【日本人と稲作】
日本神話の物語の一つに、天孫降臨の話があります。そこで、天
照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に
派遣される時に、次のような言葉を与えたと伝えられています。
「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国
(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべく地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(
ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ
)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮
(きわま)りなかるべし」
すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国だと表現され、皇室の祖
先は、この国で末永く繁栄するように、天から遣わされてきたとさ
れています。
天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられていま
す。
「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(
みこ)に御(まか)せまつる」
すなわち、天照大神は、自ら高天原で作った稲を、ニニギノミコ
トに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのです。
ニニギノミコトの孫に当たるのが、わが国の最初の天皇となった
神武天皇です。神武天皇は、記録によると、日向(ひゅうが)の国
(現在の宮崎県)を出て大和に入りました。そして奈良県の橿原(
かしはら)の地で、天皇の御位(みくらい)に就いたのです。
このとき、神武天皇は建国の理想を掲げました。それは「八紘一
宇(はっこういちう)」という言葉に表されるようになったもので
、「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲
良くくらせるようにする」ということを目標としました。
そして、神武天皇は、大和の地で米作りをし、4年間の苦労の末
に、立派な収穫を得ました。そして、神に稲穂を捧げて祭りを執り
行ないました。こうして、神武天皇は、ニニギノミコトが仰せつか
った天照大神の神勅に従って、国づくり、米作りを行なったわけで
す。
神武天皇の即位を紀元前660年と考える説があります。仮にこの
年を起点とすると、今年は2673年に当たります。現在の天皇陛
下は第125代です。神武天皇以来、2千年以上もの間、一つの家
系が皇室としてずっと続いていることは、世界に類例がありません
。日本人が誇りとすべきことです。
この間、私たち日本人の祖先は、米を作り、米を食べながら生き
てきました。わが国の稲作は、水田潅漑稲作です。四季の変化に応
じて、もみを蒔き、苗を育て、稲を刈らねばなりません。そこに自
然と調和して生きる生き方が育まれました。
また、わが国の稲作は、集約的な労働を要します。村人が総出で
、農作業をしなければ、豊かな実りは得られません。人の和が必要
です。そこに、日本人の正直、勤勉、約束を守る、人に思いやりを
持ち、気配りをするというような民族性が形作られました。
こうして日本人には、人と自然、人と人の調和を重んじる精神が
自ずと発展しました。家族にあっては、親子・夫婦・祖孫が一体と
なって共に生きる。また、その家族が寄り集まって、社会を形成す
る。民族の全体は、皇室を中心として団結する。これが、伝統的な
日本人の精神、日本精神ということができうでしょう。一般に「和
」の精神と呼ばれるものです。
日本神話の物語の一つに、天孫降臨の話があります。そこで、天
照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に
派遣される時に、次のような言葉を与えたと伝えられています。
「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国
(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべく地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(
ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ
)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮
(きわま)りなかるべし」
すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国だと表現され、皇室の祖
先は、この国で末永く繁栄するように、天から遣わされてきたとさ
れています。
天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられていま
す。
「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(
みこ)に御(まか)せまつる」
すなわち、天照大神は、自ら高天原で作った稲を、ニニギノミコ
トに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのです。
ニニギノミコトの孫に当たるのが、わが国の最初の天皇となった
神武天皇です。神武天皇は、記録によると、日向(ひゅうが)の国
(現在の宮崎県)を出て大和に入りました。そして奈良県の橿原(
かしはら)の地で、天皇の御位(みくらい)に就いたのです。
このとき、神武天皇は建国の理想を掲げました。それは「八紘一
宇(はっこういちう)」という言葉に表されるようになったもので
、「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲
良くくらせるようにする」ということを目標としました。
そして、神武天皇は、大和の地で米作りをし、4年間の苦労の末
に、立派な収穫を得ました。そして、神に稲穂を捧げて祭りを執り
行ないました。こうして、神武天皇は、ニニギノミコトが仰せつか
った天照大神の神勅に従って、国づくり、米作りを行なったわけで
す。
神武天皇の即位を紀元前660年と考える説があります。仮にこの
年を起点とすると、今年は2673年に当たります。現在の天皇陛
下は第125代です。神武天皇以来、2千年以上もの間、一つの家
系が皇室としてずっと続いていることは、世界に類例がありません
。日本人が誇りとすべきことです。
この間、私たち日本人の祖先は、米を作り、米を食べながら生き
てきました。わが国の稲作は、水田潅漑稲作です。四季の変化に応
じて、もみを蒔き、苗を育て、稲を刈らねばなりません。そこに自
然と調和して生きる生き方が育まれました。
また、わが国の稲作は、集約的な労働を要します。村人が総出で
、農作業をしなければ、豊かな実りは得られません。人の和が必要
です。そこに、日本人の正直、勤勉、約束を守る、人に思いやりを
持ち、気配りをするというような民族性が形作られました。
こうして日本人には、人と自然、人と人の調和を重んじる精神が
自ずと発展しました。家族にあっては、親子・夫婦・祖孫が一体と
なって共に生きる。また、その家族が寄り集まって、社会を形成す
る。民族の全体は、皇室を中心として団結する。これが、伝統的な
日本人の精神、日本精神ということができうでしょう。一般に「和
」の精神と呼ばれるものです。