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(アーカイブ記事 2013年5月13日)
天海祐希さん急病降板→休演/代役宮沢りえさんで再開という、とんでもない幕引きが用意されていた?舞台『おのれナポレオン』。
12日に千秋楽を迎え、終幕いたしました。
こんなはずじゃなかった!?ということも含め、4月9日の開幕から1か月、私が巻き込まれた狂想曲を記録しておきたいと思います。
『おのれナポレオン』
≪公式HPより≫
フランス史上最大の英雄 ナポレオン・ボナパルト、
その生涯の隠された真実とは…。
偉人たちの、意外な一面を描いて定評のある三谷幸喜が、
野田秀樹にあてて描くのは
フランス史上最大の英雄ナポレオン・ボナパルト!!
天才か、狂人か? 神か 悪魔か?
高潔な英雄か 人格破綻者か?…
その存在のあまりの大きさゆえに、
その人間性のあまりの幼さゆえに、
あがめられ、
畏れられ、
愛され、
憎まれた男、ナポレオン。
幽閉の地、大西洋の絶海の孤島セント・ヘレナ島での最期は、
病死とも暗殺とも伝えられ、その死はいまだに謎に包まれている。
「おのれナポレオン」と殺意を胸に抱く者たち、
「ナポレオンの名誉 L’honneur de Napoleon」をかけてその企てに立ち向かう者たち。
そしてナポレオン自身が仕掛ける一世一代のたくらみとは…。
野田秀樹が、自ら作・演出しない舞台に出演するのは今回が初めて。
三谷が演劇界の大先輩からのこの信頼に応えて猛烈に筆をふるう歴史ミステリー
三谷版「ナポレオン伝」、どうぞこころゆくまでご賞味ください。
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≪キャスト≫
皇帝ナポレオン・ボナパルト 野田秀樹
アルヴィーヌ・モントロン伯爵夫人 天海祐希
シャルル・モントロン伯爵 山本耕史
フランシスコ・アントンマルキ医師 今井朋彦
従僕ルイ・マルシャン 浅利陽介
ハドソン・ロウ総督 内野聖陽
(↑何という私得のキャストwwwしかも「他に誰も出ないの?」と思ってたら、ホントに6人だけ!だったという)
**************
≪ナポレオンもビックリ!?のチケット超・争奪戦≫
久しぶりの「ストレートプレイ」、ミュージカル等とはちょっと感覚が違うので、一体何回行くべきか。優先申し込みは序盤に1回、終盤に1回で良いかな?などと考えていたのでした…が!←モーツァルトに通い詰めて+ブルーレイR買ったりして経済状況が極めて逼迫していたという事実もあるw
甘かった!
FC先行枠で申し込みしてすんなり取れたのが序盤1回、その後は何度も先行抽選落ちて「これは拙い…」と焦り出し…三谷舞台はもともと取れないんだよ(しかも今回は野田秀樹絡み&人気俳優共演で倍率上昇!ハコも小さい)と教えて頂き、初めて自分の読みの浅さを呪ったわけであります。もちろん一般発売当日も瞬殺!(日にち指定して手続きしてる間に完売って何?!と叫んだw)
モーツァルトもttBも普通に追加や当日券とか買えたしなあ…とほほ。
でも、面白いかどうかわかりもしない舞台を何回分も先物買いするの、イヤなんですよ。
納得して観たいじゃないですか。
結局、芸劇が公演開始後に追加で発売した分や、あれやこれやで手を尽くした入手分、何とか増やすことが出来ました。
ここまでのプラチナチケットって20年前の某バンドや某バンド、一時期のサッカーやF1のチケットくらいしか覚えが…ホントに「いい経験」になりましたわ…。
↑普段いっさい執着しないのが裏目に出たw
それでは舞台の覚え書きと、各キャストさんへの感想を。
**************
≪物語のはじまり≫
大西洋の孤島・セントヘレナ島で一代の英雄ナポレオン・ボナパルトが没したのは1821年5月5日のことだった。享年51歳。死因はスキルス性の胃癌とされた。
彼の死から約20年が経った1840年、彼の遺骸がセントヘレナからパリに戻ることになった。アンヴァリッド(廃兵院)に改葬されたその亡骸は、不思議なことだがまるで死後間もなくのように往時の面影を残していたという。
「ナポレオン帰還」に沸き立つパリの街の片隅…セントヘレナ島出身の若き学生・ヴィクトールは、かつてナポレオンと流刑生活を共にした人物を次々に訪ね回っていた。幼いころ、虜囚の身のナポレオンに可愛がられていたヴィクトールは、長じてパリに出て医学の道に進み、その中で「ある可能性」に行きついたのだ。彼が知りたかったのは「ナポレオンの死の真相」――いま、証言者たちの告白が始まる。
★ヴィクトールは舞台には登場しない。だが、登場人物たちはヴィクトールに「語りかける」ことで、ナポレオンの死の真相を少しずつ明らかにしていく。観客は「ヴィクトールの視線」を通して証言者たちの言葉を聞き、セントヘレナ島での出来事を見聞きしていく形となる。
★時間軸と場面は1840年のパリから、1815~21年のセントヘレナ島へ、さらにはナポレオンが住まいとしていた「ロングウッドの館」、総督ハドソン・ロウの執務室…と次々に転換するが、観客は2時間20分の全編を通し「後世の観察者」として「それぞれの真実」を見届けていく。
★舞台セット:ステージは細長く、ごく質素な調度品しか置かれていない。
・フレームと板のみのベッド
・チェス盤とチェス卓
・ベンチ
・サイドテーブル(上には本と燭台)
・椅子
興味深いのは舞台/役者の演技を左右から(席によっては後方から)観ることのできる「ステージシート」の存在。舞台は正面から見るもの、というイメージを覆し、密室劇を周囲から取り囲んで見つめるような緊張感…そして演じる役者には「どこにも逃げられない、裸にされる」感覚を与えるセットだ。
役者の舞台への出入りも正面脇階段、正面奥ドア、左右の通路など自在。座席のすぐ脇を全力で駆け、飛び出してくる彼らの姿に、観る側も「自分も舞台に立っている」錯覚に陥り、ドラマを超えた臨場感と昂揚に満たされる。
**************
5月2日(木)19時公演
『おのれナポレオン』@東京芸術劇場(6回目)観劇後メモ
皇帝ナポレオン・ボナパルト/野田秀樹さん
登場シーンからしていきなりの「出オチ?!」…呆気にとられて、まさにハドソン・ロウと同じ顔をしていたに違いないと思う。あの風体、あの声もさることながら、ひとたび動き、声を発すれば舞台も客席もすべてが彼の小さな身体に注意をひきつけられる。エキセントリックで、ハチャメチャで、天才は何とかと紙一重!を地で行く野田ナポレオンに2時間20分いいように振り回される、というのが結局のところ、この舞台の全てなのではないか。配役ありきの「セリフあて書き」の強さも、それを上回るんじゃないかという役者の個性がガッツリしっかり溶け合って、とんでもない化け物を生み出したな…という驚きと興奮。コメディーとして笑いを狙いながらも折々にドキリとする深い台詞に唸らされる。あれは「役」じゃなくて「地」だ、という向きもあると思うが、私はあの強烈な「野田秀樹」だからこそ「疾走する時代のカリスマ」を舞台に顕現させ得たのだろう、と感じた。(彼が日本の演劇史に打ち立てた金字塔がまさにそれではないか?)
ハンサムでもない、教養があるわけでもなく、洗練された貴族的素養の持ち主でもない。あの(あえて言うと)下品で身勝手で意味不明な小男ナポレオンに、男も女も皆が惹かれ恋をし、激しく反発し、そして人生を狂わせる…その「必然性」に物凄く納得した。周囲のキャストだけでなく、観ている我々をもチェスの駒の如く自在に操る野田ナポレオン、そしてそれを生み出したもう一人のクリエイターに対して、文字通り「おのれ野田秀樹、おのれ三谷幸喜!」と終演後に叫びたくなるような興奮を味わった。
ハドソン・ロウ総督/内野聖陽さん
「今回最高のお芝居!」と太鼓判。ものすごくいい!天才に対する嫉妬、あこがれ、男の矜持、余すところなく出し切る熱演。壮年期と老年期を鮮やかに演じ分ける技量も、舞台映えする声量も赤と黒と金の軍服を着こなす立ち姿も、ただただ見事というしかない。野田ナポレオンとは違った意味でチャーミングでキュートですらある(外見上はその表現がこれまた似つかわしくないこと、甚だしいんのだが)総督に、こちらもハラハラしつつ見守る展開という…強烈なシンパシーの理由は、我々「凡人」の視点を一番わかりやすく形にして見せてくれていたせいだろうか。
所謂「サリエリ的存在」が複数存在するこのシナリオに於いて、文句なしに一等抜きんでた存在感、「別格」の光り方をしていた。立ち位置はモントロン伯爵と通じるものもありつつ、敵対する立場であるゆえに、ナポレオンをはさんで奇妙な「三角関係」的面白さすら漂ってくる。丁々発止の台詞の応酬はもちろん、この奇妙な三角関係の緊張感と、彼が時折見せてしまう「自己矛盾」のかわいらしさ(笑)が、また観客の共感をくすぐってやまない。
シャルル・モントロン伯爵/山本耕史さん
ファンなので当然、楽しみにしていたキャラクター。その印象をひとことで言うならば「…めんどくさい男だなぁっ!」終盤野田ナポレオンにこう評されるモントロン。まったくもって同感。三谷さんの表現力と描写の鋭さにも脱帽。ナポレオンの「副官」としてセントヘレナに付いてきた彼もまた、腹に一物持っているわけなのだが、崇拝者/反抗心の入り混じるカクテル的な立ち位置はハドソン・ロウに似て及ばず、またフランス側の「体制」をその身で表現するにしても「中途半端」…そして妻のアルヴィーヌとはナポレオンをはさんで愛憎半ばといった、実に「めんどくさ~い」男。←あんた結局ナポレオン好きなんでしょ、認めろよ!(いや認めてはいるのだろうが…)、とツッコミたくなる、まさに三角・四角・五角関係(笑)のカギを握る男。友人には持ちたくないし、夫にもしたくない(笑)が、何とも可愛らしい。悪戯に耽る少年のような可愛らしさは、島時代だけでなく50代となったパリの裏町の一場面でも変わらない。
コスプレ舞台の似合う中の人、今回も30代の衣装の(ややくたびれてはいるものの)空色と黄金色のフランス帝政期軍服が長身によく似合い、肩幅の広さも相まって実にサマになる。野田ナポレオンの戯画化した軍服姿と好一対、そして内野ハドソン・ロウの身綺麗で英国軍人らしいスキのなさとも好対照。一方で零落した中年期の場面でも、だらしなく着崩したグレーのフロックコートやレースアップの白シャツの胸元のはだけ具合が、何とも色っぽい。全場面を通じて見せるアイコンの「神経質に髪を触る仕草」、そして投げやりな口調に冷めた眼差しが、モントロン自身の隠されたコンプレックスを暗示しているようで目が離せない。
全編通じて(島の場面は特に)動きは軽やかで、まるで舞台を行き来する気ままで楽しげな猫といった風情。緊張感をはらんだ会話のテンポ、宮廷貴族然としたペルシャ猫のような挙措の中に、一瞬だけ垣間見せる鋭い表情は虎のようで、その眼つきが見たいためだけに、つい双眼鏡を覗いてしまう。
モントロンの「過去」の告白、ナポレオンの死に臨んで押さえていた鬱屈が激発する場面、ここぞという見せ場では(いつもながら)ソツがない。ちょっと一本調子かな?と思う演出もあるが、そこをアテ書きならではの彼自身の個性で色付けしていると感じる場面が多い。ただ「嘘っぽい」…モントロン自身が貴族としても軍人としても「中途半端」であるがゆえに、どこか「突き抜けない」ものを初回の舞台では感じた。上手いんだけど、もっともっとバーン!とやらかしちゃってもいいんじゃない?という不完全燃焼感は、結局あの初回が「まだ途上のモントロン像」を見た、という直感があったからこそかもしれない。回を追うごとに「モントロンの成長/キャラ解釈の深化」が観る側、演じる側の双方でいい感じに熟成してきたかな…と思えたので。
私自身はようやく6回目にしてモントロン伯爵の「いわゆる二枚目半」の匂いが消えて、アルヴィーヌ的に言うと「サイテーな男!」ほんと、ダメなやつだなあ…と良い意味でニヤニヤしながら見てしまう、クセのあるキャラだと感じるようになった。惚れ惚れと見てはしまうものの、もともとの滲み出るような気品、上品過ぎる挙措も時に考え物なのか?(笑)
このモントロン、アルヴィーヌと並んでも夫婦には「まったく見えない」のが、愛憎劇パートをドロドロにしすぎないキャスティングだったのかもしれないが、ここがもう少し「其々の心情」を掘り下げていたら、濃いドラマになったかも…ともったいなさ、物足りなさは正直あった。(そこらへんは三谷さんにお願いするべきところだろう。ドロドロが書きたかったわけではない、と言われたらそれまでだ…)密室劇の密度を高めるという意味では、山本モントロンは素晴らしい存在感で、出てくるだけでグッと「何かやらかす感」が増していた(別の意味でマルシャンも同様。何か企んでいそうなキャラクター…もっとこの二人の絡みも観たかったかも?)。
お笑い担当?パートも毎回楽しみ。『町人貴族』のママムーシ、顔芸(笑)、フラメンコギター弾き、レモネードダンス(笑)の場面などは理屈抜きでワクワク♪しかも毎回少しずつ変わってきている!モントロンは見た目が「絵になる男」だけに、ハズした時の面白さもまた絶妙…(苦笑)。
そして最後にひとつ。「山本さんは『下手なお芝居をするお芝居が下手』だ!」というわけのわからないパラドックスに気づいて悶々とするのは、ファンにとって、ある種「贅沢な悩み」なのかもしれない。
アルヴィーヌ・モントロン伯爵夫人/天海祐希さん
私の憧れ、天海さん!そのドレス姿と身のこなしは流石に美しく、フランス帝政期の空気感満載。特に冒頭とラストの深い臙脂と黒のドレスが毒入り赤ワインを勧める「魔女」のように妖艶!安酒場のオバチャン(笑)のお芝居や台詞回しのほうが、島時代よりしっくり来るなぁと不思議な思いがした。
何と言うか「島時代」は愛人役だろうが不倫設定だろうが「全然色気がない」、シナを作っても「可愛くない!」(笑)しかも「しっくりこない」!とはいえ、零落してからの、男に頼らず細腕一本でたくましく商売をしている彼女のほうがイキイキしていて、年齢は重ねていても断然「美しい」「カッコいい」。
重複するが、山本モントロンとはほとんど夫婦漫才状態(笑)。ラストシーン、元夫への捨て台詞もクスっと笑える。美男美女のはずの二人が並んでも「絵にならない!」「ぜんっぜんお似合いじゃない!」不可思議さ…ダンナのモントロンの方も、ナポレオンの前で見せるような「ヨソイキの声や表情」ではなく、少し鼻にかかったユル~い感じでお芝居をしているのも見もの。山本モントロン、(史実でも)姉さん女房の天海アルヴィーヌに向かって、少し甘えたような、ふてくされた少年のような口調で詰っても、かわいい!これは相手が天海さんだからハマる!のだろう。
フランシスコ・アントンマルキ医師/今井朋彦さん
絶妙なる立ち位置のキャラで中の人の魅力全開、特にインテリちっくな説明台詞にあの落ち着いた良い声が素晴らしく映えて、所々のウッカリ素っ頓狂なシーンが余計に笑える。モントロンが大崩れしないだけに?笑いのエッセンスの効き具合はこちらが好み。役者さんとして当然のことかもしれないが、滑らかな口調、テンポの良い台詞に気付けばいつもうっとり聞き惚れている。
あのツンデレ(笑)ハドソン・ロウと近い立場で一番絡むだけに、この二人のやり取りは見ていてこれまた漫才、ニヤニヤが止まらない場面ばかり。総督との推理シーンはまるでシャーロック・ホームズとワトソン博士のような(笑)…微妙なさじ加減で、男二人のプライドと情けなさが現れていて秀逸。総督も同じタイプだが、とても可愛げと色気のあるオイシイ役だと思う。
従僕ルイ・マルシャン/浅利陽介さん
実は彼が主役だったんでしょ!?とうならされた怒涛のラスト30分。前半、従僕姿でエキセントリックな野田ナポレオンにぴったり付いてあれやこれや走り回る姿が可愛らしい!なのにいきなりあの変身っぷり!「マルシャン…恐ろしい子!」(ガラスの仮面風に・笑)予想外の展開とラストにすっかりやられた。
ハドソン・ロウ総督が「マルシャンはボナパルトの分身」と評した場面があったが、「死せるナポレオン、生ける四人組を走らす」遠大な計画の成功はひとえに彼がいたからこそ!マルシャンをして(そして彼の口を通して語るナポレオンを通して)私たち観衆は最後に「おのれナポレオン!おのれ野田秀樹!おのれ三谷幸喜!」(大事なことだから二回言う・笑)と叫ぶわけで。やーらーれーたーなー!という一言に尽きる。
浅利くんがあの濃い~ぃ(笑)メンツの中、少年のような初々しさと怜悧な策士の一面、つかみどころのない不思議な存在感で、素晴らしいどんでん返しを見せてくれたことに、ただただ感謝!!!
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また聞きの話で申し訳ないのですが、13日のめざましTVで三谷さんからのコメントがあったそうです。
「1ヶ月をかけて作ってきた天海さんの役は、2日の稽古だけでできるものではありません」代役が決まってから、宮沢りえさんの為にアルヴィーヌの出番を(台詞も)減らして脚本を書き直し、スタッフ・キャストが深夜まで稽古してお芝居を再構築したからできたこと、という内容だったとか。
(コメント全文らしきもの)
天海さんが1ヶ月の稽古で作り上げたものを 宮沢さんが2日でやってのけたわけではありません。
宮沢さんの負担を減らすために台本を書き換えました。
出番を減らしセリフを削りました。
つまり新しい台本を作ったのです。
宮沢さんが2日で舞台に立てた陰には、その新しい台本で深夜まで稽古をしたキャストとスタッフの努力があることも忘れないでほしい。
2つのバージョンを実際に見比べて、実は同じことを思っていました。
たった6人のキャスト。脚本はあて書き、演者ありきの台詞や演出、しぐさばかり。中の人も役柄もいつしか区別がつかなくなるほどの自然さで織りなす濃密なアンサンブルは、単純に「欠けたピースを嵌める」ようなことでないのは容易に想像がつきました。それに開演後1ヶ月を経て日に日に熟成していく舞台の空気は、やはり「続けてきた時間の産物」です。個人的には10日~12日版は「全く新しいお芝居を見に行った」そんな印象でした。
芸劇の芸術監督野田さんだし、TBSはお金出してるし、興行主としての立場、芝居を作る側の立場、演じ手としての思い、いろいろあっただろうな…とは思うものの、そこへの野次馬的興味はありません。「名作には名作にふさわしい幕引きがあるのだ!」w 観客は純粋に舞台の空気を楽しみたい、ただそれだけです。
報道では色んな捉え方がなされていますが、あの場に居合わせた者としては、宮沢さんの勇気ある代演引き受けと、残った公演を継続すると決まってからの、全てのキャスト・スタッフの皆さんの努力、もちろん、これまで天海さんが見せてくれていた素晴らしいお芝居…こうしたもの全てに(ちゃんと見ている)劇場のお客さんが惜しみない拍手を注いでいだのだと思います。
どちらがどう、とか、そういう問題じゃないんですよね。純粋に「おのれナポレオン」カンパニーに向けての「1ヶ月ありがとう!お疲れ様!」だと感じました。 (終)
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天海祐希さん急病降板→休演/代役宮沢りえさんで再開という、とんでもない幕引きが用意されていた?舞台『おのれナポレオン』。
12日に千秋楽を迎え、終幕いたしました。
こんなはずじゃなかった!?ということも含め、4月9日の開幕から1か月、私が巻き込まれた狂想曲を記録しておきたいと思います。
『おのれナポレオン』
≪公式HPより≫
フランス史上最大の英雄 ナポレオン・ボナパルト、
その生涯の隠された真実とは…。
偉人たちの、意外な一面を描いて定評のある三谷幸喜が、
野田秀樹にあてて描くのは
フランス史上最大の英雄ナポレオン・ボナパルト!!
天才か、狂人か? 神か 悪魔か?
高潔な英雄か 人格破綻者か?…
その存在のあまりの大きさゆえに、
その人間性のあまりの幼さゆえに、
あがめられ、
畏れられ、
愛され、
憎まれた男、ナポレオン。
幽閉の地、大西洋の絶海の孤島セント・ヘレナ島での最期は、
病死とも暗殺とも伝えられ、その死はいまだに謎に包まれている。
「おのれナポレオン」と殺意を胸に抱く者たち、
「ナポレオンの名誉 L’honneur de Napoleon」をかけてその企てに立ち向かう者たち。
そしてナポレオン自身が仕掛ける一世一代のたくらみとは…。
野田秀樹が、自ら作・演出しない舞台に出演するのは今回が初めて。
三谷が演劇界の大先輩からのこの信頼に応えて猛烈に筆をふるう歴史ミステリー
三谷版「ナポレオン伝」、どうぞこころゆくまでご賞味ください。
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≪キャスト≫
皇帝ナポレオン・ボナパルト 野田秀樹
アルヴィーヌ・モントロン伯爵夫人 天海祐希
シャルル・モントロン伯爵 山本耕史
フランシスコ・アントンマルキ医師 今井朋彦
従僕ルイ・マルシャン 浅利陽介
ハドソン・ロウ総督 内野聖陽
(↑何という私得のキャストwwwしかも「他に誰も出ないの?」と思ってたら、ホントに6人だけ!だったという)
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≪ナポレオンもビックリ!?のチケット超・争奪戦≫
久しぶりの「ストレートプレイ」、ミュージカル等とはちょっと感覚が違うので、一体何回行くべきか。優先申し込みは序盤に1回、終盤に1回で良いかな?などと考えていたのでした…が!←モーツァルトに通い詰めて+ブルーレイR買ったりして経済状況が極めて逼迫していたという事実もあるw
甘かった!
FC先行枠で申し込みしてすんなり取れたのが序盤1回、その後は何度も先行抽選落ちて「これは拙い…」と焦り出し…三谷舞台はもともと取れないんだよ(しかも今回は野田秀樹絡み&人気俳優共演で倍率上昇!ハコも小さい)と教えて頂き、初めて自分の読みの浅さを呪ったわけであります。もちろん一般発売当日も瞬殺!(日にち指定して手続きしてる間に完売って何?!と叫んだw)
モーツァルトもttBも普通に追加や当日券とか買えたしなあ…とほほ。
でも、面白いかどうかわかりもしない舞台を何回分も先物買いするの、イヤなんですよ。
納得して観たいじゃないですか。
結局、芸劇が公演開始後に追加で発売した分や、あれやこれやで手を尽くした入手分、何とか増やすことが出来ました。
ここまでのプラチナチケットって20年前の某バンドや某バンド、一時期のサッカーやF1のチケットくらいしか覚えが…ホントに「いい経験」になりましたわ…。
↑普段いっさい執着しないのが裏目に出たw
それでは舞台の覚え書きと、各キャストさんへの感想を。
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≪物語のはじまり≫
大西洋の孤島・セントヘレナ島で一代の英雄ナポレオン・ボナパルトが没したのは1821年5月5日のことだった。享年51歳。死因はスキルス性の胃癌とされた。
彼の死から約20年が経った1840年、彼の遺骸がセントヘレナからパリに戻ることになった。アンヴァリッド(廃兵院)に改葬されたその亡骸は、不思議なことだがまるで死後間もなくのように往時の面影を残していたという。
「ナポレオン帰還」に沸き立つパリの街の片隅…セントヘレナ島出身の若き学生・ヴィクトールは、かつてナポレオンと流刑生活を共にした人物を次々に訪ね回っていた。幼いころ、虜囚の身のナポレオンに可愛がられていたヴィクトールは、長じてパリに出て医学の道に進み、その中で「ある可能性」に行きついたのだ。彼が知りたかったのは「ナポレオンの死の真相」――いま、証言者たちの告白が始まる。
★ヴィクトールは舞台には登場しない。だが、登場人物たちはヴィクトールに「語りかける」ことで、ナポレオンの死の真相を少しずつ明らかにしていく。観客は「ヴィクトールの視線」を通して証言者たちの言葉を聞き、セントヘレナ島での出来事を見聞きしていく形となる。
★時間軸と場面は1840年のパリから、1815~21年のセントヘレナ島へ、さらにはナポレオンが住まいとしていた「ロングウッドの館」、総督ハドソン・ロウの執務室…と次々に転換するが、観客は2時間20分の全編を通し「後世の観察者」として「それぞれの真実」を見届けていく。
★舞台セット:ステージは細長く、ごく質素な調度品しか置かれていない。
・フレームと板のみのベッド
・チェス盤とチェス卓
・ベンチ
・サイドテーブル(上には本と燭台)
・椅子
興味深いのは舞台/役者の演技を左右から(席によっては後方から)観ることのできる「ステージシート」の存在。舞台は正面から見るもの、というイメージを覆し、密室劇を周囲から取り囲んで見つめるような緊張感…そして演じる役者には「どこにも逃げられない、裸にされる」感覚を与えるセットだ。
役者の舞台への出入りも正面脇階段、正面奥ドア、左右の通路など自在。座席のすぐ脇を全力で駆け、飛び出してくる彼らの姿に、観る側も「自分も舞台に立っている」錯覚に陥り、ドラマを超えた臨場感と昂揚に満たされる。
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5月2日(木)19時公演
『おのれナポレオン』@東京芸術劇場(6回目)観劇後メモ
皇帝ナポレオン・ボナパルト/野田秀樹さん
登場シーンからしていきなりの「出オチ?!」…呆気にとられて、まさにハドソン・ロウと同じ顔をしていたに違いないと思う。あの風体、あの声もさることながら、ひとたび動き、声を発すれば舞台も客席もすべてが彼の小さな身体に注意をひきつけられる。エキセントリックで、ハチャメチャで、天才は何とかと紙一重!を地で行く野田ナポレオンに2時間20分いいように振り回される、というのが結局のところ、この舞台の全てなのではないか。配役ありきの「セリフあて書き」の強さも、それを上回るんじゃないかという役者の個性がガッツリしっかり溶け合って、とんでもない化け物を生み出したな…という驚きと興奮。コメディーとして笑いを狙いながらも折々にドキリとする深い台詞に唸らされる。あれは「役」じゃなくて「地」だ、という向きもあると思うが、私はあの強烈な「野田秀樹」だからこそ「疾走する時代のカリスマ」を舞台に顕現させ得たのだろう、と感じた。(彼が日本の演劇史に打ち立てた金字塔がまさにそれではないか?)
ハンサムでもない、教養があるわけでもなく、洗練された貴族的素養の持ち主でもない。あの(あえて言うと)下品で身勝手で意味不明な小男ナポレオンに、男も女も皆が惹かれ恋をし、激しく反発し、そして人生を狂わせる…その「必然性」に物凄く納得した。周囲のキャストだけでなく、観ている我々をもチェスの駒の如く自在に操る野田ナポレオン、そしてそれを生み出したもう一人のクリエイターに対して、文字通り「おのれ野田秀樹、おのれ三谷幸喜!」と終演後に叫びたくなるような興奮を味わった。
ハドソン・ロウ総督/内野聖陽さん
「今回最高のお芝居!」と太鼓判。ものすごくいい!天才に対する嫉妬、あこがれ、男の矜持、余すところなく出し切る熱演。壮年期と老年期を鮮やかに演じ分ける技量も、舞台映えする声量も赤と黒と金の軍服を着こなす立ち姿も、ただただ見事というしかない。野田ナポレオンとは違った意味でチャーミングでキュートですらある(外見上はその表現がこれまた似つかわしくないこと、甚だしいんのだが)総督に、こちらもハラハラしつつ見守る展開という…強烈なシンパシーの理由は、我々「凡人」の視点を一番わかりやすく形にして見せてくれていたせいだろうか。
所謂「サリエリ的存在」が複数存在するこのシナリオに於いて、文句なしに一等抜きんでた存在感、「別格」の光り方をしていた。立ち位置はモントロン伯爵と通じるものもありつつ、敵対する立場であるゆえに、ナポレオンをはさんで奇妙な「三角関係」的面白さすら漂ってくる。丁々発止の台詞の応酬はもちろん、この奇妙な三角関係の緊張感と、彼が時折見せてしまう「自己矛盾」のかわいらしさ(笑)が、また観客の共感をくすぐってやまない。
シャルル・モントロン伯爵/山本耕史さん
ファンなので当然、楽しみにしていたキャラクター。その印象をひとことで言うならば「…めんどくさい男だなぁっ!」終盤野田ナポレオンにこう評されるモントロン。まったくもって同感。三谷さんの表現力と描写の鋭さにも脱帽。ナポレオンの「副官」としてセントヘレナに付いてきた彼もまた、腹に一物持っているわけなのだが、崇拝者/反抗心の入り混じるカクテル的な立ち位置はハドソン・ロウに似て及ばず、またフランス側の「体制」をその身で表現するにしても「中途半端」…そして妻のアルヴィーヌとはナポレオンをはさんで愛憎半ばといった、実に「めんどくさ~い」男。←あんた結局ナポレオン好きなんでしょ、認めろよ!(いや認めてはいるのだろうが…)、とツッコミたくなる、まさに三角・四角・五角関係(笑)のカギを握る男。友人には持ちたくないし、夫にもしたくない(笑)が、何とも可愛らしい。悪戯に耽る少年のような可愛らしさは、島時代だけでなく50代となったパリの裏町の一場面でも変わらない。
コスプレ舞台の似合う中の人、今回も30代の衣装の(ややくたびれてはいるものの)空色と黄金色のフランス帝政期軍服が長身によく似合い、肩幅の広さも相まって実にサマになる。野田ナポレオンの戯画化した軍服姿と好一対、そして内野ハドソン・ロウの身綺麗で英国軍人らしいスキのなさとも好対照。一方で零落した中年期の場面でも、だらしなく着崩したグレーのフロックコートやレースアップの白シャツの胸元のはだけ具合が、何とも色っぽい。全場面を通じて見せるアイコンの「神経質に髪を触る仕草」、そして投げやりな口調に冷めた眼差しが、モントロン自身の隠されたコンプレックスを暗示しているようで目が離せない。
全編通じて(島の場面は特に)動きは軽やかで、まるで舞台を行き来する気ままで楽しげな猫といった風情。緊張感をはらんだ会話のテンポ、宮廷貴族然としたペルシャ猫のような挙措の中に、一瞬だけ垣間見せる鋭い表情は虎のようで、その眼つきが見たいためだけに、つい双眼鏡を覗いてしまう。
モントロンの「過去」の告白、ナポレオンの死に臨んで押さえていた鬱屈が激発する場面、ここぞという見せ場では(いつもながら)ソツがない。ちょっと一本調子かな?と思う演出もあるが、そこをアテ書きならではの彼自身の個性で色付けしていると感じる場面が多い。ただ「嘘っぽい」…モントロン自身が貴族としても軍人としても「中途半端」であるがゆえに、どこか「突き抜けない」ものを初回の舞台では感じた。上手いんだけど、もっともっとバーン!とやらかしちゃってもいいんじゃない?という不完全燃焼感は、結局あの初回が「まだ途上のモントロン像」を見た、という直感があったからこそかもしれない。回を追うごとに「モントロンの成長/キャラ解釈の深化」が観る側、演じる側の双方でいい感じに熟成してきたかな…と思えたので。
私自身はようやく6回目にしてモントロン伯爵の「いわゆる二枚目半」の匂いが消えて、アルヴィーヌ的に言うと「サイテーな男!」ほんと、ダメなやつだなあ…と良い意味でニヤニヤしながら見てしまう、クセのあるキャラだと感じるようになった。惚れ惚れと見てはしまうものの、もともとの滲み出るような気品、上品過ぎる挙措も時に考え物なのか?(笑)
このモントロン、アルヴィーヌと並んでも夫婦には「まったく見えない」のが、愛憎劇パートをドロドロにしすぎないキャスティングだったのかもしれないが、ここがもう少し「其々の心情」を掘り下げていたら、濃いドラマになったかも…ともったいなさ、物足りなさは正直あった。(そこらへんは三谷さんにお願いするべきところだろう。ドロドロが書きたかったわけではない、と言われたらそれまでだ…)密室劇の密度を高めるという意味では、山本モントロンは素晴らしい存在感で、出てくるだけでグッと「何かやらかす感」が増していた(別の意味でマルシャンも同様。何か企んでいそうなキャラクター…もっとこの二人の絡みも観たかったかも?)。
お笑い担当?パートも毎回楽しみ。『町人貴族』のママムーシ、顔芸(笑)、フラメンコギター弾き、レモネードダンス(笑)の場面などは理屈抜きでワクワク♪しかも毎回少しずつ変わってきている!モントロンは見た目が「絵になる男」だけに、ハズした時の面白さもまた絶妙…(苦笑)。
そして最後にひとつ。「山本さんは『下手なお芝居をするお芝居が下手』だ!」というわけのわからないパラドックスに気づいて悶々とするのは、ファンにとって、ある種「贅沢な悩み」なのかもしれない。
アルヴィーヌ・モントロン伯爵夫人/天海祐希さん
私の憧れ、天海さん!そのドレス姿と身のこなしは流石に美しく、フランス帝政期の空気感満載。特に冒頭とラストの深い臙脂と黒のドレスが毒入り赤ワインを勧める「魔女」のように妖艶!安酒場のオバチャン(笑)のお芝居や台詞回しのほうが、島時代よりしっくり来るなぁと不思議な思いがした。
何と言うか「島時代」は愛人役だろうが不倫設定だろうが「全然色気がない」、シナを作っても「可愛くない!」(笑)しかも「しっくりこない」!とはいえ、零落してからの、男に頼らず細腕一本でたくましく商売をしている彼女のほうがイキイキしていて、年齢は重ねていても断然「美しい」「カッコいい」。
重複するが、山本モントロンとはほとんど夫婦漫才状態(笑)。ラストシーン、元夫への捨て台詞もクスっと笑える。美男美女のはずの二人が並んでも「絵にならない!」「ぜんっぜんお似合いじゃない!」不可思議さ…ダンナのモントロンの方も、ナポレオンの前で見せるような「ヨソイキの声や表情」ではなく、少し鼻にかかったユル~い感じでお芝居をしているのも見もの。山本モントロン、(史実でも)姉さん女房の天海アルヴィーヌに向かって、少し甘えたような、ふてくされた少年のような口調で詰っても、かわいい!これは相手が天海さんだからハマる!のだろう。
フランシスコ・アントンマルキ医師/今井朋彦さん
絶妙なる立ち位置のキャラで中の人の魅力全開、特にインテリちっくな説明台詞にあの落ち着いた良い声が素晴らしく映えて、所々のウッカリ素っ頓狂なシーンが余計に笑える。モントロンが大崩れしないだけに?笑いのエッセンスの効き具合はこちらが好み。役者さんとして当然のことかもしれないが、滑らかな口調、テンポの良い台詞に気付けばいつもうっとり聞き惚れている。
あのツンデレ(笑)ハドソン・ロウと近い立場で一番絡むだけに、この二人のやり取りは見ていてこれまた漫才、ニヤニヤが止まらない場面ばかり。総督との推理シーンはまるでシャーロック・ホームズとワトソン博士のような(笑)…微妙なさじ加減で、男二人のプライドと情けなさが現れていて秀逸。総督も同じタイプだが、とても可愛げと色気のあるオイシイ役だと思う。
従僕ルイ・マルシャン/浅利陽介さん
実は彼が主役だったんでしょ!?とうならされた怒涛のラスト30分。前半、従僕姿でエキセントリックな野田ナポレオンにぴったり付いてあれやこれや走り回る姿が可愛らしい!なのにいきなりあの変身っぷり!「マルシャン…恐ろしい子!」(ガラスの仮面風に・笑)予想外の展開とラストにすっかりやられた。
ハドソン・ロウ総督が「マルシャンはボナパルトの分身」と評した場面があったが、「死せるナポレオン、生ける四人組を走らす」遠大な計画の成功はひとえに彼がいたからこそ!マルシャンをして(そして彼の口を通して語るナポレオンを通して)私たち観衆は最後に「おのれナポレオン!おのれ野田秀樹!おのれ三谷幸喜!」(大事なことだから二回言う・笑)と叫ぶわけで。やーらーれーたーなー!という一言に尽きる。
浅利くんがあの濃い~ぃ(笑)メンツの中、少年のような初々しさと怜悧な策士の一面、つかみどころのない不思議な存在感で、素晴らしいどんでん返しを見せてくれたことに、ただただ感謝!!!
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また聞きの話で申し訳ないのですが、13日のめざましTVで三谷さんからのコメントがあったそうです。
「1ヶ月をかけて作ってきた天海さんの役は、2日の稽古だけでできるものではありません」代役が決まってから、宮沢りえさんの為にアルヴィーヌの出番を(台詞も)減らして脚本を書き直し、スタッフ・キャストが深夜まで稽古してお芝居を再構築したからできたこと、という内容だったとか。
(コメント全文らしきもの)
天海さんが1ヶ月の稽古で作り上げたものを 宮沢さんが2日でやってのけたわけではありません。
宮沢さんの負担を減らすために台本を書き換えました。
出番を減らしセリフを削りました。
つまり新しい台本を作ったのです。
宮沢さんが2日で舞台に立てた陰には、その新しい台本で深夜まで稽古をしたキャストとスタッフの努力があることも忘れないでほしい。
2つのバージョンを実際に見比べて、実は同じことを思っていました。
たった6人のキャスト。脚本はあて書き、演者ありきの台詞や演出、しぐさばかり。中の人も役柄もいつしか区別がつかなくなるほどの自然さで織りなす濃密なアンサンブルは、単純に「欠けたピースを嵌める」ようなことでないのは容易に想像がつきました。それに開演後1ヶ月を経て日に日に熟成していく舞台の空気は、やはり「続けてきた時間の産物」です。個人的には10日~12日版は「全く新しいお芝居を見に行った」そんな印象でした。
芸劇の芸術監督野田さんだし、TBSはお金出してるし、興行主としての立場、芝居を作る側の立場、演じ手としての思い、いろいろあっただろうな…とは思うものの、そこへの野次馬的興味はありません。「名作には名作にふさわしい幕引きがあるのだ!」w 観客は純粋に舞台の空気を楽しみたい、ただそれだけです。
報道では色んな捉え方がなされていますが、あの場に居合わせた者としては、宮沢さんの勇気ある代演引き受けと、残った公演を継続すると決まってからの、全てのキャスト・スタッフの皆さんの努力、もちろん、これまで天海さんが見せてくれていた素晴らしいお芝居…こうしたもの全てに(ちゃんと見ている)劇場のお客さんが惜しみない拍手を注いでいだのだと思います。
どちらがどう、とか、そういう問題じゃないんですよね。純粋に「おのれナポレオン」カンパニーに向けての「1ヶ月ありがとう!お疲れ様!」だと感じました。 (終)
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