たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子 8

2018-12-02 19:15:09 | 日記
寝所に入り大津は幸せな気持ちで布団の絹の感触に触れ眠りに落ちていた。
窓から見える月に目が覚めた。
姉上のためにももっと漢詩を学びたい。一緒に語らいたい。
でも漢詩は概ね女人と語らう詩でなく男同士で語らう詩である。
姉上はどうして「女人はいないの」とお尋ねになったのだろう。

そんな時にたまたま斎宮の輿が月夜の中吸い込まれるように過ぎったのを見た。
「もしかして姉上では。」
大津は気もそぞろで着替え、こんな寒い夜にどうされたのであろうと密かに輿を追うことにした。馬では蹄が響いてしまう為一人で追った。

祓川のそばで輿は止まった。大津は対岸から見守ることにした。
白い帳が張りめぐされその中から先ほどまで優しく柔らかな表情を見せていた姉でなく痛々しいほどの雰囲気で絹の装束のまま祓川で浄める姉上を見た。正直、お顔を見ることは出来ない。でもただ事ではないことが今、行われようとしていることは大津にもわかった。

祓川に入られる姉上を見てしまった。こんなお寒い中、こんなにも冷たい風が通り過ぎる川の中に入られる。
我が勝手に思っていた神々しい姉上はこんなにも厳しい時をお過ごしになっている。
普通の女人と比べるなど畏れ多いことを恥じた。


大伯はいくら祓祝詞を上奏しても辛い、痛みなどの感情しかなくただ一人の人間であり、ただの女人であることを感じさせられた。しかし伊勢に鎮座される神に我は必死で自分の役目をさせて頂いている、だからこそ自分の存在の意味があるのだと信じ祝詞をあげていた。

鳥たちのさえずる声が聞こえ始めた。東の空に陽はまだ昇ってはいないが大津はその場を離れた。

誰にも見つからぬよう寝所に戻り横になった。

大津は目頭が熱くなるのをただ堪えていた。皆に眠っていると思われるまでただ堪えていた。

朝餉の支度が整えられ姉上と再び対座した。

姉上は昨夜と変わらない柔らかな表情で「よく眠れましたか」とお尋ねくださった。
先ほどまでの禊の時間はまるで嘘であったかのように。姉上の忍従の日々に初めて触れ畏れ多いこととしか思えず「はい。」としか答えられなかった。

「どうかしたのですか」とまたもや大伯は聞いた。

大津は思わず「姉上、我が姉上に何かしてさしあげられることはありませんか。ただ姉上のために。」と言った。
斎宮である姉上は「そなたのしあわせが私のしあわせなのですよ。」と微笑まれた。