子供の頃 実家に「富山の薬売り」のおじさんが
時々来た
あらかじめ医薬品を預けて置き
定期的に巡回訪問し 使用した分の代金を受け取り
新しく補充していくシステムだったようだ
「ヨイショ」と言いながら上がり端に腰掛け
背負ってきた大きな風呂敷包みを座敷に下ろす姿や
薬独特の匂い それとオマケに貰った紙風船
折りたたまれた5~6㎝位の丸や四角い
紙風船のカサカサした感触
口でふぅ~ッと膨らまして 手でポンポン弾ませて遊んだ
そんな記憶が蘇ってきた
子供の頃 実家に「富山の薬売り」のおじさんが
時々来た
あらかじめ医薬品を預けて置き
定期的に巡回訪問し 使用した分の代金を受け取り
新しく補充していくシステムだったようだ
「ヨイショ」と言いながら上がり端に腰掛け
背負ってきた大きな風呂敷包みを座敷に下ろす姿や
薬独特の匂い それとオマケに貰った紙風船
折りたたまれた5~6㎝位の丸や四角い
紙風船のカサカサした感触
口でふぅ~ッと膨らまして 手でポンポン弾ませて遊んだ
そんな記憶が蘇ってきた
春の訪れと共に
どこか出掛けたいなァと思う
電車の旅もいいな
旅のお供のお茶
今では どこでも売られているペットボトルのお茶だが
初めて缶のお茶が発売された時は
お茶を買う時代が来るとは、、、と
ビックリした
それまで 買うとしても
電車で旅をする時
駅ホーム内で お弁当と一緒に売られていたお茶ぐらいだったのだ
それが こんな感じの物だった
クリスマスが終わり
気持ちをお正月準備に切り替える
今日 玄関飾りをスーパーで買って来た
橙はプラスチック 海老も昆布も付いて無いし 全体的に軽くカサカサしている
以前 実家では正月飾りを作っていて
一般家庭や旅館から多くの注文が有った
父が小屋で玄関飾り 輪飾り しめ縄等の土台となる部分を藁を編んだりして作った
私たち兄弟も手伝った
ウラジロ ユズリハを採りに山へ
母が切れ目を入れた半紙や紅白の紙をジグザグに折り返す
たたんである扇を広げる
父が三つ編みのように編んだしめ縄から
ボサボサはみ出た藁をミカン採りバサミで丁寧に切り落とす
高校生ぐらいまで手伝っていた
橙やキンカンも本物だったから ずっしりとしていた
今では そのようにして売っている店も見掛けなくなった
リース型やお洒落なお飾りが売られているが
私はシンプルなお飾りを選んでしまう
義母は4年前 97歳で亡くなった
夫を早くに亡くした後 女手一つで3人の子供を立派に育て上げた
その間 色々な職に就き 畑仕事も頑張ってきた
87歳の時 大腿部骨折をするまで
家の周りの草取りやスコップを使って ちょっとした力仕事もしていた
怪我で歩行が大変となり 主にベットでの生活となったが
週に3回デイサービスに通うことにした
一日のスケジュールの中に それぞれが選択して行う時間が有る日
義母が選んだのが塗り絵だった
一枚の塗り絵を何回か掛けて完成させ
我が家に持ち帰って来ていた
「凄い綺麗に塗れているね」と褒めたら
「小学生の頃 絵は上手だったんだよ」と嬉しそうだった
私は義母が持ち帰ってきた塗り絵を見るのが楽しみだった
これは 95歳の頃の作品
色使いをしっかり考えてある色彩感覚
これは色鉛筆で塗ってあるのだ
まるでクレヨンで塗ったかのような 力強い塗り方
そして 背景や肌の色は薄く塗り分けている
丁寧で力強い塗り方に 義母のたくましく頑張り抜いた
人生そのものが表れている気がする
「もしもし」突然の声に驚き振り向くと
後ろを歩いていたビジネスマン風の人が携帯電話で話し始めた
まだ携帯が普及し始めの頃だったが
庶民の私などは持つことは無いだろうと思っていた
ところが あれよあれよと広がり出した
我が家の第一号は主人
私の頭の中では 今までの固定電話が持ち運べるようになったイメージだった
だから 台所に置いて行った携帯が鳴った時
私は迷わず電話に出て「もしもし ちょっと待ってくださいね」と言って
主人の元へ
「○○さんからだよ」と携帯を渡した
持ち主である人専用の電話という事を認識していなかったのである
左が私
右が主人の携帯
なんとシンプルなんだろう
この形態や機能性はどんどん進化してきた
そして 今や殆どいう位の人が持つ時代となった
便利さは更に追求され 進化し続けるのだろう