Apple Pieと月の船

さくやの日常や思ったことを気ままに綴っていきます

1年前の出来事・前編

2015年09月10日 | 雑記、日々のこと
9月に入り、急に涼しくなってきましたね。

早いもので、出産してもうじき1年になります。
子供の成長って本当にあっという間ですね。
あんなに小さくて、寝たまま もぞもぞとしか動かなかった赤ん坊が、
今や家中をハイハイして、つたい歩きして、自己主張しだしてて…。
あぁ、赤ちゃん期ってこんなに早く過ぎるの…??って感じです。

思えば、昨年の今頃はまだお腹の中に居たんだなぁー、と。
ほんとに産まれてくるの?私、産めるの?陣痛ってどんな感じ?と
考えても仕方ないことをぐるぐる考えちゃって不安だらけだった昨年の今(笑)
こんなこともあったよね、と備忘録的にここに書き残してみようかと思います。
とにかく長いし、生々しい表現もあると思いますので
関心の無い方はスルーしてください^^;


昨年、検診で切迫早産との診断が出たのが6月末。
元々 有休消化も兼ねて、10日ほど早く産休に入るつもりだったのですが、
担当医から「里帰りするならなるべく早くに!」と言われ、
上司と相談した上で有休を更にもう数日ほど上乗せ。
そして、最終出勤日の翌日に慌ただしく山口へ帰省したのが7月半ばでした。
里帰り先の個人病院では「今すぐどうこうという状態ではないけど、安静に」と言われたので、
張り止めを飲みながら実家でダラダラ…もとい、安静にしてました(笑)
週一で近くのTSUTAYAにコミックレンタルしに行くのが唯一の楽しみ、、という感じでしたね(笑)
もしかして正産期前に産まれたりするのかも…?と不安になりましたが、
無事に8月を乗り越え、9月に入ることができました。

実家の辺りは思いきり田舎なので、産婦人科も選ぶほどの数が無く、
里帰り先に決めた個人病院も、院長が高齢のため(と言っても60代らしいですが)
数年前に帝王切開等の手術をやめて
自然分娩のみ、、という所でした。
これが後々にネックになるとは思いも寄らず。。(笑)

さて、予定日は9月12日でしたが、この日は何も起こらず。
数日前の検診では張りもまだ来てないし子宮口も開いてないと言われてたので、
まあ予定日当日に産まれるなんて稀だよね~と思った翌日、
13日の朝から何かお腹が張る感じが。
あれこれはもしかして…?と思いつつ、日中は普通に過ごしてました。
痛みが増してきたのは夕方頃から。
陣痛アプリで計測してみたら15~20分間隔。
お風呂に入ってご飯を食べて、その間も断続的な痛み。
まだ余裕がある痛みでしたけど、いよいよかと思うと緊張して落ち着かない感じでした(笑)
22時過ぎに10分間隔になったので、病院へ電話。
(初産は10分間隔になったら電話するように指示があったので)
助産師さんからは「もう少し様子を見てみて」とのことで自宅待機を言い渡され(笑)
とりあえず痛いので布団に横になって様子見してました。
24時頃に病院から電話があり、8~10分間隔が継続してると答えたら
「じゃあ入院しましょう」と言われ、母の車で夫と一緒に病院へ。
(夫は予定日の12日から休みを取って山口に来てくれてました)

入院して助産師さんに内診をしてもらうと、この時点で子宮口1センチ。
「陣痛は10分間隔で来てるけど、今夜中には産まれないかもね~」と言われたので、
夫だけ残って母は帰宅。
翌朝までに1時間ごとに内診がありましたが、
朝まで掛かって開いたのは3センチ!でした(笑)

翌14日、ずっと7~10分間隔だった陣痛がお昼頃から15~20分間隔へ逆戻り。
子宮口も3センチのまま一向に開かず。
「だったら痛みも引いてくれれば良いのに…」と思いながら、
断続的な痛みに耐えて1日が終わりました(笑)

14日の夜から再び陣痛が10分間隔を切り始め。
23時くらい?に、助産師さんから
「今夜は他に出産も無いみたいだから、分娩室に行ってみましょうか」と。
陣痛の合間に休み休み、歩いて分娩室へ。
「もうちょっとで産まれるのかなぁ。。。」と思いながら、点滴され、
NSTをお腹に付けられて分娩台で横になってました。
しかし、それでも1時間おきの内診で言われるのは「んん~、、5センチかな」という言葉。
痛いし、眠れないし、しんどいし、訳のわからない状態で再び朝を迎えました。

翌15日、朝5時過ぎ。
早朝に様子を見に来た先生による内診を受け、
「ちょっとね、時間がかかり過ぎてるんだよね。
子宮口は少しずつは開いて来てるから、時間を掛けたら自然に全開になるのは間違いない。
だけど、それがいつになるかは分からない。
今は赤ちゃんも元気だけど、“待つ”ことで赤ちゃんにリスクが全く無いとは言えない。
ここでは帝王切開が出来ないから、万が一を考えると、
すぐに対応出来る病院に転院する方が良いと思う」
というお達しがありました。
即ち、個人病院→総合病院への緊急転院です。
痛みと疲れと眠さで朦朧とした頭で「…マジですか…」と思いましたね。。


長いので後編へ続きます(笑)
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1年前の出来事・後編

2015年09月10日 | 雑記、日々のこと
後編です(笑)
出産について書いておりますので、中には生々しい表現などもあると思います。
読みたくない方はスルーでお願いします。




9月15日早朝6時。
個人病院から、同市内の総合病院の産婦人科へ救急車で転送されました。
ストレッチャーに乗せられて救急車へ乗り込む時、
顔に当たった外の空気がめちゃくちゃ冷たかったのが印象に残っています。
入院した日はまだ少し暑い日で、夜だったにも関わらず夏服だったんですよね。
「あれ、2日でもうこんなに寒くなったの?」とぼんやりと考えてました。

約20分ほどで総合病院へ到着。
ずっと付き添ってくれていた夫が実家にも連絡してくれてて、
既に両親も病院へ着いてました(総合病院は実家からの方が近い)。

陣痛室に運ばれて内診。
場合によっては帝王切開、、と私も聞いていたし、
個人病院からの紹介状にもそう書いてあったようですが
内診の結果、搬送前は5センチだった子宮口8センチまで開いているとのこと。
(後で聞いた話、救急車で運ばれる最中に急に開くことは良くあるそうです。。。)
総合病院の担当医(40代の優しげな男の先生)はにっこり笑って、
「これだったら、促進剤を使って自然分娩でいきましょう」と。
この時点で、最初に10分間隔の陣痛が始まってから30時間余りが経過しています。
まだ?!まだ陣痛に耐えなきゃいけないの…??!と、ちょっと絶望しかけました。

そして、ここで更にトラブル発生。
エコーを見ていた先生が「あれ?赤ちゃんが仰向けになってる??」

赤ちゃんは出産時、うつ伏せ(母親の背中側に顔が向いてる)で出てきます。
仰向け(母親のお腹側に顔が向いてる)になっている状態を“旋回異常”と言うそうで。
実は臨月に入った辺りで、個人病院で既に旋回の診断は受けていました。
ただ「産道を通る時に回転するからね~」と様子見だったんです。
しかし、まだ治ってなかったらしく。
(因みに個人病院では入院中何度もエコーで見てましたが、
旋回のことは何も言われてませんでした)

旋回していると、分娩時に赤ちゃんの肩が引っ掛かりやすくなるため、
何としても旋回を治さないといけない、ということで、先生から出た指示が

「ベッドの上に四つん這いになって」

。。。。
もう身体を動かすのもしんどい。けど、やるしかない。
少しでも楽なようにと助産師さんがクッションを持って来てくれて、
それに縋り付く形で四つん這いになりましたよ…。

11時頃、まだ旋回は治っていないものの子宮口9センチになったので分娩室に移動。
分娩台の上でも再び四つん這い(爆)
しかし、、、旋回が治らない!
既に促進剤が入っているので、陣痛もより強く、短い間隔で来ています。
良く覚えてないけど悲鳴もあげてたはず。。。
そして短い無痛の時間に一瞬寝てたようで、夢も見てましたね。。

12時頃、
「まだ破水してないから、人工的に破水させたらその勢いで赤ちゃんが回るかも」という先生の判断。
ということで、大きなハサミ(?)で先生の手により破水。
ジャバッと勢い良く羊水が出る感覚と共に、仰向けだった赤ちゃんが90°回転!
「横向いた!これなら大丈夫!子宮口も全開になったから、産むよ!」
ああもうすぐ終わる。。。。と安堵したのを覚えてます。
しかし、既に極限を通り越してヘロヘロ。
側で分娩準備をしている助産師さんに、
「あの…私、もう体力あんまり残ってないんですけど、
いきんだり出来ますかね?ちゃんと産めますか?」と本気で聞きました(爆)
助産師さんは「大丈夫!出産でいきめなかった人なんて見たことないから!」と笑いながら答えてくれたので、
「ああそっか、大丈夫か。。」とぼんやりと考えてました。

そして、いよいよ出産。
「陣痛が来たら思いっきりいきんで!」と言われ、力の限りいきむも、なかなか出てこない。
「じゃあ、ちょっと手伝うね」と会陰切開した後で、
先生が横に移動して来て踏み台に乗り、腕でお腹を押さえられ(爆)
渾身の力を込めていきんだ何度目かで、ストーンッ!と一気に頭が出て。
あまりに一気に頭が出たので、肩(赤子の)が引っ掛かって「痛えっ!!!」って叫んだのを覚えてます(笑)
頭が出たら後は楽で、スル~ッて感じで全身が出て来て。

2014年9月15日13:46、誕生。

一瞬、「えっ泣かない?!」と思ったのも束の間、
元気な産声が聞こえて、本当に安堵しました。
と同時に、「やっっっっっと!終わった!!!!」と思いましたね。。
自分が泣くかと思ってましたが、泣く元気も無く(爆)
ただただ、無事に生まれて良かったという安堵のみ、、でした。

実に、約40時間。
途中で陣痛が10分間隔より長くなったので、
母子手帳には『26時間』と記されてますが(笑)
本当に、長い長い時間でした。
途中で挫けそうになった瞬間もありましたが、
14日夜からずっと付けていたNSTから聞こえてくる子供の心音と、
事あるごとに助産師さんや先生が「赤ちゃん、元気だからね!」と教えてくれて、
頑張らなきゃ!と奮い立たせることが出来ました。
(産道に頭が挟まっていても尚、「赤ちゃん、元気に動いてるよ」と言われていた…驚)

その実、子供は産まれてからも本当に元気で、現在に至ります。
有難いことです。

また、丸2晩徹夜という過酷な出産をずっと最後まで付き添ってくれた夫。
陣痛のたびに腰をさすったり、水分補給させてくれたりしてたので、
私以上に寝てないし、総合病院に来てからはほぼ立ちっぱなしな上に飲まず食わず、、でした(爆)
後で実母から「2人で一緒に出産したようなもの」と言われましたが、本当にそうだと思います。
もし私が同じように2晩徹夜の飲まず食わずで付き添えって言われたら、
丁重にお断りする。。てか、無理です^^;
立ち会い出産は個人の考え方で賛否あると思いますが、
私は本当に立ち会ってくれてて良かったと思います。
特に、転院が決まった時は不安でいっぱいだったので
側にいてくれたのはとても心強かったし。
(その上、病室の荷物をまとめて実家に連絡して…などなど。私一人じゃ無理だった。。
まあその場合は助産師さんがやってくれるのでしょうけど)

出産を終えてみて思ったのは、産婦人科の選択は大事!ということでしょうか。。
譲れないポイントというのは個人で違うと思いますが、
やはり思い付く様々なリスクは考えておくべきだと思いましたね。
と言っても、産婦人科が不足している昨今、
選ぶほど沢山の病院が無い地域があるというのも事実なんですが。。
現に、私の場合も里帰り先の病院は、転院前の個人病院と
通える範囲にあるもうひとつの個人病院との2択でしたしね。
(総合病院は前持ってリスクのある人しか里帰り出産は受け付けて無かったので除外)
産科不足って本当に深刻だと思います。。

あれから1年経つというのも、不思議な気分です。
何だか遠い昔のような、それでいてついこの前のような(笑)

とりあえず忘れないように、ということで、
以上、私の出産記でした。
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