縄文人の反乱 日本を大事に

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マスコミを始めとする全ての工作活動は『分断工作』だってご存知?

2013年07月28日 19時47分29秒 | 色んな情報
マスコミを始めとする全ての工作活動は『分断工作』だってご存知?

作成者: 榊原 敦さん


明治維新で世界中に飛び出して行った多くの日本人たちがいた

米国でアメリカ人を驚かせたのは

日本人の

〇勤勉さ

〇団結力

このふたつです

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『同じ日本人じゃないか?』と日本人同志の絆はとても深かったのです

民主党のロゴマークは『日本をふたつに割る』という形をしています

日本にいる帰化人の著名人(工作員)たちの役割の土台は

〇いつも日本人がひとつにまとまって一致団結しないうようにする事

なのです

『正しい』とか『間違っている』ではなくて

『たくさんの意見を発生させて日本人がひとつにまとまらないようにする』

事が実は目的なのです!

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そういう意味で たくさんの人達を見て行けば

私達日本人が いよいよひとつになって一致団結する時が来たのです!

民主党を見て下さい

リーマンショックによる日本国民の不平不満を『印象操作の報道』で

政府与党に向けさせて

今までになかった『政権交代』や『二大政党制』の向こうに幸せがあると

国民に催眠術を掛けて 21年9月の政権交代を果たしたんですから!

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あの時には東日本大震災の前で 国民は『自分の事ばかり』だったけど

震災や支那と韓国による『侵略行為』が起こり

戦後初めて 日本国民は『国家』を考えるようになったのです!

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これからは多くの日本国民がどんどん『国家観』を目覚めさせていきます

誰にも 止める事はできないと思います

マスコミはとにかく何でも『賛成』と『反対』のふたつの世論を作り出します

マスコミの仕事はとにかく『日本人がひとつにまとまらないようにする事』

だからです

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今の日本国民は二種類です

『目覚めている人』と『目覚めていない人』それだけです!

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勘違いしないで欲しいのは

『優れている人』と『劣っている人』なのではありません 同じ日本人です

『愛国心のある人』と『ない人』なのではありません 同じ日本人です

『愛国者』と『愚民』なのではありません 同じ日本人です

『知っている人』と『まだ気が付いていない人』の二種類なのです!

『敵』と『味方』なのではありません

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国家がふたつに割れれば『朝鮮戦争』のようにふたつに 分かれてしまう

『内戦状態』になればどうなるのですか?

『国力が弱くなり』結果として他国から侵略されやすくなるのです

先の民主党政権下で学んだのは 皆さん 実は

『日本国内の世論がひとつにまとまらないと すぐに外国が攻めてくる』

なのではないでしょうか?

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朝鮮人や支那人工作員の目的はいつも『分断工作』なのです

工作員が一番恐れているのは何か? もうご理解頂けましたね!

『日本人がひとつにまとまって団結して本来の強さを発揮する事』

朝鮮も支那も天皇陛下の下 一億総火の玉となって大東亜戦争を戦った 
 
『戦前までの日本人の団結力』

これを発揮させない事こそが その工作活動の目的だからです!

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保守の皆様 安倍政権の下 日本国民を一致団結に導いて参りましょう!

きちんとあいさつをして 礼節を護り 背筋を伸ばして 言葉を正しく

大人が子供たちの手本となりましょう!

日々勉強して 自分の知恵と知徳を磨き続けましょう!

今は自分勝手な長老たちも間もなく『目覚める』のではないでしょうか?

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いつも元気で笑顔でいて下さい 何かを与えられる人でいて下さい

『元気がないと人は攻撃的になるんです』

『弱くなると 誰かに助けてもらいたいと思ってしまう』んです!

『強くなりたい』と願うから強くなれるんです!

『優しくなりたい』と思うから優しくなれるんです!

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同じ日本人に生まれた奇跡に感謝をして皆で一致団結しましょう!

一致団結できなければ日本人はその本領発揮ができないんです!

どうぞひとりでも多くの方に伝えて下さいな!

樺太はいきなり盗まれました。

2013年07月28日 17時14分42秒 | 色んな情報
樺太はいきなり盗まれました。


川条 しかさんが野島 功成さん

運気が上昇するかどうか分かりませんが、日本人として
大切なことだと思いますので。


なぜ教えない。

樺太はいきなり盗まれました。

樺太を盗むのに、日本人は必死で逃げた。

なぜ逃げている日本人を何千人も犯し殺す必要があるのか?

白旗まであげて樺太を離れていく日本人満杯の船を、何隻も潜水艦で沈める必要があるのか?

樺太の日本人墓地を潰しアパートを建てる…

ロシア人だから仕方ない。今のロシア人はその歴史を知らないなら仕方ない。

恩は石に刻み怨みは水に流すのが日本人。

なぜ日本人がそれを忘れているのか?
ニッキョウソの罪は重い。

※こんな本書きました(≧∀≦)。
下記に1つでもピンときた方は是非ともお読みください。
1・日本の治安はこんなに悪い!!…良くする方法。
2・義務教育で嘘を教えられています…真実を知る方法。
3・日本の伝統や文化が危機!!…守る方法。
4・正しい教科書は採用妨害され!!…採用される方法。
5・文部科学省の教育指導要領は無視!!…解決方法。6 ・国際常識や誇りが無い…解決法。
7・自分の住む国の「建国の精神」「自然観」「死生観」「国家観」など生涯知らないまま…知る方法。
8・自分の国は今年で建国何年目とか、日本の誕生日など知らないまま…解決法。 9・子供の偏差値は上がらない…上げる方法。
10・日本に卑怯者が増える一方…減らす方法。
11・日教組が法律違犯!!…救うか撃退する方法。
現役の公立校教師が発案し、驚く結果を出した超ノウハウ本です(≧∀≦)。 ・・・内容・・・ 政治家やお金持ちや社会的地位などなくても、簡単に日本は変えれます。それは、悪いことを繰り返している逃亡中の犯罪者の部屋を警察に匿名でこっそり通報ハガキを出すことで犯罪が減るのと同じです。この本には法治国家である日本のルールに従わないで、結果として日本の治安を壊している人達を良い方向に変えるノウハウが書かれています。その方法は誰でもが簡単に出来るものです。是非ともお読み頂けるようにお願い致します。購入方法は直接ご連絡頂くか下記で(≧∀≦)。 「たった一人で日本を変える方法」税込1,000円送料3冊まで200円、振込手数料はご負担ください(^_^;) 本の注文先 電話0728695680FAX(072)869-4889/受付24時間
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義務教育を受けた、どこの国の国民でも答えられる、
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大陸を切り開いた満鉄

2013年07月28日 16時30分50秒 | 色んな情報
大陸を切り開いた満鉄
2013.7.28 11:07

 ■米鉄道王との共同経営を蹴る

 戦前、子供時代を満州(現中国東北部)で過ごした日本人が口をそろえる思い出がある。南満州鉄道(満鉄)線を疾走する特急「あじあ号」の雄姿だ。

 昭和9(1934)年に開発された蒸気機関車が引っ張る汽車だったが、流線形の覆いがつけられ平均時速82・5キロのスピードが出た。大連-ハルビン間944キロを14時間足らずで結んだ。

 当時の日本の特急よりはるかに速く、満州育ちの子供たちのヒーローであり自慢のタネだった。

 その満鉄はもともと、ロシアが建設した東清鉄道の南部支線だった。前にも書いたように、ロシアは東方進出のため明治24(1891)年、自国内を横断するシベリア鉄道建設に着手した。

 しかしバイカル湖以東が難航したため、チタから満州内を通りウラジオストクまでショートカットする東清鉄道の建設を清国に認めさせた。さらに途中のハルビンから、租借している大連・旅順へ南下する南部支線も1903年に完成させ、翌年に始まった日露戦争では多くの兵士を運んだ。

 明治38(1905)年9月に結ばれたポーツマス条約で、この南部支線のうち長春郊外の寛城子-旅順間とそれに付属する利権を日本が譲り受けたのである。

 翌明治39年11月、南満州鉄道株式会社を設立し、その管理、運営を始めた。初代総裁は台湾総督府の民政長官をつとめた後藤新平だった。

 だが、満鉄の「発車ベル」がスムーズに鳴ったわけではない。

 ポーツマス条約締結と時を同じくして、米国の鉄道王と言われたエドワード・ハリマンが来日、日本政府に、鉄道をシンジケートで共同経営するよう持ちかけた。

 桂太郎首相や伊藤博文、井上馨ら元老は乗り気だった。日露戦争で金を使い果たし、鉄道を経営する資金のメドがたっていない。しかも日本単独では、ロシアが満州を奪還しにくるのを防ぐ自信もなかったからだ。

このため10月にハリマン側と協定書に調印するところまでこぎつけたが、ポーツマスから帰国した外相、小村寿太郎が待ったをかけた。「満州は日本の勢力下におくことが国益にかなう」というのが小村の主張だった。

 戦争に勝って得た鉄道まで手放すことへの国民の不満も小村に味方した。結局政府は共同経営を断念、資本金の半分を外債で賄うことで単独経営を決めた。

 このハリマン提案を拒否したことについて、今では「共同経営を受け入れておれば、日本があれほど大陸に深入りすることはなかった」との批判が根強い。だがその後、移民問題などで日米関係が悪化したことなどを考えると、共同経営がうまくいったかどうかさえわからない。

 いずれにせよ満鉄はその後、満州の軍閥政権が敷設した鉄道を次々と吸収する。さらに中国とソ連が共同経営していた東支鉄道も買収するなどで、昭和7年に満州国ができた後は満州全土の鉄道約7千キロをその管理下に置く。

 鉄道事業ばかりではない。それに付属する利権として石炭採掘や製鉄など鉱工業にも力を入れ「満鉄王国」などと呼ばれる一大企業に成長する。大陸を切り開く役割を担ったわけで、多くの日本人が新たな仕事を求め、満州に渡っていくことになった。

 さらに後藤の発案で「満鉄調査部」が設立される。満鉄が事業を拡大するに当たって需要度などを調べるシンクタンクだった。後には約2千人のスタッフを抱え、日本と中国との戦いを想定した「支那抗戦力調査」など「国策調査」も行い、日本の大陸政策に大きな影響を及ぼしていく。

 一方でこの満鉄の事業や、そこで働く日本人を守るという名目で日本陸軍に「関東軍」が設置される。この関東軍と満鉄とが車の両輪のようになって、満州への進出をはかることになる。

 昭和6年の満州事変や翌年の満州国建設も、この日露戦争勝利による鉄道獲得に端を発していたのである。(皿木喜久)

【用語解説】漱石の渡満

 文豪夏目漱石は日露戦争終結から4年後の明治42年、満州と併合前の韓国を訪問した。学生時代の友人である満鉄2代目総裁、中村是公に誘われたからだ。9月12日、船で大連に到着後、主に満鉄の汽車により、旅順、奉天(瀋陽)、長春、京城(ソウル)などを回り、日露戦跡や都市を見学し、10月14日に帰国した。

 その印象を「満洲日日新聞」に「韓満所感」として書いた。その中で日本人が「文明事業の各方面に活躍」しているのを見て「甚(はなは)だ頼母(たのも)しい人種」と感じたという。それまで漱石が抱いていた「自虐的」な日本人観を変えるきっかけになったようだ。

「修身教科書」

2013年07月28日 15時20分51秒 | 色んな情報
「修身教科書」

         京免 史朗


■1.国際派日本人を育てるための「修身教科書」

 これはまるで「国際派日本人」を育てるための教科書ではないか、と思った。戦前の道徳教育の教科書を編集した『国民の修身』[a]がベストセラーとなり、その続編として刊行された『高学年用』[1]を読んでの感想である。その帯には次のような引用がある。

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...  我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。 我が国 第十課 国交(現代語訳)

 国旗はその国の印でございますから、我ら日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。また礼儀を知る国民としては外国の国旗も相当に敬わなければなりません。 我が国 第四課 国旗

 外国人に対して礼儀に気をつけ、親切にするのは、文明国の人の美風です。 公民の務 第一課 礼儀
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 何かと言うと反日暴動を起こしたり、日の丸を焼いたりする近隣諸国の一部国民に学んで貰いたい事ばかりだ。彼らはいまだ「礼儀を知る国民」でも、「文明国の人」でもないのだろう。

 現代日本人が知るべきは、このような「修身教育」が、戦前から行われていたということである。今回は、この本から、特に国際社会に関する項目を見てみたい。


■2.「外国と対等に交際することになりました」

「外国との交際」に関して、次のように我が国の歩みを振り返る。

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 我が国は、徳川幕府が久しい間外国と交通することを禁じていたので、明治以前には余程(よほど)世界の大勢に後れていました。それがため、外国と交際を開いた時には、大そう不利益な条約を結び、その後長らく苦しみました。

 しかし国民はよくこれに耐え、力を合わせて国の繁栄をはかった結果、ついに外国も我が国の実力を認めたので、我が国は条約を改正することが出来て、外国と対等に交際することになりました。[1,p66]
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 欧米諸国が武力を背景に、アジア・アフリカ諸国と不平等条約を結ぶのは各地で見られた事であった。それを暴力で覆そうとしたのが中国だった。英米や日本の民間人を襲ったり、商店を略奪したり、商品をボイコットしたりと外交上の義務を果たさなかった[b]。米外交官ジョン・マクマリーは次のように記している。

__________
 人種意識がよみがえった中国人は、故意に(JOG注:対外条約で約束した)自国の法的義務を嘲笑し目的実現のためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるならば、遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをするたろうと説き聞かせていた。[2,p221]
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 我が先人たちは、こういう野蛮なやり方をしなかった。歯を食いしばって国内の近代化を進め、我が国の実力を認めさせることで、条約改正にこぎつけ、対等の外交を実現した。しかもそれを修身の教科書で「外国との交際はかくあるべし」と教えているのである。


■3.「小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだ」

 外国に実力を見せつけた事例として、勝安芳(勝海舟)の逸話が出てくる。若いときに西洋の8巻の兵書を買えなくて、それを持つ人の家に毎晩出向き、筆写した逸話をまず紹介する。

 その後、勝は長崎でオランダ人について航海術を学んだ。そして、幕府が国使をアメリカに送るという話を聞く。

__________
 安芳はそれを聞いて、我が航海術の進歩を見せるには、この上もないよい機会だと思ったので、自分の教えた部下を指図して日本人の力だけで航海をしたいと願い出ました。[1,p177]
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 幕府は日本人だけでは危ないと容易に許さなかったが、安芳の熱意に負けて、咸臨丸(かんりんまる)という小さな軍艦を派遣することとした。

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 航海中は毎日のように雨風が続いて、海が大そう荒れました。嵐が激しい時には、船体がひどく揺れて、ねじ折られそうになったことが幾度もありました。

 しかし、安芳らは少しも恐れず、元気よく航海を続け、日本を出てから三十八日目にサンフランシスコに着きました。アメリカ人は、日本人が航海術を学んでからまだ間がないのに、少しも外国人の助けを受けずに、小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだと、大そう感心しました。[1,p178]
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 当時の小学生たちは、こういう逸話を読んで、自分も国の発展のために何事かを成し遂げようという気概を抱いた事だろう。


■4.「欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります」

 しかし、対等の条約を結んだからといって、それでもう世界の大国になった、というような夜郎自大な意識は全くない。

__________
 我が国は、かような発達の結果、欧州大戦の後には世界の大国の中に列することになりました。・・・しかし現在でも、英・米・独・仏等の欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります。将来我が国が更に発達してこれらの国々と肩を並べて共々に、文明の進歩をはかって行くようにするのは、我等の責任です。[1,p68]
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 これに比べれば、戦後の高度成長で世界第2の経済大国になったと浮かれたり、中国に抜かれたと言っては落ち込んだり、という姿勢は、いかにも子供じみたものに見えてくる。

 世界の中で問うべきは「文明の進歩をはかって行く」上で、国家としてどれだけ貢献しているのか、ということだ。そのためには、国民一人ひとりがよく身を修めて、立派な日本人にならなければならない、というのが、修身教科書の教えである。


■5.「国と国とが親しく交わり互いに助け合っていく」

 修身教科書では、国交の大切さをこう説く。

__________
 隣近所どうし互いに親しくして助け合うことが、共同の幸福を増す上に必要なことは、いうまでもありません。それと同様に、国と国とが親しく交わり互いに助け合っていくことは、世界の平和、人類の幸福をはかるのに必要なことです。[1,p72]
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 その具体的な内容として、明治天皇が明治41(1908)年に賜った詔書で「ますます国交を修めて列国と共に文明の幸福を楽しもう」と言われていること、大正天皇の詔書にも「万国の公是(世間一般が正しいと認める事柄)によって平和の実を挙げ我が国力を養って時世の進歩に伴うように努めよ」と諭された事を紹介している。

 さらに昭和天皇については、次の逸話を紹介する。

__________
 今上天皇陛下は皇太子であらせられた時、欧州諸国を御巡歴になりました。半年の間、陛下は至る処の国々で御交際におつとめになり、いつも非常に好い感じをお与えになりました。これがため各国との和親がどれほど増したか計り知られません。

 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。[1,p73]
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 昭和天皇の皇太子時代の欧州御巡歴とは、第一次大戦終結のわずか3年後、多くの人々が治安を心配する中で決行されたものだが、同盟国である英国からは大歓迎を受け、また大陸の激戦地を視察されて青年皇太子は戦争の悲惨さを実感された。[c]

 このように明治維新以降、皇室は国際友好の大切さを身を以て示されてきた。天皇方の御言動を説けば、それはそのまま国際友好の理想を小学生に教える教材になる、という処に我が国の有り難い国柄がある。


■6.「知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道」

 国と国との交わりと言っても、その実体は人と人との交わりである。首脳同士、外交官同士の交わりもあれば、民間人の交わりもある。日本国民一人ひとりが、外国人に対しても友情を持って交わることが出発点である。修身教科書は、このために次のような逸話を紹介している。

 紀伊の水夫虎吉らはミカンを積んで江戸に行き、その帰り道に暴風に遭って吹き流され、2か月も漂流した。そこをアメリカの捕鯨船に救われ、親切に介抱された。

 捕鯨船は北洋で半年ばかり捕鯨をした後に、虎吉らを便船に頼んで香港に送り届けてくれた。そこで仕立て屋をしている日本人が世話をやいて上海まで送り届けてくれ、そこから支那の役人の保護を受けて、ようやく帰国できた。3年も経って郷里ではてっきり虎吉らは死んだと思っていた所、無事に帰ってきたので夢かとばかり喜んだ。

 この逸話を紹介した後、修身教科書は次のように説く。

__________
 知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道であります。いろいろ災難にあって困っている者を救うのはもちろん、たとえ敵でも、負傷したり、病気になっていたりして苦しんでいる者を助けるのは、博愛の道です。

明治三十七、八年戦役(JOG注:日露戦争)に上村艦隊が敵の軍艦リューリク号を打ち沈めた時、敵のおぼれ死のうとする者を六百余人も救い上げたのは、名高い美談であります。[1,p105]
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 教育勅語に「博愛衆に及ぼし(博く世間の人に慈愛を及ぼし)」とあるが、修身教科書のこの一章はまさしくこの「博愛」を具体的な逸話を通して語ったものである。


■7.博愛の心で、外国人を救った日本人たち

 戦前の我が国には、こうした博愛の心で外国人を救った事例に事欠かない。弊誌で紹介した事例をいくつか挙げると:

・明治23(1890)年、トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で岩礁に激突、沈没したが、村民総出で救助にあたり、69名を救出。[d]

・大正9(1920)年、シベリアに流刑になっていたポーランド独立運動家たちの子供765名を、ロシア革命の混乱から救い出し、日本で健康を回復させた後で、母国に送り届けた。[e]

・昭和12(1937)年、ロシアを脱出しようとする約2万人のユダヤ人が吹雪の中で立ち往生しているのを、ハルピン特務機関長・樋口少将の指揮で満洲国関東軍が救出。[f,g]

・昭和14(1939)年、日本海軍は上海の租界地に各国から逃げてきたユダヤ人難民1万8千人を収容し、その安全を図った。[h]

・昭和15(1940)年、ナチス・ドイツとソ連に分割占領されたリトアニアのユダヤ人約6千人に杉原千畝領事がビザを発行し、日本経由でイスラエルやアメリカに脱出させた。[i]

・昭和17(1942)年、工藤俊作艦長率いる駆逐艦「雷(いかづち)」は撃沈した英軍艦の漂流者422名を救助した。[j]

・昭和18(1943)年、中国河南地区でイナゴの大群に襲われて餓死寸前の多くの農民を日本軍が糧食を放出して救った。[k]

 これらの義挙を成し遂げた人々は、小学生時代にこの修身教科書で「博愛」を学んだのであろう。


■8.博愛と義勇を兼ね備えた国際派日本人

 国際友好や博愛を説くと同時に、修身教科書は防衛努力の大切さを説くのも忘れない。

__________
 今日文明諸国は、皆共同して、戦争を避け平和を保つために、出来る限りの力を尽くしています。しかし、世界にたくさんある国と国との間には、いろいろの原因からいつ戦争が始まらないとも限りません。それで、もし我が国にも禍(わざわい)が及んで、国の安危に関するようなことが起こったら一大事です。それ故に、我らが一致して我が国の防衛に心を用い、その安全を図るのは最も必要なことです。[1,p118]
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 ここには戦後の日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というような空想的世界観はない。こういう空想に囚われると、現代のチベット民族やウイグル民族の苦難も見えなくなってしまう。

 博愛を及ぼし、平和を守り、文明の進展を図るためには、時には戦わなければならない時がある。教育勅語で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の「義勇」とは、「正義心と勇気を持つ」事であろう。そして博愛と義勇とは表裏一体である。義勇がなければ、博愛も実行に移せない時がある。

 前節で挙げた数々の義挙を行った人々は、この博愛と義勇を兼ね備えた人々であろう。これらの人々の行為は今日の国際社会でも十二分に尊敬されうる。こういう国際派日本人を育てたのが戦前の修身教科書であった。