徒然草庵 (別館)

人、木石にあらねば時にとりて物に感ずる事無きに非ず。
旅・舞台・ドラマ・映画・コンサート等の記録と感想がメインです。

TRUTH 大千秋楽(大阪)

2014年08月26日 | 舞台



キャラメルボックス『TRUTH』大阪大千秋楽、無事閉幕!
1ヶ月の熱く長い夏、またの名を「夏のハセキョー・フェス」が終わりました。

最後に東京で観たのが8日、それから2週間余りの時間を経てどんな舞台に変貌しているか…楽しみでもあり、ドキドキでもあり。大楽だというのに、ランチ後~開場までの時間を「みき丸カプチーノ」と共に過ごしながら、何故かガチガチに肩が凝ってきました…こ、この緊張感、東京初日の感じに似ています。普段劇場には開演前の滑り込みばかりで、ゆっくり時間に余裕を持って行くなんてことがないでしょうか。それとも単なる「アウェイ参戦」ゆえ…でしょうか。(笑)





これが噂のみき丸カプチーノ。(飲むのがちょっとかわいそう…?)
店員さんが注文を受けて「誰でも描けるように」猛練習したそうです!w





西梅田にある「サンケーホールブリーゼ」には2年前の秋にやはり舞台で来たことがあります。大阪は昔住んでいたこともあるのですが、この数年はゆっくり訪れることもなく(いつも遠征はとんぼ返りなので)大阪駅近辺の激変っぷりもビックリするばかり。未だ探検するほど余裕がありません。とはいっても、ハービスのあたりは地下道含めてそんなには変わっていない気がしますね。



ロビーの弦次郎さん。こちらでも記念撮影にひっぱりだこの人気ぶり♪


劇場内で驚いたこと、その1。
大千秋楽ということもあったのでしょうか、サンシャイン劇場でほぼ毎日見かけていたお客さまを発見…!東京からわざわざ遠征されてるんですね~~~! ←自分の事を完全に棚に上げて&忘れているw

劇場内で驚いたこと、その2。
あれ?開演前BGMの響き方が違う?ひょっとして、ブリーゼの音響はサンシャインより良い?!これは芝居が全然違って聞こえるかも!←実際その通りでした!詳しくは後述。

劇場内で驚いたこと、その3。
おなじみの前説での携帯チェックの厳しさ!(笑)電源消したスクリーンを隣に見せる!までやられたのは初めてw確かにこれだけ音響良かったら着信音だのバイブだの鳴ったらもう…致命的です。お陰様で今日は嫌な思いをしなくて済みました。





そんなわけでブリーゼでの大千秋楽が幕を開けたわけですが…
最初から「おおおっ!!」と驚きました!やっぱり音響効果が良い!それぞれの役者さんの声の響き方が全く違う!これはビックリ!

東京では気づきませんでしたが、大阪の「声」を耳にして、東京では劇場全体に届かせるため意図的に「やや張り気味に」台詞をしゃべっていたのかな?と感じました。大阪入りした後に「劇場が変わって音の響き方が変わった」と、あるキャストの方が呟いていたように思いますが「このことか!!」と納得です。このホールすごい!声の繊細な揺らぎや囁き声までも堪能できる!これはすごい!(ちなみに私の席は前から10列目くらいでした)2年前に行ったときは役者さんがマイクをつけていたので、生声での違いはわからなかったのですが、これは明らかに芝居のエネルギーや表現力が段違いになってる!!!(サンシャインでこれくらいの音響でやらせてあげたいよ~、と個人的には思いました!)

負担感?が減ったせいか、より役者さんたちの発声も変化し多彩になっていました。特に分かりやすかったのは弦次郎の絶叫やしゃべり方に滲む憔悴感、鏡吾の薄い笑いが滲む低い囁き…でしょうか。あと役者さんたちがかなりリラックスしていて、自由自在に役を「リアルに生き切って」いたのが印象的でした。多分これも「声音の変化」で観る側に訴えかける部分が大きくなったから、こちらの受け止め方も違ったのかもしれません。

演出も芝居も東京中盤と比べて変わりました。例えば冒頭の虎太郎宅、エグ○イルならぬキャラザイル(爆)のシーン――これ思うんですけど、おそらくCBの時代劇で「ダンスシーン」(違w)が初めて入った画期的な場面では!w――ここは動きがより大袈裟で賑やかに変化。しかもクルッと一回転入れて「さあっ、どうする?!」の後に、ふじさんが「ドンドンドンドン…!」と考え中とばかりに床を叩くと、紙相撲の人形の如く「てててて…」と可愛く動き回る男ども4人。←これは思い切りの良い動きがめちゃくちゃ可笑しいwww

何か「新しいものが付け加えられる」というよりは「元々あった笑いやシリアスの見せどころが、より分かりやすくメリハリがつき、切れ味を増している」印象です。虎太郎とふじの会話、三郎太と隼助の噛みつきあい、弦次郎と英之助が見せる信頼関係、初音や美緒の訴えかける切なさと強さ…全てを挙げることはできませんが、どれも、これも、ぜんぜん違う。


(東京よりも断然エッジの効いた、素晴らしい舞台になったもんだなあ~!) 
↑ 心の声


これまでも数度、気に入った舞台を追っかけて東京公演の後に地方公演での大楽を観たことがありました。しかし残念ながら一度として「芝居のクオリティ的に」満足したことがない!というのが本音でした。もちろんツアー最終日の祝祭的な雰囲気は楽しめるのですが、やはり絶対的な日数が少ないせいでしょうか、伸びしろが少なく期待以上では決してないという。本公演でそれなりの時間をかけて最終日に至った変化率、それを複数回通いながら見届けてきた目には、どこか物足りない。「まあ、大千秋楽だからね」と半ばご祝儀的な気分で観ていた時もありました。

そんなこちらの(ある意味で演じ手に対して大変失礼な)経験則と先入観を、軽~くぶっとばしてくれたキャラメルボックス。
大阪公演そのものが、東京での観劇記憶とは全く別モノ、別のお芝居のようでした。


これは!本当に!観に行ってよかった!!!
大好きな『TRUTH』の最終進化形態まで見届ける価値が、確かにありました!!!



ラスト、弦次郎の慟哭も、鏡吾が噛みしめる唇も、立ち尽くす皆の姿も、これが見納め…と思うと、ただただ「この一瞬を記憶に永遠に焼き付けておきたい!」としか思えず、瞬きの間も惜しいほど。夜明けの光のような照明が弦次郎の肩先に落ちて絞られていき…暗転した瞬間「ああ、終わっちゃった…!」(溜息ほうっ)気持ちよく燃え尽きた~!涙するよりも「ここまで一緒にやりきった」何とも言えない大きな達成感みたいなものがありました。

1995年の初演も2005年の再演も直接は観ていないけれども、再再演初日の舞台から受け取った圧倒的な熱量、豊かな感情表現、迫力ある熟練の殺陣、でもどこか「粗削りさを感じる」ところが2014年の持つ「若さ」であり「勢い」だとも感じた、あの迸るエネルギー!!!最後までこのまま突き抜けてしまえ、と願った通り…いやこちらの思いなど遥かに超えて、行きついた先の風景、それをリアルタイムで観て、受け止めて、感じることができたことに、心から感謝します!





恒例のキャストひとこと挨拶は笑い過ぎて涙が出そうになりながら、仕事人らしく一生懸命メモを取りw小多田さんの三本締めも見事に決まり!まさしく大楽に相応しい爽快感♪そして…2時間にわたって鏡吾の心の闇を見つめていた(黒を基調とした内装の)ホールから白く眩しいロビーに出てきた瞬間、いきなりラストシーンがフラッシュバック!もう万感胸にこみあげてしまって、言葉にならない!

1ヶ月『TRUTH』と一緒に暑い夏を戦い終えた完全燃焼感と、誰一人怪我をされたり欠けたりすることなくこの瞬間まで来た!という嬉しさ、そしてこれで全ての幕が下りたという事実。社長に「大千秋楽おめでとうございます!」と挨拶させていただいた時、その辺をお察しいただけたのでしょうか?何故か二人でガッチリ握手!!! ← 多分書くよりもこれで伝わったな、感想!(爆笑)

そう!初日にも書きましたが「数多の言葉を尽くしても、どうしても言い表せない感情というものはあるのです!」まさか大楽で再び実感するとは!( ノД`)。

こうして私の「夏のハセキョー・フェス」wは幕を下ろしました。
数え上げれば実に『TRUTH』9回、『涙』4回! 良く頑張った!自分!! ←何をだw





≪各登場人物への感想 その3≫

さて、ここからは私の中で最後の課題になっていた「あの人」について。
大千秋楽で「答え」は見つけることができたのでしょうか?


☆長谷川鏡吾
9回も観て、その9回それぞれで新しい何かに気づいたり、それまでとは別の感想を抱いたりしましたが…これだけ回数を見るうちに「なぜ」と彼(『TRUTH』の鏡吾)に問いかけたくなる気持ちが強くなっていったんですよね…。以下の内容は正直全然まとまっていません。混沌とした感想や想像を思いつくままに書き出したものなので、多少の紆余曲折&支離滅裂はご容赦ください。


<舞台やキャラへの感想の変遷>
初回~2回目:予想以上に良いなと思いつつ、やはり違和感や戸惑いも。自分の意識にかなり強く(過去上演の)上川鏡吾や大内英之助が影を落としている。
3回目:新作の長谷川鏡吾エピソード・ゼロ『涙を数える』初日翌日、明かされた彼の過去と8年間の鬱屈を思い号泣する。
4回目:前日の衝撃が後を引いている中で芝居を観て、逆に「普通」だったので拍子抜けする。←唯一のイマイチ感w
5回目:再演版DVDを見直して劇場へ。それぞれが唯一無二だという確信、鮮明に役の輪郭が立ち上がり、キャラクターの新しい魅力に開眼。
6回目:二つの舞台そのものが熟成してそれぞれの説得力を持ち始め、それとともに『涙』の経緯&エンディングと『TRUTH』の結末、特に鏡吾に対して自分の中で「なぜ」が生じ始める。←大きな転機
7&8回目:何かが足りないんじゃないか、何かを私は見落としているのではないか、気づいていないことがあるのではないか、と考え始める。鏡吾の心の揺れ動きが、だんだん読めなくなってきた。→そのまま大阪公演へ


<大楽にて>
この日は多分今まで見た9回の中で一番「得体の知れない」「恐ろしい」長谷川鏡吾だったように思います。2時間で彼の放つ凄まじい迫力と蒼白い炎のようなオーラに身震いをしたのは二度三度ではありません。
たとえば弦次郎を呼び出す夜のシーン、提灯を手に意味ありげな表情で佇む姿から冷ややかな風がこちらに吹き付けてくるようで、夏だというのに座席で寒気を覚えて思わず身じろぎしました。そして英之助の亡骸に取りすがる弦次郎の背後から裂帛の気合とともに必殺の突きを繰り出す瞬間、確かにゴオッと風が吹いたのを感じて「ゾオオォォォォッ!」と背筋が凍る恐怖。あれ、避けるのが何かの拍子に半瞬でも遅れたら…?お芝居だとわかっているはずなのに、「本気で殺すつもりだった」…そうとしか見えず、そうとしか聞こえない一撃でした。(これも声の響き方が違ったせいかもしれません)

もちろん、前半のヘラヘラしている「仮面の鏡吾」の場面では相変わらず飄々とした、それでいて得体の知れない奇妙な雰囲気を醸しだしながら観る者(=私)の「問いかけ」をスルリと躱していってしまうのですが…。役柄とは真逆?で、東京公演中盤までは実直なまでに「もともとのリズムを崩さない」芝居をしていたようにも感じましたが、久しぶりに観てみると、小道具の「おたま」をより綺麗に操っていたり(それまではただ持っているだけのようで、大内さんらしい軽やかな手先の動きを見るレベルには至らなかったような)、柱に頭を押し付けてみたり、小さな動きが「自由さ」を増していたように思いました。鏡吾、楽しそうだな、と錯覚するほどに。

(・・・楽しかったのか?)

そう!錯覚するほどに!!いい加減な奴だなあ、と呆れられてもどこ吹く風、といった振る舞いは「白」にしか見えず、私の中でずーっと凝り続ける「なぜ」という問いかけに、ひとつも明確な形で「答え」らしきものが見つけられないのです。後半に現れてくる禍々しい本性はさしずめ「黒鏡吾」…白と黒、その二人はまるで別人格のようで、何がきっかけで「なぜ」そうなったのか、どこがその「ポイント」なのか…私は舞台を見つめながらずっと考えていました。

※白と黒はっきりしすぎてて、グレーグラデーションの部分が明確ではない分「ひょっとして二重人格とか?そういえば昔、悪霊に魂を侵されて同僚殺して権力握った善悪二重人格の最強のナントカがいたな。隠された双子の弟がいて、そいつは正真正銘真っ黒だったが…鏡吾もまさかwww」などと、夏休み中に思い切り余計なことまで考える羽目になったのはナイミツニナ。 ←どうでもいいw

閑話休題。
間違いなく『涙を数える』の多田鏡吾は多少鬱屈していても「白」でしたが(肌の色じゃないですよ!)『TRUTH』の本性、漆黒の闇に堕ちた大内鏡吾に至るまでの8年間には、まだ欠けている何かがある。少なくとも、目の前で繰り広げられている芝居に、その答えは含まれていないようにすら思えました。

「もし(弦次郎の耳が)治らなかったら、俺たちはどうすればいいんだ…?」と呟くシーン、虎太郎が「信じて待ちましょう、我が藩を救えるのはあの人しかいないんですから」と言う言葉を聞きながらも、心ではおそらく何か別のことを考えている鏡吾。あの瞬間、こちら側についていては先が無い、と見切ったという解釈もありかと思います。が、それにしては「横溝は俺に斬らせてくれ」と頼む姿も真に迫っていて、何故か私には「弦次郎の返答を見越した上で彼と英之助を罠にかけた」と100%思えなかったりしたのです。

震えが走るほどの、そして相反する要素でありながら壮絶な色気さえ感じさせた、この日の黒鏡吾の鬼気迫る芝居。「どうせこうなることはわかっていた」「疑いたければ疑え」僚友や帆平の説得に冷笑を浮かべる頬、「つくづくおめでたい奴らだ」と低く嘯く口調、そして弦次郎に対する執拗なまでの殺意…一方で「斬れ、弦次郎」「殺せ」と、投げやりな表情を隠さない弱さ…今思い起こしても鳥肌が立ちます。そしてキーワードは「迷いと弱さ」でした。鏡吾の持つ迷い、卑怯さ、躊躇い、何よりも「人としての心の弱さ」が、8年前のあの物語のラストとはどうしても繋がらないのです。そこへの私自身の迷いでもありました。

この日、今までとは違ったニュアンスで印象的だった場面…ラストの弦次郎の台詞「死よりももっと重い罰を…(中略)…お前も生きろ。どんなに苦しくても、歯を食いしばって生き抜くんだ!」を耳にして、俯き気味だった鏡吾の顔が一瞬、驚きに打たれます。それが(以前よりも上向きに顔があげられたせいか)照明に晒されて浮かび上がり、噛み締めた唇や引き結んだ眉がそれまでの悔しさ自暴自棄さとは別の「何か」を思い出すかのように歪んだのです。


その「何か」…ひょっとしたら「誰か」かもしれない。
封印した記憶の奥底で、かつて自分に「生きろ」と命じた人間がもう一人いたことを思い出したのかもしれない。



涙こそ流さないものの、この一瞬で鏡吾が見せた痛々しく歪んだ表情だけが、唯一この日に「白」と「黒」の、そして「過去」と「現在」の接点として見出せたものでした。

もちろん、あくまでも先入観に基づいた憶測に過ぎません。これは私の目から見た私だけの感想です。そもそも彼の過去話『涙を数える』は言ってみれば後付けの「エピソード・ゼロ」…であれば!8年後の物語に繋がるように綺麗にまとめることもできたでしょうが、作者はあえてそうしなかったのではないか?と言う結論に今の段階では達しつつあります。 (←これは直感!)

あえて、綺麗にまとめなかった…という仮説。

『涙』と『TRUTH』はひとつの時間軸と設定を共有しつつも、舞台である以上は役者さんの個性やお芝居の解釈が違っていて当たり前で、それはそれでひとつの「独立した物語」なんだろうな、とも思いました。作者の手でコントロールできる小説や映像よりも、よほど「ナマモノ」らしくていいじゃないか、と。誰が観ても解がひとつしか生まれないシナリオよりは、矛盾や疑問をはらんだまま「長谷川鏡吾」の28年間に思いをめぐらせながら観客が二つの芝居を観たほうが「面白い」のかもしれません。むしろ2014年の長谷川鏡吾は、観た人の数だけ「なぜ」への答えがあるような気がしてきました。

結局、大楽の芝居を観ても最後まで「なぜ」の答えはありませんでした。白だろうが黒だろうが、絶対値とでも言うべき「答え」はない。そして「解」もない。もっと言うなら、これから先にも自分の中で確固たる解釈ができるとは思えないでいます。


Where is my "TRUTH"? (『涙を数える』チラシより)

Where is your "TRUTH"? (『TRUTH』チラシより)


おそらく「鏡吾が自分自身に問い続けている」のが、前者。対して「誰かが鏡吾に問いかけている」のが後者だとしたら、問いの主は弦次郎だけでなく、観客、そして私自身だったのかもしれません。この2014年に(1999年、2005年では明かされなかった)鏡吾の深い心の傷を知った人間なら、「そんなものは最初から無い!」と言い切られても、やはり問いかけずにはいられない…それが終わりなき「なぜ」の根源だったのかもしれません。

翻って、1999と2005の鏡吾は(台詞と言う意味だけでなく存在自体が)雄弁であった、とも思います。2014の鏡吾は未だ何も語ってくれません。誤解を恐れず言うと、この再再演の鏡吾ほど観客を困らせた存在も無かったんじゃないかと。
1999は多少揺らいでいたし、2005は呆れるほど明快だった。そしてどちらも圧倒的な「自分の信念」とでも言うべき強さがあった。でも2014の鏡吾は未だにわからない…。あの膨大な台詞に加えて新たに明かされた過去があったにもかかわらず、本質的にはとても寡黙なまま、大内さんの演じた鏡吾はミステリアスな「解けない謎」の部分を残して私の前から去っていってしまいました…。


最早かなわぬ願いですが、こんなことなら大阪公演もう一回だけでいいから観たかったな…。(^^;






あ、でも「簡単にわかっちゃう」男より、「ミステリアスな部分をいつも持ち続けている」男のほうが絶対に魅力的ですから!そういう意味では、私の鏡吾と言うキャラに対する愛wは揺らいでおりません!!!(爆)それだけは断言しておきますw

これは余計な話になりますが、2014の黒鏡吾と酒を飲んでも会話が弾みそうにありませんね。正面で差しつ差されつでもなく、カウンターで並んで、黙ってそれぞれが手酌で飲む羽目になりそうな…トホホ。ちなみに私が一番一緒に酒を飲みたいのは、帆平センセイです!w





ダメだ、全然まとまってませんね~(^^;
明日はLMT@KAATマイ初日なので、一旦タイムリミットです。