしを残す。この作者の秀作の一つ。 [ 執筆者:井沢義雄 ]

★【姫紫苑】ヒメシオン(ひめしおん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
[学名:Aster fastigiatus Fisch.]
キク科の多年草。茎は直立し、高さ0.3~1メートル、上部に密に細毛がある。葉は互生し、やや厚い洋紙質で、裏面はやや白色、腺点(せんてん)と微毛がある。8~10月、茎上部にやや密な散房花序をつくり、径7~9ミリメートルの頭花をつける。舌状花は白色、中央部の管状花は黄色。痩果(そうか)は長さ1.2ミリメートル、微毛と腺点がある。川岸や湿った草地に生え、本州から九州、および東アジア東部に分布する。[ 執筆者:小山博滋 ]

★石川淳(いしかわじゅん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1899―1987)
小説家、評論家。夷斎(いさい)と号す。明治32年3月7日東京・浅草に生まれ、東京外国語学校仏語科に学ぶ。卒業後福岡高校フランス語講師となるが、やがて辞職。作者37歳『佳人』(1935)による遅ればせな文学的出発までに、小説、エッセイの習作若干、翻訳数編がある。この間の空白期はいわば櫛風沐雨(しっぷうもくう)の修業時代であり、作者が幼少期を過ごした浅草の知的な文雅の風土雰囲気とともに、後年の作家の形成に資するところ大であった。『佳人』ののち『葦手(あしで)』(1935)、『普賢(ふげん)』(1936。芥川(あくたがわ)賞受賞)が続いて発表されるが、いずれも理想の喪失と、絶望からの再生の物語であり、またそこには、この作者の「方法」ともいうべきものが、ほぼその全体的な姿において確立されていたことがうかがわれる。発見より発明へ、位置より運動へという方式の選択、ペンの運動とともに考えるというその特異な小説論等々。続く『マルスの歌』(1938)は、その反軍国的思想のゆえに、掲載誌は発禁処分を受けた。時代は日華事変から太平洋戦争へと移っていくが、戦争に対し作者は一貫して抵抗の姿勢を貫き、一個のアナキストとして身を処した。この戦中の間、作品もまた多くはないが、長編小説『白描(はくびょう)』、伝記『渡辺崋山(かざん)』、評論『森鴎外(おうがい)』、エッセイ集『文学大概』があり、とくに後二者はこの作家の文学世界理解のための好個の手引きを提供してくれる。
戦時中の不振とうって変わって、その文学的活動は戦後華々しく開花した。この活動は、織田作之助、太宰(だざい)治、坂口安吾らのそれとともに、無頼(ぶらい)派ないし戯作(げさく)派の名称で一括されたが、この分類はかならずしも正しくはない。この作家は、一方ではきわめて該博な学識教養をもつ、本質的に意識的かつ方法的な作者である。虚構の場に生活の可能をペンの運動において追究する作者の小説的努力は、『処女懐胎(かいたい)』(1947)、『鷹(たか)』(1953)、『紫苑(しおん)物語』(1956)、『修羅』(1958)、『荒魂(あらたま)』(1963)、『至福千年』(1965)、『狂風記』(1971)などとなって結実し、一方その批評的活動は夷斎の号を冠した『筆談』『清言』『俚言(りげん)』『饒舌(じょうぜつ)』『遊戯』などの諸エッセイのほか、『諸国畸人伝(きじんでん)』『江戸文学掌記』などの秀作を生んだ。わが国の文学的伝統にあってはきわめて特異な、しかし文学そのものからいえばきわめてオーソドックスな、この作家の存在と作品とは、まさに昭和文学史上の一偉観と称して過言ではない。昭和62年12月29日没。 [ 執筆者:井沢義雄 ]

★シオン【紫苑】 (植物) - Wikipedia   http://p.tl/ztCS
★紫苑(シオン)     http://p.tl/x681
★春紫苑(ハルジオン)  http://p.tl/sVrA
★紫苑   茶道裏千家HP http://p.tl/b2Jt
★紫苑色 - 上記の花に由来する色の名称。http://p.tl/vzcn
紫(むらさき)は、寒色のひとつ。青と赤の中間色であり、菫のような色である。英語ではパープル(紫色) (purple) といい、菫色(すみれいろ、きんしょく)、バイオレット (violet) を紫に含む場合もある。また、古英語ではパーピュア (purpure) という。虹を構成する七色(赤・オレンジ・黄・緑・青・藍・紫)のうち、光の波長が最も短い(380〜430nm)。これより波長が短いものを紫外線という。

★紫に関する事項     http://p.tl/YSrU
・古代では繊維を紫色に染色する事は困難で、貴重な色とされてきた。
・聖徳太子の定めた冠位十二階では、紫は最上位の大徳の冠の色とされた。
・江戸時代には江戸紫といわれる色が流行した。歌舞伎『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』で花川戸の助六が鉢巻にしているのがこの江戸紫である。それまでは、紫を染める草(紫根)が薬草であったため、武家などが病気の時に締るものとされていた。直情径行、頭に血が上り易い助六の熱さましとして巻かれた紫の鉢巻を、この芝居が大当りして以降、真似をして巻く者が現れたという。
・儒教では五行思想から正色(青、赤、黄、白、黒)を最上とし、中間色である紫はそれより下位の五間色に位置づけられた。
・熨斗袋(のし袋)を包む袱紗の色のうち、紫色は慶弔を問わず使用可能である。
・「ゆかりの色」とも言う。これは、『古今和歌集』の「紫の 一本ゆゑに 武蔵野の 草は皆がら あはれとぞ見る」という歌に由来している。
・俗に「紫」の字を分解すると「此」と「糸」になるところから、「此(こ)の糸」と呼ばれることがある。また、これは紫式部を指す語でもある。
・京都市では、都市のイメージ色として紫が用いられている。例として、京都市営バスの方向幕は、下地の色が紫となっている。
・紫をクラブカラーとしているJリーグクラブはサンフレッチェ広島と京都サンガF.C.がある。京都サンガは2007年まで京都パープルサンガというチーム名であった。
・日本テレビの番組『笑点』出演時の6代目三遊亭圓楽(元・三遊亭楽太郎)の衣装カラー。
・大津波警報の色。

★江戸紫【えどむらさき】色名がわかる辞典
色名の一つ。JISの色彩規格では「こい青みの紫」としている。一般にも青みがかった紫色をいう。江戸時代、武蔵野に自生するムラサキ科ムラサキソウを使って江戸で染めたことから、この名がついた。赤みが強い京紫に対して、青みの強いのが特徴。また、古代紫に対して今いま紫とも呼ばれ、くすんだ古代紫よりも鮮やか。歌舞伎の人気演目『助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくら』で、主人公の助六が巻く鉢巻きの色が代表的な江戸紫として知られる。
1 《武蔵野に生えていたムラサキの根を染料として江戸で染めはじめたところから》藍色の勝った紫色。江戸を代表する染め色とされた。「―に京鹿(が)の子」
2 ムラサキの別名。
青みがかった紫色。江戸時代に江戸で染め出された。京紫に対していう。 〔一説に,赤みがかった紫色という〕
[句] → 江戸紫に京鹿の子

★『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』http://p.tl/osdq http://p.tl/vXyz http://p.tl/pQUL http://p.tl/cJ6X
★「助六由縁江戸桜」 YouTube    http://p.tl/t-hI

★五行の色 正色と紫     http://p.tl/Z16q
★熨斗袋 とは - コトバンク デジタル大辞泉 http://p.tl/bNPy http://p.tl/yZRD 
熨斗袋の用語解説 - 熨斗と水引(みずひき)をつけるか、またはそれを 印刷した紙袋。祝儀などに用いる。
★お香典を入れる熨斗袋の選び方~「御霊前」「御仏前」等を詳しく解説!~ | ハウコレ   http://p.tl/j9e3
★のし袋(熨斗袋)の種類 >>  http://p.tl/goeU http://p.tl/6B4t http://p.tl/goeU

★東京カラーズ > 色彩コンテンツ > 色名辞典   http://p.tl/l3tD
★東京カラーズ > 色彩コンテンツ >        http://p.tl/9aDp

★ゆかりの色 世界大百科事典内のゆかりの色の言及.
【紫】より
…そのほか,前田千寸《日本色彩文化史》が列挙するごとき,日本では紫雲によって皇后の位を象徴することが行われたこと,紫雲は必ずしも阿弥陀如来の象徴とのみ限られているのではないが,平安時代中期以後にみる仏教的象徴の紫雲は,当時の信仰が阿弥陀如来に集中していたため多く阿弥陀如来に結ばれていること,そして紫雲は〈冥(みよう)〉すなわち神仏の意志の示現という意味で,聖人,名宝等に関する事跡との間に必然的な関連性を与え,伝説的な神秘性を加えて,その事跡に尊厳を添えたことなどの諸特性をも視野の中にとらえておく必要があろう。 紫色は,また,平安時代に〈ゆかりの色〉と呼ばれた。それの由来を《古今和歌集》の〈紫のひともとゆゑにむさし野の草はみながらあはれとぞみる〉に求める説明が普通に行われているが,紫色のもつ位階・身分の尊貴性と,〈ゆかり〉(血縁とか,仏教語の縁とか,なんらかの必然的なつながりとかの意味で用いられた)の思想性との一致は,《源氏物語》のなかにその典型が見いだされる。…

★見分けやすい津波警報の配色・色調の策定(全テレビ局   http://p.tl/28A4
A:色覚のタイプによっては、色の違いは区別できても色の名前が分からない人がいます 。また、一般の色覚の人のなかにも、大津波警報の色を紫に感じる人だけでなく、ピンク に感じる人もいます。災害警報では、「紫のところが一番危ないん ...
★津波警報、テレビ各局が色を統一 色覚障害などに配慮    http://t.asahi.com/3m41

★大津波警報 - Wikipedia     http://p.tl/vMx6    津波警報(大津波)は 紫色

●神無月(かんなづき)●10月

2012年10月01日 08時33分36秒 | 色んな情報
●神無月(かんなづき)●10月
★神無月(かんなづき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦10月の異称。「かみなづき」の音便で、「かむなづき」「かみなしづき」とも読む。季節は孟冬(もうとう)で、時雨(しぐれ)月、神去り月などともいう。名称の由来については、雷の声が収り果つるゆえに「雷無(かみなし)月」といい、6月を「雷鳴(みな)月」というのに対するとか、10の数より上の数はないので「上無(かみなし)月」というとか、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が崩じた月というので「神無(かみなし)月」というとか、新しくとれた米穀で酒を醸造する月というので「醸成(かみなし)月」というなどの諸説がある。なかでもっとも有名なのは、10月には日本国中の神々が出雲(いずも)大社に集まり、出雲以外の国々には神が不在となるため、「神無月」(逆に出雲では「神在(かみあり)月」という)という説である。 [ 執筆者:宇田敏彦 ]
★音便(おんびん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
書キテがカイテ、高キがタカイ、早クがハヤウ、取リテがトッテ、飛ビテがトンデとなるような音変化(子音・母音の脱落、子音の同化・変化)を音便とよぶ。2語が複合した場合の上の語の末尾に生ずることが多く、次の4種に分けられる。
(1)イ音便(キ・ギ・シなどがイとなる) キサイ←后(キサキ)、コイデ←漕(コ)ギテ、マイテ←マシテ
(2)ウ音便(ク・グ・ヒ・ビ・ミなどがウとなる) ハヤウ←早ク、カウバシ←カグハシ、コウテ←請ヒテ、ヨウデ←呼ビテ、タノウデ←頼ミテ
(3)撥(はつ)音便(ニ・ビ・ミ・リなどがンとなる) シンデ←死ニテ、トンデ←飛ビテ、ヨンデ←読ミテ、サカンニ←盛リニ
(4)促音便(チ・ヒ・リなどがッとなる) タッテ←立チテ、オッテ←追ヒテ、アッテ←有リテ
現代では、古い時代に生じた音便形が固定化して用いられている場合(タイマツ〔松明〕←焚(タ)キ松、カウガイ〔笄〕←髪掻(カミガ)キ)と、動詞・形容詞の連用形のように音便形と元の形の両方が用いられる場合とがある。後者はいわば生きている音便とでもいうべきものだが、この場合、音便形・非音便形のいずれかを自由に選んで使うということはできない(この点が平安時代などと違う)。すなわち、動詞は、現代では四段動詞(サ行を除く)の連用形に助詞「て」「たり」や助動詞「た」がつく場合はかならず音便形を、「書きます」「よく遊びよく学べ」のような場合はかならず非音便形を用いるのである。形容詞の連用形の音便形は、現代の共通語(東京語)では、「お早うございます」「暑うございます」のような言い方以外には用いないが、西日本方言では広く用いる。また、「買ひて」「会ひて」がカウテ(→コーテ)、アウテ(→オーテ)となるか、カッテ、アッテとなるかも、西日本と東日本とで分かれる。
上代には音便の例はまれで、一般化するのは平安時代だが、和歌においてはのちのちまで音便形の使用は避けられた。音便発生の原因については、従来、「発音の便宜から」とされてきたが、これでは、「書き手」「漕ぎ手」がカイテ、コイデとならないことの説明ができない。また、四段動詞と違って上二段動詞は音便をおこさない(たとえば、置(オ)イテとはいうが起(オ)イテとはいわない)のはなぜかといったことも解決がついていない。音便の発生には漢字音の影響があろうとする説も古くからあるが、確定的ではない。 [ 執筆者:安田尚道 ]
★時雨(しぐれ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
晩秋から初冬にかけて降る雨で、降ったりやんだりするにわか雨をいう。『和名抄(わみょうしょう)』では、「雨」を「之久礼」と訓(よ)んでいる。『万葉集』には40例近くみえ、巻8や巻10では秋雑歌(ぞうか)に位置づけされており、「九月(ながつき)のしぐれの雨に濡(ぬ)れ通り春日(かすが)の山は色づきにけり」(巻10)など、秋に重点を置きながら、紅葉(万葉では黄葉)を染めたり散らしたりするものと考えられていた。「時雨」という用字はまだなく、平安時代に入ってからのものらしい。『古今集』の用例は12例、季節意識としては『万葉集』と同様だが、「我が袖(そで)にまだき時雨の降りぬるは君が心にあきや来(き)ぬらむ」(恋5)のように涙の比喩(ひゆ)として詠まれたりするようになり、物語や日記などにもわびしさや悲しみを暗示する景物として用いられている。平安中期になると季節意識に変化があり、『後撰集(ごせんしゅう)』の「神無月(かみなづき)降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける」(冬)などにみられるように冬の景物として固定し、時雨の多い京都の風土とも相まって王朝文学に頻出し、以後も継承された。俳諧(はいかい)の季題も冬。 [ 執筆者:小町谷照彦 ]

2.秋祭           http://p.tl/Qvqe
... 旧暦の10月をカンナヅキとし神無月などと書いて、俗に神々が出雲(いずも)に出かけて留守だといわれ、人々は物忌(ものいみ)をして慎しむ期間であった。 ...
3.稲佐浜          http://p.tl/Fn_E
島根県北東部、出雲(いずも)平野の北西部にある砂浜海岸。古称を薗(その)の長浜という。国譲りの神話で知られ、近くには国譲岩、弁天岩などがある。神無月(かんなづき)(陰暦10月)出雲大社に集まる全国の神々はこの浜から上陸するとされる。砂丘地は防砂、防風の植林によって耕地となり、桑畑として利用されていたが、近年はブドウ園に変わった。 ...
4.えびす講         http://p.tl/_h4t
... 旧暦10月は神無月(かんなづき)といわれ、全国の神々が出雲(いずも)へ集合するという伝承が、広く行き渡っている。したがってその期間は神々が不在になるはずで、神祭りも行われない。 ...
5.縁結び          http://p.tl/uh0i
... 同じ伝承や習俗は民間にもあって、もっともよく知られているのは陰暦10月の神無月(かんなづき)に諸国の神々が出雲(いずも)大社に集まって、すべての男女の縁を決めるという言い伝えである。 ...
6.風 - 風の利用および生活に及ぼす影響 http://p.tl/8cSw
... 旧暦10月神無月(かんなづき)に神々が出雲(いずも)に集合するという伝承があるが、その往来にはかならず風が吹くという。初秋から晩秋にかけての風を、日本海沿岸・中部地方で ...
7.かまどの神        http://p.tl/jPCT
... これらに対し、オカマサマは、いかにも主婦と関連深い神で、子供を多くもち、とかく控え目で、神無月(かんなづき)の諸神の出雲(いずも)行きにもこの神だけは同行しないといわれ ...
8.神送り・神迎え      http://p.tl/Msks
... 10月を神無月(かんなづき)というが、神々の集まるという出雲地方では、神在月(かみありづき)であるという解説もあり、やはり一種の神送り行事が行われている。 ...
9.キク           http://p.tl/tsir
... 秋の収穫祭に伴う神の去来伝承と思われるが、神無月(かんなづき)(陰暦10月)に神々が出雲(いずも)の社(やしろ)へ出かけるという伝承もある。埼玉県では ...
10.時雨          ... 平安中期になると季節意識に変化があり、『後撰集(ごせんしゅう)』の「神無月(かみなづき)降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける」(冬)などにみられるように冬の景物として固定し ...
11.島根(県) - 社会・文化 http://p.tl/uqAf
... 旧暦10月は神無月(かんなづき)と称するが、出雲では神在月(かみありづき)といい、全国の神々が出雲大社に参集するとして神在祭が行われる。出雲大社ではこのほか70回もの神事が執り行われる。 ...
12.10月          http://p.tl/mCNd
... 晩秋の季はこの日にまで及んでいる。陰暦10月は神無月(かんなづき)ともいい、初冬の節で、空の青さも秋のそれと ... ころで、俳諧(はいかい)では10月を秋の季語、神無月を冬の季語としている。[執筆者:宇田敏彦 ...
13.宗鑑          http://p.tl/E1GF
... そうした飄逸(ひょういつ)の境涯は、「風寒し破れ障子の神無月(かみなづき)」(「紙無」に掛ける)の自画賛に凝縮されている。若いころから連歌をたしなみ、宗祇(そうぎ)とも一座した宗鑑筆の連歌懐紙(かいし ...
14.太陰太陽暦       http://p.tl/4VeM
... 五月(さつき)(同5月)、水無月(みなづき)(同6月)、文月(ふみづき)(同7月)、葉月(はづき)(同8月)、長月(ながつき)(同9月)、神無月(かんなづき)(同10月)、霜月(しもつき)(同11月) ...
15.中国地方 - 民俗     http://p.tl/Phof
... 一方、旧暦10月は神無月(かんなづき)というが、出雲のみは神在月(かみありづき)で、出雲大社ではお忌み祭が行われる。しかし、もともとは神魂(かもす)神社、朝酌下(あさくみしも)神社 ...
16.冬            http://p.tl/zQvw
... 『古今六帖(ろくじょう)』「歳時(さいじ)」の冬の項目には、初冬、神無月(かんなづき)、霜月(しもつき)、神楽(かぐら)、師走(しわす)、仏名(ぶつみょう)、閏月(うるうづき) ...
17.凡兆           http://p.tl/wYau
... 具象性、叙景性に優れ、感覚的で印象鮮明な句にみるべきものがあった。俳人羽紅(うこう)は彼の妻である。[執筆者:堀切 實]  禅寺の松の落葉や神無月(かんなづき)
18.留守神          http://p.tl/WrmY
神無月(かんなづき)(旧暦10月)に神々が出雲(いずも)へ集合している間、家や村にとどまって留守をしているという神。 ... 神無月には神不在であるとの伝えが一般化したのちに ...

★物忌【モノイミ】デジタル大辞泉
[名](スル)
1 神事などのため、ある期間、飲食・言行などを慎み、沐浴をするなどして、心身のけがれを除くこと。潔斎。斎戒。
2 夢見の悪いときや、けがれに触れたとき、また、暦の凶日などに、家にこもるなどして身を慎むこと。「いと恐ろしく占ひたる―により、京の内をさへ去りて慎むなり」〈源・浮舟〉
3 2のしるしとして柳の木札や忍ぶ草などに「物忌」と書いて冠や簾(すだれ)などに掛けたもの。平安時代に盛行した。物忌みの札。「母屋の簾はみな下ろしわたして、―など書かせてつけたり」〈源・浮舟〉
4 伊勢神宮をはじめとして香取・鹿島・春日(かすが)・賀茂などの大社に仕えた童男・童女。「神主―等ばかり留りたりしに」〈神皇正統記・応神〉
・世界大百科事典
神事ないし凶事の非常にあたって一定期間宗教的な禁忌を守り身を慎むこと。斎戒,諱忌とも書く。また,聖別の行為一般を指すところから特に聖別された神役の名ともなり,伊勢神宮をはじめ大社などでもっぱら禁忌を守り神事に仕える童女・童男をも指す。《日本書紀》に神武天皇がみずから斎忌(ものいみ)して諸神をまつったとあり,《常陸国風土記》に福慈(富士)の神が新穀の祭りに際して家中が諱忌していると語っている。古代法制では神祇令に,神事の前後の散斎(あらいみ)と当日の厳重な致斎(まいみ)とが定められ,散斎については弔問,病気見舞,肉食,刑罰,音楽,触穢(しよくえ)などが禁じられ,致斎には神事以外のいっさいを控えるとある。
・世界大百科事典内の物忌の言及.
【忌∥斎】より
…これらを総称して〈ものいみ〉・斎戒というが,これは一般に神聖性を対象化する意味にほかならない。古典の用語例をみると,〈いみ〉の場合,忌(斎)服屋(いみはたや),忌(斎)部(いむべ∥いみべ),斎食(いもひ∥いみひ),忌神(いみのかみ),斎戒・諱忌(ものいみ),忌(斎)火,忌柱(いみはしら),物忌(職掌名),事忌(こといみ)(忌言葉)など多く複合語としてほとんど神祇祭祀にかかわるもので,関連する事象がすべて非日常的に聖別されたものであることを示している。動詞形〈いむ〉の場合,夜の一つ火を忌む,笠蓑を着たり草束を背負って他人の家に入ることを諱む,生者を死人と見誤るのを悪む(以上〈神代紀〉),長雨を禁む(《万葉集》),斎こもる(《祝詞式》)など〈いむ〉を忌・斎ばかりか諱・悪・禁・畏などと表記しているが,これらは異常な事態を恐れ避ける傾向をうかがわせる。…
【タブー】より
…その後,ポリネシアでタブーと呼ばれているものと類似の慣習が世界中に広く見られることが明らかとなり,タブーという語は今日では,欧米や日本でも日常語として用いられるに至っている。日本語ではふつう禁忌と訳され,日本語古来の忌(いみ),物忌(ものいみ)という言葉も類似の意味をもっている。 ポリネシア語においては,taは〈徴(しるし)づける〉,bu(もしくはpu)は〈強く〉を意味すると言われている。…
【巫女∥神子】より
…鈴振り神子,湯立神子,神楽神子とも称される。これにもローカルタームがあって,宮中の神事に奉仕した御巫(みかんこ),伊勢神宮の斎宮(いつきのみや),賀茂神社の斎院またはアレオトメ,熱田神宮の惣の市(そうのいち),鹿島神宮の物忌(ものいみ),厳島神社の内侍(ないし),美保神社の市(いち)などが著名である。けれども現在では,本来の神がかり現象を示すものはほとんどみられない。