たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子13

2018-12-21 08:06:54 | 日記
「私が妃をですか。」大津は急なことで驚いた。

「草壁も妃を迎えてそちにもおかしくないであろう。皇太子として政治的にも、そういうことも必要なわけだ。近江朝廷の臣下たちがいつ不満をとなえ先帝の天智天皇の誰ぞをこの飛鳥浄御原の朝廷に担ぎだしてくるかも知れん。先帝を父に持ち、蘇我赤兄の娘にあたる。言いたいことはわかるな。」と父、天武は大津を試すようにも言った。

「この朝廷は、決して近江朝廷を仇するものでなく統合し、先の朝廷であったものも能力次第で迎える。重臣であれ、血統であれ、律令国家の基礎を築くため天皇家は分け隔てなく重用する。その象徴がこの結婚でございますか。」大津はやや空虚な表情で答えた。

天皇はにんまり笑い「その通りじゃ。」と嬉しそうに言った。

大津の虚ろな表情に「大伯も喜んでくれるといいですね。」と皇后が言った。
「あぁ、そういえば姉から義母上に言伝を。紙がありますので渡します。」と大津は虚ろな表情を隠せないまま渡した。

「朕にはないのか。」と少し拗ねたように天武は大津に聞いた。大津は「天皇、皇后栄え長くしあわせであるように、この国の民のしあわせを伊勢で祈り申し上げますと。天皇が伊勢に参らせ奉られることを楽しみに待っておられます。と申しておられました。」と大津は先日までのしあわせな時間を思い出しながら淡々と答えた。

皇后は「大伯はしっかりお役目を果たしているのですね。」と大津を気遣うように言った。
「そうです。義母上。あのような寂しい場所で、凍るような冷たい川で禊をされたり、この国の安泰を静かに祈っておられます。並みの女人に出来ることではありませぬ。…それなのにこの世の女人のしあわせを放棄された姉上をおいて私が妃を迎えるなどおかしくありませぬか。」と大津は天皇に問うた。

「稀有な姉弟がこの国の安寧を作る。立派なことだとは思わぬか。」と天武が威厳ある声で大津に言った。
姉上の二人の役目を果たして参りましょう、大津のしあわせが我のしあわせとの声が大津の胸に刺さった。
「御意にございます。」大津は伏して答えた。己に心を殺すのだ。姉と離れていても我は二人で役目を授かったと思いと何度も心で唱えていた。

翌朝、高官、重臣らを前に大津の立太子と山辺皇女の入内が宣言された。
夕となり山辺皇女が白絹を纏い寝所にいた。
美しいが大津には抱けなかった。姉上のことを思うと抱けなかった。

我が背子 大津皇子 12

2018-12-18 23:00:21 | 日記
姉上との別れを告げ伊勢を立った。

「また機会を設け姉上の元に参ります。」

「嬉しいわ。大津。その時までお互い日々を大切に過ごしてまいりましょう。つつがなく日々をしあわせに思いながら。」

「姉上…」抱きしめたくなったが不可侵の女神を己の我欲で汚してはならぬとの一心で別れを告げ馬にまたがった。
礪杵道作も大津の悲しそうな背中を追うように伊勢の地を後にした。

そんな大津たちの姿を見えなくなるまで大伯は見送った。

大津の姿が見えるまでは大伯も気丈に振舞っていたが峠の曲がりあとから大津が見えなくなった。

また己の気持ちと向き合う日々が続く。

「大津のしあわせが私のしあわせと言ったくせに。何が身体を震わせるの、突き上げている感情に耐えられないと泣くの。何を嘆いているの。わからないわ。そのようなわがままは。」
大伯はその場に立ち尽くすことだけが精一杯だった。

馬上の上の大津も振り向いてしまいたい衝動を何度も堪えていた。
「振り向いてしまえば戻れなくなる。我はそのような身勝手な男でない。必ずまた会える日を作るのだ。」と何度か言い聞かせ馬を走らせた。

飛鳥浄御原宮に戻る最中、民が田や畑を耕す姿を見た。
川で釣りをするもの、竃で炊く煙、家族のため夕餉に間に合うよう炊いているのであろう。野で無邪気に遊ぶ子ら。我がこの姿をしあわせに見えぬのなら我の責任だ。しあわせにするのが我の役目。

何も悲しむことはない。我はそのようなお役目を姉上とともに授かっているのだ。
民を案じ、しあわせにする役目の天皇家に生まれたのだとしたらこれ以上しあわせなことはないではないか…姉上に堂々と伝えられるようお役目を果たしまた会いに行くのだ。誰も決して穢すことの出来ないあの美しい女神に会うために…

帰京の報告に浄御原宮に参内した。

父、天武天皇は「皇太子となることを聞いて参ったか」と豪快に笑った。
驚きました、と大津が素直に言えばさらに笑って「大伯は美しい女神であったろう」と言った。
はい、と大津がまた素直に言えば「そうか、そうか。あの美しい妻神がいればこの和の国は万全じゃな。」と高らかに笑った。

皇后は「妻神だけではこの国は守れませぬ。天皇もしっかりと在わす国でなければ。」と少し呆れた表情で天皇に苦言を言った。

大津は、姉上は姉上は…この国のためにどの皇女よりも辛いお立場におられるというのに天皇…と思った時、父天武は「山辺皇女が明日、お前の妃として参る。こころして迎えるように。」と言った。

我が背子 大津皇子 11

2018-12-17 23:23:13 | 日記
皇后は息子草壁皇子に大名児の気持ちを「女人」として伝えた。

草壁皇子に母としても優しく伝えた。不器用な息子を諭したかった。

「大名児は一途な女子じゃ。そなたでなく他の誰かを思うておる。それは今、我の力を持ってでも止めることは出来ない。そのようなことをすれば誰もが傷つく。そっとしておいてやれ。今は阿倍を大切にいたせ。母の力で女人をどうのこうの出来るとはもう二度と言うでない。」

草壁皇子は伏せたまま「でしたら何故母上は私の申し出をお聞きくださった。」こめかみの血管を青く浮き出し母である皇后に尋ねた。

母である皇后は「仕様もないことと笑いもしたが、そなたが思う女人がどのような女子であったか、その女人はどのような誰かを好いておるのか興味があったからじゃ。悪く思うな。」と笑みを浮かべ扇を顔に当て安堵したように答えた。

「興味…」草壁皇子は強い眼差しを母、皇后に向けた。

「これが解らぬようであれば、あの女人を手に入れることはおろか、阿倍のことも本当に思いやってはやれぬ。まず入内したばかりの阿倍を大切にいたせ。そして女人の心をわかろうといたせ。それ以上のことを母はもうせぬ。」

「阿倍、阿倍と申されますがすめらみこと、天皇がお決めになった相手を私に愛せよと仰言っるのか。阿倍は良い女子です。でもそれは恋ではないのです。私は大名児に恋をしたのです。母上はどうしてわかろうとなされない!」恫喝にも似た草壁皇子の悲鳴でもあった。

「ならばもうそうぞ。大名児の心はそなたにない。無駄なものは無駄。解らぬか。こんな単純なことが。」と草壁とは相反した低い声で伝えた。

草壁皇子は「大津ですな。大津皇子ですな。あやつが大名児の心を独り占めしているのですな。」と言い出した。皇后は「女々しいことを申すでない。そうやって大津と比べる度にそなたが貧相になることが解らぬのか。」と苦々しく言った。


その頃伊勢にいる大津は姉の斎宮である大伯と宮を歩いていた。
大伯は伊勢神宮の方角を示し「拝みましょう。我は天皇家、すなわちこの国の民をしあわせを祈るだけの存在です。民無くしてはこの国は成り立たない。しかし天皇家なくしてもこの国は成り立たない。その心の拠り所がこの伊勢の神宮なのです。
そなたもすめらみこと、天皇になる身です。民を慕い、敬われられるよう民に尽くしてください。民が迷う時は導き助け、民が悲しみや空腹の時は身を慎み、少しでも早く苦痛が通り過ぎるよう拝みなさい。民が喜ぶ時は一緒に喜びなさい。そして常に民のしあわせを思いなさい。そして慈愛を絶やさず民に送りなさい。それだけでこの和の国は幸せになる術を持っているのです。わかりますか、大津。」と、まるで皇祖神天照大神の言伝を大津に伝えたかのように話した。

大津は「わかりました、姉上のお言葉を朝、夕、夜とこの東の空に向かい唱えましょう。姉上も同じように拝んでおられるになら私は自ずと何をなすべきために生まれてきたのかもわかるような気がいたします。」と素直に喜び大伯に伝えた。

大伯も大津の素直な気持ちに嬉しくなった。
「伊勢に来て大津を待っていて良かった。」と笑みを浮かべ伊勢神宮に感謝を述べ拝んだ。

我が背子 大津皇子 10

2018-12-14 00:00:18 | 日記
「おい、あの采女だぞ。」

「確かに美しい。草壁皇子は美しいものが好きだ。」

大安殿に続く回廊で高官たちが囁きあっていた。

石川郎女…大名児が颯爽と天皇に奉仕するため内安殿に向かうため歩いていた。

「あの女子は、草壁皇子がお声をかけられたそうじゃが断ったそうじゃ。」

「馬鹿じゃ。地方の豪族であれば天皇、または皇子の寵愛を得られるのが家のためになるというのに。あの女子は何を求めておるのじゃ。」

「草壁皇子は皇后さまによく似ていらして見目麗しい。しかも皇位継承権二位であられるぞ。お身体は弱いところもあるというが何が不満ぞ。」

「高市皇子か…皇位三位であられるが先の大乱で活躍された天皇の長子の皇子かもしれんぞ。」

「あの方の想い人は先の近江朝廷の大友皇子の妃十市皇女であろう。しかし、自殺されたとも噂があるしな。」

「十市皇女のことを語るのは禁忌であるぞ。」

「十市皇女の母額田王が大名児の詩を褒めたとも聞いたことがある。」

「もしかしたら皇太子の大津皇子さまか。」

「それなら納得出来るぞ。申し分ない。しかし高望みする女子じゃ。」

大名児が踵を返し内安殿の入り口へと歩みをすすめた。大名児は香りを衣に薫きしめているのかその場を去ったあとも香りが残った。
それは魅惑的であり、いつまでも嗅いでいたいほど安らぎを与える香りなのに、どことなく大名児の強い意思を感じさせる香りでもあった。

内安殿に大名児が入り座るよう言われ暫くすると皇后が姿を現わした。
大名児は儀式にのっとり皇后に挨拶した。

「大名児、今日そなたをここへ呼んだのはあまり噂になってもいけないことを話したく招いた。ここならそなたが天皇に奉仕するために訪れたと誰も疑わぬであろうしな。」と皇后が語りかけた。

「恐れ多いことでございます。」大名児は身を縮め頭を伏せた。

「誤解はしないでおくれ。そなたは草壁の申し出を断ったと聞いた。真か。」

「はい。先日入内されたお妃がいらっしゃいますゆえ。大名児では役不足でございまする。」

「そうか。誰か心に決めた方がおるのならはっきりそう申した方がためぞ。草壁は諦めないと思うゆえ。」

「おりますが、その方に気持ちは申し上げておりません。そのお方も私をどのようにお思いかも確かめてもおりませぬ。そのような半端なお気持ちのまま皇子の寵を頂いてもお妃を傷つけるだけ。どうか私のわがままをお聞き願えますように。」と大名児はさらに恐縮し答えた。

「大名児、そなたを責めているのではない。草壁は、身体が弱い。それ故に自分に好意を向けるものには、とことん従順で優しい男子じゃ。しかし負けず嫌いじゃ。時に嫉妬深い。そなたのような美しい女子を簡単に諦めるとは思わぬのでな。その覚悟を持って断ったのなら良いのじゃが。しかし珍しい女子じゃ。皇子であれば殆ど思いのままの一生を暮らせるであろうに。」と皇后は半ば呆れたように笑った。

「恐れ多いことでございます。」

「そなたのような自由な女子は羨ましい。まるで父の妃であり、夫の先の妻の額田王のように自由で強く美しい。我はいつも憧れていた。」と皇后は遠い目をして言った。
ご自分の息子である草壁皇子を袖にしてしまった私をお許しくださり、この日の本一の位にあられる女性なのに本音を語ってくださる。私の想い人を伝えたら皇后さまは悲しまれるのであろうか。許してくださるのであろうかと大名児は思っていた。

我が背子 大津皇子9

2018-12-07 03:20:12 | 日記
「私のしあわせが姉上のしあわせなのですか。」と大津は驚いて聞いた。
「そう。もし大津がふしあわせであれば我もふしあわせになってしまう。ただそれだけよ。」と優しく微笑み大伯は答えた。

「私は天皇家の安泰を願って生きています。でもやはりどこかで大津を気にかけているわ。」
「同母姉弟だからですか。」
大津がすがるような瞳をして聞いた。

大伯は、皇后陛下から聞かされた真実を一瞬大津に伝えたい気持ちになった。しかし抑えて「たった2人の姉弟なのよ。父上は天皇でおありだし、父上とお呼びするには畏れ多いわ。国父であられるし、母は、お亡くなりになられて…ね。だからあなたは特別よ。」とたどたどしく答えた。透き通っている白い肌がやや紅潮しているのが大津にもわかった。

それでも大津は言いたかった。
「父上はどうしてたった2人の姉弟をこんな風に遠く
お離しになられたもうたか。姉上の年齢で母はもう私を産んでいた。父上はどうして皇女として妻になり母になるしあわせをお奪いか。納得いかない。」

「大津…でも草壁皇子とて兄弟もなく私たちよりもお寂しいかもよ。」と大伯は嘘をついた。額の勾玉が少し揺れた。
「大丈夫ですよ。あ奴には皇后がおられる。それに皇后は天皇の第一の妃であるし。母が生きてさえいれば間違いなく皇后は我らの母であったのだし。」と白けたように大津は言った。

確かに大田皇女は、今の皇后の姉であり、生きていれば間違いなく天皇の第一妃で皇后にもなっていただろう。
大津は「天皇が私に教えてくれました。数多い妃の中でも本当に愛していたのは我らの母であったと。大田の面影を探して何人も妃にしたが結局余は大田でしか満足出来なかった、と。大田皇女、母の生き写しが姉上なのだとも。」と一気に言った。

悲しそうな顔の大津に違うのよ、あなたの母上は皇后様なのと何度か言いかけそうになるのを喉の奥で大伯は堪えた。

「でもあなたがひきつぎのみこ…皇太子なのだから。皇后さまが第一妃でも父上と皇后さまは草壁皇子を皇太子にしなかったことを考えるとあなたを大切にしていると…ひいては母、大田皇女を大切にしてくださっているお二人のお気持ちを大切に受け止めなくてはね、大津。」

「はい。」と昔、近江で悪戯をしては姉に叱られ、慰められていた頃を思い出し大津は返事をした。

大伯も同じように昔を思い出し、くすっと笑った。
逞ましい身体に成長しても心の素直さが可愛らしくてたまらないと思った。

「姉上は女神なのですね。」と大津はぼそっと言った。
「我が女神ですか。」
「誰にも触れさせない清らかさ、美しさを保ち私を見守ってくださる女神さま。私が草壁皇子に嫉妬していたのが馬鹿らしく感じるほど…姉上は私にとって母であり女神さまです。しかし、それが私には悔しい。」と大津が言うと大伯は一瞬戸惑ったが少し勇気を出し「大津と一緒よ。大津が悔しいのなら我も悔しいわ。」と言った。

そしてお互いを見つめあい、「私がしあわせなら姉上もしあわせなのですよね。」と大津が言い「そうよ。」と大伯が言うと大津は「では姉上はしあわせですね」と言い二人とも少し笑った。

笑ってしまったのは、嬉しいのにお互いの立場を守らなくてはと心にお互い隠した気持ちを大伯も大津も感じていたからであった。しかし隠した気持ちがお互いいつのまにか切なさに変わっているのも気づいていた。