今年のGWは久々、フランクフルトの家に帰っておりました庵主です。
そして日本に帰国した直後の週末も、観劇三昧で多忙を極めておりました。
12日(金):クロムモリブデン『空と雲とバラバラの奧様』(大阪)
13日(土):劇団☆新感線 『髑髏城の七人 花』(東京)
14日(日):演劇企画体ツツガムシ『17 seventeen』(東京)
さらに仕事で1週間家を空け、21日(土)に『17 seventeen』の2回目を東京で観て、帰ってきました。(^^;
『17 seventeen』
(上演時間120分、1幕)
演劇企画体ツツガムシさん、もちろん初見です。名前からしてトゲや毒のありそうな・・・と思いきや、意外なほど丁寧でまっすぐなお芝居の作りに、ちょっとギャップ萌えしておりました(笑)。
そして「キャラメルボックスの畑中さん」ファンの方にこそ、絶対に!あの距離感で、密度で、全神経と全身で、観てほしい&感じてほしい。そう思った作品でした。
共演する役者さん達の芝居も素晴らしく、何より、一人ひとりの持つ光と影に躊躇いなく触れて、描き出していく脚本が良かったです。遠征の甲斐がありました! ^^
≪CAST&STAFF≫ (敬称略)
畑中智行(演劇集団キャラメルボックス)
辻貴大(カムヰヤッセン/FunIQ)
岩橋道子(ラッパ屋)
海老瀬はな
間瀬英正
田中真之
本多新也(演劇集団 円)
貴山侑哉
演出:田中壮太郎
脚本:日向十三
≪あらすじ≫ (敬称略)
高校2年生の森山サトル(畑中智行)は「ある事情で」県下一、二を争う進学校の城東学園に編入したが、校内の誰とも関わりを避けるかのように、孤立した日々を過ごしている。
5月のある日、体育祭のリレーを終えたサトルに、同じ学年の岡村啓介(辻貴大)が声をかけてくる。俊足で鳴らした啓介は、サトルにリレーであっさり抜かれ、褒め称えつつも悔しがるが、サトルは何故か嬉しそうな様子を見せない。
寡黙でどこか謎めいた転入生・サトルと、陽気で学園一の問題児・啓介は「ランニング友達」として、心を通わせていく。
サトルの母・理恵子(岩橋道子)、父で城東学園教諭の修一(貴山侑哉)、その弟で伯父の慎平(本多新也)、担任の原田(海老瀬はな)、自称便利屋の酒井(田中真之)が織りなす、複雑な「大人の事情」…サトルのクラスで起こった現金盗難事件と、犯人と名指しされた啓介にかけられた疑惑をきっかけに、サトルが前の高校を辞めた理由と、それに関わる若い男・三澤(間瀬英正)…隠された真実と事実が徐々に炙り出されていく。そんな中で、サトルの出した「答え」は…?
☆
これぞ小劇場、というイメージそのままに、白布と数台の木製スツールだけの簡素な舞台。倉庫のようなスタジオで、コの字型に客席が取り囲んでも、おそらくキャパは最大でも100程度でしょうか。それだけに、演じる側も、観る側も、真剣勝負…というのが、最初のインパクトです。
この小さな閉鎖空間で演じられる心象風景…表と裏、光と影、正しさと後ろ暗さなど…を、苦くて甘いお酒のように、時間をかけてじっくり味わいました。数々の耳に痛い&心に刺さる台詞が、いつしか快感になるあたりが不思議で、脚本、演出の妙も相俟って、役者さん達の魅力を十二分に伝える作品でした。こういう上質な演劇がもっと気軽に観られるようになればいいのに。心からそう思いました。← それでも公演期間が比較的長かったため、2回も!観ることができましたが(^^;
この舞台は、人によっては「17歳の頃を思い出す」と思いますが、私にとっては「大人のルールで器用に生きようとして疲弊する自分」に気付かされる、ある意味心の痛~い作品でした…。
別の角度で言えば、「舞台役者・畑中智行」の全く新しいお芝居と魅力を間近で触れて感じる、強烈に濃密な2時間!とも。大人になる一歩前の少年の心の機微を、自然体でどこか気怠く、時に熱く真っ直ぐに演じる姿に、圧倒されつつ惹き付けられました。
「演出の田中さんが『畑中智行はこんな芝居もできるんだ』とキャラメル以外の面を引き出そうとしてくれた。それを大きく受け止めてもらっていたからこそチャレンジできた」
そう、主演自らお話されていましたが、全くその通り!としか言いようがありません。しかも「演じるな」との、難しい注文付きで。お芝居なんだから演じるのは当たり前、と観る側(素人)としては思うものですが、17歳の役を39歳の俳優が、演じることなく「自然に、素のまま」舞台に乗せることができるのか、その答えが、まさしく本番の2時間に満ちていたように感じました。
私の知っている畑中さんなら(キャラメルボックス作品での数々の当たり役のように)、少年のように高めに張った声や、生き生きとした機敏な動きで、リアルの17歳以上にホンモノっぽい「作り込まれた」高校生を演じることなど、おそらく容易いコトだったと思います。しかし、今回の「サトル」は、それとは真逆の、暗く陰のある、くぐもり湿った感情を抱えた「歪で未熟な大人」…畑中さんの得意とする「真夏のひまわりのように真っ直ぐな明るさ」は、むしろ今回は相方の辻さん演じる啓介に集約され、それ以外のものを見せなければならない立ち位置は、決して簡単ではなかったと思います。
(…サトルは、大人の都合よく理想化した高校生ではなくて、大人社会の縮図を具現化したひとりの大人に過ぎない。)
リアル17歳が演劇で17歳の役を演じても、正直、リアル大人(笑)から見たらちっとも面白くない。逆にあざといほど理想化された高校生を見せ付けられても「居心地が悪いだけ」そんなワガママな観客の思いをわかって、この脚本と演出は出来ているんじゃないか?!それほどに「嫌味が無い」キャラ造形でした。
「限りなく素に近い状態で立っている」
「演じないことを求められて、実際にこの狭い空間で立てば、全てはお客さんに伝わってしまうわけだから、緊張しますよね」
そう言いつつも、難役を演じきった後の畑中さんの表情は、ラストシーン、サトルと啓介の頭上に輝いていたであろう「初夏の太陽」を思わせる明るさ♪ その光の強さが一際色濃い影を生み出すような今回の役柄は、観る側にとって「こんな畑中さん見たことない!凄い!」と、心から嬉しくなるような体験でした。
プラス!舞台役者の命は何よりも声!と再確認した、小劇場最前列(笑)今更ですが、やっぱり声が素敵!!間近で聞くとホントにゾクゾクするような音圧と迫力で、あの小さな劇場だからこそ丸ごと堪能できたと言えるかも?!(『グリーン・マーダー・ケース』の時もそうでしたが、小劇場での出演作品、クセになりそう…w)
チラシに描かれたくたびれた風情のピエロ。
お芝居を観るまでは「何の寓意だろう」と思っていたのですが、このポーズに似た姿で、あるシーンのサトルや啓介、暗転中の人物たちが座っていることに気付いて身震いがしました。そうか、そういう「暗喩」だったのか!!と。
☆
今回の新たな出会い。岡村啓介役の辻貴大さん。実は1回目と2回目、私にとって啓介というキャラを理解する手がかりとしてとても印象的だったのが、喫茶店で三澤と対峙する場面と、そのお芝居でした。
それまで問題児としての面を強調されていた啓介が、サトルの過去や隠していた事実を暴く三澤に対して、無言のまま煙草に火をつける…あそこです。
1回目は、吸い込んだ煙を宣戦布告さながら、三澤の顔に思い切り吹き付ける挑戦的な芝居。2回目は、無表情のまま心を落ち着かせるように深く吸い込んで、ふうっと溜息のように静かに吐き出す芝居。この後の長台詞がまた最高に啓介の魅力を見せ付けるシーン!地頭の良さ、原田先生が「ちっともらしくないけど、あの子も城東学園の生徒です」と断言したそのままの度胸の良さ、高校生とは思えない、良い男っぷり!(笑)
終演後にお話して「やっぱり!ピッタリ合ってる!」啓介はひょっとしたら当て書き?!(演者ご本人も「あの部分に関してはすごく自分に近い」とお話されていましたが)というほど、腑に落ちた瞬間!こういうのが直にお聞きできるのも、芝居好きにはたまらない楽しみですね。^^
ちなみに演技プランについては「演出から最大限の信頼でもって、役者の判断に任せていただいている」それはホントにこの舞台の全ての役者さんを観ていて、すごく感じました…。これも、小劇場ならではでしょうか。
付け加えるならば、この作品では一人ひとりの役者さんが文字通りの「粒揃い」で、お芝居も、存在感も、脚本における「今そこにいる理由」においても、誰一人「温度差」を感じなかったことが、2時間あのシンプルな演劇空間に全感覚をゆだねることができた理由だと思っています。
畑中さん、辻さんお二人と話す機会を頂いて思ったこと。意識の有無に関わらず「演者の育った土壌」が劇中で鮮やかに香り立つ瞬間があって、時に言葉以上に役の内面や要素、魅力を雄弁に伝えてくる、そんな「役者のテロワール」をもっと深く感じ取れたらいいな、と。(もちろん、それが全てじゃないけど、初見の役者さんでも一瞬でそういうのが「分かった」時に、より深く役の心情に寄り添えると思うんですよ、いち観客として…)
「ごまかしが効きませんよね、全部見えてしまうから」
畑中さんの言葉に深くうなずきつつ「やっぱり演劇って凄い!」と、その深い沼にまた一歩ハマった感がある私でした。
そして日本に帰国した直後の週末も、観劇三昧で多忙を極めておりました。
12日(金):クロムモリブデン『空と雲とバラバラの奧様』(大阪)
13日(土):劇団☆新感線 『髑髏城の七人 花』(東京)
14日(日):演劇企画体ツツガムシ『17 seventeen』(東京)
さらに仕事で1週間家を空け、21日(土)に『17 seventeen』の2回目を東京で観て、帰ってきました。(^^;
『17 seventeen』
(上演時間120分、1幕)
演劇企画体ツツガムシさん、もちろん初見です。名前からしてトゲや毒のありそうな・・・と思いきや、意外なほど丁寧でまっすぐなお芝居の作りに、ちょっとギャップ萌えしておりました(笑)。
そして「キャラメルボックスの畑中さん」ファンの方にこそ、絶対に!あの距離感で、密度で、全神経と全身で、観てほしい&感じてほしい。そう思った作品でした。
共演する役者さん達の芝居も素晴らしく、何より、一人ひとりの持つ光と影に躊躇いなく触れて、描き出していく脚本が良かったです。遠征の甲斐がありました! ^^
≪CAST&STAFF≫ (敬称略)
畑中智行(演劇集団キャラメルボックス)
辻貴大(カムヰヤッセン/FunIQ)
岩橋道子(ラッパ屋)
海老瀬はな
間瀬英正
田中真之
本多新也(演劇集団 円)
貴山侑哉
演出:田中壮太郎
脚本:日向十三
≪あらすじ≫ (敬称略)
高校2年生の森山サトル(畑中智行)は「ある事情で」県下一、二を争う進学校の城東学園に編入したが、校内の誰とも関わりを避けるかのように、孤立した日々を過ごしている。
5月のある日、体育祭のリレーを終えたサトルに、同じ学年の岡村啓介(辻貴大)が声をかけてくる。俊足で鳴らした啓介は、サトルにリレーであっさり抜かれ、褒め称えつつも悔しがるが、サトルは何故か嬉しそうな様子を見せない。
寡黙でどこか謎めいた転入生・サトルと、陽気で学園一の問題児・啓介は「ランニング友達」として、心を通わせていく。
サトルの母・理恵子(岩橋道子)、父で城東学園教諭の修一(貴山侑哉)、その弟で伯父の慎平(本多新也)、担任の原田(海老瀬はな)、自称便利屋の酒井(田中真之)が織りなす、複雑な「大人の事情」…サトルのクラスで起こった現金盗難事件と、犯人と名指しされた啓介にかけられた疑惑をきっかけに、サトルが前の高校を辞めた理由と、それに関わる若い男・三澤(間瀬英正)…隠された真実と事実が徐々に炙り出されていく。そんな中で、サトルの出した「答え」は…?
☆
これぞ小劇場、というイメージそのままに、白布と数台の木製スツールだけの簡素な舞台。倉庫のようなスタジオで、コの字型に客席が取り囲んでも、おそらくキャパは最大でも100程度でしょうか。それだけに、演じる側も、観る側も、真剣勝負…というのが、最初のインパクトです。
この小さな閉鎖空間で演じられる心象風景…表と裏、光と影、正しさと後ろ暗さなど…を、苦くて甘いお酒のように、時間をかけてじっくり味わいました。数々の耳に痛い&心に刺さる台詞が、いつしか快感になるあたりが不思議で、脚本、演出の妙も相俟って、役者さん達の魅力を十二分に伝える作品でした。こういう上質な演劇がもっと気軽に観られるようになればいいのに。心からそう思いました。← それでも公演期間が比較的長かったため、2回も!観ることができましたが(^^;
この舞台は、人によっては「17歳の頃を思い出す」と思いますが、私にとっては「大人のルールで器用に生きようとして疲弊する自分」に気付かされる、ある意味心の痛~い作品でした…。
別の角度で言えば、「舞台役者・畑中智行」の全く新しいお芝居と魅力を間近で触れて感じる、強烈に濃密な2時間!とも。大人になる一歩前の少年の心の機微を、自然体でどこか気怠く、時に熱く真っ直ぐに演じる姿に、圧倒されつつ惹き付けられました。
「演出の田中さんが『畑中智行はこんな芝居もできるんだ』とキャラメル以外の面を引き出そうとしてくれた。それを大きく受け止めてもらっていたからこそチャレンジできた」
そう、主演自らお話されていましたが、全くその通り!としか言いようがありません。しかも「演じるな」との、難しい注文付きで。お芝居なんだから演じるのは当たり前、と観る側(素人)としては思うものですが、17歳の役を39歳の俳優が、演じることなく「自然に、素のまま」舞台に乗せることができるのか、その答えが、まさしく本番の2時間に満ちていたように感じました。
私の知っている畑中さんなら(キャラメルボックス作品での数々の当たり役のように)、少年のように高めに張った声や、生き生きとした機敏な動きで、リアルの17歳以上にホンモノっぽい「作り込まれた」高校生を演じることなど、おそらく容易いコトだったと思います。しかし、今回の「サトル」は、それとは真逆の、暗く陰のある、くぐもり湿った感情を抱えた「歪で未熟な大人」…畑中さんの得意とする「真夏のひまわりのように真っ直ぐな明るさ」は、むしろ今回は相方の辻さん演じる啓介に集約され、それ以外のものを見せなければならない立ち位置は、決して簡単ではなかったと思います。
(…サトルは、大人の都合よく理想化した高校生ではなくて、大人社会の縮図を具現化したひとりの大人に過ぎない。)
リアル17歳が演劇で17歳の役を演じても、正直、リアル大人(笑)から見たらちっとも面白くない。逆にあざといほど理想化された高校生を見せ付けられても「居心地が悪いだけ」そんなワガママな観客の思いをわかって、この脚本と演出は出来ているんじゃないか?!それほどに「嫌味が無い」キャラ造形でした。
「限りなく素に近い状態で立っている」
「演じないことを求められて、実際にこの狭い空間で立てば、全てはお客さんに伝わってしまうわけだから、緊張しますよね」
そう言いつつも、難役を演じきった後の畑中さんの表情は、ラストシーン、サトルと啓介の頭上に輝いていたであろう「初夏の太陽」を思わせる明るさ♪ その光の強さが一際色濃い影を生み出すような今回の役柄は、観る側にとって「こんな畑中さん見たことない!凄い!」と、心から嬉しくなるような体験でした。
プラス!舞台役者の命は何よりも声!と再確認した、小劇場最前列(笑)今更ですが、やっぱり声が素敵!!間近で聞くとホントにゾクゾクするような音圧と迫力で、あの小さな劇場だからこそ丸ごと堪能できたと言えるかも?!(『グリーン・マーダー・ケース』の時もそうでしたが、小劇場での出演作品、クセになりそう…w)
チラシに描かれたくたびれた風情のピエロ。
お芝居を観るまでは「何の寓意だろう」と思っていたのですが、このポーズに似た姿で、あるシーンのサトルや啓介、暗転中の人物たちが座っていることに気付いて身震いがしました。そうか、そういう「暗喩」だったのか!!と。
☆
今回の新たな出会い。岡村啓介役の辻貴大さん。実は1回目と2回目、私にとって啓介というキャラを理解する手がかりとしてとても印象的だったのが、喫茶店で三澤と対峙する場面と、そのお芝居でした。
それまで問題児としての面を強調されていた啓介が、サトルの過去や隠していた事実を暴く三澤に対して、無言のまま煙草に火をつける…あそこです。
1回目は、吸い込んだ煙を宣戦布告さながら、三澤の顔に思い切り吹き付ける挑戦的な芝居。2回目は、無表情のまま心を落ち着かせるように深く吸い込んで、ふうっと溜息のように静かに吐き出す芝居。この後の長台詞がまた最高に啓介の魅力を見せ付けるシーン!地頭の良さ、原田先生が「ちっともらしくないけど、あの子も城東学園の生徒です」と断言したそのままの度胸の良さ、高校生とは思えない、良い男っぷり!(笑)
終演後にお話して「やっぱり!ピッタリ合ってる!」啓介はひょっとしたら当て書き?!(演者ご本人も「あの部分に関してはすごく自分に近い」とお話されていましたが)というほど、腑に落ちた瞬間!こういうのが直にお聞きできるのも、芝居好きにはたまらない楽しみですね。^^
ちなみに演技プランについては「演出から最大限の信頼でもって、役者の判断に任せていただいている」それはホントにこの舞台の全ての役者さんを観ていて、すごく感じました…。これも、小劇場ならではでしょうか。
付け加えるならば、この作品では一人ひとりの役者さんが文字通りの「粒揃い」で、お芝居も、存在感も、脚本における「今そこにいる理由」においても、誰一人「温度差」を感じなかったことが、2時間あのシンプルな演劇空間に全感覚をゆだねることができた理由だと思っています。
畑中さん、辻さんお二人と話す機会を頂いて思ったこと。意識の有無に関わらず「演者の育った土壌」が劇中で鮮やかに香り立つ瞬間があって、時に言葉以上に役の内面や要素、魅力を雄弁に伝えてくる、そんな「役者のテロワール」をもっと深く感じ取れたらいいな、と。(もちろん、それが全てじゃないけど、初見の役者さんでも一瞬でそういうのが「分かった」時に、より深く役の心情に寄り添えると思うんですよ、いち観客として…)
「ごまかしが効きませんよね、全部見えてしまうから」
畑中さんの言葉に深くうなずきつつ「やっぱり演劇って凄い!」と、その深い沼にまた一歩ハマった感がある私でした。