『践祚大嘗祭と古事記』坂橋隆司著 (大塚書店)の本の中に、海幸山幸神話のことが出ていまして、「紀」の中で阿多の隼人を率いて宮廷に奉仕していたのが「小橋君」という族長だった…とありました。
つまり「日本書紀」の中に、この時代に「橋」という文字があったということなのです。
吾田小橋君=阿多小椅君 「古事記」では阿多の小椅君となっているので、「橋」がイコール「椅」ということが判ります。
日向に坐しし時、阿多の小椅君の妹、名は阿比良比売に娶ひて生みませる子、多芸志美美命云々(古事記 162頁)
「阿多の小椅君」の初見
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この椅子の「い」という文字がイコール橋ということは「坂橋」は「坂椅」であった可能性もあり、「坂井」さんや「境」さんや「堺」さんや「酒井」さんなども関係があるのかもしれないと思いました。でも、椅の字を調べてみなくては、と思っています。 日本では「橋」の意にも用い、「天椅立(あまのはしだて)」と書くことがあるそうです。
坂も橋も古くからの漢字であるにもかかわらず、しかも身近な存在であるにも関わらず、苗字が少ないのは何故なんだろう?と謎が深まっています。
途中で一度、一族が一度絶えそうになった…など、何かしら理由があるのではないだろうか?と思うのです。
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