
皆さんこんばんは🌙
2年の鈴木です💁🏻♀️
私の卒業レポートのテーマは
「空港の歴史と立地条件からひもとく空港の安全性」です!
空港の歴史、立地条件、空港の安全性テーマの中に3つも内容がある?と思った方もいらっしゃると思います。ですが、これらは調べを進めると繋がる内容でした。
空港という場所は国と国をつなぎ、そして国内を結ぶ玄関口です。そのため数えきれないくらいのお客様が利用します。そんな空港は本当に安全な場所なのでしょうか。そう考えたことはありませんか?この研究をしようと思った一番のきっかけは沖縄空港のインターンに参加した際、滑走路の向きが日によって風向きで変わることを間近で見たとき、空港ができるためには風向きが関連していることに気づきました。また、授業で空港ができるまでに周りの土地や住人へどんな影響があったか、空港の歴史には昔の飛行機の歴史にも深くかかわっていることを学び空港の立地条件につながるのではないかと思いました。そして、立地条件を調べるにあたり、空港は安全な場所なのか調査しました。
飛行機は最初からお客様や貨物を運ぶために使用されていたわけではありません。しかし、鳥のように空を飛んでみたいという夢の思いが飛行機を誕生させました。
最初に空を飛ぶことを可能にした乗り物は気球でした。
1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟が人類初の熱気球による有人飛行に成功しました。そして1903(明治36)年12月17日アメリカのライト兄弟は本格的な有人飛行を成功させました。しかし、1914年から第一次世界大戦では、戦闘機が生まれ、爆弾を落とす爆撃機も生まれてしまいました。
しかし、飛行機の歴史から飛行機があれば飛行場もなくてはいけません。
飛行場にも飛行場として適した立地条件があり、空港にもあります。
では、どのくらいの人が立地条件を知っているのか調査した結果75人中48人は立地条件を知らないことが分かりました。
立地条件に正解はありませんが以下のことが挙げられます。
○気象条件
○滑走路の数
○エプロン
○広い平坦な土地
○必要な土地が公有地(国有地、県有地、市有地)であること(土地収用のトラブルが無い)。
○人口密集地から公共交通機関で30分以内で行けること。
○高速道路が接続されていること。
○航空燃料のパイプラインが安全で容易に引けること(海港が隣接していれば最適)。
○空港を中心にして半径5km(出来れば10km、もしくは海上空港)以内に人家が無いこと(大事故が発生しても二次災害は発生しない)。
○大きな総合病院が近く(救急車で15分以内)に複数在り、最低でも200人の受け入れが可能なこと(それと、医師会が協力的であること)。
○陸上自衛隊の駐屯地に近いこと
○周辺の宿泊および交通条件
〇5つ目の必要な土地が公有地では成田空港が出来た背景でも反対運動が起こりました。

私は、普段から空港を利用する中でもし空港にいるときに地震などが起きてしまったら空港の耐久性や津波など空港自体が安全なのか気になりました。また、私自身が空港は避難所だと思っていました。
実際に羽田空港は避難場所ではありません。しかし中部国際空港には多くの避難場所がありました。実際に中部国際空港は、災害に対しより強靭な空港へと掲げています。
私はすべての空港が避難場所であってほしいと思います。多くのお客様、海外のお客様、お手伝いが必要なお客様、小さいお子様が空港にはいらっしゃいます。初めて訪れる地だとしたら、なおさら不安で空港の場所も把握していないお客様もいると思います。
そんなお客様が多く滞在する空港がもともと避難場所としてお客様もそれを知っていたらパニックにならずまた、周りの住人の方や近くにいた方も避難できる飛行機に乗るためだけの空港で終わってはいけないと思っています。
2024年12月29日に務安国際空港で起きてしまった事故は実際にコンクリートの壁が大事故になってしまった原因とも言われています。空港の安全性が欠けていたと考えられます。
まとめ
空港の立地条件には、飛行機が飛ぶための適している場所であったり、空港の歴史は飛行機の歴史とつながっていました。実際に2組の兄弟が有人飛行に成功したことをきっかけに10年以内に悪く言えば世界を変えるような武器に使用したり、よく言えば革命的な成長をしていました。
最後の中部国際空港が海上空港であり、海上空港のメリットは騒音問題を緩和させたり、立地条件につながったと思います。空港の可能性を歴史から広げたいと研究して改めて感じました。
この2年間で学んだこと調べたこと行動したことはこれからの財産です。全て無駄にしないようこれからは社会人としての自覚を持ち、更に航空業界への安全面はもちろん憧れ向上心を持ち続け初心を忘れず頑張りたいと思っています。
長くなりましたが最後までお読み頂きありがとうございます🙌🏻