今日、最寄り駅からの帰路のこと。
小学校低学年らしい姉と、2歳くらい年下の妹が、父親との買い物帰りらしく道ではしゃいでいた。
姉「こっち行くよ~!」(と、歩道の端の縁石の上に乗って器用に走っていく)
妹「私も!」(ついていく)
父「危ないから!やめなさい」
すとん、と縁石から降りた姉。
姉「今度は、この線から落ちないように行くんだよ」(笑いながら)
道の脇の「白線」を、平均台のようにバランスをとりながら歩いていく。
同じように後を追う妹。
こんな光景をつい先日観た気がして、私は舞台の記憶を呼び起こした。
☆
悪い芝居『罠々』
昨年(2016年冬)のキャラメルボックス『ゴールデンスランバー』で好演が光った山崎彬さん率いる、京都の劇団『悪い芝居』。
ご本人によれば「芝居が悪いんじゃなくて、悪いですが芝居させてください、の略」というようなネーミングらしい。
これはどこで聞いたのだったか…。
その山崎さんのお芝居をもう一度観たい、と思っていたので、大阪梅田のあの赤い観覧車のところでお芝居を打つ、と知って出かけてまいりました。実はワタクシ、HEP HALLは初参戦…というか、2年前に大阪に来るまで、あそこに劇場があるなんて知りませんでしたから(^^;
以下、簡単ですが感想です。
※ネタバレあります。未見の方はご注意を。
☆
公演HP
http://waruishibai.jp/wannawana/main.html
初めての劇場で、初めての劇団の作品を観る時、ついクセで「どんな人が観に来ているか」をチェックしてしまう。仕事が早めに終わったので割と早く会場に着き、周囲の様子を見回した。
席数は?パイプ椅子で100席。← これ、もしも一列ごとに半分ずつ位置をずらしてくれていたら、私がその日センターの視界をほぼ塞がれる悲劇はなかっただろう…過ぎた話だが残念。
客層は?満席。ん?男性が多い?サラリーマン風も学生風も、20代から60代まで、8:2で男性?演劇には珍しい男子部活系劇団なの?でも、皆何だか場にそぐわない雰囲気…と、思ったところで配役表を見て納得。なるほど。そういうことかw
さて、そのストーリーは…一言でまとめられないくらい、難解。
そもそも「罠」とは何なのか。
舞台となる「とある地方都市」も、現実味の薄い、ひょっとしたら空想の産物なのかもしれない。
そして登場人物たちは、全員が「現実離れしている」。
元会社員。
フリーター。
人妻。
ホームレス。
拾われ子。
ユーチューバー。
スナックのママ。
そこの常連客。
売れないお笑い芸人。
その相方。
謎の人物(人なのか?)。
しかも大部分の登場人物は、その名前や居る目的が明かされないまま話が進んでいくので、何となく落ち着かないまま、「白昼夢の連続」のような先の見えない話を観客も追っていくことになる。かろうじてキュウイチロウ、ハネオ、ツボミという「幼馴染3人」の関係性は確立しているのだが、実はこの3人も「よくわからない」。おそらくは30代半ばであろうが、その言動は時として、劇中で描写される高校生…というよりは、小学生、はたまた幼稚園児である。そのミスマッチさ。
この物語はどこに行くのか。果たして、私の周囲には、腕組みして引き気味に舞台を見守る、あるいは「どうにも分からない」と困惑した表情を浮かべている観客も少なからずいた。
一方で、私がとても驚いたのが、ストーリー以上にその演出手法だった。決して広くはないステージだが、後ろの壁をスクリーンにして、舞台上の役者の手持ちカメラで、いまそこで台詞を発している別の役者を撮り、映し出す。接写であったり、あるいは煽るようなアングルから、これまた手持ちの照明で不気味に照らし出された役者の顔を意味ありげに大写しにする。スクリーンを観ていいのか、舞台の役者を観るべきなのか。まるでドームやアリーナライブのスクリーンで、実物とどっち見ればいいんだ?!と戸惑ってしまうような。お化け屋敷のようにおどろおどろしい視覚効果が、斬新で「なるほど、こういう映像の使い方もあるか!」と唸らされた。(その前の週に見た劇団☆新感線のような「最新鋭の技術と効果」ではなく、もっと原始的だけれども、こちらが予想だにしない形での映像の併用は、ホントに驚いた!)
1時間45分の中で、小さく断片的に描かれるエピソードが、つながりそうで、つながらない。登場人物たちの関係性も、バラバラから収斂に向かうのか、と言われたら、そうでもない。観る側の予測を全て裏切るのが、作者と出演者の仕掛けた「罠」なのかもしれない。
結局、最後まで主人公含む幼馴染3人の「結末」は描かれない。
何が「神様の罠」だったのかも、明らかにはされない。(思い込みだから?)
最後の15分ほどは、山崎さん演じる「キュウイチロウ」と、渡邊さん演じる「ハネオ」の完全な二人芝居になる。ここでの一方的なキュウイチロウの長台詞シーンがあるが、本当に先が読めず肌が粟立つ恐怖を感じたのは、実はここだったかもしれない。何が起きてもおかしくない緊迫感。しかし、何も起きない。何も起きないことが、逆に恐ろしい。
そんなわけで、非常にストーリーとしては後味のよろしくない(笑)作品なのだけれども、ひとつ私が身につまされた台詞がある。わざとらしく繰り返される「人生はビックリだ」ではない。
「この線(道端の白線)から降りたら、死んでしまう」
高校時代、他愛もない遊びだったはずの「ゲーム」で、いつしか本気で怯えて立ち竦むハネオ。彼のために学校から「白線引き」を持ってきて、狭い街中に線を引いてやるキュウイチロウ。呆れたように見守るツボミ。
この線から降りたら、死んでしまう。
それが意味していたのは、物理的な「道端の白線」ではなくて、自分が、あるいは他人が決めた「こうあるべき」という常識、良識のラインなのかもしれない。または人生のレールと言い換えられるかもしれない。その「線」から降りることは、死ぬほど勇気が要るだろう。あるいは、ハネオのように怯えて立ち竦み、身動きが取れないままのかもしれない。
そこに思いが至った時、私はゾッと全身に寒気を感じた。
☆
決してわかりやすくはない。万人受けもしないだろう。好き嫌いはハッキリ分かれる舞台だと思う。
ただ、白線の上で立ち尽くす自分に気付く「罠」にハマれば、それからはまた、別の話。
小学校低学年らしい姉と、2歳くらい年下の妹が、父親との買い物帰りらしく道ではしゃいでいた。
姉「こっち行くよ~!」(と、歩道の端の縁石の上に乗って器用に走っていく)
妹「私も!」(ついていく)
父「危ないから!やめなさい」
すとん、と縁石から降りた姉。
姉「今度は、この線から落ちないように行くんだよ」(笑いながら)
道の脇の「白線」を、平均台のようにバランスをとりながら歩いていく。
同じように後を追う妹。
こんな光景をつい先日観た気がして、私は舞台の記憶を呼び起こした。
☆
悪い芝居『罠々』
昨年(2016年冬)のキャラメルボックス『ゴールデンスランバー』で好演が光った山崎彬さん率いる、京都の劇団『悪い芝居』。
ご本人によれば「芝居が悪いんじゃなくて、悪いですが芝居させてください、の略」というようなネーミングらしい。
これはどこで聞いたのだったか…。
その山崎さんのお芝居をもう一度観たい、と思っていたので、大阪梅田のあの赤い観覧車のところでお芝居を打つ、と知って出かけてまいりました。実はワタクシ、HEP HALLは初参戦…というか、2年前に大阪に来るまで、あそこに劇場があるなんて知りませんでしたから(^^;
以下、簡単ですが感想です。
※ネタバレあります。未見の方はご注意を。
☆
公演HP
http://waruishibai.jp/wannawana/main.html
初めての劇場で、初めての劇団の作品を観る時、ついクセで「どんな人が観に来ているか」をチェックしてしまう。仕事が早めに終わったので割と早く会場に着き、周囲の様子を見回した。
席数は?パイプ椅子で100席。← これ、もしも一列ごとに半分ずつ位置をずらしてくれていたら、私がその日センターの視界をほぼ塞がれる悲劇はなかっただろう…過ぎた話だが残念。
客層は?満席。ん?男性が多い?サラリーマン風も学生風も、20代から60代まで、8:2で男性?演劇には珍しい男子部活系劇団なの?でも、皆何だか場にそぐわない雰囲気…と、思ったところで配役表を見て納得。なるほど。そういうことかw
さて、そのストーリーは…一言でまとめられないくらい、難解。
そもそも「罠」とは何なのか。
舞台となる「とある地方都市」も、現実味の薄い、ひょっとしたら空想の産物なのかもしれない。
そして登場人物たちは、全員が「現実離れしている」。
元会社員。
フリーター。
人妻。
ホームレス。
拾われ子。
ユーチューバー。
スナックのママ。
そこの常連客。
売れないお笑い芸人。
その相方。
謎の人物(人なのか?)。
しかも大部分の登場人物は、その名前や居る目的が明かされないまま話が進んでいくので、何となく落ち着かないまま、「白昼夢の連続」のような先の見えない話を観客も追っていくことになる。かろうじてキュウイチロウ、ハネオ、ツボミという「幼馴染3人」の関係性は確立しているのだが、実はこの3人も「よくわからない」。おそらくは30代半ばであろうが、その言動は時として、劇中で描写される高校生…というよりは、小学生、はたまた幼稚園児である。そのミスマッチさ。
この物語はどこに行くのか。果たして、私の周囲には、腕組みして引き気味に舞台を見守る、あるいは「どうにも分からない」と困惑した表情を浮かべている観客も少なからずいた。
一方で、私がとても驚いたのが、ストーリー以上にその演出手法だった。決して広くはないステージだが、後ろの壁をスクリーンにして、舞台上の役者の手持ちカメラで、いまそこで台詞を発している別の役者を撮り、映し出す。接写であったり、あるいは煽るようなアングルから、これまた手持ちの照明で不気味に照らし出された役者の顔を意味ありげに大写しにする。スクリーンを観ていいのか、舞台の役者を観るべきなのか。まるでドームやアリーナライブのスクリーンで、実物とどっち見ればいいんだ?!と戸惑ってしまうような。お化け屋敷のようにおどろおどろしい視覚効果が、斬新で「なるほど、こういう映像の使い方もあるか!」と唸らされた。(その前の週に見た劇団☆新感線のような「最新鋭の技術と効果」ではなく、もっと原始的だけれども、こちらが予想だにしない形での映像の併用は、ホントに驚いた!)
1時間45分の中で、小さく断片的に描かれるエピソードが、つながりそうで、つながらない。登場人物たちの関係性も、バラバラから収斂に向かうのか、と言われたら、そうでもない。観る側の予測を全て裏切るのが、作者と出演者の仕掛けた「罠」なのかもしれない。
結局、最後まで主人公含む幼馴染3人の「結末」は描かれない。
何が「神様の罠」だったのかも、明らかにはされない。(思い込みだから?)
最後の15分ほどは、山崎さん演じる「キュウイチロウ」と、渡邊さん演じる「ハネオ」の完全な二人芝居になる。ここでの一方的なキュウイチロウの長台詞シーンがあるが、本当に先が読めず肌が粟立つ恐怖を感じたのは、実はここだったかもしれない。何が起きてもおかしくない緊迫感。しかし、何も起きない。何も起きないことが、逆に恐ろしい。
そんなわけで、非常にストーリーとしては後味のよろしくない(笑)作品なのだけれども、ひとつ私が身につまされた台詞がある。わざとらしく繰り返される「人生はビックリだ」ではない。
「この線(道端の白線)から降りたら、死んでしまう」
高校時代、他愛もない遊びだったはずの「ゲーム」で、いつしか本気で怯えて立ち竦むハネオ。彼のために学校から「白線引き」を持ってきて、狭い街中に線を引いてやるキュウイチロウ。呆れたように見守るツボミ。
この線から降りたら、死んでしまう。
それが意味していたのは、物理的な「道端の白線」ではなくて、自分が、あるいは他人が決めた「こうあるべき」という常識、良識のラインなのかもしれない。または人生のレールと言い換えられるかもしれない。その「線」から降りることは、死ぬほど勇気が要るだろう。あるいは、ハネオのように怯えて立ち竦み、身動きが取れないままのかもしれない。
そこに思いが至った時、私はゾッと全身に寒気を感じた。
☆
決してわかりやすくはない。万人受けもしないだろう。好き嫌いはハッキリ分かれる舞台だと思う。
ただ、白線の上で立ち尽くす自分に気付く「罠」にハマれば、それからはまた、別の話。