東海道五十三次の間の宿・有松(愛知) 江戸の日本橋から39番目の宿場・池鯉鮒(ちりゅう)宿と40番目の鳴海宿の間に茶屋集落として有松宿が造られました。
武田庄九郎が九州豊後の絞染の技法をこの地にもたらし、近郊の手織り木綿の技術と結びついて「有松絞」が発展しました。
東海道53次の宿駅、池鯉鮒宿(知立)と鳴海宿の間に「間の宿」として造られ今もしぼり問屋をはじめ、 往時を伝える江戸時代末期の土蔵造の町屋が10数軒残るそうです。
東海道の街道筋に面する主屋は木造 2 階建、切妻屋根、桟瓦葺、平入を基本としており、統一感のある町並みが当時の面影を今に伝えています。
この地にふさわしく感じる 「福よせ雛」 のんびり町並みと共に「おひなさん」たちを楽しんで来ました。
絞り染めは、伝統工芸として今も受け継がれ名古屋市内にありながら江戸時代の面影残すまち 『有松』 絞り染めの産地として栄えました。
街道筋にある【有松・鳴海絞会館】では有松絞りの歴史や資料を引き継ぎ伝統を訪れた人達に公開されています。
会館内では現在も現役の絞りの職人さんが、絞りの工程を実演されています。(後継者に苦労されているようです。)
「*有松のホームページを参照させて頂きました。」
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