徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

グリーン・マーダー・ケース

2017年04月17日 | 舞台
当初、別の予定と時間帯が合わず無理かな~、と思っていたら…何と追加公演が決定!



幸運に感謝しながら、下北沢まで行ってきました。以下、感想&moreです。



『グリーン・マーダー・ケース』(グリーン家殺人事件)
Mo'xtra produce ~The Greene Murder Case~






http://monophonicorchestra.com/next

≪配役&出演者≫ 
刑事サイモン・ブレイ:鍛治本大樹 
探偵ファイロ・ロシュアール・ヴァンス:齋藤陽介 
検事ジョン・フランシス・ゼイビア・マーカム:須貝英
チェスター・グリーン(グリーン家長男):ヨシケン
レックス・グリーン(グリーン家次男):大石憲
シベラ・グリーン(グリーン家次女):安川まり 
アダ・グリーン(グリーン家三女で養女):綾乃彩 
ローズ・グリーン(グリーン家の先代夫人):小玉久仁子
エマ・ヒュース/エミリー・ベル/エミリア・グリーン(心理療法士・霊媒師):毛利悟巳 
アーサー・フォン・ブロン(グリーン家かかりつけの医師):伊与勢我無
ベンジャミン・スプルート(グリーン家執事):野口オリジナル 
マリア・ヘミング(グリーン家メイド):小林春世
リタ・クレイヴン(グリーン家付きの看護婦):小口ふみか 
ゲルトルーデ・マンハイム(グリーン家の料理女):ザンヨウコ 
(敬称略)



原作の推理小説を、重層的な人間関係とスピード感を損なわず見事に脚本化。
知的興奮に満ちた2時間半!!!(第1幕:60分、第2幕:85分、休憩5分)ラストに至るまで一瞬も目が離せなかった。

最初に「グリーン家の人間は全員死んだ」という結末が示される倒叙法のシナリオである。事件が起きた場に居合わせたが頭部に銃撃を受け、意識不明のまま昏睡していた若い刑事が半年後に目覚めた時から、私たちは彼とともに、半年の間に失われていた彼自身の数日間の記憶、そして凄惨な事件の真相をたどることになる。

それにしても。この規模の劇場の作品にしては非常にキャストの人数が多い!(14人!)1人が複数の役を演じず、ほぼシングルで2時間半演じ切るせいだろうか。しかもそれぞれの芝居が非常に個性的で、人数が多いことが全く気にならないほど、各々キャラが立っている。都内の劇団から様々なキャリアを持った役者さんが集まっているせいか、個性というだけでなく、その人の持つ演劇的バックグラウンドのぶつかり合いにも見えてくる。緊迫感のある長台詞の応酬はもちろん、ボケ&ツッコミとも呼べる絶妙の笑いにさえ、上質の「芝居の楽しみ」があふれている。
ミステリー(謎解き)よりは、登場人物たちの感情や「業」に焦点を当てた作り込みになっていたせいか、重苦しく、演者を直視するのさえ躊躇われるような場面・エピソードが続くこともあったが、それでも軽妙な笑いやホッとする瞬間を忘れず織り込んでくる「脚本の妙」に救われた思いだった。

数多い登場人物の中でも、やはり出色は齋藤陽介さん(@ホチキス)演じる探偵・ヴァンスだろう。飄々とした振る舞い、常識や組織に縛られない自由さ、深い洞察や豊かな教養が台詞の端々に滲む。時に帽子を手に、時に煙草を差しだし大仰に跪く…「演劇」の舞台で、更に輪をかけて「芝居がかった」所作や台詞を連発しても、全く嫌みにならないし、重苦しい場面ですら、品よく硬軟自在なお芝居で観客の心をガッチリ掴んでいた。醸し出す色合いや雰囲気は全く違うが、幼いころに見たイギリス・グラナダTV制作の『シャーロック・ホームズ』シリーズにも感じた、古き良き時代の香りを纏う素敵な人物で、私はすっかり好きになってしまった。

そのヴァンスに振り回される?NY地方検事局の検事・マーカムを、今回の脚本と演出を手掛ける須貝英さん(Monophonic Orchestra)が自ら演じている。こちらは衣装も古風なスリーピースで丸眼鏡、人の良さと頭の良さをごく自然に感じさせる愛すべき人物に仕上がっていた。当日のリーフレットに、『グリーン家殺人事件』という作品、ファイロ・ヴァンスというキャラクターに対する須貝さん自身の深い愛と思い入れの溢れた文章が掲載されていたが、そのヴァンス役を自身で演じず、あえてマーカムで!という辺りは、観る側としては興味深い。と言うよりも、私は劇場であの文章を読んだ瞬間、ものすごいシンパシーを感じてしまったのだから、正直知りたくて仕方無い。



(もしアフタートークでこの辺の話を聞いていた方がいらしたら、是非内容を教えて頂きたい…!今回は自分の観た回のアフタートークでさえ、次の予定があった関係で諦めたのがホントに惜しい!)

そして、事件を追う探偵・ヴァンスでなく、刑事サイモン・ブレイを主役に据えて展開するスタイルが今回一番驚いた。(謎解きの主役は、形はどうあれ名探偵と相場が決まっているではないか!)これは、主役に鍛治本大樹さん(@キャラメルボックス)を持ってくるからには、このスタイルが最も合う!と須貝さんが確信していたのだろう。そして「原作そのままではなく、オリジナルの要素を加えた」であれば、視点を変えたもうひとつの物語は、彼が語り部になることでより重層的な人間ドラマとしての魅力が引き立ってくる、とも考えたのだろう。
本当にこの配役、「今の鍜治本さん」にとても似合っていた。隣に立つヴァンス斎藤さん&マーカム須貝さんの安定した上質な芝居があってこそ、鍜治本さんの醸し出す、ゆらめくように不安定な存在感、真っ直ぐさ、繊細さ、暗さ、華やかさがあれほど引き立ったに違いない。

2時間半、長台詞の連続でも集中したまま楽しめたのは、ひとつにはこの絶妙なトリオ配役のお陰だと思う。

そして、グリーン家の面々も個性的などという語彙では片づけられない曲者揃い。誰もが「人としてそれはどうなんだ?」という暗い部分を持ちつつ、観る側は何故か彼らの心の弱さ・狡さ・残酷さが憎めない。自分の中にもきっとある、そういった弱い、負の側面を潔いまでに曝け出す彼らを否定することなど、「普通の人間なら」出来はしない。一方で、旧家の名声や富ゆえに「弱さ・狡さ・残酷さ」を正当化できる彼らへの嫌悪感も、感じずにはいられないのだが。

長男チェスター(ヨシケンさん)の「傲慢で小心な」滑稽さ。次男レックス(大石憲さん@Monophonic Orchestra)の「気持ち悪さ」と背中合わせの「純粋な善意」、次女シベラ(安川まりさん)の持つ「女の本性と哀しみ」、秘密を抱えた愛らしい末娘アダ(綾乃彩さん)の「二面性」、ローズ夫人(小玉久仁子さん@ホチキス)の「矜持と狂気」…どのキャラクターも、演じる俳優さんの深い人物解釈が伝わるような熱い演技だった。誰もが人間の抱える醜さ不条理さを余すところなく伝えてくる芝居なのに、何故か…憎めない。グリーン家に関わるフォン・ブロン医師(伊与勢我無さん)は、この面子と比べると至極全うなキャラながら、徐々にグリーン家の魔力(シベラ&アダ)に取り込まれていく過程が生々しい。(ちなみに、「フォン」はドイツ&オーストリアで騎士階級以上の貴族に与えられる称号!)
そんな中で看護婦クレイヴン(小口ふみかさん)が、あの重苦しい家族の描写の中で、ありえない!とツッコミ満載の芝居で貴重な笑いを提供してくれている。使用人たちのキャラクターも同様で、メイドのマリア(小林春世さん@キャラメルボックス)の豹変っぷりに笑わされ、執事スプルート(野口オリジナルさん@PMC野郎)の「家政婦は見た!(けど喋らない)」的執事キャラのしたたかな賢さ&面白さ。最高なのは料理女ゲルトルーデを演じるザンヨウコさん。静かな佇まいの中に哀しみと強さと覚悟とを併せ持つ、素晴らしい女性像だった。私が極限の状態に陥ったら、かくありたいと思うほどに。

そして事件の鍵を握る美女エマ(毛利悟巳さん)…彼女の存在そのものが最大の謎であり、この物語の核であると納得させられる存在感と謎めいた美しさ。バレリーナのように長い手足と美しい黒髪、白い肌に映えるルージュ。ファム・ファタールとはこのことか、と。



ヴァンスが「実に面白い!」と唸る台詞ではないが、彼ら彼女らに一抹の嫌悪感を抱きつつも、むしろ愛おしく思う瞬間があることに、観ている私自身が驚いた。それはひとえに演じる俳優さん・女優さんの魅力と力量に他ならない。あの距離感で演じて、私たち観客と向かい合う、そこに「ニセモノ」はない。生身の人間が演じ、見せる「私たち自身の鏡」に他ならないのではないか。

とはいえ。50人しか入らない小さな空間で、演者と観客の距離が如何に近かろうが、互いの存在は「ねじれの位置」にあるように、絶対に交錯することはない。その代わり、間近の舞台で息づく登場人物の感情が大きく揺れるほど、それは私たち観客の心をも同時に深く激しく揺らす。お互いに絶対に交錯し得ない立ち位置にありながら、役の感情はこれ以上なく近しく、生々しく感じることができる。私にとって演劇の醍醐味は、まさにこのような「感情の共鳴と交錯」だと思っている。「小劇場系」と呼ばれる演劇の全てがそうでないのは知っているけれども、それでも、目の前で揺らぐ感情に反応する自分がいる。

冒頭、仕事熱心な好青年にしか見えなかったサイモン・ブレイ刑事。記憶の有無に悩み怯え、不安定に揺れる眼差し。様々な感情に翻弄され移ろう屈折した表情、隠された過去が徐々に暴いていく別の顔。
ラストシーンで、取り壊されるグリーン邸(そして10数年前に失踪した彼の父親の遺体が発見される)の前に立ちつくす―――悲哀と怒り、それだけでは到底言い表せない情念が、暗く黒く溢れ出ていた。無言のまま、真っ直ぐに観客席と向き合うその表情の深さ、踵を返し立ち去る後姿に、1年前とは別人のような「俳優としての深化・変化」を感じたものの、心に一抹の不安が過ったのは、私だけだろうか?

カーテンコール、サイモンを演じきったあとの笑顔は、確かに憑き物が落ちたように清清しかった。鍛治本さんの演じた最近の役で特に画期的だったのが、波多野(CB)と青年(空想組曲)―――その系統という意味で今回のサイモン・ブレイも「また観たいと思わせてくれる」役と演技だった。印象的な脚本&配役に出会う僥倖に感謝しつつ、本音としては「もっと足掻いて、高みを目指してほしい」。
ただ…「自分らしさ」もしっかり見つめて、持ち続けてほしい。貴方にしか出せない色がある。貴方にしか見せられない景色がある。貴方だからできる芝居がある。「他の誰か」の面影を追うことはない。あの「透明感」を、否定しないで。

(↑ 勝手なこと言っている、と思いますよ、自分でも…ホントに)



ところで、今回は追加公演を含めて6日間で9公演。会場の「下北沢Geki地下Liberty」のキャパは…50!(驚)この実力派キャストで、全公演合わせても、たった約450人の観客しかその場に居合わせることができない演劇空間。

観客と舞台上の距離感、は間違いなく演劇の重要な要素で、例えば100人、500人、1000人のキャパで、演出家による見せ方は大きく変わるだろうと思う。それにしても、「この作品」を観た人間が500人もいない、という数字的事実に戦慄した。ちなみに比較しやすい例で言えば、シアターサンモールが100、アクトシアターが約1300、梅芸メインが約2000。

あのハコで、あの距離感だからこそ成立する芝居なのか?私はそうは思えなかった。
演劇の価値って何なのか?先週の豊洲回転劇場、舞台上の役者の息遣いや心の機微などは、遥か遠くに感じたというのに。

もっと多くの人に観てもらいたい、それほどに美しい演劇空間だった。是非近いうちに同じキャストで、もう少し大きな(100人程度の)会場で再演してほしい。



…それが、一観客の最大の願いです。