暗に安倍総理暗殺を匂わせました。
京免 史朗
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」より
「伊藤博文を殺せなかった安重根が義士とは韓国らしい」
朴槿恵大統領が訪中時に習近平国家主席に「安重根の石碑建設」を要請したことに対し、安倍首相は「伊藤博文は日本人が尊敬する偉大な人物。韓国と日本はその点を互いに尊重すべきだ」と発言しました。
また、韓国の反日団体・活貧団は「極右が主流の安倍政府が独島上陸など予想のできない危険な行動と威嚇的挑発を止めない場合、第2の安重根義士の出現をむかえるだろう」と暗に安倍総理暗殺を匂わせました。
歴史が消された国は悲劇であります。
朝鮮独立の志士といえばまずは金玉均の名前が上がります。彼こそは清国支配下の朝鮮から脱して独立しようとしたのです。そのモデルは日本の明治維新でした。
1884年、清仏戦争で宗主国の清国がフランスに敗れると、金玉均は日本の支持を得てクーデターを起こし、新政権を立てました。早速、新政権は清国への朝貢を廃止し、困窮する財政を立て直すべく財政改革を打ち出し、治安の維持などを発表しました。
しかし、150人の日本軍に対して1300人の清国軍が攻撃してきました。この戦闘で戦死した日本人は1名だけであり、清国側は53名の戦死者を出しました。多勢の清国軍により日本公使館は焼き払われ、日本婦人の多くが惨殺されました。
これにより日本中が怒り、清国とも戦争を辞さず、との声が上がりましたが、伊藤博文は「今の日本にはその力はない。今日本と清国が戦えば利するのはロシアである」として戦争を回避しました。
これにより金玉均らは日本に亡命しました。朝鮮政府は身柄引き渡しを要求してきましたが、日本政府は拒否しました。しかし、金玉均は同士の裏切りに遭い、上海に連れ出されて殺されました。その死体は清国軍艦で朝鮮に運ばれ、頭、手、足をバラバラにされ朝鮮各地にさらされたのです。父は死刑、母は自殺、弟は獄死し、一家は全滅しました。金玉均の遺髪を日本人が持ち帰り、彼の葬儀は浅草本願寺で盛大に営まれました。
こうしてみても朝鮮の真の義士は金玉均であります。当時、清国やロシアの侵略から朝鮮を守ろうとして志半ばにして倒れた金玉均。しかし、今の韓国では彼がいかに愛国者であったかを語られることはないのです。なぜなら彼を殺したのが朝鮮人だからです。日本人に殺された、日本人を殺した、ということしか彼らの注目はないのです。
伊藤博文を暗殺したといわれる安重根は義士として讃えられています。しかも、日本の教科書には写真入りで登場しています。
安重根は本当に伊藤博文を殺したのか。
伊藤博文はロシア帝国蔵相のココフチェーフとハルピンで会談し日露同盟を結ぶことを考えていました。アメリカと国際金融資本にとってはこの同盟を抹消すべく安重根を利用したのです。
伊藤博文の体内の弾丸には安重根のブローニング拳銃の弾丸はなかったのです。伊藤を殺した弾丸は上部から撃ったフランス騎兵銃の3発でした。
このように安重根は暗殺に利用されたピエロだったのです。このピエロを義士とする韓国こそピエロであるのです。ピエロの石碑の建設を要請したり、第2のピエロの出現と脅したつもりで言ったり、歴史を失った韓国は反日こそが正しい歴史であると思い込んでいるのです。
京免 史朗
さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」より
「伊藤博文を殺せなかった安重根が義士とは韓国らしい」
朴槿恵大統領が訪中時に習近平国家主席に「安重根の石碑建設」を要請したことに対し、安倍首相は「伊藤博文は日本人が尊敬する偉大な人物。韓国と日本はその点を互いに尊重すべきだ」と発言しました。
また、韓国の反日団体・活貧団は「極右が主流の安倍政府が独島上陸など予想のできない危険な行動と威嚇的挑発を止めない場合、第2の安重根義士の出現をむかえるだろう」と暗に安倍総理暗殺を匂わせました。
歴史が消された国は悲劇であります。
朝鮮独立の志士といえばまずは金玉均の名前が上がります。彼こそは清国支配下の朝鮮から脱して独立しようとしたのです。そのモデルは日本の明治維新でした。
1884年、清仏戦争で宗主国の清国がフランスに敗れると、金玉均は日本の支持を得てクーデターを起こし、新政権を立てました。早速、新政権は清国への朝貢を廃止し、困窮する財政を立て直すべく財政改革を打ち出し、治安の維持などを発表しました。
しかし、150人の日本軍に対して1300人の清国軍が攻撃してきました。この戦闘で戦死した日本人は1名だけであり、清国側は53名の戦死者を出しました。多勢の清国軍により日本公使館は焼き払われ、日本婦人の多くが惨殺されました。
これにより日本中が怒り、清国とも戦争を辞さず、との声が上がりましたが、伊藤博文は「今の日本にはその力はない。今日本と清国が戦えば利するのはロシアである」として戦争を回避しました。
これにより金玉均らは日本に亡命しました。朝鮮政府は身柄引き渡しを要求してきましたが、日本政府は拒否しました。しかし、金玉均は同士の裏切りに遭い、上海に連れ出されて殺されました。その死体は清国軍艦で朝鮮に運ばれ、頭、手、足をバラバラにされ朝鮮各地にさらされたのです。父は死刑、母は自殺、弟は獄死し、一家は全滅しました。金玉均の遺髪を日本人が持ち帰り、彼の葬儀は浅草本願寺で盛大に営まれました。
こうしてみても朝鮮の真の義士は金玉均であります。当時、清国やロシアの侵略から朝鮮を守ろうとして志半ばにして倒れた金玉均。しかし、今の韓国では彼がいかに愛国者であったかを語られることはないのです。なぜなら彼を殺したのが朝鮮人だからです。日本人に殺された、日本人を殺した、ということしか彼らの注目はないのです。
伊藤博文を暗殺したといわれる安重根は義士として讃えられています。しかも、日本の教科書には写真入りで登場しています。
安重根は本当に伊藤博文を殺したのか。
伊藤博文はロシア帝国蔵相のココフチェーフとハルピンで会談し日露同盟を結ぶことを考えていました。アメリカと国際金融資本にとってはこの同盟を抹消すべく安重根を利用したのです。
伊藤博文の体内の弾丸には安重根のブローニング拳銃の弾丸はなかったのです。伊藤を殺した弾丸は上部から撃ったフランス騎兵銃の3発でした。
このように安重根は暗殺に利用されたピエロだったのです。このピエロを義士とする韓国こそピエロであるのです。ピエロの石碑の建設を要請したり、第2のピエロの出現と脅したつもりで言ったり、歴史を失った韓国は反日こそが正しい歴史であると思い込んでいるのです。