後編です(笑)
出産について書いておりますので、中には生々しい表現などもあると思います。
読みたくない方はスルーでお願いします。
9月15日早朝6時。
個人病院から、同市内の総合病院の産婦人科へ救急車で転送されました。
ストレッチャーに乗せられて救急車へ乗り込む時、
顔に当たった外の空気がめちゃくちゃ冷たかったのが印象に残っています。
入院した日はまだ少し暑い日で、夜だったにも関わらず夏服だったんですよね。
「あれ、2日でもうこんなに寒くなったの?」とぼんやりと考えてました。
約20分ほどで総合病院へ到着。
ずっと付き添ってくれていた夫が実家にも連絡してくれてて、
既に両親も病院へ着いてました(総合病院は実家からの方が近い)。
陣痛室に運ばれて内診。
場合によっては帝王切開、、と私も聞いていたし、
個人病院からの紹介状にもそう書いてあったようですが
内診の結果、搬送前は5センチだった子宮口8センチまで開いているとのこと。
(後で聞いた話、救急車で運ばれる最中に急に開くことは良くあるそうです。。。)
総合病院の担当医(40代の優しげな男の先生)はにっこり笑って、
「これだったら、促進剤を使って自然分娩でいきましょう」と。
この時点で、最初に10分間隔の陣痛が始まってから30時間余りが経過しています。
まだ?!まだ陣痛に耐えなきゃいけないの…??!と、ちょっと絶望しかけました。
そして、ここで更にトラブル発生。
エコーを見ていた先生が「あれ?赤ちゃんが仰向けになってる??」
赤ちゃんは出産時、うつ伏せ(母親の背中側に顔が向いてる)で出てきます。
仰向け(母親のお腹側に顔が向いてる)になっている状態を“旋回異常”と言うそうで。
実は臨月に入った辺りで、個人病院で既に旋回の診断は受けていました。
ただ「産道を通る時に回転するからね~」と様子見だったんです。
しかし、まだ治ってなかったらしく。
(因みに個人病院では入院中何度もエコーで見てましたが、
旋回のことは何も言われてませんでした)
旋回していると、分娩時に赤ちゃんの肩が引っ掛かりやすくなるため、
何としても旋回を治さないといけない、ということで、先生から出た指示が
「ベッドの上に四つん這いになって」
。。。。
もう身体を動かすのもしんどい。けど、やるしかない。
少しでも楽なようにと助産師さんがクッションを持って来てくれて、
それに縋り付く形で四つん這いになりましたよ…。
11時頃、まだ旋回は治っていないものの子宮口9センチになったので分娩室に移動。
分娩台の上でも再び四つん這い(爆)
しかし、、、旋回が治らない!
既に促進剤が入っているので、陣痛もより強く、短い間隔で来ています。
良く覚えてないけど悲鳴もあげてたはず。。。
そして短い無痛の時間に一瞬寝てたようで、夢も見てましたね。。
12時頃、
「まだ破水してないから、人工的に破水させたらその勢いで赤ちゃんが回るかも」という先生の判断。
ということで、大きなハサミ(?)で先生の手により破水。
ジャバッと勢い良く羊水が出る感覚と共に、仰向けだった赤ちゃんが90°回転!
「横向いた!これなら大丈夫!子宮口も全開になったから、産むよ!」
ああもうすぐ終わる。。。。と安堵したのを覚えてます。
しかし、既に極限を通り越してヘロヘロ。
側で分娩準備をしている助産師さんに、
「あの…私、もう体力あんまり残ってないんですけど、
いきんだり出来ますかね?ちゃんと産めますか?」と本気で聞きました(爆)
助産師さんは「大丈夫!出産でいきめなかった人なんて見たことないから!」と笑いながら答えてくれたので、
「ああそっか、大丈夫か。。」とぼんやりと考えてました。
そして、いよいよ出産。
「陣痛が来たら思いっきりいきんで!」と言われ、力の限りいきむも、なかなか出てこない。
「じゃあ、ちょっと手伝うね」と会陰切開した後で、
先生が横に移動して来て踏み台に乗り、腕でお腹を押さえられ(爆)
渾身の力を込めていきんだ何度目かで、ストーンッ!と一気に頭が出て。
あまりに一気に頭が出たので、肩(赤子の)が引っ掛かって「痛えっ!!!」って叫んだのを覚えてます(笑)
頭が出たら後は楽で、スル~ッて感じで全身が出て来て。
2014年9月15日13:46、誕生。
一瞬、「えっ泣かない?!」と思ったのも束の間、
元気な産声が聞こえて、本当に安堵しました。
と同時に、「やっっっっっと!終わった!!!!」と思いましたね。。
自分が泣くかと思ってましたが、泣く元気も無く(爆)
ただただ、無事に生まれて良かったという安堵のみ、、でした。
実に、約40時間。
途中で陣痛が10分間隔より長くなったので、
母子手帳には『26時間』と記されてますが(笑)
本当に、長い長い時間でした。
途中で挫けそうになった瞬間もありましたが、
14日夜からずっと付けていたNSTから聞こえてくる子供の心音と、
事あるごとに助産師さんや先生が「赤ちゃん、元気だからね!」と教えてくれて、
頑張らなきゃ!と奮い立たせることが出来ました。
(産道に頭が挟まっていても尚、「赤ちゃん、元気に動いてるよ」と言われていた…驚)
その実、子供は産まれてからも本当に元気で、現在に至ります。
有難いことです。
また、丸2晩徹夜という過酷な出産をずっと最後まで付き添ってくれた夫。
陣痛のたびに腰をさすったり、水分補給させてくれたりしてたので、
私以上に寝てないし、総合病院に来てからはほぼ立ちっぱなしな上に飲まず食わず、、でした(爆)
後で実母から「2人で一緒に出産したようなもの」と言われましたが、本当にそうだと思います。
もし私が同じように2晩徹夜の飲まず食わずで付き添えって言われたら、
丁重にお断りする。。てか、無理です^^;
立ち会い出産は個人の考え方で賛否あると思いますが、
私は本当に立ち会ってくれてて良かったと思います。
特に、転院が決まった時は不安でいっぱいだったので
側にいてくれたのはとても心強かったし。
(その上、病室の荷物をまとめて実家に連絡して…などなど。私一人じゃ無理だった。。
まあその場合は助産師さんがやってくれるのでしょうけど)
出産を終えてみて思ったのは、産婦人科の選択は大事!ということでしょうか。。
譲れないポイントというのは個人で違うと思いますが、
やはり思い付く様々なリスクは考えておくべきだと思いましたね。
と言っても、産婦人科が不足している昨今、
選ぶほど沢山の病院が無い地域があるというのも事実なんですが。。
現に、私の場合も里帰り先の病院は、転院前の個人病院と
通える範囲にあるもうひとつの個人病院との2択でしたしね。
(総合病院は前持ってリスクのある人しか里帰り出産は受け付けて無かったので除外)
産科不足って本当に深刻だと思います。。
あれから1年経つというのも、不思議な気分です。
何だか遠い昔のような、それでいてついこの前のような(笑)
とりあえず忘れないように、ということで、
以上、私の出産記でした。
出産について書いておりますので、中には生々しい表現などもあると思います。
読みたくない方はスルーでお願いします。
9月15日早朝6時。
個人病院から、同市内の総合病院の産婦人科へ救急車で転送されました。
ストレッチャーに乗せられて救急車へ乗り込む時、
顔に当たった外の空気がめちゃくちゃ冷たかったのが印象に残っています。
入院した日はまだ少し暑い日で、夜だったにも関わらず夏服だったんですよね。
「あれ、2日でもうこんなに寒くなったの?」とぼんやりと考えてました。
約20分ほどで総合病院へ到着。
ずっと付き添ってくれていた夫が実家にも連絡してくれてて、
既に両親も病院へ着いてました(総合病院は実家からの方が近い)。
陣痛室に運ばれて内診。
場合によっては帝王切開、、と私も聞いていたし、
個人病院からの紹介状にもそう書いてあったようですが
内診の結果、搬送前は5センチだった子宮口8センチまで開いているとのこと。
(後で聞いた話、救急車で運ばれる最中に急に開くことは良くあるそうです。。。)
総合病院の担当医(40代の優しげな男の先生)はにっこり笑って、
「これだったら、促進剤を使って自然分娩でいきましょう」と。
この時点で、最初に10分間隔の陣痛が始まってから30時間余りが経過しています。
まだ?!まだ陣痛に耐えなきゃいけないの…??!と、ちょっと絶望しかけました。
そして、ここで更にトラブル発生。
エコーを見ていた先生が「あれ?赤ちゃんが仰向けになってる??」
赤ちゃんは出産時、うつ伏せ(母親の背中側に顔が向いてる)で出てきます。
仰向け(母親のお腹側に顔が向いてる)になっている状態を“旋回異常”と言うそうで。
実は臨月に入った辺りで、個人病院で既に旋回の診断は受けていました。
ただ「産道を通る時に回転するからね~」と様子見だったんです。
しかし、まだ治ってなかったらしく。
(因みに個人病院では入院中何度もエコーで見てましたが、
旋回のことは何も言われてませんでした)
旋回していると、分娩時に赤ちゃんの肩が引っ掛かりやすくなるため、
何としても旋回を治さないといけない、ということで、先生から出た指示が
「ベッドの上に四つん這いになって」
。。。。
もう身体を動かすのもしんどい。けど、やるしかない。
少しでも楽なようにと助産師さんがクッションを持って来てくれて、
それに縋り付く形で四つん這いになりましたよ…。
11時頃、まだ旋回は治っていないものの子宮口9センチになったので分娩室に移動。
分娩台の上でも再び四つん這い(爆)
しかし、、、旋回が治らない!
既に促進剤が入っているので、陣痛もより強く、短い間隔で来ています。
良く覚えてないけど悲鳴もあげてたはず。。。
そして短い無痛の時間に一瞬寝てたようで、夢も見てましたね。。
12時頃、
「まだ破水してないから、人工的に破水させたらその勢いで赤ちゃんが回るかも」という先生の判断。
ということで、大きなハサミ(?)で先生の手により破水。
ジャバッと勢い良く羊水が出る感覚と共に、仰向けだった赤ちゃんが90°回転!
「横向いた!これなら大丈夫!子宮口も全開になったから、産むよ!」
ああもうすぐ終わる。。。。と安堵したのを覚えてます。
しかし、既に極限を通り越してヘロヘロ。
側で分娩準備をしている助産師さんに、
「あの…私、もう体力あんまり残ってないんですけど、
いきんだり出来ますかね?ちゃんと産めますか?」と本気で聞きました(爆)
助産師さんは「大丈夫!出産でいきめなかった人なんて見たことないから!」と笑いながら答えてくれたので、
「ああそっか、大丈夫か。。」とぼんやりと考えてました。
そして、いよいよ出産。
「陣痛が来たら思いっきりいきんで!」と言われ、力の限りいきむも、なかなか出てこない。
「じゃあ、ちょっと手伝うね」と会陰切開した後で、
先生が横に移動して来て踏み台に乗り、腕でお腹を押さえられ(爆)
渾身の力を込めていきんだ何度目かで、ストーンッ!と一気に頭が出て。
あまりに一気に頭が出たので、肩(赤子の)が引っ掛かって「痛えっ!!!」って叫んだのを覚えてます(笑)
頭が出たら後は楽で、スル~ッて感じで全身が出て来て。
2014年9月15日13:46、誕生。
一瞬、「えっ泣かない?!」と思ったのも束の間、
元気な産声が聞こえて、本当に安堵しました。
と同時に、「やっっっっっと!終わった!!!!」と思いましたね。。
自分が泣くかと思ってましたが、泣く元気も無く(爆)
ただただ、無事に生まれて良かったという安堵のみ、、でした。
実に、約40時間。
途中で陣痛が10分間隔より長くなったので、
母子手帳には『26時間』と記されてますが(笑)
本当に、長い長い時間でした。
途中で挫けそうになった瞬間もありましたが、
14日夜からずっと付けていたNSTから聞こえてくる子供の心音と、
事あるごとに助産師さんや先生が「赤ちゃん、元気だからね!」と教えてくれて、
頑張らなきゃ!と奮い立たせることが出来ました。
(産道に頭が挟まっていても尚、「赤ちゃん、元気に動いてるよ」と言われていた…驚)
その実、子供は産まれてからも本当に元気で、現在に至ります。
有難いことです。
また、丸2晩徹夜という過酷な出産をずっと最後まで付き添ってくれた夫。
陣痛のたびに腰をさすったり、水分補給させてくれたりしてたので、
私以上に寝てないし、総合病院に来てからはほぼ立ちっぱなしな上に飲まず食わず、、でした(爆)
後で実母から「2人で一緒に出産したようなもの」と言われましたが、本当にそうだと思います。
もし私が同じように2晩徹夜の飲まず食わずで付き添えって言われたら、
丁重にお断りする。。てか、無理です^^;
立ち会い出産は個人の考え方で賛否あると思いますが、
私は本当に立ち会ってくれてて良かったと思います。
特に、転院が決まった時は不安でいっぱいだったので
側にいてくれたのはとても心強かったし。
(その上、病室の荷物をまとめて実家に連絡して…などなど。私一人じゃ無理だった。。
まあその場合は助産師さんがやってくれるのでしょうけど)
出産を終えてみて思ったのは、産婦人科の選択は大事!ということでしょうか。。
譲れないポイントというのは個人で違うと思いますが、
やはり思い付く様々なリスクは考えておくべきだと思いましたね。
と言っても、産婦人科が不足している昨今、
選ぶほど沢山の病院が無い地域があるというのも事実なんですが。。
現に、私の場合も里帰り先の病院は、転院前の個人病院と
通える範囲にあるもうひとつの個人病院との2択でしたしね。
(総合病院は前持ってリスクのある人しか里帰り出産は受け付けて無かったので除外)
産科不足って本当に深刻だと思います。。
あれから1年経つというのも、不思議な気分です。
何だか遠い昔のような、それでいてついこの前のような(笑)
とりあえず忘れないように、ということで、
以上、私の出産記でした。
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